4:皆人のために短冊に願う
7月6日土曜日の昼下がり。本格的に夏の暑さが始まり、人々の外出先は自然とクーラーの効いているショッピングモールに集中する。明日が七夕だということもあり、特に笹が飾られている広場には大勢の人でごった返しているらしい。別に人混みが苦手なわけではない上月だが、流石にそれを聞いたときには頬がひくりと痙攣した。もちろんこの後連れて行かれるのだ。相手は天滝。短冊を書いて飾ることができるらしいので一緒に行こうと誘われたのだ。断る理由もないので一緒にショッピングモールに来てみたのは良いが、現在上月が座っているフードコートの机に向かい合って座っているのは氷川雪菜である。この状況の説明のため話は約20分ほど遡る。
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「やっぱりすごい人だね〜」
「まぁ昼だし家族連れも多いみたいだな。夕方になれば少しはマシになるだろ」
天滝とショッピングモールに来たのは良いが、肝心の広場には既に想像以上に人だかりができており、とてもじゃないが短冊を受け取って書いている余裕は無さそうだったので、仕方なく天滝を連れてフードコートに避難する。
「短冊だけでも持って来たらよかったな。ここでならゆっくり書けそうだし」
ぽつりと上月が漏らした言葉に、天滝が敏感に反応する。
「それだよ! 私、短冊だけ貰ってくるよ!」
「え、おい…! 別にそんなつもりで言ってねぇよ。あとそれなら俺が…」
「いいの、風馬はそこで待ってて! すぐ戻るから!」
慌ただしく走っていく天滝の姿が消えたところで静かに椅子に座る。バッグを椅子に置いていってしまったので上月自身もここから動けない。これでは何か食べ物でも買って食べることすらできない。あの天真爛漫さには昔から困らされたものである。
5分ほど待っているが、天滝は戻ってこない。当然といえば当然だ。広場まではそこそこの距離があるし、仮にすぐ辿り着いても長い列に並んで短冊を入手するのにどれだけの時間がかかるか分かったものじゃない。ため息混じりの息を吐きながら携帯電話を取り出して適当に触っていると不意に右肩にポン、と手を置かれる。
「上月君、かな?」
「氷川…! なんでこんな場所に?」
手を置いた主は氷川だ。若草色のワンピースを着ており、ドーナツが入った箱を持っている。
「別に居てもいいじゃん。そんな驚かれるような事でもないし」
氷川は頬を膨らませながら天滝のバッグが置かれた席を一瞥し、そのまま上月の隣の席に座る。上月の向かいの席にバッグが置いてあるから仕方がないとはいえ、普通そういうのは抵抗のあるものではないのだろうか。しかしそれを聞いても仕方がないので再び上月は氷川に問いかける。
「で、なんでここに? 1人か?」
「木山君がこんな場所に来るはず無いからねぇ。まぁ大した用事でも無いんだけど」
そう言いながら氷川がバッグから取り出したのは黄色の短冊。裏向きで何が書いてあるかは分からないが、どうやら氷川も七夕のイベントに参加するつもりらしい。
「ただ、あの人混みじゃちょっと行きづらくてね。良かったら私のこれ、笹に掛けといてくれるかな?」
「…は?」
「どうせ上月君もそれが目当てできたんでしょ?」
「いや、別に俺はそんなつもりじゃ…」
木山とつるんでるせいか妙に鋭い氷川に言われて反射的に否定する。嘘では無い。短冊を書きに来たのはあくまでも天滝であり、木山はその連れに過ぎない。頭の中で自分の嘘の正当化を図る上月に氷川は短冊を押し付ける。
「じゃ、ついでに書いちゃいなよ。別にこういうの嫌いじゃないんでしょ?」
どうやらオカルト研究部の一件で、上月は好奇心旺盛なキャラか何かかと氷川に認識されているらしい。
「…まぁ、連れがイベントに参加するらしいし、ついでにかけるぐらいなら」
「うん、ありがと。じゃあお願いね!」
お礼と共に半強制的に押し付けられた短冊をついペラリと裏返す。別に悪気があったわけでもないが、あ、と思わず元通りに裏返す頃には手遅れだった。上月は見てしまった。シャーペンで恐ろしく弱い筆圧で書かれていたが、そこには確かにこう書いていた。
『木山君が誰かを好きになれますように』
恐る恐る顔を上げて氷川の表情を伺う。氷川は別に焦りもしないし怒りもしないが、ただ一言呟く。
「…そういう事だよ」
「いや待てどういう事だよ」
「どういう事でもないよ。私は木山君が好きって事」
科学部の全員、そして上月自身ももしかしたら木山が氷川の事を好きなのではないかと考えていた。しかし、まさか氷川もだったとは。だが、氷川が木山の事を好きなのだとすると妙な点が浮かび上がってくる。
「高橋は良いのか?」
ネクラマンサーこと黒木の考察では、氷川は高橋のことが好きで木山に告白の手伝いをさせた、というストーリーだったはずだ。木山も、そして氷川もそれを否定しなかった。もしかして黒木は木山のなんらかの策略で真実とは違う方向に導かれたのだろうか。いや、そういえば相良が言っていた。『で、木山と氷川って人のその後の関係は?』と。
「木山の川野への告白の後に何かあったのか…」
あくまでも上月は木山がなんで川野に告白したのかを知りたかった。そしてその答えは解き明かされた。それで満足してしまっていたためその後の話は何も聞いていないのだ。よく考えると木山が川野に告白されて振られました、はい終わり、とそんな簡単に話が完結するはずがない。なんらかの続きがあったはずなのは間違いない。
「…まぁ色々あってね。私と木山君は両想いだよ」
自分で両想いと言うのは自信満々だからなのだろうか。それとも木山が氷川の事を好きだという情報をどこかで入手したのか。
「両想い、か…。でも、それならなんでこんな書き方するんだよ。普通に付き合えますようにじゃダメなのか?」
氷川が短冊に書いた内容はまるで木山が氷川以外の人と付き合っても良いようにも捉えられてしまう。
「今の木山君はそんな段階じゃないからね。どんなに可愛い女の子が現れても、その子がどんなに優しくて魅力的でも、木山君はその人を好きになる事は無いんだよ」
「な、なるほど…?」
氷川の言葉とは裏腹に、木山と氷川は両想いだと氷川自身が述べていた。この矛盾は一体何なのだろうか。なるほどと納得したような返し方をしたが、いまいち氷川の言葉の意味がよく分からない。
「ま、とにかくお願いね。これはお礼だから、そこの子にも分けてあげてね」
氷川はドーナツの入った箱を机の真ん中に置きながらフードコートの出口の方向を指差す。その先には短冊を2枚持った天滝が息を切らして立っていた。上月の視線に気づくと、駆け足で戻ってくる。
「悪い、気付かなかった」
「ううん、大丈夫。さっきの人は?」
ん、さっきの人?と天滝の言葉が引っかかって先程まで氷川がいた場所に向き直るが、そこにはもう氷川の姿は無く、周りを見渡すと遠くの方で一瞬氷川の後ろ姿を見つけるが、すぐに人混みに紛れ込んでしまう。
「さっきのが氷川雪菜だ。なんかドーナツもらったし、短冊書きながら一休みするか」
「へぇ、さっきのが氷川さん。思ってたより可愛い子だね!」
「え、まぁ…、そうだな」
こういう時どう答えれば良いのか迷う。変に『可愛かったな』と答えれば天滝に『気にしてるの?』とからかわれそうだし、『別に』と素っ気なく答えるとそれはそれで氷川に悪い事をしたような気分になる。変な悩み事に頭を抱える上月をよそに、天滝は早速ドーナツの入った箱に手を突っ込み、イチゴ味と思われるピンク色のチョコレートでコーティングされたドーナツを取り出し、もぐもぐと食べ始める。氷川に分けてあげてね、なんて言われたが、このままだと上月の分までなくなりかねない。対抗するように上月もドーナツを取り出して一口。普通に美味しい。
「で、氷川さんはどんな用事だったの?」
ドーナツを食べながら天滝は先ほどの氷川の件について聞いてくる。上月は黄色の短冊を机の上に置き、一瞬戸惑うがそのままひっくり返す。氷川の反応的に、多分誰にバレても大丈夫だったのだろうし。
「これを笹に吊るしてこい、だって」
「ええ〜!? あの2人両想いなの?」
短冊に書かれた文字を読んで驚く天滝。まぁそういう反応になるだろうな、と上月自身は特に驚くこともなく天滝の反応を見届ける。赤の他人が見るとただ単に木山を応援しているように見えなくもない文章だが、一応天滝も去年の冬の木山の件については話を聞いているから上月と同じように捉えたのだろう。
「真実は分からないけどな」
氷川の残した曖昧な言葉が頭に残っているせいで天滝の言葉に100%頷く事はできない。上月自身も曖昧に答えながら箱の中に手を突っ込むが、4つほどあったはずのドーナツの姿はすでにそこには無かった。どんだけ食べるの早いんだこいつは、と軽く引きながら無言で自分の短冊に目を落とす。今自分は一体何が欲しいのだろう。何をしたいのだろう。
ふと目を上げるとこちらを眺めていたらしい天滝と目が合い、思わず瞬時に短冊を目を戻す。天滝は昔から仲良くしてくれている。高校生になって勝手に意識して昔に比べると素っ気ない態度を取っているかもしれない。だが、それは天滝が単に昔から変わっていないだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。だから上月自身もそれ以上は望まない。望んではいけない。変に何かを望んで周囲の人間関係をぐちゃぐちゃにするぐらいなら、何も変わらなくても良い。それでも、誤魔化すように書いたはずの自分の願いからは自分の本音が滲み出ているように感じる。
『変わりたい』
無意識のうちに選んだ言葉は、上月の本当の思いをこれ以上ないほどまでにはっきりと表している。
「っと…、何考えてんだ俺は…」
氷川のせいでつい感傷的になってしまった。慌てて短冊の文字を消し、『世界平和』と書き込む。これならば誰も不幸にならない。それを見て天滝が笑いながら声を掛けてくる。
「世界平和って、風馬らしくないなぁ」
「悪かったな」
「ううん、悪くない。あ、私何書いたと思う? 気になる? 気になっちゃう?」
「ならねーよ。なってもどうせ見せてくれないんだし」
「えっ…、あぁ、うん…。確かにそうだね」
天滝の悪ふざけを軽く流すが、突然天滝の元気が無くなったように見える。よく分からない奴だ。結局その後2人で短冊を飾りに行ったが、最後の最後まで天滝の短冊に書かれた文字を見る事は無かった。