29日目 死神さんと穏やかな日
深い眠りから覚める。
寝ぼけて頭脳がまだ活発に動かないでも、背中に何かが触れる感触があった。少しの間、それが何なのかわからなかった。徐々に頭がはっきりしてくると、昨日の出来事を思い出す。
つい、飛び起きてしまいそうになるを堪えて、ゆっくりと、彼女を起こさないように起き上がる。二人では狭いベッドから降りると、体を横にしてぐっすりと眠りこけている死神さんが見えた。今なら、彼女の顔に落書きをしても気づかれないのではないかと思うほど、深く眠っている。
彼女をベッドに残してキッチンへ向かうと、ヤカンを火にかけてお湯を沸かす。食卓の椅子に座ってゆったりとしていると、死神さんの声が聞こえてきた。
「むぅ……ん……」
まだ寝ぼけているようで、ただちに起きるという感じではなさそうだ。
お湯が沸いたら、先に茶葉を入れたポットに注ぐ。充分に蒸らしたら紅茶をカップへと注ぐ。用意したカップは二人分。当然、死神さんの分も用意した。
「あれ? ここは……?」
おそらく、いつもと違う景色に戸惑っているのだろう。まだ、起床直後で頭が働いていないのだろう。
「おはよう、死神さん」
「少年ですか……おはようございます」
用意したもう一つのカップを死神さんに手渡すと、何の躊躇もなく紅茶を飲み始めた。
「夜明けのコーヒーならぬ、夜明けの紅茶だな」
「ぶふッーーッ!」
彼女は口に含んだ紅茶を盛大に吹き出した。ベッドが紅茶でまみれてしまったが、いいリアクションを貰ったので良しとしよう。
「な、何を言ってるんですか! 私は健全な添い寝をしただけであって、そんな行為はしていませんからね!」
そんなことは充分承知しているが、反応が面白いのでそのまま放置した。
死神さんは自分のした行為に焦って、汚れたシーツをどうしようかと、ティッシュで何度も拭いている。汚れたシーツに、大量のティッシュ……。意味深すぎる光景だった。
その様子を眺めると、頬が緩んで笑顔になってしまう。
母は自分を産んですぐに亡くなってしまった。その後、父は再婚して見知らぬ女性が母親となった。まだ、物心つく前に父と義母は子供をもうけた。義母は当然自らの子を愛し、自分を邪魔者として放置してきた。家では常に孤独だった。
義務教育を終えるとともに、捨てられるようにこの家をあてがわれた。高校に通うことになったことで環境はがらりと変わった。もともと人付き合いが下手で友人を作ることができなかった。きっと死ぬまで一人なのだと思っていた。
その人生は案外早く終わることがわかった。寿命は残り三〇日と死神が告げた。それはとても怖かった。死ぬことよりも、何も残せず、たった一人で死を迎えるしかない。孤独であることが怖かった。
だから、死神が女性であることを知って、一つ提案してみた。
「何を笑っているんですか! ちょっとは手伝ってくださいよ!」
死神さんがこちらを見て怖い顔をする。
しかたがないので、カップを食卓に置くとベッドへ近寄った。
ベッドの片づけが終わると、死神さんは冷めてしまった紅茶をすすり一息ついたようだった。だが、それも束の間、慌てた顔をこちらに向けてきた。
「少年! もう学校へ行く時間なのではないですか!」
時計を見た死神さんが自分以上に焦っている。自分がベッドを汚してしまったことに責任を感じているようだった。
今日は月曜日であり、人生最後の学校の日だ。慌てる彼女に向けて首を横に振る。
「もう、学校なんて行く必要なんてなくなった」
「あれ? 前の月曜日は学校に行くと、日常を大切にしたいと言っていたじゃないですか」
「僕が大切にしたかった日常は、死神さんと一緒にいることなんだって、気づいたんだ。前は、学校へ行って、いつも通り過ごすことが、死神さんとの繋がりだと思っていた。それを止めたら死神さんとの日常が途切れるようで怖かったんだと思う」
ぽかんと、口をあけて呆けていた彼女だったが、理解が追いついたのか微笑みを見せてくれた。
「そうなんですか。ですが、余計な心配でしたね。その程度のことで、私と少年の関係が壊れることなんてなかったのですが」
「あの頃は、まだ不安だったんだ」
「不安と、言いますと?」
こちらは何も答えずに死神さんをじっと見つめる。彼女はちょっと居心地が悪そうに視線を外したが、すぐに視線を合わせてきた。自分が何をすべきかを思い出したように。
「不安になんてなる必要はありませんよ。だって、私も少年のことを大好きなんですから」
花が咲いたような満面の笑みを向けてきた。彼女がここまで感情を顔に出してきたのは、はじめてだった気がする。
「やっと言ってくれたね。ずっと一方通行じゃないかと、心配していた」
「ははは……。面と向かって言うのは、やはり恥ずかしいですね」
デートをした、ひざ枕をしてもらった、一緒にお風呂に入った、添い寝もした、でも、ようやく死神さんの心と繋がりを持てた気がした。こんな自分を好きになってくれる人がいるのだと、やっと胸を張って言えるようになった気がする。
「もう一杯、紅茶淹れるよ」
「さっきはあまり味わえませんでしたから、お願いします」
死神さんの手からカップを受ける。それらキッチンに戻ってヤカンをコンロにかけた。
「少年、今日は何をしましょうか? 学校に行かないのなら、どこかに遊びに行きますか?」
「いや、今日はこのままがいい。何をするでもなく、穏やかに最後の日を迎えたい。ダメかな?」
「そうですか。なら、この家で一緒にいましょう。少年がそばにいてくれるのなら、私も嬉しいです」
明日は死神さんの宣告通り、最後の日になるのだろう。どんな結末になるかはわからないけど、のんびりおだやかに過ごせる確証はない。だから、その前日にはゆっくりと今の幸せを噛みしめたい。明日に未練が残らないように、今このときを大事にしたい。死神さんと一緒にいられる時間が少しでも長くなりますように。
お湯が沸いたので、コンロの火を止めた。




