17日目 死神さんが嫉妬したようです
「後ろからノートを回収してください」
化学の授業が終わる直前に教師がそう言った。
先日出題された宿題と、今日の授業内容の確認ということでノートの提出を求められる。後ろからノートを受け取り、自分のノートを重ねる。そして、前の机の生徒へ手渡した。
そして間もなく授業が終了した。
休憩時間、教卓には提出されたノートが山積みになっていた。教師の指示で今日の日直が職員室まで運ぶらしい。その量は意外と多い。一人では苦労するだろう。
「半分持ってくよ」
「本当! ありがとう」
日直は提案を受け入れてくれた。
ノートの半分を受け取ってから、日直と一緒に教室を出た。
「君が手伝ってくれるのは意外だったなぁ」
職員室への道すがら彼女が話し始めた。
「そうか? 特別なことじゃないと思うけど?」
「んー……。やっぱり変わったよ」
彼女はこちらの顔を覗き込んでくる。その顔は眉を寄せており、こちらの様子をうかがっている。
「少し前はさ、どこかつまらなさそうで、クラスメイトと距離を置いて壁を作っていた感じ」
そうだっただろうか。自分のことはよくわからない。
「一人でいることは変わらないけど、最近はどこか楽しそうに見えるよ」
楽しそう……死神さんと出会って心境の変化があったのかもしれない。家に帰れば死神さんがいると考えると、頬がつい緩んでしまう。それを見抜かれていたのかもしれない。
「よくわかったね。あんまり接点がなかったけど」
「何言ってるのよ、クラスメイトでしょ。それくらいわかるって」
そう言われて、確かに自分は他人について関心がなかったことに気づく。日直の彼女のことなんて、何も知らない。知ろうとも思わなかった。これでは、距離をとっていると思われるのも仕方がない。
職員室までの道のりは短い。すぐに教師の机にノートを置いて退室する。
「手伝ってくれてありがとね」
「どういたしまして」
礼を言った彼女はさっさと教室へと向かって行った。
ふと、自分の顔に触れると微笑んでいたことに気づいた。彼女の言うとおり、少し変わったのかもしれない。
「ただいま」
家に戻って挨拶をするが、返事はない。今日は家に来ていないのかと、玄関をあがって家の中に入っていく。
テレビのある部屋に行くと、ソファにもたれかかった死神さんがこちらを見つめていた。どうやら不機嫌な様子で、隈に縁取られた目で恨みがましく見える。
いつもなら笑顔をくれるというのに、今日は何があったのだろうか。
「……浮気者」
尖った口先から零れた言葉がそれだった。
彼女の言葉は理解できるが、心当たりはない。首を傾げていると目を細めて怒り心頭であることを示してきた。
「少年の浮気者! 女の子なら誰でもいいんですね! 心の中ではぴちぴちの女子校生の方がいいと思っていたんですね」
「何のことだかわからない。説明してくれ」
死神さんはソファに座ったまま、こちらを見上げてくる。不満があることが目に見えてわかる。
「今日、女の子と一緒にキャッキャウフフしてたじゃないですか!」
「ちゃんと説明してくれる!? そんなふしだらな男じゃないつもりだけど?」
「私は見ていたんですよ。教科書を運ぶのを手伝って、女の子に色目を使っていましたよね!」
さっきのことか、とようやく思い到った。
「あれは、単純な人助けで、他意はないよ」
「そんなわけないじゃないですか。少年にそんな心配りができるわけありません」
自分でもその通りだとは思うが、直接言われるとちょっと傷つく。
「私にあんなこと、してくれたことありませんでしたよ」
「あれは気の迷いだ」
「あの泥棒ネコに、私に見せてくれない顔を見せていたじゃないですか」
気づかないうちに、笑んでいたことは認めざるを得ない。しかし、自然に出てしまったものは仕方がない。自分でも、あんな顔ができたことに驚いていたのだ。
「確かに死神さんの言うとおりだ。僕もあんな笑顔ができたことを知らなかった。だけど、本当に好きなのは死神さんだ。死神さんがナンバーワンだ」
彼女はまだ信じられないようで、ジト目でこちらを見つめてくる。今、あの時の笑顔ができるのであればしてあげたいが、自分が意識してできるようなものではない。鏡を見なくても、自分が変な顔を晒しているのがわかる。
「ふん! 口だけでなら何とでも言えますからね。信じられません」
ぷいっと、死神さんはそっぽむいてしまった。
頭を掻きながら、どうしたものかと考えたが、いい考えは浮かばない。
「でもわかって欲しい。僕が好きなのは死神さんだけだ」
彼女はそっぽを向いたまま、こちらを見てくれない。
「だいたいですね、私にいいところなんて一つもありません。顔色は病気した人みたいに青白いですし、目の隈も酷い。それに、このよれよれの白髪も傷んでいて全然綺麗じゃないですしね。服装も黒以外は着ないような陰気なスタイルですし、性格だってこんなに面倒くさいんですよ。今だってこんなに嫉妬して……あ、これ、本当にいいところが一つもないじゃないですか。私、本当にダメな死神ですね……」
自虐をはじめたと思ったら、本気で落ち込んできた。
ここはなんとしてもフォローを入れて元気づけてあげなければならない。
「違うよ。死神さんはダメじゃない。僕には死神さんしかいない!」
「!」
死神さんは驚きの目でこちらを見てくる。想いは通じたのだろうか。
「少年は私みたいなダメ死神がいいって言うんですね。そんな嘘はつかなくていいんです。あの女の子は可愛かったですし、心移りなんてすぐですよ」
完全にネガティブになって言うことを聞いてくれない。今のままでは死神さんを説得できない。
「わかった。僕が本気だということを死神さんに教えてやるよ!」
死神さんはそっぽ向いたままこちらを見てくれない。そのうち、彼女の体は徐々に透けていって、完全に消え去ってしまった。
本気の証明をする機会もくれないようだ。
だが、明日がある。一日、一回会いに来てくれるという約束は未だ健在のはずだ。それまでに準備しなくてはならない。