15 貴族らしく、たくましく
3日目。今夜はヨハネスバルク伯爵家の夜会ですわ。
「奥様。ミセス・ボードレーリルが、最後の挨拶に」
「通して頂戴」
私室で侍女軍団に髪を結ってもらっている最中ではあるけれど、オルタニア夫人がミセス・ボードレーリルを招き入れます。
「ごめんなさいね、こんな状態で」
「いいえ、若奥様。こちらこそ、申し訳ございません。お忙しいとは思いますけれど、最後に挨拶を」
「いつかまた会えるわ、ボードレーリル子爵夫人。それよりも、できる限り早く、最長でもひと月で、終わらせて頂戴。来月には、ノルマンデイラ夫人にこの屋敷にいてもらわないと困るわ」
ノルマンデイラ夫人というのは、フォレスター子爵家が所有しているレンゲル高原の別荘の家政婦です。ボードレーリル子爵夫人の後任として、フォレスター子爵家の家政婦に異動です。ボードレーリル子爵夫人とは配置転換ですわね。
はじめはボードレーリル子爵家へ戻そうかと思っていましたけれど、オルタニア夫人が後任の家政婦になってくれないというので、レンゲル高原の別荘と家政婦をチェンジですわ!
「はい、若奥様。奥様の侍女としてお仕えしていた頃に、何度かあの別荘には行きました。別荘のこともそれなりに知っておりますので引継ぎはかなり早くできると思います。ご安心ください。それと、このようなご温情を賜り、本当にありがとうございました」
ご温情というのは、解雇ではなく配置転換になったこと。やはり、解雇だとボードレーリル子爵夫人の立場が悪くなり過ぎます。お義母さまは、私にそれを冷徹にやらせたかったようですけれど。
この方がいろいろと都合がいいのですもの。
「お義母さまが、あの別荘には毎年、夏に行くとおっしゃっていたわ。あなたにとってはよく知る相手ですもの、しっかりともてなしてあげてね?」
「はい、若奥様。私もそれが楽しみです」
次期侯爵夫人に対する教育の教材として、嫁に解雇させようと思っていた息子一家の家政婦で、元侍女で、元乳母という存在と、毎年、夏に顔を合わせて、ちょっとでも気まずい思いをしてくださいませ、お義母さま……。
ほんの小さな嫌がらせですわ! おそらく、お義母さまは大して気にしないでしょうけれど。
「旦那様には挨拶できたのかしら?」
「いえ、お会いできる時間にお戻りではありませんでしたので。でも、これで良かったのだと思います。若奥様、本当に申し訳ございませんでした。これで失礼いたします」
「私、あなたの正論は嫌いじゃなかったわ、ボードレーリル子爵夫人。本当よ? ねえ、体には気を付けて。これからの季節、レンゲル高原は寒いはずよ」
「はい、気を付けます、若奥様。ありがとうございます」
ほんのちょっぴり涙ぐんだボードレーリル子爵夫人が、オルタニア夫人に付き添われて、私の私室を出て行きました。
彼女への処分が甘いという意見もありましたけれど、彼女がしたことは、あくまでもフォレスター子爵家内でのこと、と私は考えましたの。
私の欠席予定を出席に、勝手に変えた、というだけ。それがたまたま、あの夜会だった、と。
だから、処分はするけれど、解雇のような重さにはせずに、配置転換、まあ実質的には左遷という、ほどほどに重い処分としました。
後任の都合も含めて、それが丁度良かったというのもありますわね。
毎年の夏の骨休めに、あの真面目なボードレーリル子爵夫人から、お義母さまが正論でいろいろと言われる姿を想像すると、ちょっとだけ癒されますわ……。
旦那様がお戻りになって、着替えてらっしゃいます。
着替え終わったら、ヨハネスバルク伯爵家の夜会へ向かいます。
今夜はクリステルとアリーが三つ羽扇の襟のドレスで、私の護衛ですわ。もちろん、私も三つ羽扇の襟のドレスです。
大夜会やウェリントンの本家主催の夜会では、マダム・シンクレアのドレスですもの。今のうちに三つ羽扇の襟のドレスを着ておかないと。
旦那様よりも先に準備を終えます。本当は女性の方が準備に時間はかかるのですけれど、単純に旦那様よりもはるかに早い時間から準備を進めていただけのことです。
旦那様を待たずに、御者のドットのエスコートで馬車に乗り込みます。同じく、ドットのエスコートで、クリステル、アリー、そして、会場の控えで待機するためにタバサとユフィも乗り込みます。
今回は最初から馬車2台の体制ですわ。道中のうざい話も聞かずに済みますし、先に帰ったとしても、いちいち旦那様の馬車を用意させる必要もありません。
……先に帰る気で最初から行くつもりですもの。当然ですわ。
どういうことだ、とか、なぜ別の馬車に、とか、何をふざけたことを、とか、外から聞こえてきますけれど、聞き流しておきます。けれども、旦那様の馬車の方が前なので、とっとと乗って頂きたいですわね。
シンプルに理由を言葉にすれば、夫婦仲がよろしくないから、ですわよ?
結婚してから、顔を合わせた時間と、合わせていない時間と、どちらが長いと思ってらっしゃるのかしら? 圧倒的に、顔を合わせていない時間の方が長いのに……。
出発前にごたごたしていましたが、ようやく馬車が動き始めました。
旦那様のうざい話がないだけで、車内は抜群に快適ですわ。
そして、残念ですけれど、会場に到着しますと、旦那様のエスコートで馬車を降りなければなりませんの。
「どうして別の馬車にしたんだい、リーナ?」
「特に理由はありませんわ、旦那様」
……こんな話題になるということは、旦那様はまだスチュワートのメモに目を通していないようですわね。小言を言われるからと逃げ回っているとか、子どもかしら? ……まあ、大きな子どもみたいなものよね。
「馬車の中で、リストについて話そうと思っていたんだよ、リーナ?」
「ヨハネスバルク伯爵令息ですか?」
「そうだよ、彼はね……」
うざいので聞き流しながら歩きます。
一度、控えに通されて、クリステルやアリーとは別行動になります。今回も、招待客の中で最上位ですわ。あくまでも男爵家のクリステルやアリーは、旦那様の侍従たちのエスコートで先に会場へと入ります。
控えには、タバサ、ユフィ、それに旦那様の侍従に見せかけた護衛騎士がおりますので、クリステルが一時的に離れても問題はありません。
ヨハネスバルク伯爵家ならば、ウェリントン侯爵家以上の家柄も招待できるでしょう。それでも、旦那様と私の結婚を祝う、というお題目ですものね。本音は経済的な支援だったとしても……。
……まあ、今は、セラ商会から情報を伝えられて、大急ぎで考えた旦那様対策をどれだけうまく遂行できるか、というようなことしか、頭にないでしょうけれどね。
「それで、今日は、君とのダンスを楽しみにしているんだよ、リーナ。領地で踊ってから、君とは踊っていないものね、リーナ」
……聞き流せない言葉が出ましたわね?
「……あら、旦那様。出発前にスチュワートから、何か言われておりませんか?」
「ああ、あいつ、今日は一切ダンスを踊るなとか、おかしなことを言って、私を困らせるんだよ、リーナ。ふざけていると思わないかい、リーナ?」
……旦那様が、スチュワートを困らせることはあっても、その逆が起きる可能性はとてつもなく低いと思いますわ。そして、旦那様以外は、誰一人として、ふざけておりませんの。
丁度、案内役に呼び出されましたので、この話はそこまでとして、会場へと入りました。
そのまま、主催者である伯爵一家の前へと進み出ます。
ヨハネスバルク伯爵が、伯爵夫人、嫡男で旦那様のご友人の伯爵令息、次男の伯爵令息、長女の伯爵令嬢を紹介してくださいます。
旦那様は初対面らしい伯爵令嬢に自己紹介をしてから、妻である私をみなさんに紹介してくださいました。
普通はここで、男性、女性に分かれて会話を少し重ねるのですけれど……。
「今夜は、君とのダンスを期待してもいいかい?」
旦那様は伯爵令嬢にダンスの誘いを掛けていますわ。
……この不発弾はいつ爆発するか、わかりませんわね、本当に。
伯爵も伯爵夫人も、表情を全く変えません。さすが、年の功ですわ。けれど、息子二人と娘はやや表情が固まりましたわね……なんだか申し訳ないわ……。
私に視線が向かってきましたけれど、そっと扇を開いて視線を合わせないようにしますわね、ごめんなさいね。
ますます伯爵令嬢の表情が固まりましたわ。でも、瞳に力が入ったのもわかりました。自分で対処しなければならないと理解したのでしょう。こちらが、どういう態度に出るのか、待っているのだ、ということも、理解したはずですわ。
「……ズシマーリの風が吹きましたら、その時には」
まあ、お見事ですわ! さすがは伯爵令嬢ですわね。
ズシマーリはベルラティー島の西海岸でも有名な風待ち港です。その風が吹けば、ということは、今は風が吹いていない、ということで、この場合は、ダンスは『待て』という意味になります。旦那様をワンコ扱いなのもいいですわ! 貴族らしい遠回しな拒絶です。
しっかりと旦那様対策を立てているようで安心しました。
「ズシマーリの風は、なかなか吹きませんものね。10日待つこともあるそうですわ。今日はきっと吹かないでしょう」
私は微笑みとともに、言葉を返します。
固くなっていた伯爵令嬢の表情が少しだけほぐれて、微笑みに変わりました。意味が伝わって良かったです。
「左右の襟の形が違うんですのね」
伯爵令嬢はさらりと私のドレスに話題を変えてきます。これもいいですわ。
「ええ、おもしろいデザインでしょう?」
「これは、扇襟に似ていますわね」
伯爵夫人も、扇襟が分かるくらい、きちんと学んだ人らしいですわね。惜しいですわ、息子と仲が良いからと、旦那様なんかと繋がろうと考えなければ、こんな無駄な苦労をせずに済んだものを……この伯爵家、男性陣がダメなのかしら……? あら、ブーメランですわね。うちも旦那様が残念な方でしたわ。
「私は、三つ羽扇と呼んでおりますの。扇襟を小さくすると、いいアクセントでしょう?」
「そうですわね、片側だけ、というのも興味深いですわ。どちらのドレスでして?」
「できたばかりの、小さなドレスメーカーですのよ」
にこり、と笑顔を添えます。いい宣伝になりましたわね。これで、この夜会の間、私とクリステル、アリーのドレスの三つ羽扇を見た人たちとの話題になることでしょう。
「旦那様、そろそろ、次の方に……」
「ああ、そうだね、リーナ」
ドレスメーカーがどこか、教えてほしそうな夫人と令嬢を置き去りにして、さらっと切り上げます。デザインを真似るのは自由ですもの。著作権など、ないのですから。ほしければ、よく注文するドレスメーカーにこのデザインでと頼めばよいのです。
主催者から離れて、食べ物、飲み物があるテーブルの近くに移動します。もちろん、私は、一切、食べませんし、飲みませんわ。旦那様はまた、食べておりますし、飲んでおりますわね……。
今回は、話しかけてくる方は、結婚のお祝いぐらいで、さっと離れていきますわね。ドレスのことを聞きたそうな方もいらっしゃるけれど、できるだけ、旦那様に近づかないように、という共通理解が裏で徹底されているようです。
……ヨハネスバルク伯爵家は、短い時間で対策を頑張りましたわね。お見事ですわ。招待している方たちが伯爵家に近い方々だったから、というのもあるのでしょうね。
こうやって、ウェリントン侯爵家の経済力に群がる虫のような連中を追い払いたいのでしょうね、お義母さまは。ついでに、何か、毟り取りたいのかもしれません。
うかつに近づけば、とんでもない火傷をする。それだけの覚悟を持って、近付いてきなさい、と。
自分たちの都合に合わせて、利用できる相手ではないわよ、と。
主催者への挨拶を終えて、クリステルやアリーも合流しました。
「三つ羽扇について、伯爵令嬢に聞かれました、奥様」
「そう。どう答えたの、アリー?」
「ご指示通り、『全て奥様が整えてくださいました』と」
「ありがとう、それでいいわ」
「はい」
……ずいぶん、興味を持っていますわね。爵位が下のこの子、アリーからなら、と考えたのでしょうね。でも、そう簡単に情報は与えませんわよ? 情報の価値はそうやって高めるものですもの。
来客のみなさんの、主催者への挨拶が終わって、伯爵と伯爵夫人のダンスが始まりました。
それとほぼ同時に、旦那様のご友人である伯爵令息が、旦那様の隣にぴったりと張り付きました。まあ、守りを固めますわね! そして、私たちの近くには、他のお客さまは近づきませんわ!
「ダンスは、夫人とだろ? 新妻と仲のいいところ、見せてくれよ?」
「ああ、もちろんだよ」
……残念ながら、それは油断ですわよ、ご友人さま。
さすがは伯爵夫妻、という見事なダンスの披露が終わりました。
伯爵令息は旦那様の背に軽く手を添えて、私の方へと押し出してきますわ。ライスマル子爵家と同じ失敗はしない、そのための対策は万全だ、とでも思ってらっしゃるのかもしれませんわね。
「リーナ、踊ろう」
アゴに視線を集中しておりますけれど、アゴの動きで微笑んでいることがうかがえますわね。でも、旦那様のその微笑み、瞬間冷凍させましょうね。
「いいえ、旦那様。私、ダンスの順番は守りたいのです。今は、旦那様と私のダンスの順番ではございませんわ。ですので、お断わり致します」
「え、何を……」
旦那様から、ちらりと伯爵令息へ視線を流せば、顔色がはっきりと悪くなっていますわね。まあ、それは楽しい夜会で見せるお顔ではございませんわ?
でも、その顔色だと、意味は伝わったのでしょう? ただ単に、今、踊らないという意味ではないということも含めて?
ごく普通の夜会であれば、主催者のダンスが終われば、次は来客のダンスの順番です。でも、私は順番が違うと言います。その意味を理解したから、伯爵令息は顔色を変えたのでしょうね。
それが一瞬で理解できる、なかなか優秀な跡取りですのに、どうしてでしょうね? それだけ、優秀な者ですら目がくらむほどに、ウェリントンの経済力が魅力的だということなのかもしれませんわね。
「リーナ、そんなことを言わずに……」
「な、なあ、レスター。君に相談したいことがあるんだ、すごく重要なことなんだよ。すまないが、別室で真剣に話したいんだ。子爵夫人、レスターをお借りしても構わないだろうか?」
……あら。ここまで対策していたのですね。別室へと連れて行けば、ダンスは踊れませんものね。
ダンスのために私の手を取ろうとした旦那様の腕を伯爵令息が掴んで止めましたわ。お見事です。さすがは近衛とはいえ、騎士ですわね……。
「もちろん、よろしいですわ。殿方には殿方との話があるのでしょう? 私、旦那様とダンスは踊りませんから、どうぞ、そのまま、旦那様はお連れくださいませ」
私は、今日の難問にきっちりと正解を出せた伯爵令息へと微笑みました。よくできました、という気持ちを込めて。
そのまま、割と強引に、伯爵令息は旦那様を会場から連れ出して、別室へと向かいました。おそらく、旦那様がこの会場へと戻る頃には、音楽は止んでいるのでしょう。
ヨハネスバルク伯爵家、お見事ですわ!
旦那様が伯爵令息に連れ出された途端に、ダンスを踊っていない令嬢が集まってきました。そこからは三つ羽扇の襟のドレスの話題になります。
旦那様が女性陣にとって邪魔になっていたとは、なかなかおもしろい状況ですわね。
集まった令嬢の中には、伯爵令嬢もいました。
「……あの、フォレスター子爵夫人。エカテリーナさまとお呼びすることをお許し頂けますか?」
「ええ、よろしいですわ。私も、フランシーヌさまとお呼びしても?」
ヨハネスバルク伯爵家は合格ですもの、もちろん、許しますわ。
「はい。もちろんです。これからもどうか、仲良くしてくださいませ」
嫡男同士の関係ではなく、娘と夫人との関係でフォレスター子爵家と、ひいてはウェリントン侯爵家と繋がろうとするその姿勢、きちんと計算ができていて、実にいいですわ! 仲良くできそうです! 夫婦仲が良くないところを見せつけて良かったですわ!
こうして、ヨハネスバルク伯爵家は、見事に不発弾の処理を済ませました。直前に与えられた情報で本当によくやれたと思います。
あ、もちろん、旦那様が会場に戻る前に、私、先にお屋敷へと帰りました。
後から旦那様の侍従に確認しましたが、予想通り、旦那様が別室から戻った後は、音楽は止んでいたそうです。




