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眠いふたり

 まあるい月の下、静かすぎる夜のなかで寝息だけが大きく聞こえた。長椅子に腰かけたわたしの肩に寄りかかっているのは男。闇よりも色濃い髪、横から見ると長めのまつ毛、鼻筋は通っていて……と、こんな整った容姿の人を至近距離で見た経験はなかった。正面から見たら、もっと、綺麗なのかな。そんな欲が出てくる自分が恥ずかしい。


 頬が熱くなってきて、苦し紛れに月を見上げた。尚も横からの安らかな寝息は止まない。ただの使用人の肩を借りるほどだ。よっぽど疲れていたのだろう。


 この方が名のある騎士団の団長だとしても、いつもは使用人から怖がられるご主人様だとしても、疲れは感じるのだろう。遠征の疲れを想像しても、わたしにはよくわからないことばかりだけれど、ただ言えることは。


「お疲れ様です」


 月を眺めているうちに、わたしも瞼が重くなってきた。ちゃんとしなさいと、使用人頭が脳内で叱ってくる。それでも、一日中働いた体では、眠気に抗うのは難しかった。心地よい風が頬を撫でた。わたしが意識を保っていられたのはそこまでだった。


「ん……」


 もたげていた首を戻して、瞼をこする。いつの間に寝ていたのか。辺りは闇の色が薄くなって、もう少しすれば、朝の香りが窓の隙間からやってくるだろう。


「おい」気づかいも何にもない声に、寝ぼけていた頭が一気に覚醒した。


「ご主人様」剣を握って固くなった手のひらがわたしの頭を掴んでいる。なぜ、頭を掴まれているのか。


「説明しろ」


「説明?」


「お前の頭が俺の肩に触れていた」


 ああ、もしかして、寝ていたとき、ご主人様の肩にもたれかかってしまったのだろうか? 不可抗力だとしても、使用人にあるまじき行為だ。すみませんと、いくら言葉を重ねても、ご主人様の強い態度はわたしを許してくれそうにない。


 やめさせられたりしたら、故郷の家族にはなんて話そう。「あなたの馬鹿な娘は主人の肩にもたれかかって寝てしまったんだよ」。なんて、うっかりにもならない、アホな話である。


「俺は隣に誰かいると眠れない。女でも、そいつが寝首をかきそうで、いつも気を張っている。だが、お前は違うのか」


「それは、お疲れだったからではないでしょうか? あの、ご主人様が寝られる直前、わたしと何を話していたか覚えていますか?」


「いや」


「疲れたとおっしゃってました」


「俺が、か?」


 ご主人様はお酒に飲まれて、大変、眠そうだった。眉間のしわを隠そうともせず、腕を組んで、「疲れた」とこぼされていた。わたしはそんな声を耳にしながら、こんなことになるなら夜の散歩なんかしなければよかったと後悔していた。


 邪魔をしてはいけないと思って、席を外そうとすれば、「いや、そこにいろ」と命令された。命令なら仕方ないと、月を見上げて、時間を潰した。そして、いつしか寝息が聞こえてきたわけだ。間抜けにもわたしまで眠ってしまい、今に至る。


 すべての説明を受けたご主人様は「なるほど」と、相づちを打った。こんなつたない説明でわかったのだろうか?


「お前、名は?」


「えっ?」使用人に名前を聞くなんて、何の意味があるのだろう。まさか、名前を呼ぶわけでもあるまいし、必要ない気がした。丁重にお断りしようと口を開きかけたら、ご主人様のほうが早かった。


「これから長い付き合いになりそうな気がするから、一応聞いておく」


「長い付き合い? やめさせるの間違いではないですか?」


「まあ、いずれ、やめてもらうかもしれないが」


 結局、やめるのか。ご主人様の言葉の意味を理解できなくて、首をひねっていると、「いずれだ」と言われた。


「やめたくありません」


「やめたくないか」


「はい」


「今、やめろというわけじゃない。いずれ、だ」


「いずれなんて来なければいいと思います」


 後は大好きな人が現れれば、やめるかもしれない。でも、現状はこのまま生きていきたい。


「まったくお前とは言葉が通じている気がしない」


「そうでしょうか?」


「どうしたらいいのだろうな」


 いらだたしげに自分の中の髪の毛をかき乱す姿に、うっかり子どもを見守るような気持ちになってしまった。いまだにうっすらと浮かぶ月も笑っているような気分になってしまう。わたしも笑って、


「もう少しだけ、添い寝してみませんか?」


 何となく、眠気もまだ残っていたし。


「……そうだな」


 本当にこの提案にのってくれるとは思わなかった。ご主人様と添い寝なんて、どれだけ身分知らずなのか。でも、不思議と警戒することはなかった。静かな夜の向こうから、ふわふわするような眠気がやってきた。



 すぐに隣から寝息が聞こえてくる。まさか、向こうの方から添い寝しないかと提案してくるとは思わなかった。こちらは主人だというのに、使用人としてわきまえていないらしい。だが、一番、困ったのは、自分の気持ちの方だった。


 なぜ、この女の前では、眠ることができたのか。戦場へ向かうときのように心臓が脈を打っているのか。


 手汗までかいている。髪の毛の匂いにまで意識が持っていかれるのはなぜなのだろうか。


「まさか、惚れたか?」


 自分でも、表情のやわらかくない顔が強ばるのがわかる。惚れたなどとそんな不確かなものを想像する時が来るだなんて、ありえない。しかし、彼女は俺の肩に体を寄せて、無防備に寝ている。


「くそ」


 朝が来てほしいような、来ないでほしいような、複雑な想いを抱えてしまう。極力、女の方を見ないように悪あがきで顔をそらした。時折こぼれる女の寝息が、春風のようにくすぐったく感じた。


おわり

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