第九話 底無しの黒(後編)
今日は底無しの黒が輝きだす日。アデルはメテオール家の森にある大樹、一族の樹の枝の上に立ち月を見上げていた。ここからはメテオール家の森を一望できる。森のほうを見ると妖精や精霊たちが一面に輝いている。紫色、青色、緑色、赤色、オレンジ色、黄色。無数の色が揺らめく。
アデルは下を向き目を瞑り、意識して今までの辛かった事や、現在の心配事を思い出した。
心が重たくなっていき、黒い靄がかかっていくのを感じる。泣きたくなる。悲しくなる。
顔を上げれなくなる。涙が滲む。心が痛くなる
。締め付けられて息が。。
ハッと我に返り月を見上げ、底無しの黒があると言われている晴の海を見つめるアデル。
ゆっくりと流れるように、心を、体を、魂を、アデルの全てを締め付けていた黒い物が吸い取られていくのを感じる。
「やっぱり。なにか、心の靄を吸い取ってくれている感覚がある」
アデルは言い伝えが本当かどうか確かめたくて何度もこのように実験をしていた。
底無しの黒が輝き出したその日のみ、この感覚を覚える。あんなに沈んだ心がたった数分足らずで回復するなんて普通ではありえない。
アデルは言い伝えが本当のことだとほぼ確信した。
「これさえあれば、穢れ指数0も夢じゃないかも」
と、一族の掟12【穢れ指数0になりなさい】の攻略法を一つ見つけたと喜ぶアデル。
「 それは どうだろう。 それに、あれは あまり ぜったい つかわない ほうが いい。 ねむい」
「?!」
アデルは背後からいきなり聞こえた声に驚き振り返った。
「おはよう。そんなにおどろかなくてもいいのに。 まだ ねたりない。 あ、もんしょう でたんだ。おめでとう。 ねむい おやすみ」
「え、うそ……クラ!? いや、驚くよ! もう4年も寝てたでしょう〜! 何でずっと一族の樹の中で寝てたの?心配だったんだよ?!」
パートナー、雪の下の妖精クラとの4年ぶりの再会に涙を滲ませながら喜ぶアデル。
クラがアデルのパートナーになったのはアデルが10歳の時。その一年後にクラは短いメモをアデルの机に残し姿を消したのだった。そのメモには "そとは さむい おやすみ" と書いてあった。
「 だって このきのなか かいてき でたくなくなる そとは さむい」
クラは自分の長い白い髪をいつものように首に巻き付けマフラーのようにしている。
「寒い?! あんなにモフモフにしてたのに?!」
アデルは以前、睡眠を心から愛するクラに専用のベッドをあげたくて、祖父に頼んで作ってもらったのだった。それは木の切り株を魔法で根元から横に切り、切り株の表面を抜き取り祠をつくり、そこへ自然のお布団である多種様々な枯れ葉を入れて作ったベッドだった。このベッドは祖父の魔法がいくつか組み込まれていて、クラが自由にその機能を使うことができるようになっていた。
アデルのベッドの横の小さな机の上に置いていて、夜、寝る前にまどろみながらクラとお話ができるからアデルも気に入っていた。
クラもこのベッドを気に入っていて一日の大半をこのベッドの上で過ごしていたのだ。
「あ でも あでる かみのけのびた? これからは あでる の かみのけ の なかで ねる 」
数年ぶりに使うからか大きな透明な羽を前後にストレッチして慣らして、樹からアデルのブロンドヘアーに移動するクラ。
「え、あれ? 聞いてる?」
「いいかみのけ に なった。 ここちいい。ねむい」
アデルの少しくせっ毛のある髪に上手に絡まり埋もれていくクラ。
「あでるの まりょく よんねの においが つよくなってる なつかしい。 ねむい」
「よんね?」
人の名前だよね?と聞いたことのない名前に戸惑うアデル。
「そう。 よんねの においがする」
「それは誰なの? 」
「むかしの ともだち」
今にも夢の世界に戻りそうなクラ。
「そうなんだ。でも今日はクラが起きて本当に嬉しい。これも底無しの黒のおかげかも」
「あれは よくない。あれはわるいひとのもの。もう ねむい げんかい 」
「また寝るの?! こ、心の温度差を感じるけども、クラが元気そうでなによりだよ。クラはいつもクラなのね」
「くらは いつも くらだよ」
ほぼ意識が寝ているクラがアデルの髪に包まりながら気だるそうに答える。
「え、待って!悪い人の物って? さっきも言ってたよね?」
「あれは わるいひとの もの。あぶないもの ねむい」
「底無しの黒のことを知っているの?」
「すぅ すぅ くー 」
すでに夢の中のクラ。
「まあいいよ、今度教えてね。おやすみクラ。おかえりなさい」
『ワルイヒトとは…失礼な奴よ』
「?」
アデルの立っている枝の5m前の何も無い空間から声が聞こえた。
『やっと見つ…けたぞ。我が…子孫』
何も無い空間に闇がドロドロと出てきて人型を形作った。
それは黒い靄に包まれていて姿が見えない。
「え?」
硬直するアデル。動けない。
『やはり…貴様が…持っていたか』
弱りきった声を発する黒い靄。
「させない」
クラがアデルの髪の中から飛び出し白い光を発しながらいつもとは正反対の強い口調で言った。
クラが発する光がどんどん大きくなっていき…
「ク、クラなの?」
アデルの前には身長160cm位のクラが立っていた。
「うん。すこし まりょく もらった」
大きな羽を広げアデルを守るようにするクラ。
『ふん…ヨンネの…付き妖精か。どけ。低級』
闇がクラに徐々に近づく。
「いまの あなたは よわってる。わたしの ほうが つよい」
『いいから……いいからどけと言っている!貴様に用はない!』
闇がムチのように伸び、クラに襲いかかった。
それが鼻先を掠めよろけたが、手の平に作り出した大きめの雪玉を黒い靄に投げつける。
「これで おわり」
クラは自在に雪の結晶を作り出すことができるのだ。その雪は不浄なものを浄化する力を持つ。
しかし投げつけた雪は闇に飲まれ全く効果がなかったようだった。
「ク、クラ?」
「……にげる」
諦めたクラはアデルを片手で抱き上げメテオール家に向かい飛び出した。さっきの雪玉がクラの使える最大の魔法だったようだ。
しかし黒い靄にすぐに追いつかれ足を掴まれ地面に投げつけられるクラとアデル。
クラの浮遊魔法で衝突は間逃れた。
「クラ、あの人、さっきわたしのことを子孫って」色んなことが起こり混乱しているアデル。
「あれは わるいひと」
『さっさと我が子孫を…差し出せ』
黒い靄から闇が伸びクラを縛り付けた。
「あでる にげて そのひとは わるいひと」
アデルは腰が抜けて立ち上がれないでいた。
『やっと…取り戻せる…我が胃袋…返してもらうぞ』
闇が伸びアデルの腹の中まで貫いた。
「あ、く、嫌…」
腹の中を闇に掻き混ぜられている感覚がアデルを襲った。
暫くして闇が腹から引き抜かれ、その闇には銀色に光る玉が握られていた。
「このままじゃ あれが 」
全力で闇の束縛を解こうともがくクラ。
そこへ
「何をしている!」
アデルの父の声が響いた。
母と祖父もいる。
『我の復活だ』
黒い靄が銀色に輝く玉を自らの腹に押し込んだ。
その途端、黒い靄の中心から銀色の光が発せられ黒い靄を喰い尽くしていった。
そこに残ったのは…
この世のものとは思えない美しさの女が銀色の髪をなびかせて立っていた。
「ああ…数百年ぶりの食事。美味である」
銀色に輝く女は満足げに笑った。