濁流②
二回戦も、雅代は強かった。清美が引き分け、弘恵が一本負けで一人リードされての登場になったが、そこから怒涛の三人抜きを果たし、大将とは一本ずつ取り合って引き分けで呆気なく三回戦進出を決めた。その様子を、浩二は誠司と川野と共に、応援席から遠目で見ていた。川野は監督席に座らなかった。登録上はその権利があるが、川野は遠慮していた。
「川野先生。試合見て、どう思います?」
まだ雅代が副将と試合をしている間、浩二は川野に尋ねた。川野は、雅代からひと時も目を離さずに答えた。
「いや、凄いなって」
それだけ言って、川野は黙った。浩二もそれ以上聞かなかった。今の試合に川野は完全に吸い込まれている。その態度と、凄いという言葉だけで、川野が選手を応援してくれていると分かった。
***
二回戦を終え、選手が観客席に戻ると、六ツ寺高校の面々は福岡の新聞社の記者のインタビューを受けた。その受け答えは、主将である勇子と、三回戦進出の立役者である雅代、監督の芳一がすることとなった。
「瀬筒選手は一回戦、二回戦と三人抜きをしてチームを勝ちに導きましたが、どんな気持ちでしたか?」
「私たちのチームは、副将と大将が二枚看板ですが、二人を最初からあてにするんじゃなくて、私で決めようと思いました」
雅代が記者に答える。二試合で六人抜いたその姿は、浩二の目に頼もしく映った。側で誠司も嬉しそうに頷いていた。
「初出場で三回戦進出は立派です。主将の米倉選手はどんな気持ちでこの大会に挑んでいるのですか?」
「初出場だから、全国大会は初めてだからと気負うことなく、いつも通りの剣道をするぞという意気込みでいます」
晴れ晴れとした表情で語る勇子も頼もしかった。東海大会のあの時から、浩二は勇子からしがらみが消えたような気がしていた。これまでの稽古を思い返しても、力みが無くなっていた。
最後に、記者は芳一にマイクを向けた。どのようなチームかという問いに、芳一は穏やかな調子で答えた。
「みんな剣道が好きです。きつい稽古も頑張って着いてきてくれます。この大会も楽しもうと言いました。明日も良い試合ができればと思います」
芳一は終始笑顔だった。尚武剣士会では常にこのスタイルだったが、六ツ寺の指導者としてその顔を見せたのは今回が初めてだった。その理由は、浩二には勇子が迷いを断ち切れたからだと思った。暗い悩みを抱えている選手がいる中で、笑顔を見せるのは逆効果だと考えていたのだろうと推察した。
そのようなことを考えていると、先ほどまで勇子たちが試合をしていた試合場で、上市学園の試合が始まった。先鋒は纐纈という名札を付けている。浩二が司の方を見やると、司は睨みつけるように纐纈を見つめていた。それだけではなく、その試合場に向けてスマートフォンを向けていた。纐纈の試合を撮るつもりらしい。
試合はあっけないものだった。圧倒的な力を見せつけて、纐纈が五人抜きを果たした。わずか15分足らずだった。
「ひゅー、凄いなあ」
纐纈を知らない清美は、間の抜けた声で呟いた。その隣で、司は欄干を強く握り締めて声を漏らした。
「絶対に勝ってやる……」
「司」
少し心配になった浩二は、司に声をかけた。司が振り向く。正面から見たその顔には、意外と暗い色は無かった。
「力抜いとけよ。試合は明日だけどさ、力むとやられるよ」
「大丈夫っすよ。やっときたリベンジの機会ですから、万全の状態で挑みます。今の奴の動画もこの手にありますしね」
口元は笑っていたが、司の目の奥では、闘志の炎が激しく燃えていた。浩二は思わず、その顔に見惚れてしまった。その間に試合場から上市学園は姿を消していた。それで、上市学園への興味も一旦途切れた。
「勇子ちゃーん!」
不意に、聞き覚えのない声が聞こえた。呼ばれた勇子だけでなく、他の六ツ寺の面々も、一斉にその方向に顔を向ける。そこには、おかっぱ頭だが確かに顔立ちが整った、愛らしい少女がいた。胴と垂は付けていて、名札を見ると上市学園の楪とあった。
「あ、京ちゃん!?」
勇子が目を丸くしてその名を呼んだ。それで、浩二も少女の存在を思い出した。楪京——自分達の代の女子全中チャンピオンだ。
「明日の三回戦はよろしくね! 本当は色々たくさん話したいけど、トイレって言って離れたけん、じゃあね!」
京は早口でそう言って、ビューンと走り去っていった。全員で唖然としていたが、そうなっていなかった清美が勇子の頬をちょんちょんと突いた。
「勇子。あれ誰」
「上市学園の楪京ちゃん。全中で知り合ったんだ」
清美は「へー」と興味があるのか無いのか分からないような返事をした。以前、清美が「強い人を知る必要がない」と話していたことを秀は思い出した。上市学園と聞けば誰もが緊張しそうなものだが、清美にはそのようなことはなかった。今の態度を見て、明日の試合は清美が鍵になると秀は確信するのだった。
***
宿泊先の合宿所のロビーで、秀は弘恵と二人で向き合っていた。ここのところ試合や錬成会が続いて、二人の時間を確保できていなかったので、わずかと言えどこの時間はありがたかった。
「全国で一本取れたのは嬉しかったけど、二回戦は私だけ負けちゃったし、明日不安だな」
弘恵は、ため息をついて紙コップに入った麦茶を少し飲んだ。
「高校から初めてもう全国相手に一本取れるのはすげーよ。それに負けた試合だって動きは悪くなかった。気にするなよ」
浩二は明るい口調で励ます。すると、弘恵は一瞬にやけた顔になって、すぐ落ち着いた顔になった。その表情の変化で、浩二は釣られたと察した。
「おいこら」
「や、不安なのは本当だよ。ちょっとオーバーにしたけど」
弘恵は笑顔で目を背けた。親密になってから、イタズラ好きらしい一面を見せるようになっていた。清美は肉体的なイタズラが多いが、弘恵は精神に働きかけるようなイタズラが多い。本人曰く、感情の動きを見るのが楽しいらしい。今わざとらしく目を逸らしているのも、更なる反応を期待してのことだと浩二には分かっていた。
「ふう、まあでも、弘恵は強くなってるよ。春のお前だったらあっという間に二本取られてただろうし」
「ありがとうね、浩二君」
突然、穏やかな声色で告げられた。弘恵は自然に目を細めていて、そこに裏表は無かった。
「浩二君が来てくれなかったら、私たちは何となく楽しく剣道して、それで終わりだったと思うんだ」
「何この大会で終わりみたいなこと言ってんだ。まだ俺たちの高校剣道は続くぞ。お前たち次第ではいつその何となく楽しく剣道する状態になるのか分かんないんだからな」
浩二は、語気を強めた。例えどのような雰囲気でも、チームの目標に関わることは口酸っぱく言うように努めるというのを心がけていた。
「分かってるよ。ただね、私がこんなところで試合できてるのが、今でも信じられないんだ」
「その気持ちはわかるよ。小学生で初めて全国出た時は夢心地だった」
「それに、多分来年は強い子集めたりもするでしょ? だったら、私がここに立てるのも最初で最後かなって」
「それはお前次第だよ。これからもちゃんと頑張って強くなれば、レギュラーとして続投するのはあり得ない話じゃない」
前のめりになって浩二は告げた。ここで弘恵を満足させるわけにはいかない。この大会はオープンエントリーだが、予選を勝ち抜いて全国に行くこと、そして勇子に日本一の栄冠を掴ませるのに、まだ入り口にすら立っていないのだ。
「全員で、全国に行くんだからな」
「うん、分かってる」
弘恵はニカッと笑ってみせた。また言葉を引き出されたようだ。浩二がため息をついて脱力すると、それに合わせるように弘恵は机に両肘をついて、顎を手の甲に乗せた。しかし、そのまま何も言うことはなく、弘恵は微笑を浮かべてジッと浩二を見つめている。
「なんだよ」
浩二は恥ずかしくなって、ぶっきらぼうな口調になった。弘恵は表情を変えずに、おどけた風に尋ねる。
「明日の試合に向けて、一言どうぞ」
「いつも通りにやれ。それだけだよ」
「うん、わかった!」
今度は素直な笑顔で、弘恵は大きく頷いてみせた。




