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濁流①

 朱雀旗剣道大会。毎年夏にインターハイの直前に福岡で行われる、オープントーナメントの高校剣道大会である。この大会には、全国津々浦々から強豪校が参加する。その数たるや、女子は約四百校、男子は五百校以上にもなる。選抜やインターハイに加えてこの大会も頂点を狙う高校や、インターハイなどでは予選敗退したがこの大会に日本一を懸ける高校、トップレベルの試合を実感するために参加する高校と、思いは様々だ。そして、この大会の特徴はなんといっても勝ち抜き戦であることだ。一人でも抜きん出た選手がいれば、格上の高校を食らうことができるかもしれない。そんな夢のある大会でもある。

 六ツ寺高校はこれまでこの大会に参加していなかったが、今年は参加することにした。日本一を目指すにはまず、全国大会の雰囲気を知らねばならない。それにはこの大会はうってつけということだ。また、この大会で強さをアピールできれば、新シーズンで全国規模の錬成会にも声を掛けてもらえるかもしれない。芳一や浩二には、そんな目論みもあった。

 六ツ寺高校一行は会場入りすると、まずその熱気に圧倒された。広大な体育館の中で、高校生がひしめき合う。一階のアリーナも、アップを既に始めている高校で一杯になっているが、その間に割り込むようにして次々と高校生が入っていく。一応、誠司と司が場所取りをしに行っているはずなのだが、この様子ではどの程度スペースを確保できたか分からない。


「すごいなあ……」


 二階の観客席で空いている場所を探しながら、弘恵が呆けた調子で呟いた。清美も物珍しそうにキョロキョロしている。


「これが、全国大会の雰囲気、かぁ」


 後ろを歩く川野が漏らす。普段は干渉しない川野でも、流石に福岡まで飛ぶとなっては来ざるを得なかったようだ。ただ、闘志を燃やす選手たちとは対照的に、気怠げにしていた。引率を引き受けてくれただけありがたく、浩二は言い出しづらく感じていたが、選手の気を削ぐような態度はやめて欲しいと思った。

 観客席の確保も済ませ、選手一行はアップに向かう。二階に残ったのは、選手と入れ違いに戻ってきた誠司と浩二、芳一、そして川野だった。浩二と誠司は、川野の扱いに困っていた。担任を持たれたこともなく、たまに試合などの手続きで必要になった時だけ声をかけるくらいだったので、プライベートに近いこの状態でどう話せばいいかわからなかった。

 失礼に思いながらも、浩二は川野を時々チラチラ見る。川野は無表情で虚空を眺めている。今にも寝てしまいそうだった。


「川野先生」


 少し離れたところに座っていた芳一が立ち上がり、川野の隣に座った。川野は目をぱちくりさせて芳一を見る。


「な、なんですか」


「剣道が分からなければ、試合、ましてやアップなど見るのは辛いでしょう。しかし、生徒たちはゼロから日本一を目指して頑張ってきているんです。先生に応援してもらえたら、喜ぶと思いますよ」


 芳一は懇々と語る。川野は返事をしなかった。ただ、何も見ていなかった瞳は、今は芳一を見ていた。


        ***


 アップと開会式が終わると、アリーナは慌ただしく動き始める。一日目では一回戦と二回戦が行われる。当然、六ツ寺高校はノーシードなので、一回戦からのスタートだ。とはいえ、出番まではしばらく時間がある。その時間を使って、少しミーティングをすることにした。

 芳一を中心に、選手が円になる。選手全員が左袖に「六ツ寺」と大きく金で刺繍された紺の道着を着て、三階松に赤と黄の二重亀甲の胸と黒タタキ塗りの胴台といった胴を身につけている。この試合道着と試合胴が揃ったのは朱雀旗の数日前。今日が初のお披露目だ。


「ウチみたいに、弱いところが勝ち抜き戦で勝つのに大事なのは、引き分けを上手く使うことと、無理をしないこと、最後に、心だ。向こうに勢いづかせたらあっという間に5人抜かれて負けてしまう。でも、引き分けをうまく使うといっても自分から攻めないのはダメ。相手を調子付かせるから。もし相手が勢いづいても、白川さんと勇子なら逆転させられるポテンシャルはある。圧倒的不利でも最後まで諦めないこと。みんながみんなを信じよう」


 そこまで告げると、芳一の表情が和らいだ。


「とは言いつつ、この大会を楽しもう。尚武剣士会でもよく言うことだけど、楽しく勝負できるようになれば、いつだって、どんな時だって剣道は楽しいのだから」


 芳一が話し終えると、入れ替わりに勇子が一度咳払いしてから口を開いた。


「最低限の目標として、二日目まで生き残ろう。三回戦では多分上市学園が来る。彼女たちに、私たちの力を見せつけようじゃないの。いつも通りに、頑張ろう!」


 勇子が発破をかけると、全員が自然と「おー」と口にしていた。一体感は抜群だ。浩二は円の外から見守っていたが、上市学園と戦うという目標は、どうやら達成できそうに見えた。

 するとそこに、川野がバツが悪そうに円の中に入った。選手から驚きと戸惑いの目で見られる中、川野は一言だけ告げた。


「私、みんなの試合見るのこれが初めてだから。楽しみにしてる」


 それだけ言うと、そそくさと引っ込んでしまった。そんな川野を、全員が温かい目で見つめていた。


「川野先生、これからも来てくれるかな」


 弘恵が、川野には聞こえないくらいの声で呟いた。その声は、明るく弾んでいるように聞こえた。


「きっと、来てくれるよ」


 浩二は弘恵の肩に手をやった。その柔らかい感覚が、手に心地よかった。弘恵も嬉しそうに振り向いてくれる。その動きで辺りに可愛さが振りまかれたようだった。


        ***


 開会式から一時間ほど経った頃に、いよいよ六ツ寺高の朱雀旗初陣となった。緒戦の相手は和歌山の西浜工業高校だった。今年は違うが、何度かインターハイに出ている強豪だ。

 先鋒線、司はかなり気合を入れていた。上市学園の先鋒は纐纈だ。その纐纈に勝とうと思えば、今の目の前の相手に負けるわけにはいかなかった。

 初太刀から司は積極的に仕掛ける。しかし、相手は司の打ちを丁寧に捌いていく。上段慣れしている動きだ、と司は感じた。そう考えて少し攻めを緩めてしまった。すると、あっという間に相手が間合いを詰めてきて、左ゴテを打ってきた。上がった旗は一本だけだったが、司はヒヤリとした。それと同時に、気持ちを切り替えた。纐纈のことなど今は考えていられない。目の前の一戦一戦を大事にしなければならない。

 司は一度間合いを切って、上段をとるとジリジリと間合いを詰める。そして、機を見て体を左に捌きながら、平正眼に構える相手の竹刀を掻い潜るように片手でコテを放った。鍔に当たって一本にはならなかったが、タイミングはバッチリだった。

 そのような技の応酬が続いたが、結局有効打突には至らず、引き分けとなった。しかし、司はある程度の満足感があった。中学時代は市大会二回戦負けで終わった自分が、インターハイレベルの相手と互角に渡り合ったのだから。後を弘恵に任せて、司は試合場を後にした。


        ***


 弘恵は相手と対峙してすぐに、気持ちが引っ込んでしまった。緊張と相手の圧倒的な気迫に呑まれ、足が止まる。そこを見逃さない相手ではなかった。メンが来た。かわせない。気が付いたら、一本取られていた。


「取り返すよ!」


「まだ時間あるよ!」


 半ば呆然としたまま開始線に戻っていると、清美と勇子の力強い声が聞こえてきた。その声で、弘恵はこれまでの稽古を思い出した。自分達だって、強豪校に負けないくらいに稽古してきた。警察の気迫も体感した。それに比べれば、相手の気迫など大したものではない。

 冷静さを取り戻した弘恵は、浩二から受けたアドバイスを思い出しながら足を動かす。どっしり構える。竹刀が乗られれば乗り返す。相手が一歩出れば一歩下がる。下がれば詰める。なかなか出ていけないと悟ったらしい相手が、その場打ちのコテを出して、間合いを詰めようとする。その瞬間、上がった相手の手元に引きゴテを叩き込んだ。


「コテあり!」


 残心をとっている間、仲間たちが歓声とともに膝立ちで拍手しているのが見えた。皆で戦っているというのが実感できて、いつも以上に力が出る予感がした。

 この後は弘恵も相手も有効打突が生まれず、引き分けで雅代に繋いだ。試合場を出る時、すれ違い様に見た雅代は、凛々しく頼もしく見えた。


        ***


 試合場に入るときに、雅代の心に様々な思いが去来する。ここまで、道連ベスト8の割にあまり活躍できなかったこともあって、色々と陰口を言われたこともあった。しかし、今日はそんな声を黙らせられる気がしていた。調子が良い。気合が漲っているのが自分でも分かる。


「はじめ!」


 審判の号令で立ち上がり、発声しながら間合いを詰める。そして相手の竹刀の上に自分の竹刀を乗せた瞬間、メンに跳び込んだ。相手も相メンを合わせてくるが、完全に雅代が打ち勝った。

 二本目も、始まるとほぼ同時にメンを叩き込み、わずか二十秒ほど、二振りで二本勝ちを決めた。周囲でちょっとしたどよめきが生まれたのを耳にしたが、雅代は気にしない。雑念は排除しなければ勝てるものも勝てないのだ。

 勝ち抜き戦なので、雅代は試合場に残り、相手の副将が出てくる。今度の相手は先のメンを警戒してか、よく鍔迫り合いに持ち込みたがっていた。しかし、それは予想範囲内だ。

 雅代はあるところで引きメンを打ち、わざとコート際まで下がった。こうなれば、自分は下がれないが、相手も前に出ざるを得ない。下手に動いた方が打ち取られるというのは相手も分かっているはずだ。

 我慢比べになる。雅代は焦ることはない。後ろには清美と勇子が控えている。ここで負けても彼女らが何とかしてくれることだろう。そのような気持ちで雅代がどっしりと構えていると、相手から打ち気を感じた。雅代は一歩足を差し出すと、そこに合わせてきた相手のメンを見切ってドウを抜いた。


「ドウあり」


 審判の旗が雅代に翻る。二本目、後がなくなった相手は猛然と攻めてきた。ここで気持ちで負けられない。雅代は相手の攻めに動じず、気を張って中心を制する。最後は、相手が疲れてきた頃に出鼻ゴテを決めて勝利した。

 礼式を終え、一度試合場を出て相手大将を待つ間、観衆のざわつきを感じた。インターハイ出場経験豊富な高校が無名の初出場校にピンチに追い込まれている。それが信じられないのだろう。実際雅代も、今日の自分がここまでやれるとは思わなかった。

 相手の大将が出て来る。気合いが一層滾っていた。流石に、オーラがこれまでの敵とは違う。しかし、雅代はここまできたらやってやるという気に満ちていた。相手と目が合う。火花を散らしながら歩み出て、構え、蹲踞する。


「はじめ!」


 主審の声で立ち上がり、お互いに気合いを出し、小さく間合いを詰める。そのまま相手が、予備動作無しでコテを打ってきた。コテが当たるが、その直後に雅代はがら空きになった相手の脳天にメン打ちを叩きつけた。体が勝手に反応した、無心の打ちだった。審判の旗は割れたが、軍配は雅代に上がった。

 その後、相手大将の猛攻撃を振り切って、雅代が一本勝ちを収めた。団体の礼式を終え、試合場から退出すると、張り詰めていた気が一気に緩んだ。


「雅代、凄かったよ。めっちゃ驚いた!」


 面を外すと、笑顔の勇子が肩を叩いてきた。他の皆も歓喜の表情だ。観客席に目をやると、誠司が涙を滲ませて手を振っていた。夢見た全国大会での初勝利。その立役者が自分という事実が、雅代の心を激しく震わせた。

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