交剣知iの旗の下に④
「イヤァァァッ!」
お互いに気合を発する。両人とも、その気迫は地区予選レベルではなかった。ジリジリと互いに間合いを詰め、静かに中心を取り合う。先に仕掛けたのは勇子だった。晃子が竹刀を押さえた瞬間、手首を返してメンを狙う。しかし、晃子が竹刀で面を庇う方が早かった。それで止まる二人ではない。勇子はその勢いのまま向きを変え、引きメンを打ち、晃子が引きドウを打った。
タイミングはほぼ同時だったが、勇子の方がキレと勢いがあった。しかし浅かったか、一人の審判が彼女の技に旗を上げるが、他二人は否定する。切り替えが早かったのは晃子だった。すぐに残心を止めて勇子を追いかける。勇子もすぐに構え直し、メンを打つ。晃子もメンを打った。勢いがあったのは追いかけて打った晃子だったが、上背に勝る勇子が完全に相メンに競り勝った。白旗がパッと三本上がった。
「メンあり!」
先程の清美の秒殺劇に増して、六ツ寺高陣営が湧いた。観客が増えたせいか、その声も大きかった。
二本目開始。それと同時に、晃子が猛攻撃を仕掛けてきた。もう一本取られなければ明星が勝つが、一本負けでいいとは微塵も考えていなさそうな攻めだった。勇子は彼女の攻撃を見極めているが、その圧力に中々攻め入ることができない。しかし不意に、勇子が前に出る。その誘いに乗ったらしい晃子が動く。それと同時に、勇子が斜めに振りかぶる。恐らく勇子としては、メンを誘ってドウを抜くつもりだったのだろう。しかし、この場においては晃子の方が一枚上手だった。
「コテーッ!」
勇子のガラ空きになった右小手を晃子の竹刀が捉え、引き技のように残心をとる晃子の体が勇子から遠ざかる。赤旗が三本上がり、勇子の胴打ちは空を切る。勇子は、そのまま一瞬固まってしまっていた。そのまま、ゆらりと、まるで魂が抜けたような動きで開始線に戻ろうとする。六ツ寺の敗退は決まった。しかし、この大将戦は終わっていない。取られてはいけないところで取られたのは確かにショックが大きい。大将なら尚更だ。しかしそれでも、彼女には応援している六ツ寺の仲間のためにも、特に大将戦に持ち込んでくれた雅代と清美のためにも、浩二は彼女に意地を見せてほしいと願った。
(信じてるぞ、勇子!)
浩二が念じた瞬間、勇子と目が合った気がした。彼女はそのまま開始線に戻る。面金に阻まれてその表情は窺えない。浩二はエールを送るつもりで、二本目の合図と共に精一杯の拍手をする。それと同時に、勇子が晃子の竹刀を押さえながら少し前に出る。そして——
「ツキィィッ!」
電光石火の早技で、裏からの片手ヅキを放った。三人の審判が、一人、また一人と白旗を挙げる。観衆が思わずどよめく。浩二の想いが通じたかは定かではないが、勇子はあの落ち込んだ様子から見事に切り替えた。そのことだけでも、今後も勇子こそが大将に相応しいと思えた。
チームで互いに礼するのに、六ツ寺高の皆が立ち上がり、コートの端に並ぶ。負けはしたが、その表情は暗くはなかった。
礼が終わると、控えのスペースに一旦戻り、芳一も含めて礼をしてから、試合場を出た。それからすぐに、空いているスペースで勇子が面を外す。泣いてはいないが、その目は真っ赤になっていた。全員が揃ったのを確認してから、浩二は話し始めた。
「とてもよくやってくれたと思う。団体で県大会に出られないのは悔しいと思うけど、幸い、今年で終わりの人はいない。臥薪嘗胆ということで、また一から鍛え直そう。以上」
浩二は、一言一言噛み締めながら告げた。話している間、果たしてこの内容でいいのか、自信も段々と無くなり、心臓の鼓動が体中に響いていた。しかし終わると少し落ち着いて、胸を張って芳一に話を引き継ぐことができた。
「結果は残念だったけど、内容はすごく良かった。特に正田さんと岡谷さん、それに勇子。二人は自分の剣道が貫けていたし、何より明星戦で気後れしていなかった。勇子は、あの片手突きは素晴らしかった。気迫に満ちていたし、いい試合を見せてくれた」
芳一は穏やかに話す。彼は昔から、今のように褒めて伸ばすような指導だった。もちろん指摘すべきところは指摘するが、必ず良かった所も話してくれた。浩二は、彼の講評を聴きながら昔の話を思い出す傍ら、自分の話した内容と彼の話を比較して、しっかりと自分の中で彼の話を噛み砕いていた。
「雅代と白河さんも、よく勇子に繋いでくれたね。今日はここで終わりだけど、勇子と白河さん、それから浩二と誠司は明日の個人戦もあるから、頑張って」
芳一がそこまで言って、その場は解散となった。四人は着替えに行ったが、勇子は一言断って、更衣室とは反対側の廊下に出て行った。浩二はその彼女が心配になって、こっそりついていくと、彼女は廊下の壁に額を付け、嗚咽を漏らしていた。
浩二は足を止めた。声を掛けるべきか否か、その判断が出来なかった。しかし、この姿を他の誰かに見せたくない。ふとそう思うと、彼は気がついた時には声を掛けていた。
「勇子」
彼女は、道義の裾で涙を拭うと、ゆっくり振り返った。やはり目は赤かったが、気丈に笑ってみせていた。
「大丈夫、だよ。明日に引きずりはしないし、それに、泣いたらスッキリした」
「無理はするなよ」
「してないよ。それに、明日は個人優勝するし、来年は団体でも優勝するから」
相変わらず勇子の目は充血していたが、もう泣いてはいなかった。そして、彼女の負けん気の強さをその瞳と語気がありありと示していた。それが分かった今、浩二のかける言葉はひとつだけだった。
「明日、一緒に優勝の賞状を貰おうぜ」
浩二は笑って、拳を突き出す。勇子もニカッと笑って、その拳を彼の拳に突き合わせた。
***
団体戦では、女子は結局あのまま明星高が優勝した。そして、一日明けて、個人戦が始まった。今日出場するのは浩二、誠司、勇子、清美の四人だ。司と弘恵、雅代は制服姿で応援に回る。四人は順調に勝ち上がり、全員が準決勝まで勝ち上がった。二年生としては三位入賞だけでも大健闘だ。ここからは同時進行となり、浩二たちはお互いに様子を伺うことはできない。心の中で全員の健闘を祈りながら、四人の試合が一斉に始まった。
浩二の相手は、県立北園高校の大将、北田だった。彼はこの地域の三年生としては無敵を誇っていた。全中に出ることはなかったが、東海大会で個人入賞をしている。浩二も小学生時代から何回か試合をしたことがあるが、六割くらいは負けていた。そのこともあり、浩二は彼のことを尊敬すると同時にライバル視もしていた。北園高校は県内屈指の進学校で、勉強の道を選んだということで、残念に思う者も少なくなかったが、剣の腕は健在だ。事実、ここまでの試合は全て二本勝ちで決めてきた。
浩二の片手上段に対し、北田は竹刀を揺らしながら間合いを詰める。先に仕掛けたのは北田だった。彼の竹刀が、物凄いスピードで浩二の左小手に襲いかかる。浩二は咄嗟に手元を下げ、彼の竹刀を竹刀で受けた。すると北田が、浩二に猛烈な体当たりを仕掛ける。浩二も体格では彼に負けていないが、隻腕というハンディキャップが響いた。体のバランスが崩れる。そこをすかさず、北田が引きメンを打つ。浩二はこれを竹刀で防ぎ、すぐさま態勢を整える。そして、残心中の北田の小手を打つ。しかし不十分だったか、旗は上がらない。その直後、打ち終わって伸び切ったところに、北田の強烈な竹刀払いを食らった。浩二の手から竹刀が離れ、反則がついてしまった。
その後も、北田は執拗に浩二の小手を狙い続けた。そのうちに、浩二は段々と彼の狙いが分かるようになった。やがてそれを確信するようになると、押され気味だった浩二は、今度は自分から間合いを詰めた。そして、北田がぴくりと動いた瞬間、
「メーン!」
左腕一本で、彼の脳天を割った。北田が天を仰ぐ。浩二は、そろそろ彼が面を狙ってくるのではと予測して、その出鼻を狙ったのだが、それが見事に決まった。
二本目。北田が片手ヅキを繰り出す。浩二はそれを半歩下がって避け、勢いよく前に出る。北田はメンに来ると感じたか、右手を添え直しながら面を防ごうとする。そこに、浩二はその右小手に痛烈なコテを打ち込み、北田の脇をすり抜けた。
「コテあり!」
浩二の試合に注目していた観衆が、おおっと歓声を上げた。その後蹲踞をして互いに礼をすると、万雷の拍手が鳴り響いた。
試合場から出ると、示し合わせたわけではないが、二人は真っ直ぐ近付いて、正座して「ありがとうございました」と改めて礼をした。顔を上げて立ち上がると、北田が浩二の肩を強く掴んで汗に塗れた笑顔を見せた。
「新津君、本当に強くなったなあ。よく稽古してるんだね」
尊敬している北田に手放しで褒められて、浩二は天にも昇る心地だった。
***
誠司の相手は、中島工業高校三年の松川だった。彼は、中学時代は市内では活躍していたが、西尾張の大会ではあまり勝てなかった。しかし高校で腕を上げ、去年は二年生で県大会出場を決めていた。
彼の背丈は165cm以下と小柄ながら、パワフルな剣道をする。その上、前後左右に素早く動いて相手を翻弄する技術を持っている。一方の誠司は、相手をよく見て一瞬の隙を突くような剣道だ。それゆえに今日は殆ど一本勝ちか延長戦で、少し体力を消耗していた。
試合が始まり、すぐさま松川が誠司の体の右側に回り込み、小手打ちを仕掛けてきた。誠司はそれを竹刀で払い、鍔迫り合いになる。
「イヤァァァッ!」
お互いに気勢を発した直後、誠司が動いた。松川の体を崩しながら自分の体を右に振り、引きメンを打つ。これが防がれたのを見て、誠司が残心をやめ、詰めてくる松川に対して両手を上げて防御する。それでガラ空きになった誠司の左胴を松川が振り抜く。また、誠司も松川が逆ドウを打つのと同時に、手首を返して引きメンを打った。しかし、どちらの打ちも一本にならない。またお互いに構え直し、攻防が続く。
ずっと動き続けているのは松川だ。しかし、誠司はどっしりと構えて動じない。とはいえ、松川から危ない打ちをいくつか食らっていた。このままではいずれ一本取られる。そう危機感を抱いた誠司は、松川の攻めに乗り返してメンに出た。しかし、誠司の竹刀が松川の面布団に届く前に、彼の竹刀が誠司の右小手を捉えた。
「コテあり!」
誠司は開始線に戻りながら猛省した。我慢し切れずに出るというのは、ただ相手に隙を見せるだけだ。気をしっかり持たねばと深呼吸をし、構え直す。
「二本目!」
審判の合図とともに松川が飛び出す。彼の剣先が低い。またコテかと払おうとした誠司の竹刀は空を切り、途中で手首を返した松川のメンが誠司の脳天に直撃した。
完敗だった。三位入賞といっても、誠司はかなり悔しく思った。その悔しさに胸を痛めながら、彼は他の三人の健闘を祈った。
***
勇子の準決勝の相手は、昨日も当たった晃子だった。昨日は試合に勝って勝負に負けた相手である。昨日の雪辱を果たそうと、必勝の覚悟を胸に勇子は試合場に入り蹲踞した。
「はじめ!」
試合開始の合図と共に、勇子が気合いを発しながら前に出る。その圧力に耐えかねて晃子が下がった瞬間、勇子が諸手ヅキを放つ。やや外れて胸に当たった。しかし勇子は止まらず、たたみかけるようにメンを打った。
「メーン!」
腰の入った勇子のメン打ちは、晃子の脳天をしっかりと捉えた。勇子の側に旗が三本上がる。続けて二本目、勇子がぐいぐいと攻める。その中で、彼女が不意に剣先を中心から外した。その瞬間、晃子がメンに出る。しかし、勇子は完全に見切っていた。勇子の華麗なるドウが、乾いた音を会場に響かせた。
あっという間の二本勝ちに、観客もどよめいた。昨日の団体戦での対戦が接戦だったことも、どよめきを生むのに一役買った。
(これで、何とか借りは返したかな)
勝たなければならないというプレッシャーから解放された勇子は、安堵のため息を漏らしながら試合場を去った。
***
清美の相手は、明星高三年の清水——昨日の団体戦で、司に圧勝した上段の選手だった。試合場に入って蹲踞する間、清美は浩二の三回戦を思い出していた。
その時の彼の相手も上段の選手だったが、浩二は片手上段から手首のスナップだけで左コテを二本打ち、あっという間に勝利した。確かに、片手上段からの上段に対するコテは、かなり動きが少ない。試してみる価値はあると、清美は思った。
試合が始まり、清美は面を庇うような構えから右手を離して腰に付け、左足を前に出し、片手上段をとる。この動きは、清美は試合の流れでたまたまそういう構えになった、というように見えるように意識して行った。そして浩二と同様に、手首のスナップだけで清水の左コテを打った。確かな手応えがあったので、サッと引いて間合いを切り、残心を示した。
(旗は一本だけか)
二本は上げてくれなかった。軽いと見られたか、奇を衒っているとか思われたかもしれない。そもそも、隻腕で片手上段を取るしかない浩二と、諸手が使える清美とでは、片手技に対する審判の基準が異なっていても仕方ない。しかし、清美はこの技を使おうと決めた。一本上げてくれる審判がいるなら、この技を捨てると判断するのは早いと思ったからだった。
もう一度同じように左コテを打った。先ほどのものをリピート再生したかのように、全く同じように当たった。今度は旗が二本上がった。
その後は、他の多くの者がするような上段対策で試合を進めた。懸命に攻める清水だったが、清美は全て捌き切った。結果は清美の一本勝ちだった。
(やっぱり、何か違うな)
試合場を後にしながら、清美は昨日今日の試合を振り返っていた。彼女は、自分が自分でない気がしていた。去年から尾張レベルでは勝つことの方が多かったが、それを考えても、今の彼女は自分でも不思議に思うくらい強かった。昨日の団体戦は全て二振りで勝負を決め、今日の個人戦は準決勝以外全て二本勝ちだった。準決勝も、清水の動きはまるでスローモーションのように見え、打たれる気がしなかった。しかし決勝のこともある。このことは一旦心にしまって、面を外すため正座した。
清美は、面を外して芳一からのアドバイスを受けた後、勇子の方を見た。ここまでの快進撃を阻むとしたら、それは勇子しかいない。友ではなく、倒すべき相手。密かに清美は心に火を灯した。




