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歯を食いしばって踏みとどまって⑤

 準々決勝は、午後の部の初めから始まった。浩二の試合が長引いていたが時間通りに行うということで、彼の試合が終わるまで待っていた清美と勇子は昼食抜きで挑むことになってしまった。


「流れを切らしたくないから、ヘーキヘーキ!」


 試合前に清美に昼食を取らせられなかったことを浩二が謝ると、彼女は元気にそう答えた。勇子にも同じように謝ると、彼女からは以下のような返答が返ってきた。


「大丈夫だよ、必ず勝つ」


 笑顔だった清美とは対照的に、勇子は厳しい表情で臨んだ。その低い声に、強い、あまりに強い覚悟が込められていた。

 勇子の相手は月城高の大将、金子である。前の錬成会では勝っていたが、今の勇子の状態ではもう一度勝てるか分からなかった。いや、勝つのは難しいという方が表現としては適切であった。

 一方、清美の相手は明倫(めいりん)高の東という選手だった。その高校自体は県ベスト8レベルだが、彼女は優勝候補の梅見丘高の大将を破って勝ち上がってきた。全く気の抜けない相手だ。


「どうなると思う?」


「勇子はあの様子じゃ無理だろ。白河は多分優勝するよ」


 隣で耳打ちするように尋ねてきた誠司に、浩二もまた囁き声で返した。誠司は怪訝な顔をして、腕の無い右の道着の袖を掴んで言った。


「お前が信じてやらないでどうすんだよ。あいつが勝ちたくてお前が支えてやってんだろ」


「信じてるよ。でも、今じゃない、この先だよ。勇子はまだ二年生だ。白河みたいに伸び伸びと剣道ができないなら、挫折を乗り越えてメンタルを強くして成長できないと。もしプレッシャーを力に変えられるようになれば、あいつは無敵だ」


 浩二が渾々と語ると、誠司はそれきり何も言わなかった。浩二は誠司から目を離し、面をつけて試合場に向かう二人を見る。勇子は一歩一歩重みのある足取りで、清美はスキップするような足取りで歩いている。もう二人とも、浩二が声をかけることはできない。瞬く間に準々決勝の舞台に立つ全員が試合場に辿り着き、戦いの幕が切って落とされた。


        ***


 清美は、東の打突を二本ほど受け流して、確実に勝てる相手だと悟った。技のキレもあり、攻めも鋭い。梅見丘高の大将を下してきただけはあるが、今の清美からすればなんということもない相手だ。

 お互いに間合いが切れた状態から、今度は清美から東に攻め入る。その直後、東が迷ってか居着いたその瞬間に、真正面からメンを叩き込んだ。これは、勇子の技だ。巻き技しか取り柄が無かった去年の自分に、勇子が教えてくれた最初の技だった。

 二本目の合図とともに、東が面に飛び込んでくる。清美は裏からの擦り上げメンを狙う。これは浩二の、中学時の県大会決勝を見て覚えた技だ。当たったが、一本にならなかった。その場打ちと見られてしまったようだ。気持ちを切り替えて、二合目。清美は相手の竹刀を剣先でぐいと抑え、メンを誘う動きを見せる。これに相手が乗ってきた。清美の手元に東の竹刀が伸びる。メンに来ると見せかけたコテだ。しかし、清美が期待していた動きはまさにこれだった。右手を外して腰につけ、体を左に捌きながら、左足で踏み込んで東の右面を左手一本で叩いた。この技は大昔の剣道の映像を見て、ちょっとやってみようと試したものだ。

 清美は先の擦り上げメンの反省を活かして、そのまま二歩三歩とすり足で移動しながら東に体を向け、構え直して残心を示した。気が付けば、自分に旗が三本上がり、メンありの宣言が聞こえた。遅れて、観衆のどよめきが耳に入った。


(まァ、そりゃそうよねー)


 片手半面を使おうという発想がある女子高生が自分の他にいたら教えて欲しいくらいだ。しかし、この技を身につけられたのは浩二のおかげでもある。彼が片手技のコツを教えてくれなかったら、この技を試合で出すことはなかった。

 お互いに蹲踞して試合場から出る。清美が周りを見ると、他のコートはまだ試合の途中だった。そして、勇子の試合を見つけると、それを見たまま体育館の端まで行って面を外す。勇子はやはり本調子ではなかった。しかし、四回戦よりは調子を取り戻しているようで、技の出るタイミングやキレが復活してきていた。


(勇子、頑張って)


 最近、勇子に嫉妬されていることを清美は分かっていた。しかし、それでも勇子には立ち直って欲しいと思う。如何な裏があれど、楽しく剣道が出来れば良かった自分たちの意識を高くさせてくれたのは、他でもない彼女なのだから。


        ***


 勇子は焦りを感じ始めていた。金子に対する攻め口が分からない。金子は、たった数週間前の錬成会より遥かに強くなった気がする。月城高の大将で三年生という意地が、圧となって勇子にのしかかってくる気がした。しかし、受けに回るのは自分じゃない。勇子は奮起して、一歩間合いを詰めた。強めに金子の竹刀を押さえてから、メンに跳ぶと見せかけてコテに行く。それに対し、金子は打ち落としはしたものの、応じることなく大きく下がった。だが、勇子はそこから竹刀を回して、金子の左メンを打ち抜いた。


「メンあり」


 勇子に旗が上がる。この一本で、勇子は感覚を完全に取り戻した気がした。しかし、安心した勇子を襲ったのは金子の猛攻だった。勇子に仕掛ける間を与えず、掛かり稽古のようなラッシュで畳みかけてきた。滅多に手元を上げない勇子だったが、流石に苦しくなって手元を上げた瞬間、乾いた音ともに金子の逆ドウが閃いた。


(悔しい! けど、振り出しに戻っただけ)


 開始線に戻るまでの間、勇子は深呼吸をしながら心を落ち着かせた。動揺したら負ける。一本勝負になっただけで、まだ負けたわけじゃない。そう自分に言い聞かせながら、審判の「勝負」の宣言を待った。

 試合が再開して以降は、先の激しさが嘘のように、静かな剣先の攻め合いが続いた。何合か打ち合うが、どちらも決まりきらない。また剣先での攻め合いが始まるが、二人の間では火花が散っていた。そのまま、お互いの竹刀の中結が触れ合うところまで間合いが詰まる。ここから先に動きの色を見せたら負ける。そう思うと、勇子は全身で緊張を感じた。

 実際には数秒、勇子の体感的にはかなり長く膠着した後、金子に色が出た気がした。その瞬間、勇子は渾身の力でメンに跳び込んだ。しかし、次の瞬間、金子が差し出した竹刀にメンが阻まれたかと思うと、見事なドウを抜かれた。

 それからは、勇子は記憶が曖昧だった。気がつけば面を外して、壁に寄り掛かって清美の準決勝を眺めていた。心がバッサリと切られたように、何の感情も湧いてこない。側には雅代が居てくれたが、浩二たちは間近で清美を応援していた。

 ぼんやりとしている間に、清美が勝負を決めていた。面を外すと、爽やかな笑顔がそこにあった。自分が果たせなかったインターハイ出場を、清美はアッサリと決めてしまった。

 やがて他方の準決勝も終わり、決勝戦が始まる。金子が勝ち上がっていた。開始の合図とともに、清美が一歩間合いを詰め、左足前で跳んだ。金子はまだ準備ができていなかったか、手元を上げて防御の姿勢を取る。しかし、清美は空いたそのドウを打ち、打った側に走り抜けた。審判の旗が二本上がっている。その旗は、上げた、というより、上げてしまった、という方が正しいような上がり方をしていた。とはいえ、旗が二本上がった事には変わりなく、清美に一本が入る。二本目。また清美が間合いを詰める。しかし今回は金子も負けていない。金子も詰め、メンを放つ。だが、清美はそれを余して空振りさせ、引きメンを斜め右から叩き込んだ。今度は文句無しの余しメンだった。旗が三本上がり、たった二振りで呆気なく清美が優勝を決めた。

 それから、勇子はまた記憶が飛んだ。はっきりと自己を認識できたのは、自室のベッドの上でのことだった。いつの間にか、道着袴はブレザーに変わっていて、顔中に乾いた感触がある。外も既に暗い。体を起こして床を見てみれば、質の良い紙屑が散乱していた。その正体を考えるのは本能が拒否したので、それをできるだけ見ないように掻き集めてゴミ箱に突っ込んだ。


「私は、私は」


 その後の言葉を紡げぬまま、勇子はベッドに身を投げ出した。それから何も考えられず、再び意識が暗闇に沈んでいった。

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