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その構えは火の如し④

その構えは火の如し②、③は18禁ですので、以下にあらすじを書いておきます。


 司と共に歩く道場の帰り道、浩二たちは通り雨に降られ、一緒に司の家に飛び込む。母子家庭で母親が泊まり込みで仕事をしているという司の家。二人きりとなった状況の中で、浩二と司は、一夜を共に明かすのだった。

 今日は県の剣道連盟主催の練成会の日である。来たるべき県大会に向けて強豪校が集まる中に、六ツ寺高は参加していた。この参加は芳一の尽力の結果だった。部員は彼に対して感謝の念を持つと共に、またしても何もしてくれなかった川野に対する不信感は増えるのであった。

 この練成会にあっても、勇子はやはり注目されていた。県大会の個人戦に出る清美や、中学時代道連ベスト8の雅代も、勇子ほどではないが見られていた。しかし、司と弘恵は蚊帳の外といった感じだった。

 そのような空気の中で、試合が始まる前に司は弘恵の手をがっちりと掴んだ。


「弘恵先輩! 六ツ寺には私たちもいるって示しましょう!」


「うん! 司ちゃん、頑張ろうね!」


 その様子を遠巻きに見ていた誠司が浩二の肘を突いた。メインは団体戦なので、二人しかいない男子はサポートに徹することにした。


「いい雰囲気だな、あの二人」


「頑張ってるからな。司は上段始めてから尚武にも通ってきてるし、岡谷も体力が付いてきて稽古について来られるようになってきてる」


「そーいや最近、お前正田のこと名前で呼んでるよな。あいつも浩二先輩、とか言ってるし。何かあったか?」


「ちょっと仲良くなっただけだよ」


 はぐらかすように言って、浩二は試合に目を向ける。相手は私立月城(つきしろ)高校。インターハイ愛知代表にしばしばなっている県内屈指の強豪校だ。この月城高を相手に、司や弘恵がどこまでやれるか、浩二は期待しながらチームで礼をし、司が出て蹲踞をするのを見た。


「はじめ!」


 お互いに立ち上がった瞬間、司が上段に構える。藍一色のその姿の向こうに、浩二は真っ赤に燃える炎を見た。


        ***


 司は気勢を発しながら、相手を睨みつける。相手は三年生。県大会直前とあって、ベストメンバーで組んできている。腕自慢だらけの部員の中からレギュラーを勝ち取った人たちだ。技術も、経験も、気迫も、相手の方が遥かに格上だ。技術や経験は今この場で追いつくことはできないが、気迫だけは出せる。勇子を応援する気持ちと、纐纈奈々を倒すという決意、そして、浩二に預けた全幅の信頼を、司は声に乗せて相手にぶつける。

 浩二や、その他これまで上段を指導してくれた先生たちの言葉が司の頭の中によぎる。——上段の構えとは火の構え。高く振り上げた竹刀で相手を威圧し、捨て切って相手を仕留める。決して下がらない、不退転の覚悟で司は踏み込んだ。


「コテー!」


 僅かに相手の上がった手元に、諸手でコテを打ち込む。鍔に当たり、一本にはならなかった。そのまま体当たりをし、その反動を利用して距離を取り、すぐさま上段に構え直す。

 仲間の拍手が聞こえた。この時、司は自分でも驚くほど冷静だった。相手の動きが見える。今この時、試合をコントロールしているのは自分だという実感があった。


(勝てるかもしれない)


 そう思いながら、司が何度目かのコテに出ようとした時だった。相手の竹刀が自分の面に伸びてくる。しかし、司の体は既にコテを打つ態勢に入っていた。しまったと思った時には、既にメンを打ち抜かれていた。


「メンあり」


 審判の宣言の後、司は開始線に戻る途中で歯を強く噛み締めた。


(完全に誘い出された。試合を作ってたのは相手の方だったんだ)


 司は、驕りを持ってしまった自分が情けなかった。しかし、試合はまだ続いている。邪念が入っては、先の一本の二の舞になる。


「二本目!」


 その宣言と同時に、司は相手の小手に目を向けながら左斜め前に出る。そして、竹刀から右手を離して振り下ろした。この瞬間には、司の目は小手から面に向いていた。相手は先程のメンと同じタイミングを狙って出て来るが、既に司の竹刀は相手の面に向かって弧を描いている。このタイミングの相メンで、上段相手に勝つことは不可能だ。

 事実、相手より先に、司の竹刀が相手の面をしっかりと捉えた。そして、相手の体を潰す勢いで体当たりをする。完全に司が相メンに打ち勝った瞬間だった。


「メンあり」


 今度は、司側に旗を上げて審判が宣言をする。その瞬間、仲間の拍手と歓声が聞こえた。まだ油断は出来ない。司は深呼吸を繰り返して、心を整える。開始線に戻る最中、ふと浩二と目があった気がした。彼は真剣に試合を見てくれている。その眼差しを見ていると、余計に負けられないという気持ちが大きくなった。


「勝負!」


 審判の号令と共に、司は上段に構えながら前に出る。二歩三歩と下がった相手だったが、防御するためか左手が上がった。すると、司の竹刀はまるで吸い付くように相手の左胴に向かっていく。


「ドーゥッ!」


 乾いた音がして、逆ドウを振り抜いた。しかしその直後、相手が手首を返して面を狙ってくる。司は首を曲げてなんとかそれを躱すと、脱兎のごとく走って残心を示した。


「ドウあり!」


 旗が上がっていた。相手の項垂れる姿が見える。メンの時よりも大きな、仲間の歓声が聞こえる。そこで初めて、司は自分が勝ったことを自覚した。練習試合だとか、生徒審判だとかいう要因はあるだろうが、それでも月城高の先鋒に勝利したのは事実だ。

 今度も、開始線に戻る途中で浩二の顔が見えた。満足げな顔で拍手をする彼に、司は目だけで感謝の念を送った。


        ***


 先鋒戦で司が勝利した後、弘恵が二本負けしたが、雅代が一本勝ち、清美が二本勝ちし、勝利を決めた。勇子も一本勝ちで勝利に添えた。浩二は、まさかここまでやってくれるとは思わず、ついついテンションが上がる。しかし、これで気を抜かれても困る。喜びはすれど、過度な期待はしない。ここで勝って満足しては、次に繋がらないのだ。だから、試合後の軽いミーティングで浩二は次のように言った。


「月城相手によくやってくれた。だけど、これで満足しないで欲しい。俺たちが目指しているのは全国だ。これは通過点。しかも、また勝てるとは限らない。気を引き締めてやってくれ」


 浩二の言葉に対して、勇子たちが揃って大きく返事をする。その声を聞けば、満足などしていないと伝わった。

 その後、解散して次の試合の準備に取り掛かる。といっても次は六ツ寺高は休みで、三人審判を出す以外はやることはない。それで浩二はふとひとつ思いついて、再び彼女らに声をかけた。


「審判、主審は勇子で、副審は司と岡谷がやってくれ」


 それを聞いて、司と弘恵が戸惑いの声を上げる。だが他の三人は浩二の考えを理解できたようで、清美と雅代は手に持ちかけていた審判旗を司と弘恵に渡した。


「これも勉強だよ。審判をやれば、一本の基準に対して理解が深まる。なに、生徒審判なんだから皆そんなに期待してないって」


 雅代の言葉は、正しく浩二の言いたかったことだった。彼はありがたく思いながらそれに便乗して続けた。


「一本だと思ったら自信持って旗上げりゃいいんだよ。ただ間違っても釣られて旗上げんなよ。それじゃ勉強にならない」


「そういうことなら、やります」


 司は強く頷いた。その目にもう戸惑いは無い。弘恵もそれに追随した。

 勇子に連れられて試合場に行く二人を眺めていると、背後から「新津君」と声をかけられた。どことなく聞き覚えのある声に振り返ってみると、そこにいたのはかつて愛知の頂点を争った広間(じん)がそこにいた。名札の学校名を見ると、梅見丘(うめみがおか)とあった。梅見丘高は、近年の愛知県の高校では男女ともに全国出場の最有力候補の高校だ。


「広間君、久しぶりだね。梅見丘に行ってたんだな。全中三位になったんだから、県外に行ったかと思ってた」


「新津君ともう一度勝負したかったんだ。だから愛知に残った」


「片腕無くして剣道やめたとは思わなかったの?」


「そんな奴が県チャンプになれるわけないだろう?」


 尋は不敵な笑みを見せ、その後「個人戦頑張って」とだけ言い残してその場を去った。浩二には、せっかくの再会だったのだからもう少しゆっくり話したかったという思いはあったが、まだ錬成会は終わっていない。向こうも姿を認めてすぐに声をかけたのだろうと想像すると、不満を漏らす気にはならなかった。


「今の誰?」


 尋の後ろ姿を見送りながら、清美が尋ねる。


「広間尋。俺が中三の時の県大会決勝の相手で、全中個人三位のやつだ」


「結構皆、強い人は強い人を知ってるけどさ」


 この時の清美は、恐ろしく思えるほど平坦な声だった。


「それって何の意味があるんだろう。ただの友達って訳でも無いのに」


 虚空を見つめる彼女の瞳には一点の曇りもない。その問いかけが深い訳でもないが、彼女の中の剣道観が、浩二には上手く捉えられなかった。


「まあ、有名人知ってるだけだろ。一応、その人の剣道を知ってれば対策を立てやすい、くらいの利点はある」


「じゃあ私は知らなくていいや。私は私にしか興味無いし、事前にその人のことを知らなくても勝つときは勝つし」


「お前は技の引き出し豊富だからな」


 清美の技のレパートリーは尋常ではない。覚えた技を片っ端からしっかりとモノにでき、自分の体をほぼイメージ通りに動かすことができるという天性の才能は、今、芳一の指導のもとに花開きつつある。むしろ、この才能が埋もれていたことが驚きだった。最近は警察や実業団に出稽古に赴くことが多く、格上の技を盗む機会が多かったのも、急成長の一因だったのであろう。この先の成長が本当に楽しみだった。

 未完の大器の将来に想いを馳せていると、清美が肩を寄せてきた。浩二は半歩下がってその真意を問う。


「いきなりどうした」


「なんか遠くを見てたから。いたずらをしたくなった」


 そう言って笑う清美は、いつもの飄々とした彼女だった。今度はその場から動かずに、彼女は話を切り出す。


「司、上段始めてからすっごく強くなったね」


「個人的な目標があるって言ってたし、元々上段向きかなと見ていたからな。しばらくは右肩上がりで調子が伸びてくると思うよ」


「月城の先鋒に勝ったけど、もう使えるレベルなのかな?」


「んなわけあるか」


 浩二はバッサリと切り捨てた。その言葉に、清美は少しも驚かない。ニヤニヤしたまま、清美は続きを告げる。


「そりゃそうだよね。ありゃまぐれでしょう」


「ああ。甘めに言って、一割実力、九割まぐれだ。大体、上段始めてまだ一ヶ月も経ってないのに全国で通用したら、どこの強豪校だって苦労なんかしない」


「言ってやらなかったの? まぐれだって」


「この練成会で思い知るだろうから、言わなかった。強くなるには、辛酸を舐めないとダメだ」


「それで落ち込んだらどうすんの」


「落ち込まなきゃいかんだろ。それをバネにして頑張ってもらわないと。そのまま落ち込み続けるなら、もう司は全国に行くことはないだろうよ」


 浩二は、審判を続ける司の背中を見つめる。姿勢をピンと伸ばし、自信を持って審判をしているが、この先もその姿勢を見せてくれるだろうと予感していた。


        ***


 結局、練成会では月城高戦が司のピークだった。あとは負けか引き分け。試合後の地稽古でも、強豪校の選手たちに歯が立たなかった。「調子に乗るな」と天が司に言っているように思えた。

 しかし、それでも前を向けるのが司だった。その理由のひとつは、やはり纐纈奈々だった。彼女へのリベンジを果たすには、まだまだ修行が足りない。そしてもうひとつが、勇子と清美、雅代だった。特に勇子と清美は全勝し、雅代は勝ち越して存在感をアピールした。あの三人の背中についていくために、もっともっと努力が必要だ。

 そして最後が、浩二の存在だった。実の所、彼は剣道的には何をするでもない。技術指導は彼が担当することもあるが、基本は芳一がその役割を担い、浩二は芳一の言うことを繰り返しているに過ぎない。それに意味が無いわけではないが、司の支えになっている要因ではない。ただ、彼は六ツ寺高校剣道部の旗頭としてその義務を全うしているだけだ。その彼に導かれて、司は強くなれた上、まだまだ強さの天井に届かないことを実感できている。


「浩二さん」


 彼と肌を重ねたベッドで彼の名前を呼べば、司の心に勇気が溢れた。浩二が強力な繋がりをくれたから、司は明日からの稽古を楽しみにして、眠りにつけるのであった。

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