6日目 死神さんが夕食を作ってくれるそうです
昨今の学力低下を憂いた政府が、勉強の量を増やすために授業の時間を増やした。そのため、土曜日は半日授業という中途半端な日になってしまった。
学校が終わると、特にやることもないので、アパートに戻ることにした。もしかしたら、死神さんに会えるかもしれないという下心あってのことだ。また一緒に昼食を食べられたらいいなと思いながら、帰り道を急いだ。
玄関扉を開けて部屋の中にはいる。今日は黒いローブに視界を遮られることもなくキッチンが見えた。部屋の中に彼女の姿を求めたが、誰もいないことが分るとがっくりと肩が落ちる。視線の先の食卓には紙が一枚だけ残されていた。
『夕方まで外で時間をつぶしてきてください』
丸っこい女の子の書くような字でそう記されていた。こんなメモ書きを残すのは、死神さん以外思い浮かばない。意外と可愛い字を書くなと思う。疲れたOLみたいな死神さんは、もっと事務的な文字を書くのだと決めつけていた。
ここは彼女の書いたメモ通りにすることにしよう。
玄関から外に出る。まだ日は高く、夕方には時間がある。昼食でもとりながら、ゆっくりしようと、家を後にした。
昼食は手早く牛丼屋の並盛(三九〇円)で済ます。当然、夕方まで時間があるので、町を歩いて時間をつぶせそうなところを探す。
家が町の中心から離れていることもあって何もない。
少し足を延ばしてスーパーへとやってきた。フードコートで水を飲みながらじっと時間が経つのを待つ。
死の宣告をされて、生きていられる時間が限られているというのに、自分は何をしているのだろうかと、憂鬱になった。
日がかたむき、いい感じに夕方になってきた。わざわざあのようなメモを残したということは、死神さんが何かをしてくれるに違いない。少し胸がわくわくしてきた。
今日、2度目の玄関扉を開いて部屋の中に入る。すると、ふわりといい匂いが鼻をくすぐった。すぐに、夕飯を作ってくれたのだろうとわかる。
「ちょうどいいところに帰ってきましたね、少年。ささ、早く座って」
顔色は悪く目の下には深い隈を作り、不機嫌そうな目つきをした死神さんが顔を出してきた。黒いローブのままだが、頭は隠しておらず、白いぼさぼさの髪が見える。今日は自然に視線を合わせてくれた。慣れてきたのかもしれない。
死神さんに促されるまま食卓につくと数々の料理が目に入る。白いご飯もなくただお皿に刺身のようなものが並べられているだけだ。刺身の色はやたらと赤黒く、魚のものではなさそうだ。
「……これって、レバ刺し?」
「そうですよ」
白いご飯とレバ刺しだけしかテーブルに置かれていない。扉を開いたときに漂ってきたいい匂いはどこへ行ってしまったのか。それに、これを用意するために、部屋から追い出されたのかと思うと、心底がっかりする。
「ふふふ、目に見えて肩を落としましたね。安心してください。これは、ただの死神的ジョークです。このレバ刺しの赤黒さは。実に死神的だとは思いませんか?」
死神さんはいきいきとして、ジョークの説明をしてくるが、冷めてしまった自分との温度差が酷い。レバ刺しは嫌いではない。しかし、女性が料理を作ってくれたのに、差し出されたのがレバ刺しだった時、どんな表情をしたらいいのかわからなかった。
「これは、ただの照れ隠しです。本命はこちらです」
深めの皿を目の前に置いてくれる。そこからは、さっき鼻に入ったいい香りがした。その料理を見てみると、黒色しかなかった。
「が、がっかりしましたか? ビーフシチューを作ったのですが……」
「いや、嬉しいよ。レバ刺しの一〇〇倍は嬉しい。でも、どうしてビーフシチュー?」
「ほ、ほら、見た目が黒いじゃないですか。これは死神的だなって……」
死神的に拘る必要あるのか疑問だったが、これが死神さんなりの照れ隠しなのだろう。そう思うと少し微笑ましく思えた。
「死神的ではありませんが、別のおかずもありますよ」
彼女がテーブルに出してきたのは、レタスのサラダに、軽くあぶったフランスパン、トマトに挟んだモッツアレラチーズ。レバ刺しをだされたときには、これほど豪華な食事になるとは思わなかった。
「なにをそんな顔してるんですか。レバ刺しは私が食べるので安心してください」
呆然としていると、そんなことを言いながら、彼女はレバ刺しを口の中に放り込んだ。死神だからレバーが好きなのだろうか。それでも、食べ合わせが悪いと思う。
「ありがとう、こんな豪勢な食事を作ってくれて」
礼を言ってから、料理を食べ始める。見た目だけかも、と少し不安に思ったがたんなる杞憂だった。ビーフシチューの濃くのあるスープに、牛肉がほろほろとくずれていく。それが、さっぱりとしたレタスサラダにとても合う。トマトにはさまれたモッツアレラもそれ単体で充分においしいのだが、3つの料理の司令塔となって、全ての旨味をまとめ上げている。
頭の中で様々な思考が駆け巡っていたが、要するにとても美味しいのである。
「ふふふ、そんなに慌てなくても料理はどこにもいきませんよ」
あの病的な顔をしていた死神さんが朗らかに笑っている。不健康な笑顔もいいけど、こういう笑顔も悪くない。
彼女の料理を味わっていると、少し不安に駆られる。
「なあ、突然こんな豪勢な料理をご馳走してくれるなんて、何があったんだ?」
「この前、お弁当を分けてもらったお礼です」
確かに弁当を少し分けてあげたことがあった。たこさんウィンナーと卵焼きだけだったが。
「それに……仮にでも恋人同士なら……料理を食べさせてあげたいかなって……」
恥じらいながら視線を少しずらしてくる仕草が、可愛くてしかたない。こんなに胸が高鳴るなんて、今までなかった体験だ。
「こんな美味いを作れるなんて、いいお嫁さんになれるな」
彼女は何も言わずにもじもじしている。その姿に食が進む。量は一人前よりかなり多いが、いくらでも食べられそうだ。
テーブルを埋め尽くしていた料理が、あっという間になくなった。
「最高だよ。滅茶苦茶美味しかった! こんな黄金体験は生まれて初めてだよ」
「お、お粗末様でした……あ、私、後片付けしますね」
空になった皿を回収し、シンクへと運ぶ。
お腹がいっぱいになって余韻に浸っていると、すぐ後ろから食器を洗う音が聞こえてくる。こんな何でもない事が、こんなに幸せなんて思わなかった。
死神さんともっと一緒にいたいと思ってしまう。もっと、この時間を味わいたかった。