25日目 死神さんはお怒りのようです
学校の帰り道。いつもと変わらぬ風景をただ通りぬけるだけ。
道路に面した歩道を歩いていると、ふと、駐車場に目が向いた。いつも車が止まっていない月極駐車場で、一人の女児がピンクのゴムボールで遊んでいた。それを見て微笑ましく感じると共に、嫌な予感もあった。
心の中で何事もありませんように、と祈るが、そんなものは何の役にも立たない。
女児が遊んでいたピンクのゴムボールは案の定、駐車場を離れて車道へと転がっていく。しかも、運の悪いことに、そこはガードレールが途切れており、女児も簡単に飛び出せる環境になっていた。それを見て、咄嗟に身構えた。
街中の道路ではそれほどスピードを出す車などなかったが、これまた運が悪く暴走気味なスピードで車が突っ込んでくる。このままでは最悪の事態になってしまう。そう、簡単に想像できてしまった。
身構えていた以上、このまま見過ごすわけにはいかない。動き出したら、止まることはなかった。歩道と道路を遮るガードレールを一足飛びに飛び越え、道路へと着地する瞬間には女児に向けて地面を蹴っていた。
車のすぐ前で呆然とする女児を抱きかかえ、地面を転がって車との接触を回避する。目の前の車から逃れられたものの、反対車線に転がり込んでしまう。そこにまた、別の車が迫ってくる。
地面に転がっている現状では、車を回避することは不可能だった。しかし、こちらを見て驚いた運転手がブレーキとハンドルを切ったため、衝突は避けられた。
自分を避けた車は止まり、後続の車も止まらざるをえなかった。その理由がわからない他の運転手は無神経にもクラクションを鳴らし続ける。
クラクションが鳴り響く中、何とか立ちあがり対岸まで走った。障害物の無くなった道路には、またいつも通りに車が走って行く。
抱きかかえた女児を地面に立たせてあげた。彼女はまだ何が起こったのかわかっておらず、呆然と立ち尽くしていた。
「怪我はないかい? 痛いところとかない?」
しゃがみ込んで女児の視線の高さに顔を移動させた。いずれ、理解が追いついた女児は、目に涙をためて泣き出した。そんな彼女の頭を撫でて落ち着かせる。それでも、恐かったのだろうか、泣き止むことなく大声を出し続ける。傍から見ると、自分が泣かせたように見えるらしく、痛い視線が注がれる。
泣き止まない女児の服の埃を払ってやる。ここで彼女を放置していくわけにもいかず、また、どうすれば泣き止むのかわからず、ずっとそばにいることしかできなかった。
「少年! 何をしてるんですか」
こちらに駆け寄ってくる女性から声をかけられる。声の方に視線を向けると、黒ローブを羽織った死神さんだった。
「あー……いや、僕が泣かせたわけじゃないぞ」
「知ってますよ」
横を通りすぎた死神さんは、女児を抱きしめる。
「もう、大丈夫だからね。泣かなくていいんだよ」
死神さんに抱かれて安心したのか、女児の泣き声は次第に小さくなっていく。次に死神さんは女児の体のあちこちを触りながら、痛いところはないかと訊ねていた。
幸い、女児に怪我はなかったらしい。自分が抱き込んだのが良かったのか、かすり傷一つなかったらしい。
落ち着きを取り戻した女児は死神さんからゴムボールを受け取ると、手を振って去っていった。
ずっと眺めていた死神さんが首をくるりと回して、こちらを睨んでくる。その理由はわからないが、どうやら彼女はご立腹のようだった。
「少年、何故、あんな危険な真似を?」
「いや、子供が飛び出したら危険だろ? だからさ、庇ったというか、なんというか……」
言い訳をしても、死神さんの視線は鋭くなる一方だった。
「いや、僕は死の宣告を受けただろ? 後、一週間もないけど、それまでは死ぬことないんじゃないかなーって」
これは、後付けで、あの咄嗟の行動のときは、そんなことを一切考えていなかった。
「もう、あれは、あくまで宣告であって、その前に死ぬことだってあるんです」
やっぱりそうだったのかと、認識させられた。
「少女を助けたことは素晴らしいことです。ですか……彼女はあそこで死ぬ運命ではなかったんですよ」
「え?」
「少女の体は小さく、あの車の下をすり抜けるんです。だから、少年が介入しても、何の意味もなかったんです」
そうだったのか、と、少し恥ずかしくなる。あの時は助けなくてはと、必死だったから周りを見ることができていなかった。だとしても、自分はきっと――
「意味はなくても、見過ごす事なんてできない。それに、子供を見殺しにする奴なんかに好かれたくないだろ?」
少し冗談っぽくおどけてみせた。すると、彼女は噛みしめた歯をむき出しにして威嚇してきた。手を出せば噛みつかれることだろう。
「なんにせよ、二人とも無事だったんだ。よかったじゃないか」
死神さんを宥めるように言ってみると、死神さんの怒っていた表情がふっと消えた。そして、手を握ってくると、そのまま引っ張られる。抵抗出来る程度の強さだったが、ここは素直にしたがって彼女の後に続いた。
死神さんが連れてきた場所は自宅だった。
玄関扉を閉めるとすぐに、死神さんが胸に飛び込んできた。何が起こったのかわからず、なにも反応ができなかった。
「少年の馬鹿! どうして、あんな危険なことをしたんですか! 運が悪かったら、死んでいましたよ!」
死神さんは涙声をあげた。彼女の反応に驚いた。泣かれるなんて思いもよらなかった。
「何も考えなかったんですか? 死んだらどうなるか!」
何も考えていなかった。
「正直、私はあの少女を見殺しにしても、危険なことをして欲しくなかった。死んで欲しくなかった」
もし、女児があそこで死んでしまっても、死神さんはかまわないと言う。それよりも、自分を大切にして欲しいと願った。
「好きだ、愛してるだの、人にさんざん言っておいて、勝手に死ぬつもりなんですか? こんなに人の気持ちに土足で入りこんできておいて、責任とってくださいよ!」
自分には自覚がなかった、愛する人を残してしまうことに。
自分はヒロイックな行動で満足するだけで、残される側なんて気にもとめていなかった。自己満足でしかない。自分の命は自分だけのものじゃない。
「ごめん。心配させたね。僕は一生死神さんのそばにいるよ」
胸に収まった彼女の体を抱いた。そこで、彼女が震えていることにようやく気付いた。彼女は恐かったのだ、一人残されることが、震えるほどに。
自分という存在は、彼女にとってなくてはならないものになっていたのだ。出会ってからたった三〇日。だけど、時間なんて関係ない。本当の恋というのは、どれだけ深く繋がれるか、ということなのだろう。
「絶対ですよ」
泣き止むまで彼女の体を抱き続けた。




