12 没落した理由
王都のお屋敷へと戻りました。
お肌はすべすべのもちもちでつやつやですの。温泉最高ですわ……。
……執務室は書類の山でしたけれど。スチュワートったら、断りなく山荘に引き籠っていたことへの意趣返しかしらね?
「ミセス・ボードレーリル。これは、女性使用人のみんなで使って頂戴。特に、ランドリーメイドとキッチンメイドには確実に使わせてあげて。夜、寝る前に手に塗り込むの」
「……そのように致します、若奥様」
「あなたも使ってね?」
「……はい、若奥様」
お土産は、手荒れ対策のハンドクリーム。残念ながら非売品の試作品ですわ。温泉水と井戸水と山羊の乳とはちみつを混ぜた物です。構成比率は秘密。みなさんの手荒れに効き目があるといいのですけれど。アレルギーとか、怖いですわね。
「使ってみて痛みやかゆみが出る者には、すぐ止めさせるようにしてね」
「ええ、そうします」
ミセス・ボードレーリルとの関係も小康状態ですわね。
弟からの手紙もありましたので、2日後と、急ではありますけれど、面会を設定しました。姉離れできないのかしらね?
溜まっていた執務の処理を進め、新しいドレスの仕上げに付き合い、社交シーズンまでは過ごします。
決裁書類の中に、ザラクロ商会からの材料にした古着に対する支払いと、ザラクロ商会へ新しいドレスの支払い、ナナラブ商会への出資などがありましたわ。
商会、できましたのね。うふふ……。
タイラントおにいさまには建築家の手配と資材の準備をお願いしています。
私がいない間は、ザラクロ商会の会計以外は特に仕事がなくて、このお屋敷の客間で居候しているのが辛かったそうですわ。
建築家は、サンハイムの山荘のある土地に新たな建物を用意するのです。
温泉は、温泉らしく。いえ、温泉以上に温泉らしく。
タイラントおにいさまには王都とサンハイムの山荘を何度か行き来してもらうことになるでしょうね……。暇で辛かったというのですから、しっかり働いてもらいましょう。
あとは、アリステラさまに会いに、図書館へ。確か、アリステラさまが王都のタウンハウスを売るかもしれないという男爵をご存知のはず。この男爵を捕まえなければなりません。もちろん、実際に捕まえて交渉するのはタイラントおにいさまです。
「……姉上、その、とても、美しくなられたような?」
「あら、社交辞令が言えるようになったのね、ライオネル」
「いえ、本当に、そう思ったのです」
「まあ。デビューが近いと、立派になるものね。それで、何の用かしら?」
弟がお屋敷までやってきました。
応接室ではなく、執務室のソファで対応しています。客扱いなどしませんわ。弟ですもの。
「……姉上、相談したいことが、あるのです」
「お母さまの入れ知恵かしら? お父さまが訪ねてきたとしても私は伯爵家の支援をしないだろうから、まだ可能性のある弟で話を通したいのよね? でも、結婚の契約で、もう伯爵家への援助はしないことになっているわ。あきらめなさい、ライオネル」
「その通りです。その通りですけれど、少しくらい、話を聞いてください、姉上」
「援助はダメよ。契約を守らなければ、私、この侯爵家で生き抜けなくなるわ。ライオネル、あなた、姉を殺したいのかしら?」
「……そんな、つもりは」
「あなたが思っている以上に、高位貴族、特にウェリントン侯爵家のような、本当に力のある高位貴族は厳しいの。かわいい弟を助けたいとは思うけれど、無理なのよ」
……少しは、思っているわ。助けてあげたい、かも、くらいにはね。
「……実は、私に婚約の話がいくつも舞い込んできていて」
「あら、私にはありませんでしたのに。自慢かしら?」
「そうではありません、姉上。さすがに私でもわかります。これは、姉上がウェリントン侯爵家に嫁いだから、起きたことです。姉上が嫁ぐ前は、婚約の話などどこからもなかったのですよ?」
「ふうん。それで?」
「父上は、早く婚約を決めようとして、今は、母上が止めてます。私は、姉上の意見が聞きたくて」
「お母さまが正しいわね。まあ、そもそもお父さまが正しいことはあまりないのだけれど」
「……姉上は、どのようにお考えですか?」
「どこから話があるのかしら?」
「リルズベード伯爵家のラズリルサ嬢、マーチャント伯爵家のサラナディア嬢、あとは子爵家からいくつか」
……まあ、わかりきったことではありますけれど、ウェリントン侯爵家との繋がりでの支援が目的ですわね。でも、伯爵家から縁談がくるとは。
「後で、くわしく、縁談を持ち込んできた家を全部、教えなさい。それで、誰か、結婚したい相手はいるのかしら?」
「いつか、誰かとは結婚しなければ、とは思いますが、今、申し込まれている話の中では、特にありません」
「なら、とりあえず断るつもりで言質を取られないように気を付けながら、お茶会にでも行きなさい。そうね、そちらへ訪ねる、婚約に付いて考えるためにも、一度、話をしてみたい、とか、そういう感じかしらね。それで、相手の印象とその家の、お屋敷やお庭、使用人の様子をしっかり確認しなさい。間違っても、ご令嬢だけを見て、そこにのめり込んではダメよ」
「……お見合いをしろ、と?」
「はっきり言って、どこもケンブリッジ伯爵家と同じように、いろいろと苦しいのだと思うわ。だから、それをじっくりと見ることで、いつか、そうではないものがすぐに見抜けるように、あなた自身の見る目を磨く機会にしなさい」
「例えば、姉上のように、こう、自然な感じで以前よりも美しくなっているところ、とかですか?」
「……ライオネル、あなた、大丈夫?」
「自覚が、ないのですか、姉上?」
……お胸が大きくなったことは、自覚していますわ。
あとは、ドレスとか、装飾品かしら。どう考えても、以前とは比べ物にならないもの。
ああ、温泉で肌は綺麗になっていますわね……。
「……まあ、いいわ。ライオネル、どうしてケンブリッジ伯爵家が、没落寸前まで、借金を抱えてしまったのか、わかる?」
「それは、お祖母さまが……」
「そう言われて、私たちは育ってきたし、そこも間違いではないけれど」
「違うのですか?」
「本質は、分割相続よ。もっと歴史を学びなさい」
「分割相続……」
「三侯四伯とか、建国の七名家とか、そうやって言われているけれど、今でも残っているのはリライア侯爵家と、ケンブリッジ伯爵家の二家だけ。他の五家はみな、消えたわ」
そう。
建国時からの歴史ある名家とか言われているが、そのほとんどが既に滅びた。それぞれ事情は異なるけれど。
「ケンブリッジ伯爵家の領地が王都から近いのは、建国時からある古い家柄だから。そもそも、その頃の王国はまだ小さかったものね。そして、ケンブリッジ伯爵家は、王都に近い領地であること以外には特筆すべきことがありません」
「そんな……」
「王国の拡大期には、私たちの祖先が活躍して、新たな領地を頂いたこともあったわ。でも、それは王都から離れた場所で、飛び地。それを一族の中で、長子だけでなく、弟たち、時には従兄弟たちに分けて継がせてきた。これが分割相続。本家は王都近くの領地を誇りに思って。実際には、分け与えた飛び地の中に鉱山や港に適した地もあったのに」
「そんな親戚、知りませんよ、姉上?」
「そうね、王国の拡大期はもう400年以上も前だもの。その当時に枝分かれした一族をまだ親戚ですとは言えないわね……」
「そうでしたか」
「同じ拡大期で、リライア侯爵家や、その頃に興ったウェリントン侯爵家は……当時は子爵家ね……王家から与えられた飛び地をまず、主たる領地に隣接する領地を持つ他の貴族と交渉した上で、王家の許可を得て交換するようにしたわ。たとえそれが、一時的には損しているように見えても」
そうやって、領地を一か所に集めた上で、大きくした大貴族が、今も力を持っている大貴族には多いのです。
「ケンブリッジ伯爵家は、こういう言い方が適切かどうかは意見が分かれるのでしょうけれど、建国時からの名家という誇りがあったからか、王家に対する強い想いがあって。その王家から与えられた領地は、飛び地だから交換するなどという考え方ができなかった訳よ」
「……姉上は、どうしてそんなことをご存知なのです?」
「あなたはもっと本を読みなさいな。勉強不足だわ。とにかく、結果として、王家から頂いた大事な領地は一族で守る。その結果としての分割相続と、一族の分散。ケンブリッジ伯爵家に限らず、多くの貴族家がこれで力を失うの」
「なら、なぜ今もケンブリッジ伯爵家は……」
「分割相続で無数の貴族家に分かれて起きた長い戦乱の世を収めたノベリータⅡ世陛下が、長子相続を定めたから、分割相続ができなくなって、かろうじてケンブリッジ伯爵家は生き残ったわ。また、この戦乱の時代も、王都の近くはあまり巻き込まれなかったことも大きいわね」
……もちろん、その代わり、その後は貴族家の跡を継げない次男、三男は苦労するのだけれど。
「かろうじて……」
「あのね、ライオネル」
「はい、姉上」
「はっきり言って、ケンブリッジ伯爵家は、伯爵家としての体裁を整えるにはもう、どう足掻いても厳しいわ。詰んでしまったと言えるの。なぜなら、拡大期に成長していく王国の中で、伯爵家らしくあるために与えられた領地をとっくの昔に失っているのですもの」
……歴史的な見方をすれば、そういう話ですわ。でも、直接的には、お祖母さまが自分の姉である、リライア侯爵家に嫁いだ大伯母さまに張り合ったからとも言えますわね。そもそも、お祖母さまがケンブリッジ伯爵家に嫁いだのも、姉と同じく三侯四伯に嫁ぎたかったからでしょうし。
本当に、高位貴族のプライドというものは、やっかいですわね。
「詰んで、る……」
「ええ、そうよ」
「そんな……」
弟、ライオネルは絶望の表情ですわ。
14歳で、デビュー目前の少年には、厳しい話よね。ごめんなさい、ライオネル。でも、まだまだよ、ライオネル。あなたは甘いわ。エカテリーナ、行きます……。
「もちろん、今、あなたに届いている縁談、それは私が嫁いだウェリントン侯爵家が目当て。そして、それが目当てということは、申し込んでいるみなさま、ケンブリッジ伯爵家と変わらないか、それ以上に厳しいのでしょうね」
「……そんな家との結婚は」
「お勧めできないわね。でも、だからといって、お母さまの実家、ダドリー子爵家のような、商会を経営して成功していたり、ウェリントン侯爵家のように領地経営で成功していたりする貴族家は、当然だけれどケンブリッジ伯爵家への嫁入りなんてありえないわね。詰んでしまった家に、名家だからといって、お金を出すとでも? お父さまは、残念ながら才能はなかったけれど、運は良かったわね……お祖父さまが繋いだ縁でお母さまを娶ったのだもの……」
……全てはお祖父さま同士が友人だったから。本当にそれだけ。でも、お父様にはそのような友人はいません。残念ですわね、ライオネル。
「お父さまは、お祖父さまのような友人がいないわ。つまり、あなたは結婚相手に期待して、その持参金や、その実家の支援でなんとかすることも難しいわね」
「あ……」
ライオネルの絶望が深まる……。
「それに、今はカーライル商会のお祖父さまが借金の利子を低く抑えてくださっているから、なんとかぎりぎりやっていけているのであって、これがもし、お祖父さまが亡くなられて、伯父さまに代替わりしたら……」
「そんな、今の借金も、そのままとは限らないってこと? もっと苦しくなる?」
……私の予想では、お祖父さまが最後の最後で助けてくれるでしょうけれど、それはあくまでも予想だもの。ライオネルに教える必要はありませんわ!
「……だからね、ライオネル。あきらめるべきところは、あきらめた方がいいと思うのよ」
「姉上……」
「例えば、今の、ケンブリッジのお屋敷、使用人も少なくて、あの広さには合ってないでしょう?」
「そうですね……」
「お祖母さまが亡くなった後は、夜会なんか一度も主催してないのに、あの広いダンスホールとか、本当に掃除が大変なだけよね? お客さまもほとんど来ないのに、無駄に広い応接室もよ」
「ああ、本当に、そうですね」
「……実は、近々、王都のタウンハウスを手放しそうな男爵家があるみたいなの」
「え?」
「今の、ケンブリッジ家なら、たぶん、そこは丁度良い広さのお屋敷だわ。そのお屋敷を、今、我が家で買い取ろうかと考えているのよ」
「男爵家のタウンハウスを、姉上が、ですか?」
「ええ。そこでね……」
私はできるだけ優し気に、弟に微笑みます。あなたを心配しているの、と。この子は素直な子だから、きっと、簡単に騙されてくれますわ。
「……ケンブリッジ伯爵家の今のお屋敷を2万ドラクマで買うわ。それで、1万ドラクマで男爵家のタウンハウスを売ってあげます」
「姉上……?」
「そうすれば、ケンブリッジ伯爵家には1万ドラクマ、残るわ。結婚の時の契約で実家の援助はできないけれど、こういう売買なら問題ないでしょう?」
「そんな方法があるなんて……」
「お屋敷も、今の使用人の人数で、そのタウンハウスならきっちりと回せるわ。どうせ、夜会なんて主催しない訳だし、ダンスホールなんて小さいもので十分。もし、ケンブリッジ伯爵家で夜会を開く必要があれば、その時は場所だけでも貸せるようにするわ。でも……」
「でも?」
「そうやって手にした1万ドラクマは、絶対にお父さまに触らせてはダメよ」
「それは、そうかも。でも、父上にお金を触らせないというのも、難しいです、姉上」
「ええ、だから、その1万ドラクマは、私の商会に出資しなさいな」
「姉上の、商会ですか? そんなものを作ったのですか?」
「そうよ。出資者には純利益の4分の1を出資比率で分けることになっているの。カーライル商会のお祖父さまも5万ドラクマ、出資してくださっているわよ? それだけ期待できる商会なの」
「お祖父さまが、5万ドラクマも……」
「お父さまを上手に説得するのよ、ライオネル。そうすれば、あなたの代には、少しは伯爵家も持ち直す可能性があるわ。いい、お母さまにしっかりと利があることを説明なさい。特にお祖父さまが出資している私の商会のことや、屋敷を移ることでいろいろと負担が軽くなることとかもね。必ずお母さまを味方に付けて、それでお父さまを落とすの。それが、あなたが跡を継ぐ、ケンブリッジ家のためなのよ。嫁いだ私には、もう、契約で実家の援助はできないのだから……」
ここで悲し気に視線を反らしますわ……。
「姉上……」
ぐすん、と弟が鼻を鳴らします。もう、本当に素直な子。かわいいですわ。
力のある伯爵家だと、あなたではきっと他家に潰されてしまうわね。あなたは没落寸前のケンブリッジ伯爵家でいいのよ、きっと。貧しいから相手にされない、それくらいがいいの。
「あなたが真剣に説得すれば、きっと大丈夫。お母さまも、お父さまも、わかってくださるわ」
……あなたと違って、私だときっと疑われるものね! 特にお母さまに!
「はい……はい、姉上……私は、母上と父上を説得してみます、姉上……ありがとうございます」
……どうやら成功のようですわね。でも、瞳に涙を浮かべつつ、ありがとうなんて言われたら、さすがに罪悪感は感じますわ。ごめんなさい、ライオネル。
それでも、私、どうしても、使い慣れたケンブリッジのお屋敷はほしいのです!
……一応、姉として、娘として、家族としての善意もございますのよ? 信じてもらえるかどうかはわかりませんけれど。




