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歯には歯を

作者: 久保 明静

世界各地で謎の失踪事件が相次ぐ中、

歯の痛みに苦しみもだえるアケミの前に現れた謎の男。

彼は救世主?それとも悪魔?

 ニューヨーク、マンハッタンの国際連合ビル。連なる各国の旗と、そびえ立つ壁のような事務局ビルがお馴染みだが、事務局ビルの横に中央が少しくぼんだ低い横長の総会ビルがある。今、その一室で各国の首脳が一堂に会し、極秘の会議が行われている。議題は各地で頻繁に目撃されている未確認飛行物体と、集団失踪事件についてだ。

「未確認飛行物体の方は、飛行船、気球、雲に映る車のライト、等々であると。今のところ各関係機関でもみ消しているが……」

「集団失踪事件は、数十名が忽然と消えていなくなる場合もあり、各国のニュースショウで取り上げられるのを、もう止められない」

「テロ組織の声明は」

「それに関する声明は一切ない。失踪の状況を見るに、今までの常識では考えられない存在の関与を疑わざるを得ない。加えて未確認飛行物体と結びつけるなら、その結論として導き出されるのは……」

 議場は一瞬ざわついたが、それを制したのは某国の大統領だった。

「まず、情報の一元化だ。各国諜報機関が利害関係を超えた協力体制を構築せねば――次に主要国の専門組織が習得情報をプロファイリングし、結果を持ち寄ってここで協議する。また、最悪の事態に備えてどの国家も全軍に警戒態勢を取らせるべき……もちろん、全て秘密裏かつ迅速に行わねばならない」

 各国の首脳達は一応に大きく頷き、そして、重苦しい空気が流れた。



「ねえ、アケミのことだけどさあ……」土曜の午後、シェアハウスの一階にあるリビングで、サトコがユリに話しかけた。

 同い年の二人だが、サトコの方がずっと年上に見える。小柄で童顔のユリに対し、サトコは長身で体格が良く、眉が太くて目鼻立ちがはっきりしている。

「二日前から突然暗くなったじゃない。何だか全然話さないし。いつもはアンタのバカ話に乗ってくれたりするのに……変だわ」

 サトコはユリにそんな相談を持ちかけた。話題のアケミはもう一人のハウスメイトだ。

 『シェアハウス』と言うと聞こえはいいが、築二十年の普通の二階建て一軒家を、別の家に住む大家さんが女子大生に三部屋の共同住宅として貸している。そして、彼女たち三人は二年生の同級生で、サトコとアケミ、アケミとユリは一年生の時からの友達同士だが、サトコとユリは、サトコが今年の春この家に越して来て初めて知り合いになった。それから三ヶ月余り、サトコはマイペースなユリに翻弄され続け、何とか心を通わせたいという気持ちがいつも空回りするのだった。

「アタシ、バカじゃないし」サトコに「バカ話」と言われた部分に反応してユリはそう返したが、特に気を悪くした様子はない。下を向いてずっとスマホをいじっている。その手を止めずにユリはいきなりスマホをサトコに向けると――パシャッ!――心配げな表情を写真に撮った。

「もう、何すんのよ」サトコは顔をしかめ、それから両手を腰に当ててお説教の体勢を取る。しかし、ユリは全く意に介さない。本職のカメラマンのように「いいねえ」とつぶやきながら出来映えを確認すると、スマホ画面をサトコに向けて差し出した。

「ほら、よく撮れてる。これ、SNSに挙げようか。簡単にメッセージが書き込めてすぐ投稿できちゃうのよ。スゴイでしょ」

「ヒトが真面目な話ししてるんだから、もう。スマホしまってちゃんと聞いてよね」

「ハイハイ」ユリはいかにも渋々という態度でスマホを胸ポケットに入れた。大好きなおもちゃを買ってもらった子供のように、彼女は買い替えたばかりのスマホに夢中だ。

 サトコはそんなユリを見て、腰に両手を当てた姿勢で「ハア」と大きくため息をついた。世話好きのサトコはアケミが塞ぎ込んでいるのが気がかりで、その気持ちをユリと共有したかった。努力が報われる確率は極めて低いと思われるが、サトコは辛抱強く話を進めた。

「みんなでそのスマホ見てたのは、三日前よね。あの時はアケミも楽しくやってた……心配だわ。悩みでも抱えているんじゃないかな。あのコ真面目で思い詰めるタイプだからさあ」

「まあ、そう言えるかもね」

「ユリ、いい、ちゃんと聞いてよ。それでね、ワタシ気づいたんだけれど……」サトコはそこで少し間を置き、それからアケミについて気になっていることを、おもむろに話し始めた。

「……あのね、アケミね、昨日(きのう)もおとといも食事の時、手で口を隠してた。前はそんなことしなかったのに。でね、昨日チラッと見えたんだけれど、歯が真っ白できれいな並びなの。ほら、アケミって、将来報道局のアナウンサーとか、なれそうな感じでしょう。まあ美人のカテゴリーに入るだろうし、頭もいいから」

「言えてるー。報道局よね絶対、バラエティー担当じゃない方」同意は示したものの、ユリは手持ち無沙汰のようで、今度はツインテールにして垂らした髪を指でいじりはじめた。

 それと反比例して、サトコのトーンは上がっていく。

「でもね、残念なのはあのコ、歯並び良くなかったでしょう。それに、歯医者は嫌いみたい。仕方なく虫歯の治療に行ってたけれど」

「と言うことは……最近の歯医者さんってスゴイ技術を持ってるってこと」

「イヤイヤ。今は歯医者、行ってない。それに、そんなの一日やそこらで無理だって」

「じゃあ、何日かかるのー」

「そういう問題じゃなくって。それ、絶対おかしいじゃない。急に歯がキレイになるなんて……そしたらね、アケミ、ワタシの視線に気が付いて、ごちそうさまって、まだたくさん残ってるのに、さっさと洗い物して部屋に行っちゃったのよ」

「あらら、生ゴミ増えるー。この季節、臭いするし」

「だから、そういうことじゃなくって。それってホント絶対おかしいじゃない。アンタ、気付かなかった」

「全然。だって、食事中は食べることに集中しないと、体に悪いし」

 毛先を手で巻くのをやめないユリを眺めつつ、サトコは「ハア」とため息をついて自分の愚かさを思い知った――ユリに嫌われているのじゃないかと心配してアケミに相談したこともある。アケミは「ユリはマイペースだから」笑って否定し、「認めてあげなさいよ。天才的なところがあるし、人に認められると喜ぶ」そうアドバイスをくれたのだが、何をどう認めれば良いのかサトコには分からない。

 と、そこでユリが突然何か思い出したらしく、「あ、そうだ!アケミが別人になる前の晩かなあ、夜中にね……」そう言ったものだから、

「べつ…じん、じゃあない……と思う。ま、いいわ。三日前の夜よね。続けて」サトコは少しだけ期待して、先を促した。

「トイレに行こうとしたらね、アケミの部屋からうめき声のような、ウーン、ウーンって、声がかすかに聞こえたの」

 二階建てのこの家では、一階が共有スペースで、二階にある三部屋がそれぞれの個室だ。

「それで、アンタどうしたの」サトコは、ユリに続きを促した。

 すると、ユリはあっけらかんと、「トイレに行った」

 サトコは、軽くずっこける仕草をして、「心配じゃなかったの。急病かも知れないのに」

「だって、生理現象を我慢すると、体に悪いし。それでね、戻ってきたらね、今度はアケミが男の人とヒソヒソ話すような声が聞こえて、そしてね……」

「そして、なに」

「部屋の灯りじゃなくてドアからね、何か気味悪い、青白ーい光が漏れてたの」

「青白い光……テレビかな、英会話講座とか。アケミって勉強家だから。でも、部屋の灯り消してはしないよね。で、アンタどうしたの」

「もちろん、寝た」

「あのさあ、そこは、様子をうかがうとか、ノックして、大丈夫って声をかけるとか、何かするんじゃないの、ふつう」

「だって、個人のプライバシーでしょ」

「そりゃそうだけど、気にならなかったの」

「全然。サトコに言われて思い出したケド、プライバシーだもの」

 サトコは、「ハァ」と、また深いため息をついた。ユリの言葉を聞いて謎はますます深まったが、これ以上会話を膨らませることが出来ない。普通の女の子同士なら「個人のプライバシー」の下りで(いわ)くありげに顔を見合わせ「アヤシイ……ムフフ」などと話しがふくらむものだが――モヤモヤしたものが余計にふくらんでしまったが、サトコはユリに頼ることなく、自分ひとりでなんとかしようと決めた。

 回転寿司の席に着いた途端に注文のタッチパネルを押しまくるサトコは、持ち前の決断力で話題を切り替えて、今度はユリの好物である鉄板ネタを持ち出した。

「ところでね、テレビでやってたけれど女子大生失踪事件。知ってる」

 案の定ユリは、真剣な話題を切り替えられたことに気分を害するどころか、目をキラキラさせて食いついてくる。芸能人のゴシップネタには全く興味を示さないのだが、この手の「事件もの」が大好物で、サトコが知る数少ないユリのスイッチだった。

「見たわ、テレビ見た。不思議な事件よね。想像力が刺激されちゃう……でも、何でワイドショーのリポーターって、みんな歩きながらリポートするのかなあ。止まって喋る方が絶対聞きやすいのに、カメラマンさんも大変よね。走ってたりするときもあるから、ワケわかんない。きっとアノ人たち、小さい頃お母さんから『落ち着きのない子ね』って叱られてたはずだわ」

「リポーターのことはどうでもいいの。あのシェアハウスって、ここと同じような作りだったじゃない。住んでるのも三人だし」

「でもあれ、新潟県でしょ。新潟と言えばあの『魔法の神プリン』よね。憧れるわぁ。どんな味かしら。予約、一年待ちなんだって」

 ユリはやっぱりユリだった。変幻自在の投球に、ストレート一本待ちのサトコはまたもや翻弄されそうになる。

「もう、混ぜっ返さないでよ。突然三人ともいなくなったのよ」

「そうそう。でね、中の一人が宝くじで一等に当たってたんだって」

「また、もう、混ぜっ返……あ、そうか。その宝くじ目当てで強盗が入って、それを、目撃されちゃって、みんなまとめて……てこと」

「ハイ、残念でした。部屋には争った跡は全然なくて、通帳やキャッシュカードなんかも全部残ってました。サトコって、そういうとこ、おっちょこちょいよね」

「お前が言うな。宝くじって言うからよ。じゃあ、無関係じゃない、宝くじ」

「関係あるわよ。だって、宝くじで一等を当てるのも、失踪するのも、人生でそう起こることじゃないでしょ」

「もちろんよ。特に後者は一回も起こってほしくないわ」

「だから、それが続けて起こると言うことは、必ず何か繋がりがある。しかも強盗以外の」

 サトコは一瞬ピクリとなって思った――鋭い指摘。確かに天才的なところもあるかも……。

 ユリは、今度は本格的な推理小説に登場する名探偵のように(あご)に手を当てた。さらにまた、どこかのスイッチが彼女の中で入ったようで、目が再びキラキラと輝いた。

「分かっちゃった。アタシにはぜーんぶお見通しよ。アタシの推理ではね。犯人は……」

「犯人は……」サトコはオウム返しにそう言って、ユリを見つめた――犯人が分かったって、ホントに天才?

「犯人は……、そう、かなりの高確率で……宇宙人ね」

 サトコは思いっきりずっこけた――オマエこそ、宇宙人だろうが。

「宇宙人がとうとう地球侵略に乗り出したのよ」ユリは、そんなサトコに構わず、完全に陶酔して自分の世界に入り込んでいく。ちなみにユリは、見るからに『天然』で子供っぽい。ところが一方で、リケジョ(理系女子)でSFと推理小説が大好き。しかも音楽はメタルをこよなく愛している。まさに「歩く意外性」と言える。ただし、メタル好きと言っても髪を染めたりケバい恰好はしない。ウェーブをかけたツインテールの髪型には彼女なりのこだわりがあるようだが。

 名探偵ユリは、夢見る乙女の表情で話しを続ける。

「宇宙人のネット検索で新潟のシェアハウスがヒットした。宝くじに当たって浮かれてるから、(すき)が出来たのよ。ワイドショーの取材とか言って帽子とサングラスとマスクなんかで変装して家に入り込んだ宇宙人たちは、そのまま三人ともさらっていった」

 サトコは、変装している宇宙人たちの姿を想像して吹き出しそうになった。コミカルな宇宙人の姿を勝手に思い描くと、何だかとても身近な存在に感じられ、思わずユリの話に乗っかって尋ねた。

「でも、さらって行って、何の得があるの」

「もちろん、人体実験に決まってるじゃない」ユリは、当たり前のことを聞くなとばかりに、完全に上から目線。目を輝かせて、さらに話しを広げていく。「宇宙人に人体実験をされたヒトって世界中にどれだけいると思ってんのよ。サトコも聞いたこと、あるでしょ」

 サトコは「いやいや」と、思い切り首を横に振ったが、ユリはお構いなしだ。

「地球って、とても住みやすい環境でしょ。こんなにいい惑星、宇宙にもそうないはず。だから宇宙人に狙われるのは当然なの。そして、宇宙人が地球侵略の第一歩として考えそうなのが『人間の身体を乗っ取って入れ替わる』ことなのよ。ゼッタイそうなんだから。何食わぬ顔で地球人の振りをしてスパイするのよ、ホント怖いわ。SF小説の古典でそんな話あるし、ホラ、あの缶コーヒーのCMに出てるオジさんの映画でもいたじゃない、人間の体を乗っ取る宇宙人が」

 サトコは、スイッチが入りっぱなしのユリがまくしたてる話の展開にどこまでついて行けるか心配になったが、とりあえず頷いて聞くことにした。

「宇宙人なんていないと思っているヒトがほとんどだケド、それは宇宙人の方が一枚も二枚も上手(うわて)で、その存在を隠しているから。だって、いないはずないじゃない。太陽みたいな恒星が銀河系には数千億もあって、そんな銀河が宇宙には数千億あるんだから。スゴイ科学力やスゴい能力を持った宇宙人がいるにきまってる。邪悪な心を持ったのも。そして、地球人が想像力を働かせて考えた事は、宇宙人だって当然考える。だから宇宙人は、人間の体を乗っ取ることから始める可能性がある。どう、極めて論理的でしょ」

 そう言うとユリは、両耳の上端をつまんでピッと持ち上げた。ツインテールの結び目も一緒に持ち上がる――SF作品をあまり見ないサトコには意味がよく分からなかったものの、ユリの話を聞きながらちょっとだけ怖くなってきたのも事実だ。

 そんなサトコに追い打ちを掛けるように、ぜーんぶお見通し状態になったユリの推理は、いよいよ衝撃のクライマックスへと突入する。

「だから、新潟で身体を乗っ取ることが出来るか実験して、そしていよいよ本番開始よ。本格的に体を乗っ取って侵略を始めることにした。その本番第一号が……、アケミ」

「わっ!そこでアケミっ!」

 サトコは不意を突かれて思わずのけぞった。肉体的攻撃を受けたわけでも受ける危険があるわけでもないが、反射的にそうしてしまうほどのパンチ力が最後の言葉にあった。

「そう、実験の成功に味を占めて、同じようなシェアハウスに狙いを付けると、アケミの体を乗っ取った。上手に化けてても、まだ生活には溶け込めてない。喋るとボロが出るから会話に入らないのよ」

「つ、つながった、わね。アケミと……一応」

 ユリとの不毛と思われた会話が、他の女子とでは絶対入り込めない地下洞窟を経て「問題解決」と書かれた矢印標識を見つけ出した。それは、サトコにとってカルチャーショックに等しい衝撃だった。その標識が本物かどうかは置いといて。

 ユリは腕組みをして事も無げに言う。「当然よ。サトコも何かつながりがあると思うから言ったんでしょ、その失踪事件」

 首と手を思い切り振って「いやいや」と、完全否定をしながらサトコは思った――天才宇宙人ユリ、恐るべし。発想は思いっきり飛んでるけれど……スイッチが入ると鋭い、かも。

 軽い気持ちで切り替えたはずの話題が思い掛けずアケミと繋がって、サトコの表情は真剣さを取り戻した。知らず知らずユリ・ワールドに取り込まれ、彼女の中で宇宙人の存在が現実味を帯び始めている。だが、アケミについての最大の疑問がまだ未解決だった。

「宇宙人がアケミに化けてるなら、確かにアンタが始めに言ったように『別人』だけれど、でも、歯がきれいになってる理由は……」

「当然でしょ、アケミの皮を被ってても本体は宇宙人よ。たぶん宇宙人は、芸能人じゃなくてもみーんなきれいな歯なの。虫歯とか知らないのかもね。虫歯の宇宙人なんて絵にならないもの。きれいな歯を当たり前だと思ってるし、自分の歯をわざわざ変えるの大変でしょう。新潟の三人も歯並び良かったんじゃないかな。新潟県って日本で一番虫歯が少ないので有名。だから宇宙人もすり替わった後でアケミのアルバムかなんかで歯並びに気付いて、やっちゃったって感じかも」

「なるほど……」

 ユリのその言葉が決定打になった。マニアックな雑学まで披露され、サトコは単純かつストレートに感心してこう思ってしまったのだ――謎が解けた。やっぱ天才……だわ。

 まさにその時――

 ギイー……

 少し(さび)が出ている玄関の扉が開いた。

 話題のアケミが帰ってきたのだ――無言でうつむいて、ゆっくりと片方の靴を脱ぐ。そしてうつむいたまま、上がり(かまち)にその足を……

「あ、宇宙人が帰っ……ムグッ」

 思いっきりはしゃいだ声を出したのは、もちろんユリ。その口をあわててふさいで、サトコは緊張を隠せず、典型的な作り笑顔になって後ずさりながらこう言った。

「お、おかえり。土曜にも講義を入れてるなんて、大変ね」

 アケミ(宇宙人?)は暗い表情のまま「ウン」とだけ小さく言うと、二人(硬い表情で見つめるサトコと笑顔で手を振るユリ)をちらっと見たあと、またうつむいて、ゆっくりその横を通り過ぎる。

 アケミ(宇宙人?)は一段一段踏みしめるように重い足取りで階段を上がり……

 パタン。

 部屋のドアを閉た。   

 階段の下でサトコは、それを見て「ふうっ」と大きく息をつき腕組みをした。そして、意を決して唇をキュッと結ぶとユリに言った。

「ワタシ……」


 部屋のドアを閉めて鍵を掛け、アケミは、「はあ……」と、大きくため息をついた。

 自分の愚かさを後悔すればするほど気が滅入るのだった。あの夜の出来事を思い出すたび、『人生最大の過ちを犯した』と、自分自身を責め続けている。

 ――何であのとき、あんなことを……

 

 ユリが青白い光を見たという夜のこと――アケミは、ベッドでうなっていた。  

 始めはしくしくした感じだったのが、だんだん激しさを増してくる。痛み止めになればと思って頭痛薬を飲んではみたが、全く効果がない。歯の痛みは呼吸に合わせてズキンズキンと頭の先まで響き、じっとしていられないほどになった。  

 ――抜いておけば良かった。

 歯科医からも、「この『親知らず』は、いずれ悪さをして君を苦しめるから、いま処置をしておく方がいいよ」と、言われた。しかし、アケミは痛みに敏感で、歯の治療をされるのが本当は大嫌いだ。まあ、それが好きな人はあまりいないだろうが……。だから即座に「いえ、結構です。またの機会に」と、大きく何度も首を振ったのだ。

 強烈な痛みに襲われて、うなりながら何度も寝返りをうっていると、

「!」

 電気を消している部屋に、青白い光を伴って、突然タキシード姿の一人の紳士が現れた。

 アケミは大声で悲鳴を上げたつもりだったが、声帯が押しつけられているような感じで声にならなかった。

「突然、済みません」

 紳士は青白い光りを(まと)ったまま、小声だけれど、太い、歯に響くような声で言うと、にやっと笑った――一瞬、その口が耳元まで裂けたように見えたが、すぐに元に戻った。 

「……だれ」

 その問いに答えず、紳士はこう切り出した。

「願いを一つだけ叶えてあげましょう」

 アケミは突然の申し出に戸惑ったが、新手のストーカーではないようだ。少し落ち着きを取り戻し、頬の親知らずがある部分を手で押さえて言った。

「ランプの魔神……それとも、悪魔……なの」痛みに耐え、かすれた声でそう尋ねると、今度は答えてくれた。

「その、ア・ク・マとよく言われます……あなた方にとってとても怖い存在のようですね。もしかすると、以前この地で同じようなビジネスをやっていた者がいたのかもしれませんが、私がこの地に来たのは最近です。シッポもありませんしね」

「でも、願いを叶えたら、その代償を何か要求するんでしょう」

 アケミは冷静さを少しは保っていた。強烈な歯の痛みという紛れもない現実――そのせいで、目の前の非現実的な状況が、かえって受け容れやすくなっているのかも知れない。

「賢いお嬢さんですね、その通り。よく、魂を持って行かれるように言われることがありますが、肉体を離れた魂など見たことも感じたことも食べたこともありません。これは純粋な契約です。加えて、もしあなたが約束を守れば代償は払わなくていいのです。信じられないくらい素晴らしい特典付きでしょう」

「契約……代償……」

 ――魂じゃないとしたら、どんな代償が。

 アケミは、その言葉を聞いてまた、じわじわと恐怖を感じ始めた。そんな気持ちを読み取ったのか紳士は、にこやかな作り笑顔で契約についてのセールストークを始めた。

「実にお手軽で簡単なことなのですよ。私の姿を見た者は私と契約をするかどうかを決めなければいけません。契約されない場合、あなたの私に関する記憶を消して立ち去ります。契約される場合、願い事が一つだけ叶います。しかし、その事を誰にも言ってはいけません。私との契約を他人に知られてはいけない。それが約束で、破られますと、あなたとそれを知った全員が代償を払うことになるのです」

 アケミは紳士の説明を黙って聞いていたが、周期的に襲ってくる痛みが我慢の限界に近づいていて、ついそちらに気を取られてしまう。

 紳士は作り笑顔を絶やさず、事務的な口調で先を続けた。

「契約を破った事の代償は、私たちが住む世界に行って、そこで死ぬまで過ごすことです。従って約束を守っても守らなくても、私たちの正体は知られないのです。で、その場所ですが――あなたたちの行ったことのない所の様子を詳しくは伝えられませんが、まあ、もしかすると『地獄』のような所でしょうかね」

 そう言った紳士の口角が、今度は本当に、耳元近くまで裂け、尖った歯が露わになった。まさに究極の作り笑顔。

「そこで願い事ですが、何でも叶うわけでは、ありません。条件が二つあります。一つは今すぐ叶うもの。もう一つは周りの人が『絶対あり得ない』と思わないもの。ですから、大統領やスーパースターとか、もしあなたが突然そうなったら周りの人たちが絶対納得しないようなものは無理です。宇宙の支配者など、とんでもない事も言わないで下さいね。それでは、契約のご意志を確認させていただきます。契約をされる場合は一回だけうな……」

 願いを叶えてくれるのだからアケミは即座に一回うなずいた。痛みが限界を超えそうだ。じっとしていられないほどになっている。

「ご契約ありがとうございます」紳士も即座に応えた。レスポンスが素早い。なかなかの切れ者のようだ。そして紳士は立て板に水を流すがごとくスラスラと、次第に話すスピードを上げて注意事項を話す。

「それでは早速願い事をお伺い致しますがその前にひとつご注意申し上げます。実は制限時間を設けております。それを一秒でも過ぎますと願いが無効になるばかりか契約不履行つまり約束を守れなかったとして収容所いや、ある場所に行って頂くことになりますのでお気を付け下さい。また制限時間内であっても先ほどの注意を守らず実現不可能な願い事をされた場合も同様に契約不履行となります」

 制限時間など、契約を交わす前に注意は一言もなかった。しかし顧客に対しお得な情報を強調するのはセールスの基本と言える。だから注文した後電話口でオペレーターから「次回から自動的に毎月の定期購入となります、値段は三倍で」と聞かされて青ざめたりもするのだ――パンフレットをよくよく見ると、虫眼鏡が必要なくらいの小さい文字で確かにそう書かれているのだが――とにかく、アケミは「制限時間」と聞いて一瞬背筋に冷たいものが走り、体をこわばらせた。その言葉にまるで「値段三倍の定期購入」のような不吉な響きを感じ取った。急いで欲しいとは思ったが、はたして、実現可能な願いを考える時間がどれほど与えられるのか。

 紳士は最後通告をした。通常の一・五倍速くらいの早口で。

「さあ願い事をおっしゃって下さいくれぐれも時間をお守り下さい制限時間は三十秒ハイ、カウントを始めましたお早くどうぞ」

 ――三十秒!

 イヤな予感はしていたが、その予想よりも遙かに短い制限時間だった。アケミは一瞬頭が真っ白になった。チッチッと秒針の音が空っぽな頭に響き渡る。

 ――いけない。早くしなきゃ。地獄になんて行きたくない。

 しかし、焦る心には何も浮かんでこない。

 その時だった。

 ズキン!

 頭のてっぺんにまで響く痛みが、彼女を我に返した。

 ――これしかない。ほかに思いつかない。

 アケミは、今まで生きてきた中で一番の早口になってこう言った。

「歯が痛いの今すぐ全部きれいに直して一生歯医者に行かなくていいように」そして、不安げに悪魔紳士の方を見やる――歯のことだけれど()まないで言えた……。でも、間に合った?実現可能?

「うむ……ぎりぎり間に合いましたね。おめでとうございます」悪魔紳士はそう言った後、頭に手を当て、独り言をつぶやく。「しかし、その願い、初めてだ。うーん、まあいいか」そして、満面の作り笑顔でアケミに向かって、「実現可能です。ただし、周りに気付かれることのないようご注意下さい」

 悪魔紳士は軽い調子でそう言うと、

 ガリガリ……

 アケミにもはっきり聞こえる歯ぎしりをした。すると――

 一瞬にしてアケミは歯の痛みから開放された。顎が少しだけ大きくなったようにも感じて、舌で感触を確かめると、でこぼこしていた歯列がきれいにつるつるになっていた。

「くれぐれも『約束』をお忘れなきよう。そして、これも誤解されているようですが、我々はこのビジネスで詐欺的行為は一切致しません。その歯が何日か経つと元に戻るなどはありません。そんなことをすれば王様に舌を引っこ抜かれてしまいますからね。元来我々は嘘があなたたちほどうまくないのです。あなたが約束を守る限り危害は加えません。しかし、約束を破られますと必ず代償を払っていただきます。それはまさに自業自得と言えましょう」

 そう言い終えたとたん、紳士の目がキラリと光った。突然、ニヤリと口角を上げると、今までとは違う低い声でこう言ったのだ。

「これはギブアンドテイク、立派なビジネスです。つまり君たちは、その約束をとてもよく破ってくれる……まあ、気をつけて」

 またまた口が耳元近くまで裂け、尖った歯がむき出しになった。

 そして悪魔紳士の姿は青白い光と伴に次第に薄れ、最後に次のような言葉だけが不気味に響いた。

「参考までに、今、一番人気は……宝くじ……」

 紳士が消えた後アケミは、今起こったことを整理しきれずにボーッとしていた。そして、しばらくして我に返ると、今度は猛烈な後悔に襲われた。

 ――何で、こんな願いをしてしまったのかしら。お金が何億円かあったらすぐに歯なんか直せるし、いっぱい楽しいことが出来るのに。

 それほどまでに歯の痛みは強烈だった。切実な願いだった。三十秒以内と()かされ、じっくり考えをまとめられなかったこともある。


 ――バカだわ。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる。歯の痛みがなくなって、利発な彼女は、一時の痛みに心を支配されてあんな願い事をしてしまった自分を責めた。「わたしは人生最大の過ちを犯してしまった」と、それくらい重大で取り返しがつかない失敗をした気がして、この数日間、心が暗い深海に向かってどこまでも沈み続けるのだった。

 ――誰にも言えない。それに、さっきも階段でサトコがわたしの口元をじっと見ていた。気付かれたかも知れない。どうすれば……。 

 そのとき、

 コンコン……

 ドアをノックする音に、アケミは一瞬体をこわばらせた。

「だれ」

 ゆっくり体を起こし、鍵を開け、そおっと細めにドアを開く。

 と、そこにサトコとユリが立っていた。二人とも目つきがいつもと違う――見たこともない真剣な表情のユリ。そしてサトコの方は…… あろうことか右手に包丁を握りしめていた!                    

  さて――少し巻き戻して、

 帰ってきたアケミが、サトコとユリをちらっと見て、暗い表情で階段を上って部屋のドアを閉めた直後のこと――

 当然のことながらサトコもユリも、アケミが人生最大の過ちで人生最大に落ち込んでいるとはつゆ知らず、そればかりか、ぜーんぶお見通しの推理で彼女のことを、『人間の体を乗っ取って地球侵略を企てる極悪非道の宇宙人が化けている』と思い込んでいる。

「ワタシ……話し、してみる」

 サトコは階段の下で、アケミの部屋を見上げながら唇をキュッと結んでそう言うと、ユリを強引にひっぱった。「あわっ」と、足元をふらつかせながらユリは、時代劇でお白洲に引っ立てられる()(しゆ)(にん)のように、リビングに連れ戻された。

「話すって、だれと」

 ユリがぽかんとした表情でそう言うものだから、サトコはまた「ハア」と、ため息をついたが、折れそうな心を立て直し、こう決断した――この三ヶ月間でついたため息を、ワタシは無駄にはしない。そう、今こそユリと心をひとつにして、この難局に立ち向うのよ。

 気持ちを奮い立たせてサトコは、二階に響かないよう小声でユリに言った。「アケミに決まってるじゃない。膝をつき合わせてきちんと話しをするのよ」

「宇宙人ですか、って聞くの?」

「うーん。まあ……。とにかくワタシたち、親友でしょう。ワタシがここに来たとき三人で約束したじゃない、忘れたの。ずっとこれから仲良しでいようねって。ウソや秘密を持たずに打ち明けようって」

「そうだ、思い出した!」ユリが大きな声で叫んだからサトコはまた、あわてて彼女の口を手でふさいだ。すると、ユリはその手を払いのけてまくし立てる。「冷蔵庫にある他人の食べ物は勝手に食べちゃダメって、その時約束したのに、アタシのプリン、あの三個セットのやつ、いつも知らないうちに一個減ってる。あれ、食べてるの絶対サトコよね。約束を破ったわよね。アタシはぜーんぶお見通しなんだからね。アタシが命の次に大切なもの、それがプリンだって知ってるでしょ」

「ちょっと。せっかく人が真剣な話しをしてるのに何よ。だって三個あったら、一人に一個ずつ買ってくれてるんだって思うじゃない」

「信じらンない、勝手な思い込み。違うよ。プリンは一般的な四人家族の中でお父さんは食べないから三個セットなの。ヨーグルトなんかは家族みんなが食べるから四個セット。そんなことも知らないの、もう。テレビのバラエティーとかで十回くらいやってるわよ、その雑学」

「知らないよそんなこと。とにかくね、それは謝るから、いい加減真面目に聞いてっ」(かん)(しやく)を起こしてサトコはつい、ユリのツインテールの片方を強く引っ張ってしまった――何で分かってくれないのよ――そんな思いで。

「痛ァーい。何すんのよォ。アタシ、不真面目なんかじゃない……そりゃ、真面目に喋ってても、よくそンな風に怒られるケド……、アケミのことだってちゃんと考えて言ったし……グスン」

 ユリは、彼女なりのプライドを傷つけられたのか、顔を真っ赤にしてべそをかき始めた。

 険悪な空気になりそうなところで――

「ゴメン、悪かった。わかった、泣くな、もう……。あとで、プリン買ってやるから」

「ホント?サンキュー」あっという間に立ち直ってえくぼを見せるユリにあきれながらも、サトコはホッと胸をなで下ろし、ひそひそ声の会話を続けた。

「よしよし……。でね、いつまでもこんな状態じゃいけないでしょう。ちゃんとアケミと話すべきよ。わかる?」

「でも……それで、アケミが『ワレワレハ宇宙人ダ』、とか言ったら」

「そのときは、そのとき。だって、親友でしょう。本物のアケミがどうなったか教えてもらおう」

「皮を()がされて……」

「気持ち悪いこと言わないの。宇宙人だとしてもアケミ本人の皮膚とは限らないでしょう。同じようなのをコピーするみたいに造る技術もあると思う。それを被っているのよ」

「そうか、アケミが死んじゃってるとは限らないものね。その可能性も捨てがたいケド」

「捨てなさいっ」

「うーん、分かった。その可能性を捨てると……じゃあ、どこかで助けを求めてるかも」

「そうよ。本物のアケミを返してもらうの」

「でも、簡単に返してくれるかなあ。体を乗っ取るような悪者宇宙人よ。ハイどうぞっていかないかもー」

「そうか……。だったら、命がけでぶち当たって返してもらおう。当たって砕けろ。どう、命かけられる?」

 体力に自信のあるサトコが、思い込んだら一直線の即断即決即行動。まさに本領を発揮してひそひそ声でそう言うと……、ユリはまた髪の毛をいじり始めた。

「それって絶対、体に悪いけどー」あまり乗り気でないようだ。

 サトコは頭に上ってくる血流を全力で押しとどめながら言った。「アンタ、親友でしょう。アケミのこと心配じゃないの。もう、プリンとアケミ、どっちが大切なのよ」

 ――アケミでしょ、お願い――と、一般人のサトコは祈ったが……相手は、ユリだ。

「うーん。プリンは命の次に大切だから……」

 サトコは噴火直前だが土俵際で踏みとどまって、ここぞと起死回生の一撃を見舞う。「命より大切なものだってある。ワタシにとって親友のアケミは命より大切なの。アンタはどうなのよ」

「一番大切なのは命。次がプリン」一般人なら感動を禁じ得ないであろう言葉を即座に否定されて、サトコは押さえていた血流たちが勢いよく脳内に押し寄せるのを感じた。しかし、それを土俵際で押し返す言葉をユリは続いて言ってのけたのだ。「でも、今分かった。アケミの大切さはプリンの次。親友がどれくらい大切かなんて考えたことなかったケド、今考えたらそれくらい大切って結論出た。命より大切まではいかないケド……とりあえずー、宇宙人からアケミを救おう」

ユリの脳味噌がサトコ監督のリクエスト申請により、今「自分にとってアケミがどれくらい大切か」のビデオ判定を厳密に行ったようだ。その結果、初めて二人の思いがひとつに(とりあえずー、だが)なった。

 サトコはまなじりを決し、階段越しにアケミの部屋を見上げた。

「行くわよ、ユリ。ちゃんと付いて来るのよ、決死の覚悟で」

「分かった……でもサトコ、プリン、ホントに買ってよねー」

「あのなあ……ハア」そう言ってまたため息をついた時サトコの頭に、べそをかいていたユリがすぐ立ち直った光景が蘇った。サトコの脳内電球がピカッと光る――スイッチ発見!

「分かった、ユリ。食べきれないほど買ってやる。だから、黙ってワタシについて来い」

 ユリの目がキラキラッと光り、表情が完全無欠のマジモードになる。

「ラジャー、喜んで。ガンガン行くんだから。ヨーシ……あ、でもサトコ、手ぶらでいいの?」

 ということで――                       

 サトコは、少しだけ開いたドアを強引にこじ開けると、いきなり包丁を振り上げた(ちなみに、ユリは手ぶらだ。サトコの判断でそうしたが、的確であると思われる)。

「白状しなさい宇宙人!アケミをどこへやったの」そう言って、凄い形相で、アケミにつかみかかる。

 アケミはとっさのことで言葉が出ず、とにかく包丁を持つサトコの右手をつかんで抵抗を試みたが、バンザイをしたような格好のまま倒されて、体格で勝るサトコに組み伏せられそうになる。

「きゃあ!助けてーっ」

 そこで初めて、アケミは必死の思いで叫び声が出た。サトコとユリは久しぶりにアケミのちゃんとした声を聞いたが――それは良く聞くとほんの少し、いつもの彼女の声とは違っていた。歯並びが変わって、顎の形も少し変わったから、声にも微妙に影響するようだ。

 部屋の入り口でユリが叫んだ。

「アケミの声じゃない!アタシ、絶対音感があるから分かるモン」

「ええっ!ゼッタイオンカン」

 同時にそう叫んだのはサトコとアケミ――アケミを床に押しつけたサトコはユリの方を振り向いて見て、アケミは仰向けに押しつけられた格好でユリを見上げながら、二人同時にシンクロして叫んだ。そして、そのあと顔を見合わせる――目が合うと、サトコは張り詰めていた糸がプツンと切れてしまって、思わず包丁を落としてアケミの横でへたり込んだ。

 アケミは「ほっ」と息をついた後、上半身を起こすと気丈にも、ユリに向かって(けわ)しい声でまくし立てた。

「何言ってんのよ、ユリ。あなた音楽全然ダメじゃない。音楽の筆記試験で、わたしの横に座ってカンニングするならまだしも、終わりのチャイムが鳴った瞬間にわたしの答案をひったくって(すご)い早業で両方の名前を書き換えたでしょう。だから音楽の成績、あなたが『秀』で、わたしは『可』だったんだもの」

「筆記試験って『絶対音感』とは関係ないし。それに、一応単位はもらえたからいいじゃ……」思わぬ反撃に()ってユリが、ぼそぼそとそこまで言ったとき、

「アケミーっ!」サトコが、涙をポロポロ流しながらアケミに思い切り抱きついて叫んだ。もちろん、包丁は手に持っていない。「ユリ、本物よ。本物のアケミ。宇宙人じゃこんなこと知らないわ」

「でも、記憶をコピーした可能性も捨て……」

「捨てなさいっ!絶対本物。命とプリンにかけて」

「分かった……アケミーっ!」ユリも駆け寄ってアケミに抱きついた。

 アケミは――包丁を突きつけられるわ、宇宙人とか言われるわ、涙ポロポロで抱きつかれるわ……訳が分からなかったけれど、びっくりしたのと何故か感激したのとが相まって、親友たちと抱き合いながら胸のつかえがスウッと取れていくのが分かった。

 そうして三人は、涙ながらにしばらく抱き合っていた――

                   

「それを言ってしまうと、サトコとユリにも迷惑がかかるし、第一、信じてもらえるかどうか……」

 ひとしきり抱き合って泣き合った後、サトコとユリに歯のことを聞かれて、アケミは初め、ためらう様子を見せた。

 でも、そんな風に言われると、誰でも余計聞きたくなるものだ。

「何言ってるの、親友でしょう。言いなさいよ」と、サトコ。

「そうそう、秘密を抱えてると体に悪いし」こちらはもちろん、ユリ。

「それにユリの宇宙人説、信じちゃったくらいだから、大抵のこと大丈夫よ」

「イイ線いってると思ったんだケド……今度こそ、アタシの灰色の脳細胞でぜーんぶ解決してあげるから、何でも言って」

 二人に背中を押されてアケミは決心した。本当は言いたくてたまらなかったのだ。そうして「バカねえ」「仕方ないわよ」などと軽いリアクションをしてもらったら気が晴れる。

 アケミは、あの日の夜のことを、ゆっくりと小声で話し始めた――

 

 三人がいるアケミの部屋は家の南西側になっていて、きちんと閉められたカーテンを透かして傾きかけた日の輪郭が分かるが、照明の点いていない部屋はやや薄暗い。しかし、照明のことなど気にならないくらい、サトコとユリはアケミの話しに聞き入っていた。

「へえーっ、悪魔って本当にいるんだ」と、サトコが疑うことなくそう言うと、アケミは心配そうに、「でも、ゴメンね。わたしのせいでサトコとユリも連れて行かれたら」そう言ったが、ユリは脳天気に「その人絶対に宇宙人だよねー」と、何でも宇宙人のせいにして、あまり身の危険を感じていないようだ。

 サトコも、励ますようにアケミの肩をポンと叩いて言った。「大丈夫よ、アケミ。悪魔もアンタをずっと見張ってるわけじゃないから、聞いちゃいないわよ」

 ところが、その言葉が終わった瞬間!

「聞いたぞーっ」不気味な声がした。

 そして青白い光と共に、あの悪魔紳士が目の前に出現したのだ。

「キャッ!」アケミとサトコは慌てて逃げようとしたが、目に見えない壁のようなものに(はば)まれてしまった。

「おっと、逃げられないよ。私は現れるときに必ず、君たちが住む世界の言葉で『結界』を張る。この中に閉じ込められた者は決して逃げられない。あとは契約通り、結界ごと私の世界に連れて行くだけさ」

 紳士の口は耳元まで完全に裂け、尖った歯がキラリと光った。もう、不気味なその表情を隠そうともしない。もちろん、口調もセールストークのそれではない。

「聞いてたんだおじさん。悪魔的なストーカー宇宙人ね……へえーっ、これが『結界』かあ」抱き合ってへたり込んだアケミとサトコとは対照的に、ユリは目に見えない壁をさすりながら感心している。

 紳士は、その意外なリアクションに戸惑いを見せた。

「お嬢ちゃんは、怖くないのかい」

「連れて行かれるのはイヤだし怖いけどー、好奇心が刺激されるのよね」そう言うと、スマホを取り出して、

 パシャッ!

 いきなり紳士を撮影した――さすが、宇宙人ユリ。

 紳士は撮影時のフラッシュに一瞬たじろぐ。

「あ、写ってる。おじさん、写るんだ」ユリは、アケミとサトコにスマホ画面を見せる。二人はあっけにとられて様子を見ていたが、ユリの差し出すスマホを恐る恐るのぞき込む。

「ホントだ」

「きれいに写ってる」

「どう、超高精細画質よ。スゴイでしょ」ユリはエヘンと胸を張り、さらにスマホを操作する。

「ちょっと、お嬢ちゃんたち。自分の状況、分かっているよね」

 紳士にそう言われてアケミとサトコはまた、震えながら抱き合ったが、ユリは平然と紳士にスマホの画面を見せる――写真はすでに加工されて大きいハートマークの枠が付けられ、なんと、メッセージまで書き込まれていた。

 『コノおじさん、アケミの歯を一瞬で治したんだって。スゴーい!でも、今からワタシたち、おじさんにさらわれちゃうの。キャーッ!』

 ユリの、目にもとまらぬ早業だった。さすが、リケジョの宇宙人。自慢げにサトコとアケミにもそれを見せる――二人とも思わず吹き出してしまうくらい、よくできていた。

 紳士は意表を突かれて、戸惑いの表情を見せ、それを見てサトコは素直にこんな期待もしてしまう――ユリって、いざとなると度胸があるんだ。何か天才的な発想で救い出してくれるかも。

 しかし、悪魔紳士はすぐに気を取り直して、最後通告をした。

「この家は変な子ばかりだ。歯を治したり、写真を撮られたり、訳が分からん。もう、連れて行くぞ。覚悟……」

「きゃーっ」そう悲鳴を上げたのは……、サトコだけだった。

「待ちなさいっ!」なんと、アケミがそう言って鋭い目つきで悪魔紳士を見据えたのだ。

 手にはユリのスマホがあった。一体アケミに何が起こったのかと、サトコは目をパチクリさせながら成り行きを見守る。

 アケミはクールビューティー。キリッと鋭い眼差しで紳士を睨みつける――この男こそ、わたしを数日間絶望の淵に突き落とした張本人。このままでは気が収まらない。せめてあそこで「本当にその願いでいいか」と聞いてもっと時間をくれていたら、人生が変わっていたのに。

 もとはと言えば自分が()いた種で完全に逆恨みだが、ユリのスマホ画面を見てあることがひらめいたのだ。まるで、浮気して逃げた元カレにばったり出会ったような感情の高ぶりが、アケミに訪れていた。

 ――仕返しよ。

 悪魔紳士はその視線に気圧されるように、後ずさった。

「あのね、悪魔さん。コレ、今ネットやSNSに投稿したら面白いと思わない」そう言って、アケミは紳士にスマホを突きつけた。

 サトコはぽかんと口を開けてアケミを見ている。ユリはあっけらかんと「うん、絶対たくさん『いいね』もらえるよ。早く投稿しよ」

 さらにアケミは、ここぞとばかりに紳士に詰め寄る。

「知った者は皆、連れて行くんでしょう。わたしたちがいなくなれば、絶対ニュースやワイドショーで取り上げられるわよね。拡散されたこのメッセージと一緒に……何百万人、もしかすると何千万人がこれを見るのよ。もちろん、見た人がそれを信じるかどうか分からない。でも悪魔さん。『契約を知った全員を連れて行く』そう言ったわよね。『契約を信じた』とは言っていない。そして、もし嘘をついたらあなたは舌を引っこ抜かれるんでしょう。大丈夫?その人たち全員を連れて行けるの?」

 紳士は、ビクッとなって部屋の壁まで後ずさったが、利発なアケミは、気を回して即座に警告する。

「ダメよ、変な気を起こしちゃ。歯ぎしりとか、そんなそぶりをしたらアウト。ユリのスマホは簡単にすぐアップできるんだから」

 サトコは開いた口が塞がらず、そしてあのユリさえもが「アケミ……スゴい」ポカンと口を開けて感心している。今やサトコとユリの心は完全にひとつの思いで繋がった。それは――スイッチが入ったアケミは、絶対敵に回したくない。

 サトコとユリの話題にも上がった三日前。ユリが買い替えたばかりのスマホをいじって、そこにに搭載されている色々な機能を試しながら三人で盛り上がっていたとき。利発なアケミは、投稿するユリの操作を見て覚えていたのだった。

 しかしここで、リケジョのユリは「天然」を出して、気にかかったことをつい漏らしてしまう。

「でも結界の中ってどうかなあー。アンテナが立ってても通信用電波が通るとは限ら……ムグッ」

 ユリの口をサトコが慌ててふさいだ。そして小声で、「しっ、ダメよ聞かれちゃうでしょ」

 ところが、「うーん。この結界は電波を通す。すぐ君たちを転送する予定だったからな」まさに地獄耳(?)の紳士は、ユリの言葉がはっきり聞こえたようで、その上で意外にも、あっさり認めてしまった。

 アケミは、拍子抜けしたように言った。

「悪魔って、正直なのね。ウソでも、通さないって言えばいいのに」

「知っているだろう。我々は嘘が下手だ。しかも王との約束で嘘はつけないのだ。もし嘘をつけたとしても、試しに送信スイッチを押されてしまうと大変だ。いやいや、通信電波を遮断する大がかりな結界もあるが、全ての結界にその機能を持たせるとペイしない。設備投資にかけられる予算には限りがある」

 悪魔紳士は、あちら側の世界にもいろいろとややこしい事情があることを、正直に打ち明けた。

「悪魔さん、だいたいこのシステム自体、根本的に間違っているんじゃない」完全に上から目線でそう言ったアケミは、まるでワイドショーのコメンテーターのよう。「顧客のニーズや時流に合わせたシステムにしなくちゃ、現代社会では生き残れないわよ。特に悪魔さんのようなサービス業は」

 サービス業の職員にされた悪魔紳士は、腕組みをして素直に考え込んだ。そして、これまた正直にこう言った――実は、こう見えて性格が良い切れ者なのかも。

「うむ、そうかも知れない。しかし、王様が何というか」

「そんなこと言ってたら、もう、本当に送信しちゃうんだから」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。それだけは……」

 そこで、今度は姉御肌のサトコがおもむろに前に出て、「じゃあ、取引しましょう」と、交渉を持ちかけた。「ワタシたちに危害を加えないと約束するのよ。そうしたら、このデータを完全削除してあげる。ユリ、よくやった。いいでしょ、それで」

 ユリは「ウン、サトコ」とニコニコ顔で、しかも得意げに頷く。何気なくやった行為だったが、二人のフォローでそれがみんなを救うきっかけになった――ユリはヒーロー気分で純粋に喜んでいるようだ。

 スマホはアケミからサトコの手に渡った。

「いや、そういうことは私の一存では……。一旦、本部に帰って相談を……」紳士は、だんだん自信なさげな小声になる。

 サトコは左手を腰に当て、右手でスマホを突き出して、悪さをした生徒を叱る教師のようにバシッとこう言い切った。

「グダグダ言ってんじゃないの。早く約束しなさいっ!送信しちゃうわよ」

「そうよ。はい、三十秒以内にね」と、アケミもそれに加わって、追い打ちをかける。

 三人がそれぞれの持ち味を生かし、今難局が打開されようとしている――抜群のチームワークだ。

「……分かった。私の負けだ。とんでもない家を選んでしまった。もっと、ちゃんとリサーチしておくべきだった……今回は特例としよう、私の独断だが」悪魔紳士は苦渋の決断をしたが、契約を知られないための条件を出すことも忘れなかった。「しかし、私に関する君たちの記憶を消すことが交換条件だ。そうしないと私も仲間たちも安心してこの仕事を続けられないからね。もちろん、早速会議で報告して、結界の見直しも検討させてもらうが」

「忘れたくないなー」ユリが残念そうにぼそっと言ったが、その横で、

「ダメよ!そんな見直し方じゃ」アケミが激しく突っかかる。「根本から改革する必要があるのよ。記憶を消す力があるんだったら、願い事の種類や大きさを制限してもいいから、一定期間そちらの世界でお仕事に従事したら、記憶を消してこちらの世界に戻すとかしなさいよ。そういう『人道的なビジネス』にしないと時流に取り残されるって事がまだ分からないの。それが本当のギブアンドテイク、つまり、ビジネスの基本。分かる?」

「は、はい。『根本からの改革』については……善処、します」

「本当に分かっているのかしら」

 アケミはまだツンツンしていたが、追い詰められた政治家のようにしどろもどろになった紳士を見かねて、サトコが助け船を出した。

「まあ、いいじゃない、アケミ。それくらいにしておきなって。分かったって言ってくれてるし。これに懲りて悪魔さん(サイド)も、いろいろ考えてくれるわよ。嘘はつかないんだから」そう取りなして、そして音頭をとる。「交渉成立よ。じゃあ、同時にいきましょう。いっせいのーで……」

「あ、ちょっと待って」ユリがサトコを制し、紳士の耳元でごにょごにょと何か言うと……

 紳士は、ため息をつき、「実現可能だよ」と、小さくそう言って力なく(うなず)いた――もう、口が耳元まで裂けることはなかった。

「それでは、お嬢ちゃんたち、もう会うことはない……というか、この先絶対に君たちの前には現れないが、お体を大切に」 「いくわよ。いっせいのーで――」

                   

「アケミ、本当に歯のこと、何も覚えていないの」

 リビングの灯りを点け、サトコが不思議そうに、アケミのきれいな歯を見てそう言うと、アケミも戸惑いを隠せない様子で答えた。

「そうなのよ。こうなる前の夜、歯が痛かったことは覚えているんだけれど……朝、目が覚めたらきれいになってて、それなのにどんどん気分が滅入ってしまって……」

 三人の記憶から悪魔紳士に関することが完全に消えており――アケミの部屋で大立ち回りを演じ、抱き合った後何故かそこで寝込んでしまった――そう思っている。そして今、首を傾げながらリビングに戻ってきたのだった。

 すると今度は、アケミがユリに尋ねた。「それはそうと、ユリ。絶対音感ってわたし初耳なんだけれど」

 その言葉にサトコも「そうそう」と、同調する。「絶対音感を持っててメタル好きって、訳わかんない。普通はクラシックでしょう。アンタどんな精神構造なのよ。ホントに」

 するとユリは、サトコのその言葉でスイッチが入ったようだ。目がキラリと光り、メタルについて熱く語り始めた。

「自慢じゃないケド、アタシには感じる。メタルはね、そう、全身を『耳』にしてくれるのよ。ほかの絶対音感さんのことは知らないケド、アタシには音と声のせめぎ合いがたまらない。抜群の演奏テクと魂の叫び――絡まり合って肌から伝わるから、もう体中が至福……」

 (とう)々(とう)と語るユリを尻目に、サトコが「ねえ、お腹空かない」と、アケミに言うと、

「お腹空いた!」そう応え、ツインテールをなびかせて真っ先に冷蔵庫に向かったのは、スイッチの切り替えが抜群に早いユリだった。「プリン……あったかなあ」

 ユリはそう言いながら冷蔵庫の扉を空ける――と、そこで思いもかけないことが起こった。

「キャーッ!」 中から大量の透明な小容器があふれ出し、床一面に転がり出て、ユリは尻餅をつく。

「ええっ、どうしたの、ユリ」「なにこれ」アケミとサトコは目を丸くして、大量の容器とユリを見つめる。

 ユリは床に仰向けに寝そべって、そのあと、思い切り弾けて起き上がると、「サトコ、スゴーイ!買ってくれてたんだ」サトコに抱きついた。「あたし、夢だったんだ。こうしてプリンに埋もれるの」

 なんとそれは、全部、プリンだったのだ。

 どうやら、最後にユリが悪魔紳士の耳元でごにょごにょ言っていたのはこのことのようだ。どさくさに紛れて、ちゃっかりプリンをおねだりしていたらしい――アケミが聞いたら卒倒しそうな願い事だが……もちろん、ユリにその記憶は残っていない。

「ワタシ、買ってない。そんな暇ないし」サトコが慌てて否定をする。

「わたしもよ」と、アケミ。「でも、これ、食べるの大変よ。賞味期限だってあるし」

「まかせて。アタシ、三食プリンでも大丈夫なヒトだし」

 ユリは幸せオーラ満載でそう言って、スマホでプリンの写真をパシャパシャと撮った後、満足気にそのスマホを胸ポケットに収めると、

おもむろにプリンを頬張り、満面の笑みで「まさに神ーッ」と、何度もうなずきながら叫んだ。「これこそが夢にまで見た、予約一年待ちの『魔法の神プリン』!そうか、宇宙人って、実は神様の化身なんだわ、きっと。アタシたちとってもいいコだからアケミやアタシに神様の宇宙人がプレゼントをくれたのよ」

 実は数日後、テレビのワイドショーでは、新潟県で失踪していた三人の女子大生がひょっこり戻ってきた事件で持ちきりになる――戻った三人は記憶を失っており、また、世界各地で同じように失踪者が記憶を失って戻る出来事が報告され始めたことから、ワイドショーでは、レポーターがパネルに張り付けた青い紙を一枚ずつはがしながら、司会者やコメンテーターたちと『宇宙人の存在』について語り合うのだった――きっとユリは小躍りして見ることだろう。神プリンを頬張りながら。

 それはさておき。

 そんなことなど知る(よし)もない今――ユリはプリンに埋もれ幸せを満喫している。

「何でアケミとユリだけなのよ」と、ふくれっ面をしているサトコを尻目に、ユリは手を胸のところで組んで天井を見上げ、お祈りのポーズをしていたが、

「神様、宇宙人様、ありがとう!」

 そう言って、今度はパンパンと二回柏(かしわ)()を打った。

 アケミにはその音が、誰かのくしゃみのように聞こえた。

 

「どうした。体の調子でも悪いのか」

 くしゃみをした悪魔紳士は、同僚にそう聞かれて大きく首を振った。

「いや、違う。何だか知らないが突然鼻がムズムズしてね」

「ほう、地球で大流行の花粉症とか言う……」

「そんなわけはない。我々は病気と無縁だ。もちろんアレルギー体質にもならない。今回のことで、大きな精神的ダメージを受けたのは確かだが――報告書を役員会に提出したが、どんな処分が下されるか気が気ではないし」

「うむ、上層部がどう判断するか……。スマホとか言う厄介な代物に対抗する手段を本気で考えないといけないかも知れんな」

 すると悪魔紳士はこんなことを言いだした。

「それもそうだが……私はやはり、根本から見直すべきだと思う。あの娘たちとそう約束して本気で考えると恐るべき結論が出た。まさに本格的な改革だ。王様に提案しようと思う」

「システムを、どう変えるのだ」

 同僚の問いかけに、紳士は真剣な表情でこう答えた。

「地球を侵略する方法を考えるべきではないかと私は思う。私は地球人の発想に危機感を持った。この先奴らは科学技術を恐ろしい方向に使い、我々を脅かす――そう思えてならない。王様を始め幹部たちは、契約により我々の収容所に連行した人間達をもてあそび、それで満足をしているようだが」

 実は彼らの正体は、超絶な能力を持つ正真正銘の宇宙人だったのだ。

 その時だ。

「聞いたぞーっ」腹に響くような野太い声がすると、突然ひとりの男が姿を現した。全身黒ずくめのレザーで身を固め、長いひげを蓄えた、身の丈三メートルはあろうかというスキンヘッドの巨人だった。

「こ、これは、王様。このような所に」

 紳士と同僚は思いがけない王の登場に、後ずさりしてひれ伏した。さらに紳士は震えながら「失礼なことを申しました。どうか、舌を引っこ抜くことだけはお許しを」と、命乞いをする。

 すると王は、満面の笑みを紳士に見せて寛容にこう応えたのだった。

「よいよい。侵略など軽々しく口にすべきではないが、『現場』からの生の声はワシにも参考になる。今回の件で娘達が見せた機転・発想は我々にはないものだ。地球人の想像力は非常に興味深い。特筆すべき能力だ。収容所にいる地球人の記憶を調べると楽しいぞ。例えばワイドショー。人間の本性がよく分かる面白番組だ。それにドラマや映画。連中の想像力の凄さには舌を巻く。そしてなんと言っても音楽だ。奴らは自然界にない音を創り出す。これまた面白い。しかも実に心地よい調べ……ヘビメタとか言うらしいが。ほれ、ワシのこの格好も心地よい音楽の影響じゃよ」

 そう言って王はレザーの襟を持って胸を張る。紳士はかしこまって、王にさらに詫びた。

「そのように高尚なお考えとは知らず、無礼を致しました」

「なに、詫びることはない。今回の件はそなたに落ち度はない」その言葉を聞いて、紳士は「ほっ」と胸をなで下ろした。王様はさらに続ける。「地球は美しい星だ。心が洗われる。しかしながら、役員会で決定した。本腰を入れて地球人殲(せん)(めつ)作戦を断行する」

 意外な言葉に紳士と同僚は目を丸くした。王は「侵略など軽々しく口にすべきではない」と言ったのだが……さらに王は話しを続ける。

「それは非常に重大な意味を持つ。正直を理念とするビジネス上の関係でなく、ここからは地球人を欺くことも真剣に考えねばならぬ。従って現場の声を聞こうとワシが赴いたのじゃ。そして先ほどのそなたの言葉――現場にも危機を肌で感じ取る者がおる。お前もなかなか良い目をしておるな、さすが切れ者、将来の幹部候補だ――確かに地球人には特筆すべき想像力と創作力がある。平気で嘘をつけるのも、良い方に考えればそれら特筆すべき力の成せる業と言える」

「その通りかと存じますが、役員会はなぜ地球人を滅ぼすと……」

「うむ。この惑星の歴史を知るにつけ、今のうちに芽を摘まねば、早晩宇宙に災いをもたらすと感じた。我々の持つ超能力は主として他の者の願いを叶えるために使う。それは御創始様からの戒律。その力を行使して他の種族を死滅させるなど、何があろうと許されぬ――もちろんビジネスに用いることは許されるが――だからこそ宇宙の平和は保たれる。ところが地球人は、想像力・創作力のみならず支配欲も並外れておる。従って科学技術を他に類を見ないほどの短期間で目覚ましく発展させ、それを支配拡大のために用いる。そこに戒律はない。宇宙に例のない極めて危険な種族だ。加えて今回、我々の上を行く発想をした。よって、科学技術がさらに発展すれば、我々の身に危険を及ぼす存在となる」

「なるほど、そこまでのお考えがあって……」「(いた)く納得致しました」紳士と同僚は片膝をついて王に対する尊敬の念を表し、さらに紳士は尋ねた「で、どのようにして侵略を」

「そこが難しい。あからさまに侵略を開始すれば、当然人間達は激しく抵抗する。奴らの中には恐るべき知恵を持つ者がおる。思わぬ逆襲を受けかねない。まず、それと知られないように行うのだ」

「で、どのように」紳士の同僚もそう尋ねた。すると、王は自身溢れる態度でこう言った。

「名案がある。このような作戦は、それこそなかなか思いつかぬものだ。ひらめいたときは興奮して眠れなかったのう……その作戦とは『人間になりすます』。彼らの外皮をコピーし、それを被って人間社会に紛れ込み勢力を広げていくのだ。どうだ、素晴らしいだろう」

「はい、素晴らしい」

「私どもにはとても思いつきません」

 紳士も同僚も、お世辞でなく本当に目を丸くしていた。

「うむ、うむ。ただし人間は侮れん。非常に豊かな想像力を持つ。ワシと同様な発想をして怪しむ者が、もしかするとおるやもしれん。奴らにそれと知られぬよう、事を運ばねばならぬ。人間のようにうまく嘘がつけんので見破られる危険はあるが、最新の注意を払い、決して失敗せぬように……」

「それでは、おあつらえ向きの人間達がおります」紳士は汚名返上とばかり、すかさずそう言って王を見上げた。「私達との契約で約束を破り、貴方様の下で働かされている地球人の体を手始めに使いましょう。奴らに化けて地球に降り立つのです。記憶を失って帰った振りをすれば怪しまれずに済むのでは」

「なるほど名案だ。記憶を全て受け継ぐのは至難の業だが、それを失った振りをすれば見抜かれる危険も少ない。嘘をつくのが苦手な我々でも『覚えていない。分からない』の繰り返しで済む。さらに我々の下で働いておる地球人なら、わざわざ危険を冒してさらってくる必要はなく、しかも寸分違わぬ体型の者を我々の中から今すぐチョイスしてはめ込める。素晴らしい、良く思いついた。ワシの案に優るとも劣らぬものだ。お前は見所がある」

 王から褒め称えられ、紳士は「ありがたいお言葉」と、神妙に頭を下げた。もちろんそれはアケミが言った「記憶を消してこちらの世界に戻すとかしなさいよ」からの発想だが。

 紳士をやり込めた仲良し三人娘の機転とその言葉が、思わぬ事だが、彼ら宇宙人の侵略計画を後押しするという猛烈なしっぺ返しにつながってしまった。何倍返しになるのか――恐らく天文学的数字だと思われる。いまや彼らは本物の『地球侵略を企てる宇宙人』。その宇宙人の最高指導者である王は、紳士とその同僚にさらに詳細を打ち明ける。

「体を乗っ取って地球に紛れ込んだなら、頃合いを見計らい、手始めに周りの人間達を操ることとしよう。戒律では記憶を調べたり消したりする事の他にもう一つ、他者への攻撃として主に護身用ではあるが、歯から我々のエキスを相手にほんの少し注入して操り人形にする事が許されている。その自衛権を拡大解釈して用いることは、戒律に反することではない。そんな攻撃が出来るとは、いくら想像力が豊かな地球人でも考えた事すらないであろう」

 王は不気味な笑顔を見せ、紳士達もまた、「もちろん」「想像できるはずがありません」そう言ってニヤリと笑った。

 その時彼らの口元でキラリと光ったのは、彼らの種族に特有の、とても目立つ……、

 尖った歯だった。                         

       

国連本部は悲壮な空気に包まれていた。

「各地で失踪して戻ってきた者達の様子がおかしい。昔の記憶を失っているようだがその事ではない。どうやら夜陰に紛れて周りの者達を洗脳し、操っているようなのだ」

「どのように洗脳するかは不明だ。実は洗脳の実態をつかむために送った潜入調査員達の様子もおかしい。報告が来ないばかりか、不審な行動があるようだし、消息の分からない者もいる」

「潜入調査隊は、各国から選抜された凄腕のエリート集団だが……」

「その彼らさえも洗脳されていると考えるべきなのか」

「いったい、どれくらいの人間が洗脳されているのだ。直ちに手を打たねば大変なことに」

「洗脳者を逮捕しに向かっても、その者がまた洗脳されてしまっては敵の勢力が増すばかり……もう、軍隊の出動しかないのか」

「いや、その軍隊の中枢をなす者が洗脳されると、恐ろしいことになる。凄腕のエリート集団が既に敵の手中にあるなら、その危険性も考えねば……」

「打った手が、自分で自分の首を絞める結果になっている。今後軽はずみな行動は厳禁だ。とにかく警備を強化。各国首脳を初めとする要人と軍司令官、特に『核のボタン』に関与する者の警備が最優先だ」

「彼らが洗脳されれば、地球はとんでもないことになる」

「果たして我々に止められるのか、恐ろしい能力を持つ未知の存在を」

「対抗する手段はないのか」

「地球がこんなにも容易く滅亡の危機を迎えるとは」

「うーむ…………」


「うーむ…………」

「王様、どうなされました」       

「歯が……、痛い」

 その王の手にはプリンがあった。悪魔紳士から差し入れでもらったプリンがやみつきになり、彼は三食プリンの日もあるくらいハマっている。他の宇宙人達にもプリンは大人気で「地球にはこんなおいしいものがあるのか」と、トレンドになっている。

 口を開けた王の見事な尖った犬歯には、不吉な黒いシミがあった。コレは一大事とばかり執事は皆を呼び寄せる。

「どうされました、王様」

「歯が……、痛くてたまらん。いかん、ズキズキしてきた」

 それを聞いて幹部たちは顔を曇らせる。

「うーむ、いけませんな。我々は歯が命。それを傷つけることはまさに命に関わりますからな……かといって、自分に対して超能力は使えず、それは他者の願いを叶えるときのみ発動可能……。そうそう、確か人間の願いを叶えるのに歯を治した者がおりましたが」

「わたくしで御座います」あの悪魔紳士が進み出た。

「そう、おぬしじゃ。早くワシの歯を治せ」

「残念ですが、それは出来ませぬ。願い事を同種族の者に知られてはならない――それが超能力を使う際の掟で御座います。王様と言えど破られますと、王様とそれを知った全員が余生を過酷な収容所で送らねばなりません」

「うむむ……、そうじゃった。お主とふたりきりの時に願うべきだったが、もう遅い。皆に知られてしもうたのう……ワシとしたことが」

「はい。あとで密かにお直し致しましても、皆は王様が願いを叶えたと知ってしまいます。そして、王様とそれを知った者は全員……」

「もう良い。戒律の遵守もまた、先祖代々受け継ぐ超能力行使の基本理念であり、それは異星人に対するビジネスの基本理念でもある。何があろうと変えられぬ」

「さすが、信念を貫くカリスマであらせられる」一同は王を賞賛したが、解決にはならない――すると紳士は、王にこんな情報を伝える。

「王様。地球には歯の治療をする『歯医者』がおります」

「おお、それは良いではないか、で、どんな治療を致すのじゃ」

「何でも、悪魔的なサディストのごとく歯をガリガリ削って……」

「ウオーッ!そんなことをすれば、大事な命のエキスが漏れ出る。無理じゃ、無理……」

 すると、白衣を纏った、皆から長老と呼ばれる宇宙人科学者がおもむろに口を開く。

「王様、どのような生物にも弱点が御座います。ご承知とは存じますが我々の能力の源である歯は反面とてもデリケートで、まさに我々にとって唯一の弱点でもあるのです。今まで我々は、歯を攻撃対象にするという恐ろしい想像力を持つ者に出会うことはありませんでした。ところが、私が今しがたプリンなる食物を分析しましたところ、歯を攻撃する超微小生物を大量に確認致しました。我々の侵略に気付いた地球人は、プリンに歯を攻撃する生物を多量混入させたようです」

「おオーッ!何という発想。まんまと地球人の策略に……」

 王様は頭を抱えて天を仰いだ。

「地球人の想像力……恐るべし」皆はそうつぶやいたあとで、「何だか、こっちまで歯が痛くなってきたぞ」「いや、実はワタシもそうだ」

 集団心理か、そこかしこで歯を押さえながら「痛い、痛い」と言う声が出始めた。

「申し訳ありません。私のせいで」紳士は床に頭をこすりつけて謝ったが、王は「よいよい」と手でそれを制し、長老もそんな紳士にこう応えた。

「いや、お前のせいではない。プリンでなくとも、地球人は機会を見て我々が想像できないようなやり方で『歯への攻撃』を仕掛けたであろう」そして、王に向かって「王様にはお気の毒ですが、こうなりますとやはり患部を削って、セラミックか何かを埋め込むしか……」

「ウオーッ!マジか。決死の覚悟が必要じゃ」

「長老様、つまりプリンなるものを食べた全員にその危険があるという事でしょうか」

 誰かが発した問いに長老は大きく頷き、皆もまた「ウオーッ!マジか」と、頭を抱える――それを見て王は決断した。苦渋の決断だが、リーダーには決断力が要求される。

「うむ。残念だが、地球人を見くびっておった。想像を超えて手に負えない種族じゃ。航路を閉鎖し彼らから身を隠すぞ。誠に危険極まりない。下手に手を出すと、とんでもないしっぺ返しを食らう――皆の者、撤退じゃ。人間の身体を乗っ取った者達も至急呼び戻せ」

「王様、エキスを注入して操り人形にした地球人はいかが致しましょう。もう、相当な数に上っておりますが」

「元に戻してやれ。収容所の地球人も帰す。『立つ宇宙船(ふね)跡を濁さず』じゃ。一同、撤退じゃあ!」

 彼らは今まで虫歯菌に遭遇したことがなかったようだ。それにしても――強靱な宇宙人をも(むしば)む虫歯菌、恐るべし。

 かくして地球は救われた――


「サトコ、アケミ、いっしょにプリン食べよ」

 帰って来るなり、ユリがそんなことを言ったものだから、サトコは、そしてアケミも面食らってユリをまじまじと見た。

「プリン食べよって、アンタ買ってきたの」サトコが尋ねると、

「そう、三個セットのやつ。ちょうど人数分あるからラッキー」

 もちろん、魔法の神プリンはもう全て食べられている。

「だって、それは雑学で……この前ワタシが食べたって怒ったくせに」

「もう、いちいちうるさいわねえ。ハイ、サトコの分」

 そう言ってユリはサトコにプリンを一つ渡す。透明な小さいスプーンも付けて。「ハイ、アケミもね。食べたらちゃんと歯を磨くのよ」

「あ、ありがとう」

 そしてプリンの蓋を開けながら、ユリはこんなことを言った。

「やっぱ、友達っていいよね」

 サトコとアケミはまたもや面食らって顔を見合わせる。

「アタシ、アケミも、そしてもちろんサトコも、だーいすき。そう、プリンよりも好き。ずっと仲良しでいようね」

 悪魔紳士との記憶は消されたが、今回の出来事自体が、ユリの灰色の脳細胞を成長させた可能性がある――そう、あの時彼女たちは心をひとつにし、そしてユリはみんなの役に立ったことを忘れたくないと思った。

「え、サトコ、どうしたの。泣いてるの」

 アケミの言葉に、ユリが「えー、うそー」と、プリンを頬張りながらサトコを、下から覗き込む。

「うるさい。見るな」

 つっけんどんに言いながらも、サトコは目を潤ませ、

 ――神様、ありがとう。

 感激して心の中で手を合わせていた。

 この数ヶ月間ずっと、ユリと心を通わせたいと真っ直ぐに願っていた。それが思いもよらずこんな形で叶ったのだ。

 また、どこかで誰かがくしゃみをしたかも知れない。    

                                                          了



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