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遙かなる旅路へ②

 愛知県立六ツ寺高等学校とは、いわゆる自称進学校という、何もかもが中途半端な高校である。進学実績も、地方のイマイチな国公立大学の合格者数を並べ立てて大々的に喧伝している程度で、大したことはない。部活動も、ほとんどの部活が地区予選を勝てずに終わる。その中で、剣道部は輝いていた。勇子と、浩二は知らない誰かが個人で県大会に出ているのである。

 特に勇子は、今現在、つまり高二の四月時点で既に県個人三位の入賞経験がある。それもそのはずで、勇子は中三時、全中個人ベスト16の実績を持つ全国トップレベルの選手なのである。そんな彼女がいくつもの推薦を蹴って六ツ寺高校に進学したかは、浩二も知らぬことである。

 その剣道部が活動する剣道場は、三階建ての体育館の一階にある。広さは試合場がひとつ分取れるくらいで、狭い道場である。しかし、今の剣道部には十分すぎる。

 勇子に連れられて浩二が剣道場に来てみれば、そこには三人の女子しかいなかった。二人は談笑し、一人は鏡の前で竹刀を振っている。


「じゃ、私着替えてくるから」


 勇子はそう言うと、浩二が返事をする間もなく、ポニーテールの髪を翻して更衣室に走っていった。

 残された浩二は、鏡の前にいるこれまたポニーテールの彼女に注目した。なかなか筋がいい。太刀筋がぶれていない。背中は真っ直ぐ伸び、力も程よく抜けていて、これぞ手本と言うべき、綺麗な素振りができている。勇子とともに一年時に県大会に出たのはこの女だろうと、浩二は悟った。

 その彼女が、浩二に気が付いた。すると、彼女は素振りをやめて、小走りで浩二に近づいてきた。垂の名札には、白河と苗字が書かれている。


「新津じゃん。勇子のやつ、本当に連れてきたんだ」


「白河、お前剣道部だったんだな」


 見飽きるほど見た顔がそこにあった。しかし、彼女が剣道部にいるというのは、全く知らなかった。その上、普段はツインテールなので、後ろ姿では彼女とは分からなかった。


「いやー、新津に剣道の話しちゃまずいかなって思ったからにゃー。そんな心配しなくてよかったっぽいけど。隻腕の熱血高校生監督。うん、いいんじゃないかにゃー」


「お前にそんな気遣いができたなんてな。てか遠慮なくなったないきなり」


 そのように言いつつ、浩二は再度道場を見回した。やはり、道場には彼を除いて三人しかおらず、勇子以外の誰かが来る気配も無い。


「もしかして、今剣道部って女子四人だけなのか」


「そだよ。五人で団体戦に出られないどころか、三年生は一人もいないし、一年はあそこのデカいのが一人だけ。男子は長らく0人。このザマじゃあ団体で県大会出場なんて夢のまた夢よ」


 浩二が先ほど見回した時には意識していなかったが、苦笑いをする彼女の指差した先には、確かに身長の高い女子がいる。垂を見ると、正田とある。その背は、170cmはありそうだった。


「おーい、(つかさ)弘恵(ひろえ)。ちょっと来なよ」


 清美が呼ぶとすぐに、二人は話すのをやめて浩二たちの方に近づいてきた。正田ではない方の女子は、垂に岡谷と書いてある。長身の正田が隣にいるからか、その背の低さがより際立っている。その岡谷が、先に口を開いた。


「清美ちゃん、この人って」


「勇子が言ってたでしょ。コーチ連れてくるって」


 清美の口ぶりは、浩二が剣道部のコーチをするのが確定しているかのようなものであった。とはいえ、突っ込むのも面倒くさくなったので彼は何も言わなかった。

 そうしていると、正田がまじまじと浩二を値踏みするように見ているのに気が付いた。


「へー、この先輩が例の悲劇の県チャンプ」


「あ、こら」


 清美が正田を諫めようとするが、浩二はそれを目で制した。そして、次に正田の方に目線を移した。全く悪びれた様子はない。先の言葉の悪気の有無は関係無しに、本人の目の前で口にするあたり、なかなか肝が据わっている。それとも、単にひどく能天気なだけか。


「ごめんねー。このショートボブのデカい子が正田(しょうだ)司で、あっちのちんまいおかっぱが岡谷(おかや)弘恵。同じ二年だけど、弘恵は高校から剣道を始めたの」


 紹介されて、司は小さく首を縦に振る程度の会釈をし、弘恵は腰を曲げて深々と礼をした。この様子だけ見ると、どちらが同輩でどちらが後輩か分からなくなりそうだった。

 ちょうどその辺りで、勇子が着替えを済ませて戻ってきた。


「あれ、もう馴染んでるね」


「まあな。とりあえず、稽古を見せてよ。コーチをやるかどうかは明日返事する」


 勇子は頷くと、部員たちを促して準備体操を始めた。四人で女子しかいないながらも、よく声が出ている。準備体操の時から手を抜かない。いい雰囲気だと感じた。

 それから四人は素振りに入る。勇子と清美はもちろんのこと、弘恵もなかなか上手だった。弘恵は、高校から始めたという割には美しい、左手の利いた真っ直ぐな素振りができている。一方で、司は左手が死んでいた。いつから剣道を始めたかは分からないが、ずっと癖が抜けていないのだろうと浩二は考えた。

 素振りが終わると、一旦水分補給をしてから、すぐ礼式をして、面を着ける。隅から眺めている浩二に気を取られている様子はない。四人全員が素晴らしい集中力を発揮していた。

 面を着けると、勇子の号令のもと、基本打ちの稽古が始まる。切り返し、ツキ、メン、コテ、ドウと順にこなしていく。これは、素振りの時と、浩二の印象は大して変わらない。しかし、休憩を挟んで引き技の稽古をした後の応じ技の稽古で、彼は度肝を抜かれた。

 勇子を始め、他の部員は打つ前に溜めを作るが、清美は、溜めを作らない。しかし、溜められていないということはない。立って構えた瞬間から溜めが作られているといった感じだ。それでいて、これは勇子の影響だろうが中心を割って攻めることもできている。自然体とはまさにこのことかと、浩二は感嘆した。


「白河は指導によっては化けるな。これは勇子以上かも」


 心の中に留めておくつもりが、思わず口に出てしまった。

 結局、約束稽古のはずなのに、清美の技に応じられているのは勇子だけだった。一方で、司にも見るところはあった。全体的に下手ではあったが、コテ抜きメンだけは他の誰よりも上手にできていた。

 応じ技の稽古が終わると、懸かり稽古に入った。相懸かりで、お互いが一心不乱に打ち込む。この中では、やはり勇子と清美のが目を引いた。最後まで腰の入った、崩れない打ち込みをする勇子と、軽々と疲れを感じさせない打ち込みをする清美。二人の地稽古を見るのが楽しみだった。

 懸かり稽古の後は、長めの休憩に入る。弘恵と司、勇子は疲れからか座り込んでいたが、清美が浩二の方に面を外してすぐに寄ってきた。


「どう? 私たちの実力」


「地稽古を見てないからまだ何とも言えんよ。でも、ここまでの練習だけでいえば勇子と白河がめっちゃ上手だな」


「他の二人は?」


「岡谷は伸びると思う。けど、正田は基本打ちはてんでダメだな。あれじゃ、せっかくの高身長も活かせない」


「意外と辛口。てか既にコーチヅラしてない?」


「感想言っただけで、何の指導もしてないだろ。それにもう面着けるんじゃないの。勇子立ってるぞ」


 はーい、と間の抜けた返事をして、清美が自分の面の前まで行く。それから浩二の思った通り、すぐに面を着け、地稽古が始まった。最初は勇子対司、清美対弘恵という組み合わせだ。

 前者を見ると、司が立ち上がってすぐにメンに跳んだ。対して、勇子は軽く見切って、ドウを抜いた。しかし浩二が立派だと思ったのは、抜かれた後の司だった。抜かれても、体を曲げたりすることなく、しっかりと打ち切っている。その後も、司は捨て切った技を次々と出す。大体がいなされたり返されたりしているが、その姿勢には目を見張るものがあった。


「攻めもクソも無いけど、あれだけ捨て切った打ちを出来るのは素晴らしいな」


 全員が光るものを持っている。それぞれの良さを活かせば、県大会出場レベルくらいになら引き上げられそうだ。などと浩二が考えていると、がしゃんと竹刀が床に落ちた音がした。そちらに目を向けると、弘恵が竹刀を落としていた。

 たまたま手から離れたのか、それとも清美が落とさせたのか、見ていなかったので、彼は次にその二人に注目した。

 清美の剣道は独特だ。彼女特有のリズムで、足を全く止めることなく打つ。手元を大きく変化させる剣道をしていると思ったら、打って変わってどっしりとした構えから中心を攻めたりもする。技も実に多彩だ。更に浩二が驚いたのは、巻き落としの上手さだった。弘恵が気を抜いたと見るや、すかさず竹刀を巻く。鍔迫り合いでも、巻きはしないが、しばしば弘恵の竹刀を叩き落としていた。その様子は、どちらかと言うと男子の剣士の試合に近かった。


「何とも変わった剣道をするなァ、アイツ」


 何も知らずに彼女と対峙したら、あっという間に二本取られるなと浩二は感じた。やがて時間が過ぎて、相手が変わる。弘恵対勇子、司対清美を挟んで、いよいよ浩二が注目の、勇子対清美が始まった。

 蹲踞から立ち上がって、双方が気を発する。二人とも最初は剣先の攻防を行う。だが、清美がいきなり大きく手元を動かした。その瞬間、勇子が動く。がら空きになった清美のコテを最短距離で狙いに行った。しかし、それに合わせて、清美の竹刀も勇子のコテに向かう。相打ちになる。更に清美はそこからメンに小さく跳んだ。相ゴテメンだ。勇子が女子とは思えないスピードで一気に体当たりをしたため元打ちになったが、清美は止まらない。体当たりの反動を利用して、左に横跳びしながらの引きメンを打った。これは勇子が何とか防いだ。ところが、清美のその次の動きに浩二は度肝を抜かれた。


「突いたァッ!」


 何と、勇子の振り向きざまに片手ヅキを放ったのである。これにはさしもの勇子も予想外だったか、まともに食らってよろめいていた。このような動きは、よほど体幹がしっかりしていて足腰も強くないと難しい。浩二が審判をしていたら、無意識に旗を上げてしまいそうだった。

 さて、見事なツキを決めた清美は、今度はジリジリと中心を攻める。しかし中心の取り合いなら、勇子は負けない。清美が前に出て勇子の間合いに入った瞬間、


「メーン!」


 勇子がこれまた見事な跳び込みメンを決めた。この時一本を決めたのは勇子だったが、清美にも見るところはあった。打たれた時に、全く体が崩れていなかったのだ。確かに居ついたところを打たれはしたのだが、その堂々とした姿には大器の予感がした。

 仕切り直して、清美が間合いを詰めたかと思うと、勇子の竹刀を表から巻いた。勇子の右手から竹刀が離れるが、すぐさま左片手で持った竹刀でメンを守りながら清美に体を引きつけた。それに反応した清美が逆ドウを狙う。間合いが近過ぎて抜くのは無理だろうと浩二が思ったそばから、彼女は腰の捻りと足捌きを駆使して、無理やり抜いた。深過ぎて一本にはできないが、彼は彼女のポテンシャルの高さには驚かされてばかりだった。

 さて、後方に体を捌く清美を勇子が追いかける。そして、勇子が前に跳んだ。浩二はその打ちをメンだろうと直感で判断した。清美も同じことを思ったらしく、少し顔を上に向けて、一歩大きく下がった。しかし、勇子の竹刀は次の瞬間に清美の突き垂れに刺さっていた。

 その後、清美が後ろに下がりながら諸手で突かれたこともあり、彼女は大きくバランスを崩して尻餅をついた。


「あっごめん。大丈夫?」


「うん、心配しないで」


 清美は勇子の手を取って立ち上がる。そのまま稽古を続行する二人を見ながら、浩二は二人の強さに身震いしていた。勇子と互角の戦いができる清美は素晴らしい。コロコロと剣風が変わる彼女の剣道は、何度やっても慣れることは無さそうだ。しかし、勇子には不安もある。技のレパートリーに突きが加わった以外には、全てが中学時代の浩二そのものだった。確かに上達もしているが、それだけだ。一年時の県個人三位も、中学の貯金によるものと思ってしまう。

 しばらくして今の組み合わせでの地稽古も終わり、切り返しの後、面を外して礼式をして、その日の稽古が終わった。


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