第86話 帰宅
俺はぼんやりと・・・工事を離れたところから見ていた。その間も大塚さんから細かい指示が業者さんに飛んでいる。
本当に熱心なことだな。
「おい、尊。寺で冷たい物でも飲んで行かないか?」
要の言葉で俺はふと我に返った。
「ああ、ありがとう・・・でも遠慮しとくよ。俺じーちゃんから頼まれごとされてたんだった」
「そうだ、要。聖加の・・・」
と、俺が言いかけた時。要がギロリと俺を睨んだ。
だーーかーーらーー。分かった分かった大事なお前の妹さんにはこれ以上触れませんよ。
俺は要達に背を向けて軽く片手を上げると、ポクポクと足音を立てて苔むした階段を下っていった。
そして階段下に止めていた自転車にまたがると、ふと視線を感じて元来た階段を見上げた。
大塚さんが俺をじっと見てる・・・
俺は軽く会釈をすると、長い長い下り坂を自転車で下って行った。
「ただいまー」
カバンを机の上にドサリと置くと、冷蔵庫から麦茶を取り出し、ばーちゃんが差し出してくれたコップに麦茶をなみなみとつぎ俺は一息に飲み干した。この時期の冷蔵庫にはズラリと麦茶が並んでいる。ばーちゃんが毎日大量に作っているからだ。
「お疲れさん、暑かったろう」
ばーちゃんが、もう一杯麦茶をコップに注いでくれる。
「やっぱ暑いわー、炎天下を自転車で行くもんじゃねー」
「自動運転の車頼めば良かったねぇ、あれだとクーラーも効いてるからね」
「ま、いいよいいよ俺も自転車乗りたかったし」
俺はそう言いながら扇風機の前でTシャツを脱ぐと上半身裸になって風を浴びた。
「あ、また役場から書類もらったんだった。じーちゃんは?」
「診察室にいるよ」
ばーちゃんは、夏の仕事である紫蘇ジュースを大鍋で大量に煮ながら俺に答えた。甘酸っぱい紫蘇の香りが台所にただよっている。
「忘れないうちに渡しとくか」
俺は、よっこらせと立ち上がるとカバンを持って診察室へと向かった。診察中のライトがついてないことを確認してドアを開ける。
「じーちゃん書類預かって来たよ」
「そうか、すまんかったな。どれ見せてくれ」
そう言ってじーちゃんが書類の入った封筒から中の物を出すと、老眼鏡を頭の上に乗せ書類に目を落とす。
「なんじゃこりゃ、この書類ならそれこそメールで送ればいいものを・・・役場自身がネット環境を使いこなせてないのう。頭の固いこった」
そう言って書類をポイと机の上に投げた。
いや、俺の苦労・・・
その時、じーちゃんのPCから「ピコン」と言う音が聞こえた。患者さんだ。
俺はPCから離れた所に移動すると、じーちゃんの診察を見ていた。途切れ途切れだが会話が聞こえてくる。
「・・・そうですか・・・熱は?・・・なるほど・・・はい口を開けて下さい・・・舌を出して・・・でも、どうされたんですか?風邪は流行っていないんですけどね・・・ん?雪山?・・・んー・・・???」
あれ?これって千年じゃね?なんで雪山なんて言っちゃってるの?馬鹿なの?
「おーい千年―、大丈夫かー」
「こら止めなさい尊」
じーちゃんが阻止するのを無視して俺はスカイプの視界に入る。
「もー、さっきまで起きれなくてさー寝てたよー。・・・って尊なんで脱いでんの?」
「あ、これ?ちょっくら役場まで自転車で行ってた。やっぱ暑いわ外」
「あんたはいいねぇ、元気で」
「お前も・・・痛っっっっっっ!!!!!!」
診察中に割り込んだ俺に怒ったじーちゃんから、バチン!と背中にキツイ平手打ちを食らったのだ。
「じゃ・・・じゃーなー千年お大事に、今度見舞いでも行くからよ」
「あ、今度なんかうちの神社工事が入るらしくて、一週間は忙しいみたいだからお見舞いはいいよ。なんか大塚さんから連絡あったらしいよ。その後は神社のお祭りの準備に入るしね」
また大塚さんかよ。
俺の脳裏にはスーツの大塚さんでもヘルメット姿の大塚さんでもなく、ギルドの大塚さんの姿が浮かんだ。
何なんだあの人は・・・
診察室からごそごそと出た俺は、台所の冷凍庫からガリガリちゃんアイスを出すとそのまま二階の自室へと戻った。
風の通る窓辺に腰掛けてアイスをペリペリと袋から出してガブリと食いつくと、頭にキーンと冷たさが走る。
「イテテテ・・・」
それにしても、今まで気にもしてなかったが役場の大塚さんってあちこちで村で関わり持ってんだな。
総務省から派遣された若きお偉いさんか・・・その割には随分フットワークの軽いこと・・・