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交剣知iの旗の下に③

 浩二が勇子の夢を手伝うと決めてから、約一ヶ月。いよいよその成果を出す時が来た。愛知県総体尾張予選会である。この頃は厳しい稽古にも全員が脱落せずに何とかついて来れるようになり、団体での初の予選突破も期待された。

 浩二たちは、開場の三十分ほど前に某総合体育館の玄関前に集合した。今日は雲ひとつない快晴だ。五月としては熱い日差しが、燦々とアスファルトに注がれる。玄関に屋根があって良かったと、誰もが思った。


「何も気負うことはない。これまでキツい練習を頑張ってきたんだ。絶対勝てるよ」


 浮き足立つ清美、弘恵、司の三人に向けて、浩二は落ち着いた口調で話しかける。その言葉に真っ先に反応したのは弘恵だった。


「うん。新津君の言う通りだよね。前よりも力がみなぎってる気がするよ」


 彼女は、折り畳まれた旗をさすりながら言った。弘恵が筆を取った部旗だ。納品がこの大会の直前となったので、どうせならとこの大会でお披露目しようという話になったのだった。


「私は落ち着かないなー。ちょっとアレだ。深夜テンション的な感じに近い」


 司に後ろから絡み付きながら言うのは清美だ。一方で絡み付かれた彼女は、普段の元気が全く無く、不安げな瞳で黙り込んで、時折りため息をついている。司は清美よりも十センチほど背が高いのだが、今は清美の方が大きく見えた。


「元気出しなよ。剣道ってのはね、同格相手だったら気合い入れたもん勝ちなんだよ」


 清美は、そのように言いながら両手で司の頬を挟んで上げた。むー、などとくぐもった声を出すが、司はそれ以上抵抗しない。普段なら大きく騒いでいるところだ。


「大丈夫? いつもと全然違うよ?」


 勇子も心配そうに司の顔を覗き込んだ。皆から心配されて堪えが効かなくなったか、司はひとつため息をついて、覇気の無い声で告げた。


「すっごく緊張するんスよ」


 全員が予想した通りの答えに、一様に苦笑した。


「まあ、良くある話だ。何、先鋒のお前の後ろに控えてるのは中学で全国個人ベスト8とベスト16だ。伸び伸びやりな」


 誠司はそう言って励ます。すると、雅代が彼の学生服の詰襟をグイと引っ張った。首が閉まったか、ぐえっと誠司が間抜けな声を出す。


「励ますの下手くそかお前は」


 雅代の目は冷たかった。しかし、このやりとりが功を奏した。一切表情を変えなかった司がクスリと笑いを漏らしたのだ。


「ちょっと元気出ました。西原先輩、瀬筒先輩、ありがとうッス」


 そのように言う司は、まだ調子は悪そうだが、だいぶ活気を取り戻した様子だった。彼女は、まだ抱きついている清美の腕を振り解いて、両頬を二回叩く。


「よしッ。多分大丈夫ッス!」


「うん、いい気合いだ」


 浩二や誠司でない男性の声がした。その瞬間、全員がピシッと姿勢を正し、彼の方に向く。そこに立っていたのは、スーツ姿の芳一だった。


「やァ、全員元気みたいで何よりだ。今日の試合は、勝ち負けよりも、練習通りに試合することを心がけよう。これが最後っていう人はいないんだから、次の試合に繋がる試合をすること。いいね?」


「ハイ!」


 言われずとも、全員がハリのある声で返事をした。この一ヶ月で、勇子たち、特に司と弘恵は大きく成長した。雅代も、日々の猛稽古で本来の強さを取り戻しつつある。後ろ三人で勝てれば、県大会出場も夢ではない。

 一呼吸おいて、芳一がくるりと辺りを見回してから、不思議そうにその場の全員に尋ねる。


「顧問の先生は?」


「川野先生、次の大会のためのくじ引きの時にしか来ませんよ。去年もそうでした」


 勇子がため息混じりに答えた。清美も斜め上を見ていた。彼女らの態度が、いかに川野に対する信用が無いかを如実に表していた。浩二としては邪魔しないだけありがたいが、高校生というのは、まだ大人に頼るものだ。その大人が頼りなければ、やはり子供にとっては心細いものなのだろうと思えた。

 

        ***

 

 それから会場も開き、二階の観客席も確保したところで、弘恵が部旗を広げた。臙脂の布に白で丁寧ながらも力強く書かれた「交剣知i」の字。その下には小さいながらも同様の字で「愛知県立六ツ寺高等学校剣道部」と書かれている。その字からは、弘恵がこの剣道部に懸ける想いがひしひしと伝わってきた。誰もがその字に圧倒される中で、勇子がゆっくりと口を開いた。


「掛けよう、この旗。そして、私たちの存在を目に焼き付けてやるんだ!」


 うんと頷き、勇子以外の女子が部旗の端を手に取り、観客席の欄干に旗を掛け、誰もが無言で、この旗に必勝を誓った。

 それから着替えて、ウォーミングアップのために下に降りて、浩二たちは改めて部旗の存在感を肌で感じた。他の高校の生徒も、突如として現れた「交剣知i」の旗を物珍しそうに眺めていた。勇子自身も、臙脂の波千鳥の蜀江、四ツ雲の胸で胴台が竹の暁雲塗りという結構目立つ胴を使っているため、余計に注目されていた。耳をすませば、他校の生徒の話し声も聞こえてくる。


「六ツ寺の旗、これまで無かったんだね。ちょっと意外」


「米倉さんいるし、やっぱり気合い入ってるんじゃない? 去年は団体で県大会出られなかったんだし」


 アップを終えて面を外せば、そのような声が聞こえた。その声を意識してしまったか、勇子の表情がやや暗くなっていっていた。


「勇子。二回戦までは正直楽勝だろうが、準々決勝で明星と当たるのが気になるな」


 大会要項を片手に、浩二は勇子に話しかけた。私立愛知明星高校は、ここのところ尾張予選を連覇し続けている強豪だ。県大会ではあまり勝てず、インターハイへの出場経験は無く東海大会へもたまに出るくらいだが、尾張の中では強豪には変わりない。


「うん。ただまあ、明星を意識しすぎると他で足元掬われると思うし、その時々の相手に勝つだけだよ。ありがとう浩二。心配してくれたんでしょう?」


 勇子は笑って答えた。心配は杞憂に終わったかと、浩二はホッとする。しかしそれも束の間、清美と司から変な目を向けられていることに気がついた。


「ほー、お熱いですなー」


 特に清美が冷ややかな目を向けていた。何の話だ、と言う前に、ぱん、と乾いた音がした。気が付けば、二人の間に雅代が立っている。先の音は彼女が手を叩いたものだった。


「はいそれまで。もうすぐ開会式だから、早く並ぼう」


 そのように言われて、清美の頭も冷えたらしい。以後はいつも通りの様子で振る舞っている。浩二は彼女の真意が気になりはしたが、一度その考えを頭から追い出すことにした。


        ***


 開会式も終わり、いよいよ試合である。試合前に、浩二たちは芳一を含めて円に並んだ。


「さっきも言ったけど、勝ち負け関係無しに、次に続く試合をすること。あと、とにかく自信を持つことだね。逃げて逃げて二本負けするのと、自信を持って二本負けするのとでは大きく違う。これまで一ヶ月だけだけど稽古してきたんだから、大丈夫」


 それだけ言って、芳一は一旦円の外に出る。そして、勇子が咳払いをして右手を前に出す。全員がそれに倣うと「せーの」と勇子が小さめに声を出す。一泊おいて、


「おー!」


 全員で、腹の底から鬨の声を上げた。全員、気合十分。アップの動きも、浩二から見て全員悪くはなかった。これはいけるのではと思った矢先の一回戦で、浩二はあっと驚くこととなった。

 相手は小折(こおり)高校。先鋒戦、司が試合開始直後から積極的に仕掛ける。その圧力を受けて、相手は明らかに押されていた。そこに付け込み、試合時間二分ほどで、飛び込みメンを二本取って勝利した。

 次鋒戦。取り返そうと焦る相手の攻めを、弘恵は冷静に捌いていく。相手が少し疲れてきたところで、足が止まったところに弘恵の会心のコテが決まった。そのままその一本を守り切り、弘恵が一本勝ち。

 圧巻なのは中堅戦以降だった。中堅戦、試合開始早々、雅代が初太刀の飛び込みメンを決め、更に二本目の合図の直後の相メンを制した。続く副将戦では、清美が相手の竹刀を巻いてのメンを初太刀で決め、更に二本目、相手がメンを打ったところを鮮やかにドウを抜いた。

 いよいよ大将戦。小折高校の大将は、せめて一矢報いたい、そのような気持ちだろうと浩二は感じた。対する勇子は、堂々と蹲踞してみせた。試合開始直後、お互いに間合いを詰め、相手が起こりを見せた直後、


「ツキィィッ!」


 その喉に勇子の竹刀が突き刺さった。出ようとしていた直後だったということもあり、堪えの効かない相手は後方に吹っ飛ばされた。勇子は尻餅をつく相手に手を貸してやり、小走りに開始線に戻る。二本目。審判の合図の直後、勇子が間合いを詰める。先のツキで恐れをなしたか、相手の手元が上がる。そこに、勇子の鋭いコテが見事に決まった。


「中堅戦以降全部二振りか。すげェな」


 対戦終わりの礼を勇子たちがしている間、目を丸くした誠司が溢した言葉に、浩二もうんうんと頷く。そうしながらも、彼は誠司とは違うところも見ていた。


「それも褒めるべきだけど、正田と岡谷も良かったよ。持ち味がよく出ている。こりゃいい傾向だぜ」


 浩二はその目線で次の二回戦を観察することにした。結果として、二回戦も5ー0で圧勝した訳だが、司は朝の緊張が嘘のように持ち味の溌剌さが出ていて、弘恵はよく落ち着いていた。後ろ三人の調子も良さげで、これなら明星高校に勝てるのでは、という期待が持てた。

 昼食休憩を挟んで、準々決勝が始まった。反対側の山からは、やはり明星高が勝ち上がってきた。相手も、一回戦、二回戦ともに5-0勝利で勝ち上がってきた。六ツ寺が白、明星が赤で、試合が始まる。

 先鋒戦、司の相手は上段の選手だった。地区予選レベルの女子では珍しい。身長も司と同等だ。司は対上段のセオリー通りに、竹刀の先を相手の左小手につける。この組み合わせを見て、浩二は厳しいな、と感じた。対上段は浩二相手に稽古しているとはいえ、浩二は片手上段だ。浩二相手で癖になっていたところが仇になる可能性もある。その危惧が、果たして現実となった。司が、相手に対して左手を大きく上げて防御の姿勢を取った瞬間だった。がら空きになった左胴が、豪快に斬られた。二本目。焦る司が前に出た刹那、強烈な片手メンを取られた。

 司の敗戦は残念だったが、自信を失ったわけではない試合運びだった。そこは嬉しく思うとともに、心の中で明星高の先鋒に浩二は称賛を送った。女子の上段の中では、素晴らしいキレの持ち主だ。名前を確認すると、清水と読めた。その素晴らしい上段選手の名を、浩二は心に刻んだ。

 次鋒戦。司は相変わらず落ち着いているが、相手の攻めの圧力が強い。負けじとメンに出たところをコテに打ち取られ、二本目は鍔迫り合いで足が止まったところで引きメンを打たれ、二本負け。

 厳しい展開となった。しかし、後ろ三人のポテンシャルならまだ分からない。中堅戦、雅代が期待に応えて開始早々にメンを先取した。その後はお互いに決め手がないまま時間が過ぎる。しかし、そのままでは終わらせてもらえなかった。試合終了直前に、雅代の手元が上がったところに、相手のコテが入った。結果は引き分け。清美、勇子の二人が二本勝ちして、代表者戦に持ち込まなければならないという、苦しい展開になった。

 副将戦は、絶好調の清美がやってくれた。初太刀で飛び込みメンを決め、更に二本目の合図と同時に、相手のコテに合わせた相コテメンが綺麗に決まった。控えのスペースで応援している他の面々に加えて、誠司と浩二も大盛り上がりだ。六ツ寺高校に希望の光が差し込んだ。

 大将戦。勇子に対するは同じ二年生の渡瀬晃子(わたらせあきこ)だ。彼女は勇子と同じ智英館(ちえいかん)道場出身で、チームとしては副将で勇子を支えてきた。勇子に隠れていたが、彼女も相当のポテンシャルの持ち主だ。実際、尾張地区では強い選手と認知されている。尾張地区だけとはいえ強豪と呼ばれるチームの大将を二年生で張っていることこそ、何よりの実力の証明だ。しかし勇子なら大丈夫だろうと、浩二は信じていた。

 他の準々決勝も進行していたが、女子の観客のほとんどがこの大将戦に注目していた。観衆が固唾を飲む中、大一番の幕が開けた。

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