22日目 死神さんが訊ねてきた
トースターでカリカリに焼き上げた食パンにバターを一欠片落とす。パンの熱でバターが雪のように溶けて生地に染み込んでいく。溶けかけたバターを表面に塗り広げた。
齧ると、口の中にじわっと油脂の旨味が広がっていく。少し脂っぽい口に前もって作っておいた紅茶を流し込む。爽やかな茶葉の香りと、まろやかな苦味。この組み合わせが最高に美味しい。
トーストから視線を外すと、食卓のむかいに同じようにトーストを齧る死神さんがいる。今日は朝から会いに来てくれたようだ。仕事は大丈夫なのかとも思うが、死神が暇なのはきっといいことなのだろう。
「……今日も学校へ行くのですか?」
死神さんが問いかけてくる。今日は月曜なので、通常授業があるため学校へ行く必要がある。
「ああ、行くよ、学校」
彼女の問いの意味がつかめない。登校するのは当然のことで、今までと何も変わらない。学生たるもの学業をおろそかにはできないのだ。
「なぜ、学校へ行くのですか?」
「学校があるからだろ」
死神さんの質問は要領を得ない。彼女は訊ねたいことがあるのだが、それを口にすることをはばかっているような気がする。奥歯に物が挟まるようなもどかしさを感じる。
「……私が言えた義理ではないのですが、あと一週間程度で少年は死ぬんですよ。勉強して、何の意味があるんですか」
死神さんのパンを齧る手が止まる。
こちらに気を遣って言葉を選んでいるのがわかる。ここまできてようやく、死神さんの意図が理解できた。
確かに、死んでしまえば勉強なんて意味がない。大学へ進級するでもない、就職するわけでもない、今の自分には勉学の必要がない。無駄な行為をしているだけということを言いたいのだろう。
「そうだな。死んでしまうのに、わざわざつまらない授業を受けに行くなんて馬鹿げている」
「なら、どうしてですか? もしかして、私の宣告を信じていないのですか?」
うつむいた彼女の言い分に一理ある。心のどこかで、実は死ぬことなんてないんじゃないか、と思っているところがある。それは否定できない事実だ。
「はっきり答えるのは難しいな。この問いは、もし明日死ぬのなら何をするか、というものと同じだ。僕はまだそれを決めかねている。最期に何をしたいのか、自分でもわからない」
三〇日の猶予があったというのに、まだ具体的なことが思いつかない。死んでしまう実感がないということもあるが、死ぬ前に相応しい事柄は意外とない。
死ぬ前にしたいことなんて十人十色。決まった答えがあることじゃない。他の人のことは知らないが、自分はまだわかっていない。
「……決めるために、学校へ行くのですか? 学校に答えがあるのでしょうか」
「そういう意味じゃない。何だろうな、言葉にするのは難しいけど、今はまだ日常を続けたいって思ってる。死期が近づけば、最期にしたいことがわかるかもしれない。こういうことは日常に隠れてる……とか言うだろ」
それは、そうかもしれないですが……と、死神さんは口ごもる。彼女は何かを期待しているのかもしれない。その期待というのが今の自分にはわからない。何を求められているのか、それがわからない。
「もしかしたら、けじめ……みたいなものかもしれない。あと少しで死ぬからといって、自暴自棄になったらもったいないだろ。だから、今がいい。今のままが、自分にとって一番いい」
「むう……」
死神さんはどこか納得していない様子だ。こちらを見つめる目は、何かの答えを待っているように見えた。自分は間違ったことを言っただろうか。彼女が気に入らないのは何だろうか。考えても答えは出ない。
「もう時間だ。準備しないと」
壁掛け時計を見ると、遅刻ぎりぎりの時間になっていた。朝食は優雅に食べるのをモットーとしているため、どうしても朝は時間が足りない。歯磨きと洗顔、着替えなど、やるべきことは多い。
死神さんは急ぐ姿を見つめているだけで、何をするともなく食卓の椅子に座っている。その姿は、餌を待つ子犬のように見えた。欲しているのはわかるが、与える餌が今の自分にはわからない。用意した餌はお気に召さないようで口にしない。どうにも気になるが、今はそれどころではなかった。
準備を終えて、玄関で靴を履く。
「じゃあ、死神さん、行ってきます」
「あ……いってらっしゃい、少年」
不意に死神さんが見せた顔はさみしそうだった。家に一人取り残されるのが、さみしいのかもしれない。でも、それは、いつもと同じことで、別段変わらないはずだ。
玄関扉を開けて家から出る。空の太陽はまだ低い位置にあるが、残された時間は少ない。早足で学校へと向かう。
道中、死神さんが言いかけていたことが頭に思い浮かぶ。なぜ、学校に行くのか。勉学など必要ないなどないのではないか。だけど、自分は今の日常に不満はない。自分の中に日常を壊したくないという気持ちがある。なら、今はそれでいい。死の宣告をされて、死神さんと出会って、日常が華やかになった。これ以上、何を求めるというのだろうか。
考え事をしていたら、歩くペースが落ちていた。このままでは本当に遅刻してしまいそうだ。遅刻から逃れるように駆け足で通学路を進む。




