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14 それは薬か、それとも毒か




「それで、奥様。何か? どこかのご令嬢から失礼なことでも言われましたか?」


 ……そうね。スチュワートがそれを想定するのは当然よね。旦那様ですもの。一番、可能性が高く、簡単なところですわ。でも、違いますの。


「旦那様は、最初のダンスを、次期侯爵として、私ではない方と踊ったわ。新婚の新妻を連れて参加したのに、よ?」

「なっ……」

「それは……」


 スチュワートとミセス・ボードレーリルが動揺していますわね。スチュワートの視線が私の背後のクリステルに向けられます。クリステルは静かにうなずきましたわ。事実ですものね。


「ミセス・ボードレーリル。あなたが勝手に出席で返答した夜会ですわ。私に恥をかかせて、これで満足かしら?」

「いいえ、いいえ。若奥様、申しわ……」

「謝罪は結構よ、ミセス・ボードレーリル。3日で、荷物はまとめて頂戴」

「…………かしこまりました」

「オルタニア夫人、後任はあなたにお願いしたいのだけれど?」

「奥様、今はまだ、お受けできません」


 ……今は、まだ、ね。そう。そういうことなのね。オルタニア夫人が次期侯爵家の家政婦になる予定だったのね。でも、どうしたものかしらね?


「……なら、しばらくの間、代理を務めてくださる? それならいいでしょう? 後任は急いで決めるわ。ミセス・ボードレーリル、鍵はオルタニア夫人に。ああ、あなたはもう、ここから出て頂戴。今後については明日にでも話しましょう」

「はい……」


 執務室から、ミセス・ボードレーリルを追い出します。真っ青ですわね。倒れないかしら? ある意味ではお義母さまの狙い通りになってしまったわ……もう、もらえる物はもらった後ですから、問題はないけれど。まあ、彼女の行き先でちょっとだけ仕返し、しましょう。


 あら、スチュワートの顔色もよくないわね?


「……奥様、なぜ、ダンスで?」


 理由なんて、決まっていますわ。全ては私の利のためです。エカテリーナ、行きます。


「あら、スチュワート。全ては旦那様の自覚のなさが原因です。わかっているのでしょう? ああ、それと、私、今後も、ダンスの順番は大切に、ま・も・り・ま・す・わ?」

「お、奥様、それは……」

「よく言い聞かせておいてね? 私を同伴する夜会では二度とダンスを踊るな、と」


 あら、スチュワートの表情が固まりましたわね。旦那様とは長い付き合いでしょうに。あと、背後で同じ気配がしましたわ。これはクリステルね?


「新婚の次期侯爵夫人である私の旦那様とのダンスの順番は、一番ですもの。今日、旦那様が踊られた方よりも後に、踊る訳にはいきませんわ。もちろん、私は、どの夜会でも、どなたとも踊りませんことよ?」

「……奥様、そういう企みを口の端で漏らしてはなりません」


 ……オルタニア夫人は相変わらず厳しいわね。思わず笑顔が出そうになったのよ。だって、嬉しいもの。旦那様とダンスを踊らなくていいなんて! 最高の性病感染対策ですわ! ついでにダンスそのものをお断わりする口実もできましたわ!


「お、奥様、まさか、だ……」

「もちろん、大夜会も同じよ、スチュワート。私を旦那様と踊らせたいのなら、今夜の、あの夜会で、ライスマル子爵夫妻がダンスを踊り終えたところまで時間を戻して、旦那様を説得なさい。できるものなら、ね。きちんと言い聞かせないと、この先、被害が拡大するわよ?」


 おとぎ話でもあるまいし、時間を戻すなんて、できる訳ないけれどね……。


「……だから、大奥様には『奥様を試すのはもうお止めください』と申し上げたのに。奥様も奥様ですよ、他の選択肢もあったでしょうに」

「私としては、最善の道を選んだわよ。そもそも、まだ旦那様とお会いして1年にも満たない私に、旦那様の教育、矯正をさせるのだから、それはどこかに歪みが出るのも当然よ。病が重ければ重いほど、劇薬が必要になるものでしょう?」

「奥様は劇薬過ぎます。もう毒ですよ……そもそもダンスが嫌だからとか、そういう理由もあるんじゃないですか? 奥様?」

「失礼ね、あなたの言葉も毒だわ、スチュワート。ああ、毒と言えば、ライスマルの大奥様が今夜、毒杯を飲むつもりよ。それが手打ちになるわ。立派よね。命懸けで息子夫婦と孫たちに貴族としての在り方を教えるつもりみたい。彼らは貴族とは呼べなくなる可能性もあるというのにね。大奥様は、義弟の三男、今の子爵の従兄弟に継がせたいみたい。その予定で進めるわ」

「まあ、それは……ですが奥様。三男では王家の承認が得られません」


 オルタニア夫人がほんの少しだけ悲しそうな顔をしましたわ。大奥様は、知り合いなのかしら?


「ライスマルの大奥様によると、義弟の長男と次男は平民を嫁にしたらしいわ。三男の嫁は男爵家からだそうよ。確認は必要だけれど、確認できれば問題ないわ」

「ああ、平民籍へ移ったのですね」


 この国の戸籍には、平民籍と、貴族籍と、その中間となる継嗣籍という戸籍がございます。

 貴族籍は、公侯伯子男の五爵位とその令息、令嬢が属します。

 継嗣籍というのは、貴族家の跡継ぎではない令息と令嬢による婚姻によって入る戸籍で、その子どもまでが継嗣籍です。孫は平民です。貴族ではないけれど、平民でもなく、血族に跡継ぎがない場合の、スペアとされるのです。高位貴族はいくつかの爵位を持つため、あまり関係ないですわね……。

 令息や令嬢が平民と結婚した場合には、そのまま平民籍へ入ります。一度、平民籍へ入ると、貴族籍へは戻れません。

 ちなみに、めったにないですけれど、五爵位のいずれかを持つ方が平民女性と結婚した場合、その女性は平民籍のままで、生まれた子は貴族籍です。ただし、その子たちが社交界でどのようになるのかは、まあ、大変ですわ、と申しておきます。


 オルタニア夫人がまさに、この継嗣籍に入っていますわね。


 今回、ライスマル子爵家は、ウェリントン侯爵家に恥をかかせて、その逆鱗に触れました。本当は、私、何も怒っていませんけれど、それはそれとして、ライスマル子爵家はその怒りをどうにかするために、現子爵が願い出て、従兄弟に爵位を譲ることになります。

 ライスマルの大奥様が毒杯を飲まなければ、寄親であるマンチェストル侯爵家が遠縁の誰かを跡継ぎにするか、王家に爵位を返上させるか、どちらかになったでしょう。


 本当に、高位貴族のプライドというものは、大変ですわね。


 私、旦那様と一番に踊ってもらえない、愛されていない新妻として噂になるのですけれど、その噂を打ち消すように、ウェリントン侯爵家が嫁に恥をかかせた子爵家を潰したという噂が流れるのです。どちらにしてもろくでもない噂です。数少ないお友達が離れていかないか、心配ですわ……。


 旦那様? あの方は自業自得ですわね。


 ……こんな夜にお屋敷に帰って来ないのですもの。知ったことではございませんわ。






 翌朝、まずライスマル子爵家の料理人が、出入りの八百屋から野菜を買いましたわ。野菜はできるだけ新鮮な物がいいですものね……。


「その八百屋に卸しているのはマクベ商会という中堅どころです。どうなさいますか?」

「……確か、まだ2代目だったかしら? 慣れてないのね」

「そうですね。大手の商会は、うちだけでなく、公爵家や他の侯爵家でも似たようなことを経験してますから、対応も簡単なのでしょう。それで、どうなさるので?」

「もちろん、領内の通行を禁止すると通達しなさい、スチュワート。それから、マクベ商会に通行禁止の通達を出したことを、野菜を売った出入りの八百屋に卸していたという理由も含めて、他の商会へと知らせることも忘れずにね」

「そこまで……いえ、かしこまりました」


 やる時は徹底的に、ですわ。それに、これはライスマル子爵家への救済でもありますわ。マクベ商会はもう、通行禁止を受けたのですもの。子爵家との取引に問題はありませんわ!


 そして、お昼過ぎには、マクベ商会がやってきました。もちろん、急な訪問で、お約束はございませんわ。


「どうなさいますか?」

「追い返して」

「かしこまりました。あと、子爵家の門に弔意を表す黒布が結ばれたと報告がありました」

「そう……」


 ……ライスマルの大奥様。ご冥福をお祈りいたしますわ。どうか迷いなく神の庭へたどり着かれますように。


 初日はそのくらいで、まあ、静かなものですわ。そして、旦那様は、お帰りになりませんでした。早朝に着替えに戻って、すぐに出て行ったそうですけれど、スチュワートが残したメモにも目を通してないようですわ……本当に残念な方……。






 二日目。

 まずはマクベ商会から届いた、面会依頼のお手紙ですわ。


「いつも通り、都合のいい予定で返事を」

「そうですね、明日はヨハネスバルク伯爵家の夜会ですし、3日後はモザンビーク子爵家の夜会、6日後は大夜会です。明後日、4日後か、5日後、または大夜会の後、いつがよろしいですか?」

「……そうね。明後日の午後にしましょう」

「……早めに対応なさるのですね?」

「何? スチュワート、あなた、私のことを極悪人のように思っているのかしら?」

「……そのようなことはございません」

「他の商会に動きは?」

「特にありませんが、ククリ商会にライスマル子爵家の家令が接触しました」

「取引は?」

「なかったようです」

「そう」


 スチュワートに資料を持って来させて、ククリ商会を確認します。4代目に代替わりしたばかりの商会で、後見している3代目が実質的には指示を出しているようです。ライスマル子爵家との付き合いも長いようです。


 午後に、そのククリ商会の先代である3代目がやってきました。もちろん、急な訪問ですわ。


「……どうなさいますか?」

「……子爵家との取引はなかったのよね?」

「はい、そう報告を受けております」

「何か、言ってるの?」

「どうしても、緊急で相談したいことがある、ということですが?」

「うーん……」


 本来なら、追い返してもよいのでしょうけれど。こちらの意図を汲んで、取引はせずに、それでいて緊急で相談したいというのは……。


「……いいわ。執務室へ通して」

「よろしいのですか?」

「カンよ……」

「奥様……」

「いいから、早く済ませましょう」


 私の言葉遣いが気になるスチュワートを追い出して、お客様を呼びに行かせます。その間に、ヨハネスバルク伯爵家とモザンビーク子爵家の資料に改めて目を通します。


「奥様、ククリ商会のラース殿です」

「入って」


 40代後半か、50代前半か、白髪交じりの赤毛のおじさんが、茶色の瞳を尖らせて入室してきましたわ。あら、戦闘態勢ですわね……。


「急な面会に応じてくださって、ありがとうございまさぁ。ククリ商会の先代会頭で、今は後見をしておりまさぁ、ラースでございまさぁ」

「緊急だそうね? 何かしら?」


 ラースの目がさらに細められましたわ。強気な方ですわね。


「……ウェリントンの若奥様。ククリ商会は、先代のライスマル子爵にずいぶんとお世話になりやした。ですが、今は、侯爵家からの脅しで、取引を止めておりまさぁ」

「あら、脅しとは、ずいぶんな言い様ね」

「ベルラティー島の西海岸の5つの港を押さえる侯爵家から、港の利用も含めた通行の禁止などと言われりゃあ、それは王都の商会にとって脅しとしか言えませんや」


 ……実は5つではなく、4つの港です。ひとつは、旦那様が婚約破棄された時に、公爵家への賠償として手放しました。旦那様、本当にろくでもないですわね。


「そうなの。それで?」

「ククリ商会はウェリントンの若奥様のお望み通り、潰しまさぁ。ですが、それに息子や孫を巻き込みたくねぇんですよ」

「私、ククリ商会を潰したいなどと、口にしたことはございませんけれど?」

「侯爵領の通行禁止は、ククリ商会が潰れるしかないくらい、大きいことでさぁ」

「ククリ商会に侯爵領の通行禁止を通達した覚えはありませんわ? 本家からそのような話があったのかしら?」

「いいえ。ですが、あっしは恩のあるライスマル子爵家と取引をしようと思っておりまさぁ。だから、すぐに通行禁止を命じられるでやんしょ? ククリ商会はそれで潰しまさぁ。でも、息子と孫が新たに起こす別の商会には、手出し無用でお願いしたいんでさぁ」


 ……ライスマルの大奥様の人望かしらね。それとも前子爵かしら? なかなか骨のある商人に慕われていたのね。


「ラース。子爵家の門に弔意を表す黒布が結ばれたと聞いています。あなたの言う子爵家との取引というのはひょっとすると、葬儀の関係かしら?」

「……そうでさぁ。家令のバステン殿が葬儀に関する手配を頼みに来やした。ですが、4代目は……息子はウェリントン侯爵家からの通達で、それを、断り、やした。先代との繋がりでバステン殿はあっしのところにも顔を出したんで、今の状況を説明したら、真っ青になってやしたぜ」

「それで、その葬儀の手配を引き受けたい、それでククリ商会が潰れてもかまわない、そういうことね?」

「そうでさぁ」

「恩があるから?」

「大陸との船を沈めちまったことがありやしてね。その時に、ライスマル子爵家の食料品から、日用品まで、全部、先代はウチへ話を回してくださって、お陰で店を潰さずに済んだんでさぁ。潰れるところを助けてもらったんだから、その分、恩を返して、ウチの商会が潰れるのもしょうがねぇってモンで。それで、大奥様の葬儀ができるんなら、あっしは……」


 堂々と、子爵夫人で、次期侯爵夫人でもある私をまっすぐ見据える度胸は、興味深いですわね。それと、ライスマルの大奥様への想いですわね……この義理堅さ、気に入りましたわ。エカテリーナ、行きます……。


「ラース。葬儀の手配は、子爵家とククリ商会との間に、必ず、神殿を挟みなさい。直接の取引は認めません。けれど、ライスマルの大奥様の葬儀は、それできっちりとできるように手配なさい」

「……」

「ククリ商会を潰す必要はありません。ただ、見逃すのは神殿を間に挟んだ葬儀の手配だけよ。よろしくて?」


 あら、驚いてラースが目を見開いてますわね?


「聞こえたかしら? 私、忙しいのです。用が済んだのなら、退室を。スチュワート!」

「はい、奥様。では、どうぞ、お帰りに」


 スチュワートが退室を促すと、ラースははっと我に返って、ぶうんと風音がするくらい大きく頭を下げました。あんな音、するんですのね……。


「ありがとうございまさぁ、ウェリントンの若奥様……」

「ライスマルの大奥様の最後、きっちり頼みましたわよ?」

「はい、はい。必ず……」


 感激屋なのかしら? 泣いていますわね? まあ、いいですけれど。


 ククリ商会の先代、ラースを泣かせたまま追い出したスチュワートが執務室へ戻ってきました。


「……奥様、甘いのでは?」

「葬儀にケチを付けるのは、得策ではないわ」

「ケチ、とは……もう少し、言葉を選んで……」

「……言葉なんて今さらだわ。ああ、ククリ商会には監視を忘れずにお願いね。それと、うちとククリ商会の取引の記録をまとめさせておいて。何? 心配いらないわ、大丈夫よ。マクベ商会には、そういうのはないから。それよりも、この資料にあるイルマ商会とセラ商会に、ライスマル子爵家での夜会の情報を流して頂戴」

「……それぞれ、モザンビーク子爵家とヨハネスバルク伯爵家に繋がりがある商会ですね?」

「そうよ。何が起きたか、教えてあげるの。夜会での対策が立てられるように」

「やはり甘くないですか、奥様?」

「そうかしら? 伯爵家はともかく、今回のライスマル子爵家の一件で、モザンビーク子爵家については、下手を打たないように寄親のリバープール侯爵家が動くのではないかしら? 全方位を敵に回すより、鞭だけでなく飴も与えておくべきだわ。見せしめはひとつで十分よ」

「ウェリントン侯爵家にはそれでも戦う力はございますよ?」

「敵を潰せるからといって、潰せばいいなんて考えは、戦乱の時代であったとしても愚かなことだわ。力なんて必要な時に、必要な分だけ、効率良く振るえばいいのよ」

「……そのお言葉、よく覚えておきます」


 舞台上の役者のようにわざとらしく、スチュワートはそう言いました。あら、そんな悪ふざけもできましたのね?


 ちなみに、この2日目の夜も、旦那様は帰ってきませんでしたわ。あきれますわ、本当に。







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