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交剣知iの旗の下に①

 勇子と浩二が熱い誓いを交わした翌日、六ツ寺高校剣道部の朝練の時間に、冷たい空気の中、剣道場にて緊急ミーティングが開催された。普段朝練に来ない清美も、その場にいる。そして、剣道部員ではない三人——浩二、誠司、雅代が部員四人に囲まれていた。


「夕べ、グループメールで説明したけど、もう一度説明するね。コーチをやってくれることになった浩二と、それで剣道部に入ってくれることになった西原誠司と、瀬筒雅代。二人とも経験者でとても強い」


 浩二たちと清美たちとの間に入った勇子が説明する。雅代については、昨夜帰宅後に、浩二と勇子と誠司の三人で「日本一を目指すのに四人では話にならない」と説得した。すると、彼女曰く「六ツ寺の剣道部員全員が日本一を目指すなら入る」とのことだった。ゆえに、正式にはまだ入ると決まった訳ではない。

 勇子は大きく息を吐いた。これからが肝心だ。これから話すことが受け入れられなければ、日本一への道は果てしなく遠ざかる。彼女は二度三度と深呼吸をして、覚悟を決めて告げた。


「みんな。私は浩二に『日本一になりたい』と話した。だけど、これを達成しようとなると、みんなを巻き込んでしまうことになる。だから——」


 そこで、勇子は一際大きく息を吸い込み、目をつぶって勢いよく頭を下げた。


「みんな、私の、日本一になりたいっていう、わがままに付き合ってください!」


 そう言われた清美、弘恵、司の三人は目を白黒させていた。無理もないだろうと浩二は思う。団体で地区予選すら抜けられないのに、いきなり日本一、などと言われても実感が湧かない。

 ややあって、困惑した様子のまま、清美が髪の毛を掻きながら口を開いた。


「あのさ、日本一にって、具体的に何するの?」


「俺が説明しよう」


 浩二は、日本一になるためにひとまず考えられることを、道場の黒板に書き出していった。


「まずは変化を感じやすいところでいうと、全員の実力の底上げのために、稽古メニューを根本的に変えることになる。これまでよりも相当キツくなると考えてくれ。それから——」


 外部コーチをつけること、練習試合や試合を増やすこと、将来的には遠征も行いたいこと、そのために父母の負担が増加すること、といった感じで、具体的な情報が出る度に、清美たち三人の顔に理解の色が出てきた。


「思い付くところではざっとこんなもんだな。ただ、素人の思いつきだからあまり当てにしないで欲しい」


 そこまで言うと、弘恵がおずおずと手を挙げた。


「あの、目標を高く持つのはすごくいいことだと思うの。思うんだけど、私みたいなのがいて、足引っ張らないかな」


 彼女の疑問は当然だった。なにせ、剣道を始めてまだ一年ほどしか経っていないのだから。しかし、彼女がそのように思うのは容易に考えられていたので、浩二は用意していた答えを告げた。


「数年前に、殆ど高校から始めたようなもので、インターハイで個人三位になった人がいるくらいだから、初心者だからといって勝てないということはない。もちろん、適切な指導と踏む場数の多さ、そして何より本人の努力は絶対に必要だがな」


 それを聞いて、弘恵は安心したように息を漏らす。彼女の疑問が解消されたと見るや、司もひょいと手を挙げた。


「父母の負担が増えるって言ってましたけど、それってどのくらいっスか?」


「具体的な数字は俺も分からん。練習試合の頻度を考えれば月数千はかかるし、遠征もするとなれば万単位になる。それに外部コーチを呼ぶ気でいるから、謝礼も出さなきゃいけない。学校が金を出してくれりゃいいけど、ウチは公立だし勉強第一だしで、当てにしない方がいいだろう」


 このように話すと、司は難しい顔をした。弘恵は特に顔色を変えなかったが、清美も顔を暗くしている。結局のところ、ここが最も難しい問題だ。普通の感覚なら、親は「夢を見るな」と諭すだろう。勇子や雅代ほどの者が日本一を目指すといえば納得できるが、他の人では難しい。それに、親に理解があったとしても、経済的に苦しい家庭もある。そうなると、誰にも解決はできない。


「こればっかりはご家庭の問題だ。だから、日本一に興味あれば、この話を持ち帰って相談してほしい。今この話を降りるなら、降りても大丈夫だ。誰も文句は言わない」


 一瞬の沈黙があって、清美たちは顔を見合わせた。そして、三人でふっと笑い合った。それを見た勇子の顔が明るくなる。


「いいよ。勇子の夢に私たち三人、付き合ったげる」


「ついていけるか分からないけれど、頑張るから」


「勇子先輩はこんな高校で終わる人じゃないっスからね」


 三者三様に勇子に声を掛ける。浩二が思っていたよりも、六ツ寺高校剣道部の絆は深かったようであった。


「みんな、ありがとう」


 勇子がまた、軽く頭を下げた。それから上げた顔には、晴れやかな笑顔があった。他の三人もまた、希望に満ちた顔をしている。——しかし、その顔は、その日の稽古で真っ青になるのであった。


        ***


「正田! 岡谷! 白河! なんだその足捌きは! 楽をしようとするな!」


 夕方の剣道場に、浩二の檄が飛ぶ。今日の稽古から、浩二が監督し、雅代と誠司が参加するようになった。この日は様子を見るため、浩二は面をつけずに指導に専念する。

 切り返しと基本打ちを終えて、今はメンの打ち込み五十本を行っている。ただ単に打ち込むのではなく、元立ちが道場の中心のラインに立ち、掛かり手は道場の端からすり足で近づいてメンを打ち、残心を道場の端までとる。これをひたすらに繰り返す。最初のうちは簡単にこなせそうに思えるこれは、回数を繰り返すにつれて足が悲鳴を上げてくるのだ。足がついて来なくなると、手の方も疲れが顕著になる。しかしその中で、いかに正しい打ちを意識してできるかというのが、この稽古の醍醐味である。

 やがて、司、弘恵、清美の三人の打ち込み稽古が終わった。最後の方は三人とも限界が来ており、疲労困憊な様子だった。清美はこのレベルの稽古はしたことがなかったようであった。それまでの稽古がいかに緩かったを浩二はその目で見て実感することとなった。

 代わって、これまで元立ちだった勇子、雅代、誠司が掛かり手となる。三人にとってもこれは辛い稽古である。しかし、先の三人とは違ってこの稽古の趣旨を理解している勇子たちは、最後まで綺麗な打ちをしようとする姿勢が見られた。

 休憩に入ると、全員が水分を補給してからその場にへたり込んでしまった。しかし、誠司が一人だけ浩二の近くまでやってきて、壁にもたれかかりながら話しかけてきた。


「これ、尚武の稽古じゃねェか」


「しょうがないだろ。俺はそれしか知らんのだし。それに、奇を衒うよりは基本に忠実な稽古を中心にやるべきだろう。他の強豪校もそういうもんだ」


「そうだけどさ、岡谷なんか超へばってんぞ」


「俺たちだって、尚武の中学部の練習に初めて参加した時あんな感じだったろ」


 そう言いながら、小学生最後の試合が終わった後のことを思い出す。芳一から初めて指導を受けたあの日、浩二たちの彼に対する印象に、「鬼」が加わった。遠目から彼の厳しい指導は見ていたものの、体感することとなると決定的だった。追い込み稽古に始まり、それが終われば打ち込み稽古と掛かり稽古。最初の頃はそれこそ、たった一時間の第一部の稽古が永遠に続くようであった。

 誠司も浩二と同じことを思い出したのか、微笑みをたたえて遠くを見ていた。その彼が、不意に浩二の方に視線を戻した。


「しかし、浩二って案外乗せられやすいんだな」


「俺のモットーは当たって砕けろだからな。何でもやってみるもんだよ。やらなきゃ何も得られない。やっても得られないかもしれんが、何かを得られる確率はある。そういうことだ」


「他に何かあるんじゃないの?」


 誠司はにやにやしている。浩二はそんなことはないと答えるが、彼の目線が強かった。結局、浩二は根負けして、本音を小声で告げた。


「将来、剣道の指導者になりたくてな。だから、それの真似事でも、日本一目指して指導するってのがきらめいて見えたんだよ。あとは」


「あとは?」


「俺も、日本一になりたいからな。やっぱり、全中出られなかったのは未練だったし」


 浩二のその言葉に対し、「あぁ」と誠司は笑って声を漏らした。やはり、彼には隠し事は出来そうにない。嬉しそうな誠司の横顔に、浩二はそのように思わされた。


「なァに男2人でいちゃついてんだい」


 会話が途切れたところで、雅代がぬっと現れる。すっかり息も整っている様子だった。


「何か考えあるんかと思ったら尚武の稽古そのまんまじゃないかい」


「誠司と全く同じこと言うなよ。第一、勇子と白河はともかく、正田と岡谷が今のままじゃ地区予選もキツい。基礎を叩き込まないと。そのために尚武の稽古が丁度いいんだ」


 小声で浩二は答えた。すると、雅代は訝しげに眉を寄せた。


「白河もさっきのでへばってたけど、使えるの?」


「ありゃスタミナが無いだけだろう。あいつの剣道のセンスは凄いよ」


「それはそれは。期待してみることにするよ」


 口ではそのように言う雅代だったが、浩二が見た感じでは全く期待していない様子だった。このすました態度が清美と対戦した時にどう変わるか、浩二は少し楽しみになった。

 さて、その時はすぐに来た。休憩が終わってからの地稽古で、最初に組んだのが清美と雅代だったのだ。

 蹲踞から立ち上がってすぐ、雅代より小さな清美がグッと間合いを詰める。しかし、雅代は清美の竹刀を軽く押さえながら一歩下がって間合いを切る。浩二は、この流れが雅代の必勝パターンであることを知っている。相手が彼女の動きに引き込まれたなら、すかさずメンに飛び込む。誘いに乗らない場合は、すぐさま雅代から詰めてメンを打つ。どちらにせよ、女子離れしたスピードで、予想外のタイミングでメンを打たれるので、初見の相手ならばこのメンにやられることが多い。これを武器に、彼女は道場連盟の全国大会で中学生個人ベスト8まで勝ち上がった。

 その雅代の誘いに対し、清美は何が来るのか分からなかったからか、雅代に竹刀を押さえられたまま、左手を大きく上げて防御の姿勢を取った——と浩二が思った次の瞬間、そのまま半歩詰めた清美が手首を返し、メンを打ち込む。咄嗟に大きく下がって雅代がその打ちを躱す。清美は先の打ちが完全な右手打ちだったため、連続技に出ることができない。しかし、お互いに微妙な間合いになっていた。

 これをものにしたのは清美だった。足が止まることなく、彼女の引きメンが雅代の頭を襲う。即座に雅代は竹刀を掲げてその打ちを凌いだ。とはいえ、ヒヤリとしたのは間違いない。

 その後、数合の打ち合いがあったが先に仕掛けるのは常に清美だった。機と見れば果敢に、捨て切った技を連発する彼女に、雅代は明らかに攻めあぐねていた。しかし、雅代も中学生で全国ベスト8に輝いた意地がある。このままやられっぱなしではないだろうと浩二は見ていた。

 やがて、手元の時計で残り時間が一分を切ったあたりで、雅代が間合いを詰め、メンに跳んだ。清美も出ばなコテで応じるが、雅代の方が勢いがあった。打ち切る雅代と対照的に、清美は天井を仰いだ。

 ところが、ここで清美の心に火がついたようだった。改めてお互いに構え直すや否や、清美が間合いに入り、雅代の竹刀を巻いてメンを打った。意表を突かれたか、雅代はもろにその一撃を食らった。続けて、またもや清美が竹刀を巻く。雅代が打たれるのを嫌って防御の姿勢を取ると、そのガラ空きになった逆胴を振り抜いた。


「ドウーッ!」


 道場に乾いた音が響いた。呆然と雅代が立ち尽くす。そこでちょうど時間になったので、浩二が太鼓を二回、大きく鳴らした。構え合って蹲踞し、竹刀を納めてからもずっと、雅代は心ここに在らずという風だった。

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