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濁流④

 清美はかつてない高揚感の中にあった。当然疲れはあるが、気分の高まりが、完全にそれを上回っていた。麻薬を使うとこのような感じなのかもしれないと思いながら、上市学園の副将の原島と対峙する。しかし、高いテンションのままにメンに跳んだら、届くと思った間合いで届かなかった。


(やっぱり疲れてる……。もう少し詰めないといけないな)


 改めて、原島と構え合う。原島は大味なタイプの選手だった。女子らしい細やかさではなくフィジカルで戦うのが上市学園の特徴と試合前に浩二が言っていたが、戦った四人の中では最もその言葉が当てはまる剣道をしていた。無理に出ず、しかし機と見ては勝負をかけた捨て切った大技を遠間から繰り出す。鍔迫り合いでの崩しも、四人の中では最も力強い。目がいい選手だと思った。ことごとく、清美の嫌なタイミングを捉えてくる。


(じゃあ、私も疲れてることだし)


 清美は、これまでとガラリと戦い方を変えた。どっしりと構え、動きを少なくする。とはいえ、攻めていない訳ではない。剣先だけで、細かく攻める。これからは我慢比べだ。清美はいつでも打ちに行けるよう準備を整えつつも、自分から打ちに行くことはしない。やがて、この一合では崩せないと見たらしい原島が、三所避けをして間合いを詰めようとする。その瞬間を清美は見逃さなかった。原島の左胴に、渾身の打突を叩き込んだ。即座に原島が引きメンで反撃を試みるが、首を傾けるのと足捌きでそれをかわす。逆ドウが一本となった。そして、二本目の合図と共に、時間終了のブザーが鳴った。とうとう、上市学園の大将が登場することとなった。


        ***


 清美と久保河内の試合が始まるのを、勇子は面金越しに眺めつつ、体の各所を伸ばして準備をしていた。背後には沢山の人だかりが出来ていた。元々上市学園の試合ということで注目度が高かったのだが、清美の四人抜きで、体育館全体に動揺が広がったと言っても過言ではなかった。全国上位レベルの高校では、こうも一方的に抜かれることは殆ど無い。なぜなら、メンバー全員が勝ちに行く試合と引き分け狙いの試合、勝ち負けどちらでも良い試合というものを作ることができるからである。そのように稽古を重ねる。そうは言っても個人競技の宿命として、狙い通りに行かないことも当然あるが、その可能性を出来るだけ潰せるから強豪校たり得るのである。だが、潰しきれなかったわずかな可能性を、清美は拾ったのだ。まだ序盤戦なので、上市学園の前二人は正選手ではないということも理由のひとつだろうが、それでも中堅と副将が抜かれた。そう考えると、勇子は清美を頼もしく思うと同時に、怖くも思えた。白河清美という選手がどこまで行ってしまうのかという興味と不安が、勇子の心にズシリとのしかかった。

 清美は心の底から剣道を楽しんでいる。プレッシャーを全く感じず、勝負に拘らないという性格が、その才能を引き出したのかもしれない。愛知チャンピオンになろうが、東海チャンピオンになろうが、今こうして上市学園相手に四人抜きし、大将とも互角に渡り合っていようが、そこにいるのは六ツ寺に入学してきた一年生の頃と何も変わらない白河清美だった。

 おそらく、この一戦は自分の出番は無いだろうと勇子は感じていた。それに何かしらの感情を抱く自分は浩二が消してくれた。今は清美が自分の先を行っているが、いつか追い越せばいい。そう思って、清美の試合を見守る。

 久保河内は凄まじい気迫で厳しい攻めを見せていた。三回戦は大将戦の延長は無いので、引き分けたら終わりになる。時間が刻一刻と過ぎるにつれて、久保河内のラッシュが激しくなる。清美ははじめのうちは疲れもあってか捌くのに徹していたが、やがて徐々に反撃するようになっていた。

 そして遂に、運命の時が来た。久保河内が無理に攻めてきたところに、清美は余裕の様子で出端コテを決める。更には二本目開始の直後、久保河内よりも先に間合いを詰め、見事な出端メンを打ち切った。幽霊のように呆然と佇む久保河内と対照的に、清美が開始線にさっさと戻る。やがて久保河内も開始線に戻り、互いに蹲踞をして別れた。その間、どよめきが止むことなく続いていた。

 両チームでそれぞれ五人で並んで、終わりの礼をする。上市学園の五人は、例外なく全員が目を赤くして、顔を歪めていた。


        ***


 清美は試合が終わった途端、どっと疲れが出た。崩れるように正座し、震える手で面を取ると、まず勇子に「お疲れ様」とスポーツドリンクの入った容器を手渡された。すぐさまそれをぐびぐびと行儀もへったくれもなく飲んだ。一口飲むたびに全身に水分が行き渡り、疲れた体が回復していく。


「かぁー! うんめぇー!」


「キャラ変わってるよ、清美」


 雅代が呆れながらに言う。皆笑顔だった。特に、勇子が笑顔でいてくれたのが嬉しかった。


「いつも言ってるよ、こんなの。さあ、次の試合もガンバロー! ……おっとっと」


 清美は気丈に言って立ち上がろうとしたが、途中で崩れた。先の試合は相当無茶をしてしまったようだ。仕方が無いので、回復まで待つことにした。


「誰かマッサージしてくれないかな。このまま次の試合いったら攣りそう」


「できますよ、私」


 不意に四人でも芳一でもないが、聞き覚えのある声が聞こえた。首を伸ばしてそちらを見てみると、ひょっこりと川野が様子を伺っていた。


「じゃ、お願いします」


 そんな特技があったのかとか、もっと早く教えてくれとか言いたいことはあったが、今はこの辛さから解放される方が優先事項だ。川野は広いところでやりたかったようだが、清美が動けないのでその場でマッサージをしてもらうことにした。


「いで、いででで」


 そして、覚悟はしていたがものすごく痛かった。マッサージを受けている間、周りの皆は笑い転げていた。


「笑うなよー。本当に痛いんだヨォ」


「いやなんか、めっちゃオーバーリアクションなんだもの」


 弘恵はお嬢様ぶって口元を押さえてくすくすと笑っていたが、隣の司は太腿をバシバシと叩いて大笑いをしていた。笑いの渦の中で清美が痛みと戦っていると、笑いながら勇子が川野に話しかけた。


「川野先生、そんなことができたのなら言ってくださればよかったのに。どこで覚えたのですか?」


「私、体育大学出身だから。そこで覚えてきたのよ」


 何やら川野は照れている様子だった。それが可愛いなと思ったのも束の間、不意に川野の力が強まって清美の体に痛みが走った。


「ぐおおおお!? 先生、ストップストップ、ううう!?」


「あ、ごめんなさい」


 我に帰ったらしい川野の力が弱まる。そしてまだマッサージは続く。相変わらず痛いのだが、腕は確かなようで、受けた部分の辛さがみるみる解消されていく。それと並行して、川野も本当の意味で剣道部の顧問として馴染んでいく。それが嬉しくてたまらなかった。


        ***


 清美の五人抜きから、マッサージで七転八倒する様子まで、浩二と誠司は観覧席から眺めていた。


「試合の時はスゲェって思ったけど、あいつは変わんねェな」


「試合の時だって変わらんよ。白河は、いつだって白河だから強いんだ」


 浩二はそう言いながら、清美の姿をぼんやりと見つめる。少し意識すれば、先の戦いが鮮やかに脳裏に浮かんだ。事実は小説よりも奇なりと言うべきか、ともかくどのような剣道モノのフィクションでも有り得ないだろうというようなことを、清美はやってのけたのだ。

 清美が試合をしていた時は、その一挙手一投足に魅せられ、浩二はずっとワクワクしていた。この四ヶ月で身につけた技術は間違っていなかったということが証明されて、自分なりに頑張ったことが功を奏したと思った。


「なあ、浩二。ひょっとしたら優勝できちゃうんじゃね?」


 誠司は興奮気味に尋ねる。浩二もそう思いたくなる気持ちはわかる。あれだけの圧倒的な試合を見せられれば、誰もが思わずにはいられないだろう。しかし、そうは言っても、立場上無条件にそれを肯定する訳にはいかない。


「まあそうかもしれんが、何が起こるか分からんのが剣道だ。次も閼宗高校だし、油断はできんよ。特に白河相手だったら全力で引き分けを狙うだろうからな」


 そう話している間に、選手五人と芳一と川野が観客席に戻ってきた。そして、清美と浩二とで目が合うと、清美は満面の笑みで大きく手を振ってきた。


「楽しかった!」


「そりゃよかった」


 浩二がそう返すと、清美は小走りで駆け寄ってきて、わざとらしく恭しい礼をした。


「いやあ、これも新津が来てくれたおかげです。ありがとうございます」


「なんだ気持ち悪いな」


「新津抜きだったらこんなとこに来れなかったろうし、お礼ィ、しなきゃなって」


 清美は体を起こすのを途中でやめ、前屈みになって上目遣いで浩二を見つめた。この清美の誘惑してくる感じは久しぶりだ。無視しようとしたが、清美が己の道着をはだけさせようとしたので、流石にツッコミを入れることにした。


「こんな公衆の面前で何やってんだアホ」


「いや、自分の本来のキャラを思い出してね。そういや私って、最初は新津のセフレの座を狙っていたなと」


「ダメ!」


 突然弘恵が割って入ってきて、浩二の腕に抱きつき、清美を睨みつけた。


「浩二君の体は私のなんだから!」


 色々とその言葉にも言いたいことはあったが、まずは何を言い出すかと言おうとする寸前、浩二は司と目が合ってしまった。普段は意識していないが、状況も相まって以前司を抱いたことを思い出してしまった。司も思い出したのか、同じタイミングで互いが視線を逸らした。その間に、清美が変わらぬ調子で告げる。


「3Pでもいいよ」


「良くない! 私が独占するの!」


 睨む弘恵と飄々とする清美。そんな二人に、明らかに無関係を装おうとしているのは芳一と川野だった。勇子と雅代、誠司は呆れている。少し出歯亀が増え始めたところで、勇子が止めに入った。


「こらこら、その辺にしときな。変に注目され始めてるから」


 弘恵は言われてから辺りを見回すと、バツが悪そうに浩二から体を離した。一方、ずっと冷静だった清美はそのままだった。


「楽しかった?」


 屈託の無い笑顔で清美が聞いてくる。ふう、と息をついて、浩二は目を閉じた。色々とあったが、前と変わらぬこの関係が、彼女たちの強さなのだと思う。今はまだ五人で個人戦をしているきらいがあるが、チームワークを身に付ければ冗談抜きでトップに躍り出ることもあるかもしれない。そのような期待を込めて、浩二はぐっと親指を立てた。

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