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歯を食いしばって踏みとどまって③

②のあらすじ

弘恵の秘密の地下室を除いてしまった浩二は、勢いのままに襲われてしまった。新たに知った弘恵の一面に戸惑いながらも魅力を感じるのだった。

「ほんっとうに、ごめんなさい!」


 服を着て弘恵の自室に二人で戻ると、彼女は突然浩二に対して土下座をした。戸惑う浩二に、弘恵は土下座をしたまま言葉を続ける。


「私、見境なくなっちゃって。浩二君にあんな、あんな……。ああ、穴があったら入りたいよォ」


「顔上げろよ、弘恵。その、俺も良い思いしたから。なんつって、ははは」


 浩二は引き攣った笑いになってしまった。しかし、弘恵はそれで顔を上げてくれた。彼女は目に涙を滲ませて、上目遣いで浩二を見つめてくる。彼はまたドギマギして、それを誤魔化そうと早口気味に提案する。


「な、なあ、弘恵。前の錬成会のビデオ見よう。反省会だ! せっかくの機会だし、個別にアドバイスも、できるぞ!」


「うん。いいよ」


 弘恵は快く賛意を示した。大好きな剣道の話をしていれば気が紛れる。浩二はほっと一息つくのだった。


        ***


 ビデオの中の弘恵が、メンを取られた。浩二はそこで一時停止して、十秒巻き戻して、今度はスローで再生する。


「いいか、弘恵は相手をよく見てる。それはいいことなんだけど、見てるだけなんだ。だからここ、構えが死んでる。相手に完全に上に乗られてから打たれるから、防御が間に合わない」


「じゃあ、どうすればいいの?」


「今の良さを生かすなら、どっしり構えるんだ。で、自分から圧力をかける。でも我慢だ。自分から出ずに、我慢して我慢して、相手が堪らず動いたら、パッと仕留める。と言ってもまあ、ピンと来ないだろうから、今度の部活で山根先生に聞くかウチの道場に来いよ。実践的に教えてもらえるから」


 やはり、剣道の話をすると気分が落ち着く。マシンガンのように浩二が話していると、途切れたところで弘恵が見つめていることに気がついた。


「何かな?」


「いやー、ホントに剣道好きなんだなって思って。すっごく輝いてた」


「そ、そうか。いやあ照れるなあ」


 浩二が答えると、ずいと弘恵が顔を寄せてくる。せっかく気が紛れていたのだが、浩二の頭の中の状態は逆戻りしてしまった。


「今の立場、楽しいでしょ」


「そりゃあ、ね。剣道で必要とされてるからな。教員志望としてはいい経験させてもらってるよ」


「指導者って、先生のことだったんだ?」


「ああ。それで剣道部の顧問になって、全国制覇に導くのが夢なんだ。今は高校生だし、分からないこと、上手くいかないことたくさんあるから、山根先生とかの大人を頼らなきゃいけないけど。いつか、俺の指導で、日本一に子供たちを育てたい」


 浩二はそこまで言って、弘恵が嬉しそうに目を細めているのに気がついた。その微笑みに、また浩二はどきりとする。立板に水を流すように出ていた言葉も、すっかり止まってしまった。

 そこで、弘恵は窓の外の空を見上げて、呟いたと言うには大きな声で独り言ちた。


「じゃあ私は学校作ろっかな。お父さんの会社不動産屋だし、何とかなりそう」


「金持ちは言うことが違うなァ」


「それで剣道部の監督には浩二君を雇うんだよ。浩二君の夢を私がサポートするんだ」


 無邪気な一言に、浩二は言葉を失った。先ほどから、弘恵の様子がおかしい。浩二を困惑させるようなことしか言ってこない。怨嗟の呪詛を吐いていた時とは違った意味で、内気ないつもの彼女と違う。愛らしさも、異なる次元のものだ。


「ありゃ、ビデオ終わっちゃってる」


「あ、ああ。そうだな。悪い、もう一度見るか?」


「今の浩二君が冷静にアドバイス出来るとは思えないな。顔真っ赤だよ?」


 弘恵に指摘されて、浩二は初めて自分の顔が熱いのを知った。その温度に戸惑っていると、弘恵がずいっと顔を寄せてきた。浩二は恥ずかしくて彼女から目を逸らすと、小さな笑い声が聞こえた。


「せっかく二人きりなんだしさ、恋バナでもしよっか。高校生らしく」


 その言葉で、浩二は胸の奥にずんと重い一撃を食らったような感覚になった。余計に今、二人きりであることを意識してしまう。日の傾く中、決して広くない敷布団の上で二人向かい合って座っている。この調子で意識してしまうと何も話せない。そう思って、浩二は一旦咳払いをした。


「そんなこと言われても、俺には話すネタなんて無いぞ」


「私にはあるんだよ」


 そう言いながら、弘恵は勉強机の引き出しの中からポテトチップスを取り出し、袋を開けて「どうぞ」とその口を浩二に向けた。浩二がそれを一枚取り出すと、弘恵は勢いよく尋ねた。


「単刀直入に聞きます! 勇子ちゃんのこと、どう思ってますか!?」


「幼馴染。それ以上の感情はない」


 浩二は即答した。ポテチをひとかじりしてから弘恵の反応を伺ってみると、特に驚いた様子はなさそうだった。


「淡白だね」


「聞かれ慣れてるからな」


「でもさ、勇子ちゃんは浩二君好き好きオーラ出しまくりだよね。異性として興味無いならはっきり言わないと」


 鋭い弘恵の一言に、浩二は言葉を詰まらせた。実際、それは彼が目を逸らし続けていたことだ。彼が黙っている間に、だんだんと、弘恵の目が据わっていく。


「微妙な距離感を楽しんでるとかなら、サイテーだよ、それは」


「違う、そういうことじゃない。ただ、タイミングが分からないんだ」


 浩二は、自分でも驚くくらい、情けない声を出した。彼女に悪印象を持たれたくないと、強く思ったが故の声だった。


「勇子は……中学二年くらいかな。その時くらいから、俺にアピールするようになった。でも、俺が片腕失ってからは何となく疎遠になって、ずっと話してなかった。道場では剣道続けてたのに、高校では勇子に言われるまで剣道部に入らなかったのも、男子がいなかったってのもあるけど、一番はあいつにどう接すればいいのか分からなかったからだ」


 弘恵は黙って、真顔で話を聞いている。数刻前と同様、誤魔化しは一切許されない。


「今の立場になって、あいつとまた話すようになった。好かれるのはやっぱり嬉しいし、少し前なら告白されたら付き合おうかな、くらいには思ってた。でも、今は、そういう気になれない」


「それは、どうして?」


 純粋な目で、弘恵が問う。浩二は答えるのに迷った。自分の言葉の先は、彼女の剣道への士気を下げてしまうかもしれない。しかし、彼女の瞳に嘘をつくことに、浩二は抵抗を覚えた。


「あいつは、俺と日本一になることに拘りすぎてる。日本一が優先なら、スカウトのあった上市学園とか、地元でも梅見丘や月城に行けばよかったんだ。俺と剣道をするためだけに、日本一なんて目標を持ち出したんだったら、俺は、あいつの想いに応えることはできない」


「それを、直接言おうよ。それで勇子ちゃんがダメになっても、日本一の夢は止まらないから。もう、私たちは勇子ちゃんの夢に付き合ってるだけじゃない。もう、私や司ちゃん、清美ちゃんも、自分で剣道で高みを目指す理由を見つけてる。その上で、みんなで日本一になるんだ」


 気がつくと、浩二と弘恵の距離が鼻先が触れ合いそうになるくらいに近づいていた。その無垢な瞳が、彼女が剣道を今心から愛していることを教えてくれる。これもまた、今日まで浩二が知りえなかった彼女の一面だ。


「弘恵は、どうして剣道やるんだ?」


「楽しいからだよ。こうしてるときは、やっぱり書道のことがチラつくけど、剣道に没頭してれば、書道を忘れられる。今は素直に心の底から剣道が楽しいとは言えないけど、やってる時は、心の底から剣道が楽しい」


 弘恵は浩二の目の前で、一言一言噛み締めるように語る。それが愛おしくて、浩二は少し意地悪がしたくなった。


「でも、それは剣道じゃなきゃいけないのか?」


「うん。だってきっと、私が剣道と逢えたのは運命だったから」


 弘恵は花咲くような笑顔を見せて、はっきり告げた。一方の浩二は、その言葉の意味を問うことができず、ただ弘恵の笑顔に見惚れるだけだった。

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