第68話 事件
どんなに疲れていようとも、朝はやってくる。
要は普段たいそう寝起きが良い、だが昨日から宿泊している親子のことが気になって、なかなか寝付けなかったこともあり、今朝は大変辛い朝となった。
重い体を引きずるように起きると、作業用の作務衣に着替え、洗面所で冷たい水を頭から浴びてようやく目が覚めた。
それからはいつものルーティーンであるが、今朝は既に聖加が起きており、せっせと朝食の支度をしていた。
「おはよう、顔色が悪いね、大丈夫? あ、仏様のお食事も作っておいたわよ」と笑顔で仏様のお膳を指して聖加はあくまで元気だ。
「聖加・・・そんなに張り切って大丈夫なのか?体は・・・きつくないのか?」
「ええ、 最近良く眠れるの だから大丈夫よ」
それなら・・・と要は言いかけたが、異世界のおかげで体の調子が良いのかどうなのか分りかねるため・・・続きの言葉は出なかった。
楽しそうに支度を進める聖加を気にしつつ、要は清掃のため本堂へと向かった。
途中、宿坊の客人の部屋の前を通ったが、当然部屋は静まり返っており。お客人はまだ夢の中のようであった。
まぁ、あの手の若い女性が早起きするとは思えない。
聖加が作っている朝食も、何時にお客人の口にはいることやら・・・
7月の朝は4時過ぎでももう明るくなっており、背筋が伸びるような、なんとも清々しい空気に寺は包まれている。耳をすませば裏のお滝場の水音も聞こえ。この山寺にとっては一年で一番過ごしやすい季節になった。
清涼な空気の中で、黙々と朝の掃き掃除や雑巾がけを終えると。時刻は間もなく6時になろうとしている。早いものだ。
要は時計を見ながら梵鐘をつく。
この梵鐘は遠くまで良く響くため、ふもとの集落の時計代わりにもなっている。少しでも遅れたり早くなったりすると集落の方に心配をかけてしまうため、案外神経をとがらせる作業だ。
ゴーン・・・ゴーン・・・ゴーン・・・
一つ一つの重い鐘の音が、山に木々に体に吸い込まれていくようだ。なんとも身の引き締まる瞬間である。
それから読経である。
すると・・・
「おはようございます」と言う聖加の声が、本堂の障子の向こうから聞こえてきた。
どうやらお客人が目覚めて本堂の近くに来ているようだった。しかし中からはちょうど姿が見えず何をしているのかは分からない。
一通りお勤めも終え、本堂の重い障子をガラリとあけると、聖加がアオと花を摘んでいた。
「おはようアオ君、ずいぶん早起きだな。鐘の音に驚いたか?」
アオは朝からご機嫌のようで、ニッコリ要に笑顔を向けると、聖加と白い山野草の花を二人で摘み続けた。
しかし、母親の姿が見当たらない。
「聖加、母親はどうした」
「それが、お経が上がっているときに本堂の側にいらしたんだけど、アオちゃんを置いてお手洗いにって・・・ちょっと足取りがふら付いておいでだったから、私心配でアオちゃんと待っていたの、まだ戻ってみえないけど・・・どうしたのかしら・・・」
そう言うと、安心させるかのようにアオの頭を聖加は優しく撫でた。
しかし、要は何か冷たいものを己の背筋に感じた・・・
要は急いで、宿坊の客間へと急いだ、ノックももどかしく部屋を開け放つと、思いのほか整えられた部屋に、アルコールの臭いが充満していた。
「いけない!」
ふいに要はそう叫ぶと庫裏へと走った
警察へ急ぎ電話を入れるためだった。