第110話 抜け殻
俺と千年は二人黙って寺の階段を下りていた。
聖加を見送った後、要に聖加の状況を問い詰めても、かたくなに口を閉じ何の言葉も返ってこなかったからだ。そう何一つとして・・・
その静かな水面のように見える要の表情の下には、俺達が足を踏み入れられない、何かしらの複雑な事情があることだけは理解できた・・・
そしてこれ以上話したところで、要に全く会話する意思がないことが分かった俺は、もし何かあったら必ず知らせてほしい旨だけ伝え、千年を伴って本堂から出た。
その間も要は身じろぎもせず、押し黙り本堂に座ったままだった。
「大丈夫かな、聖加・・・」
長い苔むした階段を一歩一歩下りながら、不安げな声で千年が独り言を言う。
「あの大きな コブ の様なもの・・・まるで・・・」
「言うな千年」
俺はぽつりと千年に言った。
「辛いのは聖加だ」
千年はゆっくり降りていた階段の途中で立ち止まると
「そうだね・・・」
と、唇を噛んで階段の手すりにくっついている蝉の抜け殻を見ながら呟いた。
今の俺達はまるでこの蝉の抜け殻のようだ、カサカサとして中身がすっぽりと抜けてその場から動くことの出来ない・・・この蝉の抜け殻・・・
「私たちが やれる事 って何だろうね?」
千年はその場にしゃがみ込むと、蝉の抜け殻を細い指先でそっと撫でた。
千年は神様に仕える身、聖加は仏様に仕える身。それぞれの立場こそ似ているが、聖加が抱えるものは計り知れようがない。
それでも千年は聖加の事を思いやっている。
俺だって同じだ。
今回の包帯の下に隠されたものの事・・・いや・・・それ以前に聖加が少しでも 普通の幸せ を手にしてほしいと願っている。
だが今の俺には何一つとして聖加を救ってやることは出来ない。ただただ見守るだけ・・・
俺達の手の届かないはるか先に聖加は居る。
聖加の事を思うと、聖加の微笑む姿が浮かぶ。そう・・・いつも聖加は笑っていた。
己の身の特殊な体質のせいで、重大な役目を負っているにも関わらず・・・
くっ・・・
俺の胸がチリチリと痛む。
何なんだ、いつもなら暖かな気持ちになる聖加の笑顔が、今じゃ俺の胸を締め付けている。
だが・・・実際俺達は蚊帳の外なのだ。悔しいが何もできない・・・
俺は息を深く吸い、またゆっくりと吐き出し言った。
「俺達に出来ることは・・・何もないんじゃないか・・・?」
「聖加の お勤め ってやつは、国家規模の事なんだぞ。高校生の俺達ごときで解決できる事じゃないだろう?あの額のやつだって病気ではないようだし・・・それに、たとえ病気だとしても俺達には治せない・・・」
「尊・・・?」
千年が俺の様子を伺うように、小さな声でつぶやいた。
そして
「尊は聖加の事が好きなんだよね」
えっ!?
思わぬことを千年が口走った。
だが、驚く俺をよそに千年は言葉を続けた。
「知ってるよ、尊が聖加の事を好きなの」
うーんこれはデジャブだ、似たようなことを牧野にも言われた。
揃いもそろって可笑しなことを言う。
「何馬鹿な事言ってんだお前は、小学生か?」
だが、俺は千年の言葉を否定した。
すると、勢いよく千年は立ち上がって俺の胸をつかみ、潤んだ瞳で俺を睨みつけた。
「自分が一番分かってるくせに、ずるいよ尊は!」
なんだなんだ、このメロドラマ展開は!
何なの?俺この後殴られるとか?いやいやベタすぎるでしょ?
それにここ階段!普通に危ない!
半ば茫然としている俺に対して、千年は視線を落として言った。
「聖加だって尊の事を・・・」
何だってー!・・・聖加が俺の事を?
「馬鹿言ってるんじゃねーぞ、こんな時に・・・」
「こんな時だからだよ!」
千年にしては珍しく強い口調で俺に返し、再び俺のシャツをグッと握りしめ俺の瞳を真っすぐに見つめると、あきらめたかのように目をそらし、俺をつかんでいたその手を下ろした。
そして、千年はうつむいたまま何かを口にしたが・・・その言葉は小さすぎて俺の耳には届かなかった。
次の瞬間、千年は俺に背を向けて階段を下り出すと、下に止めていた自転車に乗りアッと言う間に見えなくなり、驚いた俺は思わず大声で叫んだ。
「千年!!」
いやそれ・・・俺のチャリ・・・
待て待て待て、千年はなんて言った?
俺が聖加の事を好きで・・・聖加も俺の事が・・・
確かに、聖加は 憧れ である。
だが、それは聖加の周囲にいる者全てなのではなかろうか?
聖加は美しい、聡明だ、だれにでも等しく優しい。気取ったところなんて微塵も見せず、その場の雰囲気を良くつかみ皆の気持ちを穏やかにする。その上、聖加は人を疑うことを知らない。
こんな女子の事を嫌う人男が居るだろうか?いや居るはずがない。
一見女性っぽい千年だって同じだろうに。
・・・俺の聞き取れなかった言葉はそのことを言っていたのだろう。
しかし、誰一人として聖加に告白したものなど居なかった。
・・・聖加のその凛とした姿や生き方に触れてはいけないような気がするのだろう。
清らかな泉に触れることをためらうように・・・
もし、そこに土足で足を踏み入れることができる奴はがいるならば、そいつはサイコパス野郎だ。もしくは勘違い野郎だ、何かよこしまな気持ちを持つ悪党だ、いずれにしても普通の神経ではない。
だから根っからの常識人の俺 (俺調べ)としては、これ以上聖加の事に足を踏み入れることが出来ないと考えたのだ・・・
・・・そう考えたのだが・・・