濁流③
大会二日目。今日は三回戦から決勝戦までが行われる。もちろん一番注目されているのは上市学園だが、今朝の地元紙のネット記事で、昨日の六ツ寺の活躍が紹介されていた関係でか、その対戦相手である六ツ寺にも多少目が向けられていた。ちなみに、件の記事では、六ツ寺の昨日の戦いぶりや雅代、勇子、そして芳一のコメントが要約されて掲載され、最後には次のような文言で締められていた。
「六ツ寺高は明日の三回戦で上市学園高と当たる。優勝候補相手にも物怖じせず溌剌とした試合を期待したい。」
浩二は、この締めにモヤっとしたものを感じていた。まるで、勝てないだろうが頑張って欲しい、と言っているようなものではないか。昨日から注目し出した者たちも、そんなことを思っているに違いない。しかし、それだけ六ツ寺高の実績は無く、上市学園高が強大であるということだ。今年の上市学園は強力だ。先鋒の纐纈奈々は中学東海チャンピオン、全中ベスト8の一年。次鋒の松井は三年で、福岡では名の知れた強者だ。この二人はいわゆる先発メンバーで、上位戦で補欠二人と交代する。当然、その二人も全国トップレベルの選手だ。中堅は楪京。浩二たちの代の全中チャンピオンである。副将の原島は一個上の福岡を代表する選手で、全中個人チャンピオンで団体優勝メンバーの一人でもある。大将は久保河内真理耶。全中個人二位で道連大会個人チャンピオンだ。この強力メンバーを更に徹底的に鍛え上げるのだから、常勝軍団となるのは当然のことだった。
いよいよ、六ツ寺にとって運命の試合が始まる。浩二のいる観覧席からは何を話しているのか分からないが、試合に臨む勇子たちの表情は明るかった。少なくとも緊張はしていないと見えて、浩二はほっと胸を撫で下ろした。
チーム同士で礼をして、残った先鋒の二人が試合場に入る。
「はじめ!」
審判の合図で立ち上がり、先に裂帛の気合いを発したのは司であった。
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気合いを発しながら、司は纐纈を睨みつける。纐纈と試合をするのは、中三の市大会以来だ。纐纈は忘れているだろうが、司はその日を忘れることはなかった。
(このチャンス、絶対に無駄にしない!)
心で熱く思いながらも、司は冷静だった。上段に対する纐纈の構えが若干高い。恐らく、コテを誘っている。その出端をメンで捉えるか、もしくはコテを返すのを狙っているのだろう。しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ず、司はその誘いに乗ることにした。ジリジリと間合いを詰め、一度片手打ちのフェイントをかけてから、諸手でコテを打つ。その次の瞬間、纐纈の竹刀が面に向けて振り下ろされた。
結果としてはお互いに部位を捉えきれずに一本にならなかったが、司はヒヤリとした。想像の数倍は纐纈の振りが早い。次に同じ機会があれば、纐纈は必ず一本にしてくると司は確信した。しかし、お互い構え直した直後、今度は纐纈が間合いを詰める。それに気圧されて、司は反射的にメンに出てしまった。それが仇となった。気がつけば、振り下ろしかけた左の小手に痺れるような痛みが一瞬あり、次の瞬間には目の前から居なくなっていた。コテを取られたと知ったのは、審判の声が「コテあり」を告げてからだった。
(こんなんじゃダメだ。次は自分から)
司は気を取り直して、二本目に臨む。少しずつ間合いを詰めていき、ここぞという瞬間に諸手でコテに行く——フリをして諸手メンを繰り出した。しかし、纐纈は余裕でそれを竹刀の鎬で受けると、乾いた音を立ててドウに切った。
「ドウあり」
司はドウを抜かれたそのままで立ち尽くした。完敗だった。殆ど纐纈を揺さぶることなく負けた。涙を堪えて戻る足は重く、開始線が遠かった。
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次鋒戦。司に代わって弘恵が入る。抜き勝負なので、纐纈は残ったままだ。既に勝てる気がしなかったが、そのおかげか気持ちはかなりリラックスしていた。蹲踞して、審判の声で立つ。気合いを発して、段々と間合いに入る。しかし、纐纈が動いたかと思うと、次の瞬間にはメンを打ち抜かれていた。弘恵にとって、纐纈の全てが早すぎて、何が起こったのかまるで分からなかった。そのような地に足のつかない気持ちで臨んだ二本目も、ビデオで繰り返すように、全く同じ一本が決まった。結局纐纈がなぜあのタイミングでメンに来たのかも分からぬまま、弘恵は試合場を後にした。
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蹲踞しながら、雅代は戦慄していた。昔試合した時よりも遥かに強くなっている。こちらも稽古してきたつもりだったが、上市学園は格が違う。この気持ちが試合にも出てしまった。一本にはさせないが、どうしても対応が後手後手になってしまう。昨日の自分とは大違いだった。そして遂には、開始一分ほどで、雅代が庇ったその上からメンを打たれた。
しかし、これで雅代も吹っ切れることができた。何度も深呼吸をしながら、開始線に戻る。そして、二本目の合図で何をするかを決めていた。
スルスルと雅代は間合いに入る。準備ができていなかったらしい纐纈が、三所避けをしながら近付いてくる。その瞬間、纐纈の逆胴を叩き切りつつ、後打ちのメンを警戒して体を全力で纐纈に寄せた。一本にはならなかったが、この一打が流れを変えた。次の一合では雅代が際どい跳び込みメンを見せた。纐纈も負けじと打突を繰り出すが、余裕が崩れているのか中途半端だ。そして遂に、開始二分半で、雅代が取り返す。纐纈がメンを抜こうとドウに行く直前に、雅代が鮮やかなコテ打ちを決めたのだ。
雅代はもう残り時間がないことは察していた。ゆえに渾身の一打が決まり、少しホッとしてしまった。しかし試合は続く。深呼吸して気持ちを切り替え、開始線に戻った。
「勝負」
審判の号令で、今度先に動いたのは纐纈だった。ググッと間合いを詰めて、コテを打ってくる。雅代は竹刀を開いて小手を隠すが、それが命取りとなった。纐纈は竹刀の軌道を変え、その剣先は雅代の喉を抉った。
「ツキあり」
審判が宣告する。雅代は、思わず天を仰いだ。
***
清美はわくわくしていた。遂に自分の出番だ。仲間が活躍するのは嬉しいが、自分が試合をしたいという気持ちもある。落ち込みながら試合場から出て来る雅代の背中を軽く叩いて慰めると、意気揚々と試合場に入った。
「はじめ」
清美は纐纈と構えあってみると、竹刀の動かし方に一定のリズムがあることを悟った。なので、まずはそれを崩しにかかることにした。纐纈の竹刀が裏に回った瞬間に、清美はその竹刀を擦り上げてコテを打った。すると、簡単に入ってしまった。纐纈の疲れであったり、意外なことをされたということであったりと要因は色々とあるだろうが、清美は拍子抜けしてしまった。二本目は纐纈から清美の間合いに入ってくれたので、迷わずメンを打った。これもあっさりと決まり、わずか二振で清美が二本勝ちを収めた。
(あらら、拍子抜け)
前三人が苦戦していたので、これだけ簡単に勝ってしまうと少々気まずいものがあった。とはいえ、チームで勝ちに来ているのだから、チームメイトもそのようなことを気にする訳はあるまいと思い、次の試合に意識を切り替えた。
次の相手は松井だ。人数的にはまだ上市学園に余裕があるはずだが、松井の攻めは強かった。しかし、それで怯む清美でもなかった。試合開始から四合目。鍔迫り合いから引きドウ打った松井を清美が追う。松井はすばしっこく、追いつかれる前に構え直したが、清美は軽く竹刀を振り上げると、変え足で踏み込み、左半身になりながら片手メンを打った。この試合では見せたことのない遠間からの攻撃に松井は面食らったようで、綺麗に決まった。
二本目の有効打は無く一本勝ちとなったが、終始清美が圧倒していた。まだ体力は十分にある。次の相手は勇子の友人、京だ。どんな剣道をするのかと思うと、うきうきしてたまらなかった。
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京は、試合場に入る前に、ちらりと勇子を見た。勇子と試合をするという約束を果たすには、目の前の清美を倒さねばならない。清美の強さは、勇子を通じて知っていたが、実際に目にすると驚嘆する。このような選手が中学時代に県ですら結果を残していないとは、到底信じられなかった。
(本当に強か……。下手したら、真理耶先輩以上かも)
しかしどうあれ、勝つだけだ。京は清美に意識を向け、試合場に入る。そして、試合が始まるや否や、すぐ飛び出した。手元が上がると予測して、コテを打つ。しかし、清美の構えは変わらなかった。がしゃりと竹刀同士がぶつかる音がした。その直後、京は竹刀を右に倒しながら手元を上げる。これは決まらなかった時の癖のようなものだが、近間でこの姿勢になれば、なかなか相手は技を出せないものだ。だが、清美が動く。真っ直ぐ構えたところから、京の竹刀を掻い潜るように、下から引きコテを打った。残心をする清美をすぐさま追いかけ、メンを打つ。届かないが、そのまま体当たりをした。しかし、清美はそれをいなして今度は引きメンを打った。いずれも一本にならなかったが、この二本で京は清美がセンスだけの選手ではないと悟った。最初の引きコテは相当手首が柔らかくないと打てず、引き技の残心からこちらの体当たりをいなして引きメンを打つのは、体幹が屈強な証拠だ。見たところでは細身だが、しっかりと鍛え上げられている。
(ばってん、経験はこっちが上……!)
京には上市学園の中堅としてのプライドがあった。常に勝つ。絶対に勝つ。一年生から三年生まで、日本一になるために何人も全国から集まってきた中で、三年生を差し置いて二年生でレギュラーを勝ち取ったのだ。いくら強かろうが、ぽっと出の選手に負けることは許されないのだ。
京は右足を差し出す。やや右半身の姿勢になり、メンを誘い出そうとするが、清美は動かない。そのまま左足を引きつけると、その左足で体を蹴り出す。それと同時に、清美も動く。相面だ。しかし、姿勢が真っ直ぐだった清美の方が数瞬早かった。いや、ここまでの動きを読んで、京が左足を引きつけた瞬間に動き出したのかもしれない。ともかく、軍配は清美に上がった。京のメンも当たりはしたので決めつけたが、それに意味はなかった。
開始線に戻りながら、清美の対策を考える。纐纈戦や松井戦を見ていた時はトリッキーな剣道かと考えていたが、先の相面のことを考えると、正統派の技もトリッキーな技もどちらも使えると理解するのがベストだと思われた。それなら、相手に技を出させないのが最大の対策だ。
二本目が始まるとすぐに、京は間合いを詰め、コテを打つ。更にメンの連続打ちだ。全て捌かれるが、手応えはあった。一旦離れてから構え直す。剣先を下げながら間合いを詰め、コテと見せてのメン。これも捌かれるが、清美の反応が遅れた感があった。
(勝てる!)
その動きに勝機を見出した。しかし、次の一合では清美が先に詰め、コテを打ってきた。速いが、攻めがない。悠然と京は構えるが、清美のコテは小手そのものよりも竹刀の根元を打ってきた感じだった。そして、その勢いのままメンに来る。京は咄嗟に大きくのけぞり、その打ちを面金に当てさせた。一方、清美は一旦抜けてから再度間合いを詰め、またコテに来た。それまでの動きが速く、京は受けることしかできない。コテを受けてから、メンを警戒して手元を上げた。——それが命取りになった。清美の竹刀は軌道を変え、面から胴に向かう。それに気づいた京が手元を下げるが、清美の竹刀が先に届き、ドウを抜いた。
「ドウあり!」
京は立ち尽くした。同級生に二本負けしたのは、高校に上がってからは初めての経験だった。また、勇子との約束を果たす千載一遇の機を、自分のせいで逃してしまった。それに何より、先鋒が作ったリードを自分が帳消しにしてしまったのが、チームに対して申し訳なかった。




