其のニ「何故安藤桜子はウィジャボードを持ち込んだのか」
加納優妃の実家はわりとお金持ちだ。所謂お嬢様というやつで、確かに持ち物とか身なりとかすごく高級な感じはするんだけど肝心の中身がアレなのでお嬢様だと思って接したことはほぼない。本当の気持ちをぶっちゃけると、オカルトより余程たちの悪い“なんだかよくわからない災害”だと思っている。
……思っているんだけど、大学の近くに一人で住むための一軒家を持っているとか言い出すとやはり金持ちだなという感じもしてくるというものだ。実は初耳である。
加納ちゃんに通され、玄関から中へ入っていく。意外と、というのもアレだがきちんと掃除されているようで、一人暮らしでこれを維持しているのだとすれば大したものだ。
「綺麗でしょう。月に一度使用人を呼んで掃除してもらっているんですよ」
大したものではなかった。
「では、蛇神さんは和室に生息してください」
「言い方選ぼう」
「一体どう言えば……」
「ヒント、僕は人間だ」
「ふふ、その話は明日にしましょう。少々難しいようですね」
いや、じゃあもういいよ。僕生息するわ和室に。
しかしそれにしても中も外も一般的な一軒家に見えるんだけど、これが別荘で加納ちゃん専用だというのだから金持ちは恐ろしい。
「そういえば一人暮らしだったんだな加納ちゃん」
「はい、一人の方が落ち着きますし、実家はあれこれと煩わしいので」
まあ、金持ちの家庭で娘がこれじゃあれこれ煩わしく言いたくもなるだろう。
しかしこの家、玄関からそのままリビング、キッチン、そして客間として使われているであろう(呼ぶことあるのか?)和室、後はバスルームやトイレと言った感じだが、加納ちゃんの部屋が見当たらない。一人暮らしなんだから家全体が加納ちゃんの部屋みたいなものと言えばそれまでだけど。
「一応聞くんだけど、加納ちゃんの部屋ってどこなんだよ」
「まあ、夜這いしてえっちなことしようとしてるんですか? 出来ない癖に」
「いや僕も相当凝りてるからするにしてもお前は選ばないな」
「邪神と……?」
「…………ちょっと考えたけど邪神の方がマシかな」
『何言っとんじゃお前……』
ごめん、邪神。
「ちなみに私の部屋は地下にありますよ。入り口は……ふふ、頑張って探してみてください」
「いや、怖いからいいよ……」
なるほどこの家、二階がないと思ったら地下があったのか。まあ言われてみれば、地下室に自室がある方が加納ちゃんらしい。
僕は大学付近のアパートで一人暮らしをしているため、加納ちゃんの家にしばらく泊まること自体はほとんど問題がない。必要な私物はここに来る前に持ち込ませてくれたし、シャワーに布団と惜しみなく貸し出してくれた上に食事までご馳走になった。
「いやあしかし、加納ちゃんから珍しく人の心を感じたなぁ」
「そうでしょうそうでしょう。客人は手厚くもてなすのが加納家のしきたりなんです」
「友達の身体に邪神を降ろすのは?」
「加納家のしきたりですねぇ」
「魔女の家系だ、火あぶりにさせてもらう」
そんな冗談を言いながらも、僕は借りた布団を和室に敷いていく。アパートの狭い一室では考えられないような広いスペースに布団を広げた後、僕は思い切って布団の上で大の字になる。思い切り身体を伸ばして眠れるのは久しぶりだ。こんな広い部屋で眠れるなら、左手が邪神なのも悪くない。
「あっ」
加納ちゃんが僕の左手を見て声を上げたので慌てて目を向けると、鋭い鉤爪が布団を軽く引き裂いていた。
「……ごめん、弁償するわ」
左手が邪神なの、悪い。
「いえいえ、それは仕方のないことですので。この先も独り身の蛇神さんの貯金を使わせるわけにはいきませんよ」
「オーケー、今の発言が布団を裂いた罰ということにしておこう」
僕はちょっと憎々しげに左手を見つめた後、左手だけを敷布団の外に投げ出す。
『硬いじゃろうが』
「爪引っ込めたら考えてやるよ」
『いや無理じゃろ……』
「そっかごめんな。まだ夜は冷えるだろうから凍えてくれ」
邪神は何やら不服そうに文句を垂れていたが、そもそも僕の左手を間借りさせてやってる状態なのでこれ以上我儘を言う権利はない。
今日はもうお互い疲れただろう、ということで、加納ちゃんも日付が変わる前くらいには、恐らく寝室も兼ねているのだろう地下室へ向かい、僕も和室の電気を切った。
普段より少し早い時間なせいなのか、それとも左手に邪神がついているせいなのか、色々あり過ぎて落ち着かないのか、はたまたその全てが原因か……眠りにつくまで少し時間がかかりそうである。
「なあ、起きてるか」
『うむ』
布団の外でちょっと寒そうにしている左手の邪神に声をかけると、思ったよりもすぐに返事があった。
「お前もこの状態困るだろ? 退散する呪文とか、分離する方法とかわからないのか?」
『我も出来ればそうしたいんじゃが、何分全てが不完全でな。記憶さえも曖昧なんじゃよ』
「自分が邪神ってことくらいしかわかんねえの?」
『わかんねえのじゃよ』
わかんねえのかぁ。
となると、ひとまずは加納ちゃんの解読待ちということになる。とりあえず日常生活では、骨折したということにして包帯巻いて三角巾で吊り下げておけばバレないだろう。とにかく鋭い爪が邪魔だが、この辺はうまくやるしかない。シャワーも相当苦労したが、まあほんとに骨折してる状態よりは幾らかマシだ。
「お前の爪、やすりで削って良い? 綺麗に丸くしない?」
『鉤爪女子かよ……』
「ネイルとか興味ある? そんだけ長いとやりがいあるだろ?」
『あるわけないじゃろ……』
そらないわな。
「そういえばお前彼女とかいる?」
『……いやまあ伝承上の? 妻とかはまあおらんでもなかったハズじゃが……』
「うわーマジ? 馴れ初めとか聞きてえな! 初エッチどうだった?」
『今覚えとらんし一発目の質問から踏み込み過ぎじゃろ。ここまで来ると盗塁王じゃろ』
「盗塁王わかるんだ……」
『現代の知識がお前を通してある程度、な』
「じゃあ僕の初エッチ体験バレてるじゃん!」
『そういうプライベートなとこまでは流石にまだわからんしお前多分ないじゃろ』
勿論なかった。
『いや待ってくれんか。何でこんなお泊まり会みたいなテンションなんじゃい』
「いやだって……お泊まり会だし……」
『なんじゃその友達感覚。我邪神ぞ?』
邪神ぞ? とか言われても、加納ちゃんにぶちのめされて一緒に悲鳴上げてた奴だから何の凄みもない。というかここまでの会話があまりにもラフ過ぎたので僕としてはマジでお友達感覚になりつつあった。
「いやまあ確かに邪神は邪神だし、僕も困ってるんだけどさ。どっちかっていうと、友達の方が良いだろ、僕達」
『……』
邪神は何も答えなかったが、気を悪くしたようには感じなかった。
居心地の悪くない静寂が訪れて、リラックスしたのかやっと眠気を感じ始める。このまま目を閉じていればぐっすり眠れそうだ。
布団から投げ出した左手をそっと布団の中に入れてから、僕はまどろみに意識を投げ出すようにして目を閉じた。
加納ハウスで眠ること約八時間。思った以上にぐっすり眠り、僕は九時頃に目を覚ます。どうやら加納ちゃんもまだ起きてきていないのか、家の中に物音はない。この時間ではもう一限目は受けられない。小さく溜息を吐いてから、僕は身体を起こして思い切り身体を伸ばした。
邪神はまだ寝ぼけているのか、挨拶してもまともな返事がない。とりあえずそのままほったらかし、なるべく左手を使わないように立ち上がって加納ちゃんの姿を捜す。
リビングに姿がなかったので、恐らく地下室で眠っているのだろう。あんな事件があった後だし、加納ちゃんだって疲れて眠り込んでいるのかも知れない。
右手だけで何とか顔を洗い、リビングへ戻るとどこからか冷たい空気が流れ込んでいるように感じる。よく調べてみると、キッチンの奥に地下室へ続いているであろう入り口が開けっ放しで放置されていた。
「これ……加納ちゃんの部屋だよな……。何で開けっ放しなんだ……?」
勝手に入れば何をされるかわかったものではないが、こうしてある種の異世界が口を空けていると入ってみたくなるのが人の性。気がつけば僕は、地下への階段を一歩ずつ下り始めていた。
階段はそれ程長くはなかったが、それでも下までいけば相当暗い。通路に電気がないのは加納ちゃんの趣味と考えれば納得出来る。
階段を降りるとすぐにドアに突き当たった。洋風の重苦しい鉄扉を見ると、何だかホラーゲームの世界にでも迷い込んだような気分になる。一番ホラーなのは僕の左手だけど。
果たしてこれを叩いて中まで音が通るのか疑わしかったが、一応マナーとして鉄扉をノックしてみる。ひんやりとした鉄扉が重苦しい音を立てたが、中から返事はない。思い切って開こうとしてみると、軋むような嫌な音を伴いながらすんなりと開いた。
中は薄暗く、少し埃っぽい。壁や天井は木目調のタイルになっており、イメージしていたコンクリートの地下室よりは“部屋っぽさ”がある。
そこら中に本棚があり、怪しげな書物やオカルト雑誌、よくわからない新書や聞いたこともない小説等、加納ちゃんらしい混沌とした書庫になっていた。中でも「図解! べろんちょ族の秘密」は目を引いたが勝手に読んでしまうのもどうだろう。
そのまま本棚達を横目に見ながら進んでいくと、一番奥に大きめのデスクがあるのが見える。そこも本棚に囲まれているのを見て、やっと僕はここが書斎なのだと理解する。
デスクには小柄な加納ちゃんがうずくまっており、すぅすぅと寝息を立てている。
「……あれ?」
この部屋には、ベッドがない。
あるのは本棚とデスク、PCくらいのもので寝るためのスペースがあるようには見えない。加納ちゃんの手元には飲みかけのコーヒーが置かれており、よく見ると加納ちゃんの手は羽ペンを握りしめていた。
あれだけ臭いを嫌がっていた魔導書はノートと一緒に枕になっており、腕の隙間から見えるノートには、魔導書に書かれていたであろう謎の文字と、それを和訳した日本語が記されている。
「加納ちゃん……お前……」
ここは加納ちゃんの寝室なんかじゃない。
加納ちゃんの生活スペースはあくまで一階で、ここは作業のための書斎だ。電気がなくて手元のランプだけが明かりなのは加納ちゃんの趣味なんだろうけど、こんな場所で一晩中、加納ちゃんは魔導書を解読しようとしていたのだろうか。
あの和室は加納ちゃんの寝室で、布団も加納ちゃんのものだったんだ。
それに気づいて僕がやるせない気分に浸っていると、不意に加納ちゃんがうなされるようにして声を上げる。
「……め、なさい……ごめんなさい……蛇神さん……」
「……お前、なぁ……」
加納優妃はめちゃくちゃだ。邪神を自分で呼んだ癖に、僕を邪神の触媒にした癖に、今度はごめんなさいと来た。
元々面白半分で、邪神なんて来ないとタカをくくっていたのかも知れない。遊び半分で生贄扱いして、それで笑って終わりだと、そう思っていたのかも知れない。
だから今回のことは想定外で、本当は罪悪感があったのだろうか。
ずるいな、こいつは。こんなうなされながら謝られたら、許さないだなんて僕には言えない、言いたくない。
デスクの隅に畳まれたタオルケットがあるのを見つけ、僕はそれを広げて加納ちゃんの肩にかけてやる。もう春だけど、こんな地下で何もかけないままだと冷えるだろう。
「……最初から素直にそう言えよ、わかんないだろ、言わなきゃ」
加納ちゃんは眠ったまま、答えない。だけどもう、うなされるような声は消えて、心地よさそうな寝息だけが残っていた。
整った目鼻立ちを濡らす水滴をそっと拭い取ってから、僕は静かに地下室を後にする。
朝食くらい、作ってやるか。
端的に言うと、朝食は思いの外手こずらずに作れた。左手は爪にさえ注意すれば使えないことはなかったし、そもそも爪があまりにも鋭いのでハムやウインナーを包丁なしで切ることが出来る。勿論衛生面に問題があってはいけないので邪神の許可を取って相当綺麗にし、アルコール消毒もさせてもらった。アルコールの時は流石にちょっと嫌がってたけど。ごめんな邪神。
かくして、二人分の朝食が出来上がる。もう授業は昼からでいいやと投げやりになりながら味噌汁まで作っているともう朝食というよりはブランチという感じの時間帯になった。
味噌汁の香りが地下室まで届いたのか(いや、あの鉄扉通過出来るのか?)、加納ちゃんは丁度支度が終わったくらいに起きてくる。
「悪い、台所と食材勝手に使っちゃったよ」
そういえば許可を取ってないよな、と僕が謝ると、加納ちゃんは眠そうな顔のまま首を左右に振り、朝食の並べられた食卓に座る。
しばらく呆気に取られた様子で朝食を眺めた後、加納ちゃんは両手を合わせていただきます、と呟いた後すぐに味噌汁に手をつけた。
「ごめんな、簡単なので。実家ならもっと良いもん食べてるだろうし、普段ももっと――」
「おいしい、です」
「……そっか」
満足そうに食べる加納ちゃんを見て、安心した僕も向かい合って遅過ぎる朝食を取った。
不便な左手のままだったが、とりあえず昼からの授業は普通にこなし、五限までのスケジュールを終えてから僕と加納ちゃんは部室に集まってこたつに入っていた。
『結構いけるかと思ったんじゃがわりと息苦しいのぅこれ』
数時間ぶりに包帯から解放され、邪神はやれやれと言った感じで指を伸ばす。
「悪いな。左手がヤバくても生きていける社会が出来るまで我慢してくれ」
『来んじゃろ……』
当分無理だろうな……。
「一刻も早く退散の呪文なんなり、対処法を魔導書から見つけたいのですが、もう少しかかりそうですね……」
「気長に行こうぜ、手伝えることがあれば僕も手伝うから」
「コーラ買ってきてもらっていいですか?」
「秒でパシられた……」
うんまあいいよコーラくらい……。
そう思って左手に包帯を巻き直そうとしていると、部室のドアが勢い良く開かれる。
「話は聞いたわ加納優妃! 魔導書を見つけたらしいわね! 見せなさい!」
長い黒髪をドアの風圧で舞わせながら入って来たのは、オカ研のもう一人の部員、安藤桜子だった。
ごめん安藤忘れてたわ。
「まあ、安藤さんじゃありませんか」
「ええ、安藤さんでありますわ! さあ魔導書を見せなさい、粉砕するわ! そして私の持ってきたすごいものを見て驚愕に表情を歪めなさい!」
あの、唯一の手がかりなんで粉砕はちょっと……。
加納ちゃんが鞄から魔導書を取り出すと、安藤は足早にこちらへと歩み寄って来る。そしてチラリと僕の左手を見て、その場で硬直した。
『オッス、我邪神』
邪神の挨拶、あまりに気さく。
安藤は気さくな挨拶に言葉を返さず、表情を凍らせたまま動画の巻き戻しのように後ろ歩きでドアの方まで戻っていくと、すぐにドアを閉めてしまう。
「いやいやいやいやいやいや……嘘でしょ……」
そんな小声がドアの方から少しだけ漏れた後、数秒間を空けてからドアが再び開かれた。
「どうやら今回も私の負けのようね! でも次は覚悟しておきなさい! 後蛇神君はただちに病院へ行きなさい! アディオス!」
声も身体もめちゃめちゃ震えてて大変気の毒だった。
このまま帰ってもらった方が、邪神やら何やらに巻き込まないですむかと思ったが、加納ちゃんは慌てて安藤を引き止める。
「待ってください! これには深い事情があるんです!」
「そうね! 私もそんな気がしたわ! アディオス!」
「まあそう言わずにこっちに来て話を聞いてください安藤さん!」
『そうじゃそうじゃ』
邪神のそういうとこ僕好きだけどあまりにラフ過ぎないか。
「ほら邪神もそう言っていますから!」
「アディオス! アディオス! アディオス! アディオス!」
壊れかけの安藤、誰か何とかしてやってくれ。
大体十分程かけて、僕の左手が邪神になった経緯を話すと、安藤はすぐに加納へ襲いかかった。
「落ちるところまで落ちたわね魔女、加納優妃……! 蛇神君を元に戻しなさい!」
「ふふふ……魔女を簡単に従わせられると思ったら大間違いですよ安藤さん。蛇神さんは私の眷属となったのです」
『いや我のね』
「僕は誰のものでもねえ」
でも僕は知ってるぜ加納ちゃん……お前が一生懸命、僕を元に戻そうとしてんのをさ……。
「とりあえず取っ組み合いはやめろよ、それもうやったし」
「え、やったの?」
加納ちゃんにマウントを取られながら、安藤は素っ頓狂な声を上げる。
「やったやった。僕はあまりの怒りで加納ちゃんを追いかけ回したし、加納ちゃんは加納ちゃんで僕に何発もぶち込んだ。そういやその辺さっき省略して話しちゃったな」
「……えぇ……」
露骨に困惑してるな。僕も話してみると思ったよりうわって思ったよ。
「とりあえず当面はどうにもならないし、このまま生活するよ」
「そう……。何か困ったことがあったら言いなさいよね! 家に帰りにくかったら私の家に来ても良いわよ!」
「いやごめん、今加納ちゃんとこにお世話になってるから」
「えぇ……」
露骨に残念そうな顔してるな。
「……私もお泊まり会したい……」
「あ、うん、ごめんな? ハブったわけじゃないんだよ、なぁ加納ちゃん」
「意図的にハブりましたよ」
「加納ちゃん!?」
普段妙に強気な安藤も意図的にハブられたとか言われるとショックらしく、言い返しもしないでその場に体育座りになってしまった。
ひとまず凹んだ安藤を慰め、加納ちゃんも別に安藤をハブろうとしていたわけではないと弁明することで何とか復帰してもらうことに成功した。とりあえず今晩は安藤も泊まる話になったけど、これ結構僕すごい状況じゃないだろうか。二十代女子二名と邪神とひとつ屋根の下である。
「そういえば安藤、さっきすごいものがどうとか言ってなかったか?」
とりあえず安藤も今晩泊まる、という話がまとまった後、ふと思い出して安藤に声をかける。そういや部室に入るなり大声ですごいものがどうとか言ってたっけな。
「……そう! そうよ! 持ってきたわ!」
今思い出した、とでも言わんばかりの顔で、安藤は持っていたバッグから丁度まな板くらいのサイズの箱を取り出す。箱はいかにも古いもの、と言った感じで加納ちゃんの魔導書と大差がない。
「これよ!」
「おお……」
「どうかしら!?」
「いや、まず中身出してもらって良い?」
「わかったわ!」
良い返事だ。
安藤はちょっとそわそわした様子で箱を開封し、中から一枚のボードを取り出し、机の上に勢い良く置く。置かれたボードにはAからZまでのアルファベットと数字がかすれた文字で書かれており、その上にはYESとNOが書かれている。
「ウィジャボード……」
呟いたのは、安藤ではなく加納ちゃんだ。興味深かったのか、加納ちゃんは食い入るようにそのウィジャボードと呼ばれたボードを見つめていた。
「ふふ、流石の加納さんも釘付けね! 昨日バイトの前に骨董品店で偶然見つけたのよ!」
お前ら骨董品店で偶然見つけ過ぎじゃないかな。
『ほう……』
「邪神?」
不意に、今まで黙っていた邪神が短く言葉を漏らす。しかしそれ以上は何も言わない。問いただそうと思ったが、遮るように安藤が大きく口を開く。
「勿論ウィジャボードのことは皆知ってるわね!」
「要は海外版こっくりさんみたいなモンだろ?」
「……そうだったのね」
「安藤は何だと思ってたんだよ……」
「こう、魔術的な……その、占いをする感じの……」
「極めて惜しい」
安藤はオカルト好きなのは好きなんだけど、そこまで詳しくないというか……言ってしまえば知識が浅めなのだ。加納ちゃんがどっぷりで、僕がちょっとライトなくらい。そして邪神はオカルトそのものである。
「……箱の中身はそのボードだけでしたか?」
「……? ええ、これだけよ。なんか欠品があるとかなんとかで安くしてもらったんだけど」
言いつつ、安藤はもう何もないことを示すように箱をひっくり返して見せる。
「ああ、そういえばアレがないな……あの、こっくりさんでいう十円玉にあたるやつ」
「プランシェット、と言うそうですよ。困りましたね、アレがなければ遊べません」
「あ、やるんだ……」
昨日えらい目に遭ったばかりでよくそういうの手ェ出すよこいつ。
「要は十円玉があればいいのね!」
「それならこっくりさんやれば良いだろ。ていうかやめようぜ、なんか危なそうだし」
同じ骨董品店で買った加納ちゃんの魔導書がガチだった以上、このウィジャボードも警戒して然るべきだろう。と、思っているのはどうやら僕だけみたいで加納ちゃんは結構乗り気な顔である。本当は反省してないんじゃないかコイツ。
「では、私に良い考えがありますよ」
「もうちょい僕の忠告とか聞いてもらっても良いかな?」
「流石ね! 聞かせなさいよ!」
聞いてくれよ……。
「ふふ、ちょっと待ってくださいね」
含み笑いしながら、加納ちゃんがバッグの中から取り出したのは四角く切り取られた小さな写真だった。写っているのはなんだか面白くなさそうな顔をしたスーツの青年で、一応姿勢は正している辺り証明写真なのだろう。
ていうか僕の証明写真だった。
「…………何であんの」
「ほら、こないだ蛇神さん、証明写真取る時丁度お会いしたじゃないですか」
そういえば数ヶ月前、選択授業で就活に関する講義で出た課題で仮の履歴書を作成する、というものがあった。丁度加納ちゃんも同じ授業を選択しており、そのための証明写真を撮る時にたまたま同じ場所で出くわしたのだ。そしてその時最初に撮った僕の証明写真の顔があまりにもだらしなかったので、捨てて撮り直して課題を提出したのである。
そう、その捨てた写真こそ、今加納ちゃんが持っている僕の証明写真なのだ。
「……蛇神君、ものすごくしょうもない顔して証明写真撮ったのね」
やかましいわ。
「大体、それのどこが良い案なんだよ! 今すぐ捨てるか僕に返せ! この左手で切り刻んでやる!」
『くッ……くくッ……なんじゃあのセミの死骸みたいな顔……!』
僕の顔、夏の終わり。
「良いですか、これをこうするんですよ」
そう言って、加納ちゃんは僕の顔写真をウィジャボードの上に乗せる。そしてその上に自分の指をそっと乗せた。それを見て何かに気づいた安藤も、セミの死骸みたいな僕の顔の上に指を乗せる。
「あーそういうことね。全然理解出来ないわお前ら」
「ほら早く乗せてください、置いていきますよ」
「いや思う存分置いてってくれよ。何が悲しくてセミの死骸みたいな自分の顔でウィジャボードやらないといけないんだ!」
『何でちょっと気に入っとるんじゃ……』
いやセンスある気がして……。
そのままなんやかんやと結局僕もウィジャボードに付き合わされることになり、嫌々ながらも指を乗せた。正直な話をすると女子の指が二本も傍にあるので満更でもない。そっちに意識を向けると結構テンションが上がってきた。加納ちゃんも安藤も指が柔らかい。
「じゃあ行くわよ! 蛇神君蛇神君、どうかおいでください」
「蛇神さん蛇神さん、どうかおいでください」
「待ってほしい」
呪文のように僕の名前を繰り返す二人を左手で制止すると、安藤がびくんと肩をびくつかせた。
「……迂闊にそっちの手使わないでもらえるかしら」
「それはごめん。でも待ってほしい、何で僕を呼ぶんだ」
「それは……だってプランシェットの代わりに蛇神君を使ってるんだから」
「そもそも僕の死骸をプランシェットの代わりにするところから間違っている。それをわかってくれ安藤」
『いやお前の死骸ではないじゃろ……さっきは悪かったよ……』
安藤は一応話を聞いてくれるが加納ちゃんはもう全然聞いていない。ひたすら僕を呼び出そうとおいでくださいしているが、僕はここにいる。気づいてくれ、加納ちゃん。僕はここにいるんだ。
ていうかそれはそもそもこっくりさん方式でありウィジャボードの遊び方ではない。
「……あ」
不意に、加納ちゃんが短く声を漏らす。それと同時に、僕の証明写真がYESに向かってボード上を滑っていく。
「……来た感、ありますね」
「嘘だろ……僕の写真だぜ、それ」
ウィジャボードは二百年程前、死後の霊魂と交流するために用いられたボードだ。狐狗狸さんとの大きな違いは、動物霊ではなく人間の霊との会話が目的であることだ。正直加納ちゃんの冗談や、僕らの内誰かの無意識的な動きであって欲しい。
「ふ、ふふ……ふふふ、私を怖がらせようったって無駄よ! 蛇神君の顔じゃ全然怖くな――ひっ」
僕の意志とは無関係に、証明写真がボードの上を滑っていく。安藤はブルブルと震え、加納ちゃんは証明写真の行く先を、固唾を呑んで見守っている。
僕は、イマイチ釈然としない気分でセミの死骸みたいな顔を見下ろしていた。
「……K」
最初に示した文字はKだ。そしてそのまま証明写真が再び動き出した所で、邪神が突如声を張り上げる。
『――――いかん、やめろ! そいつを帰らせるんじゃ!』
「え……!?」
O、R、O、S、U……。ウィジャボードが指し示した文字は――
「KOROSU――――っ!」
「ローマ字だ! ローマ字表記! めちゃくちゃだせえ! Kill you.じゃねえのかよ!」
これでハッキリした、ただの悪ふざけだ。僕が一人安堵の溜息を吐いていると、不意に加納ちゃんの首が不自然に横へ傾く。
淡い茶色のボブカットが顔の左半分を覆い、その隙間から生気のない瞳孔が僕達を見据える。加納ちゃんは、そのまま微動だにしない。
悪ふざけにしてはやり過ぎだ。加納ちゃんならやりかねないが、邪神がやめろと叫んだことも考えるとこれは冗談ではない可能性がある。
「……加納ちゃん、悪ふざけならマジでその辺にしとけよ」
恐る恐るそう言ってはみたが、加納ちゃんから返事はなかった。
「……僕! あー……蛇神さん……!? おかえりくださ――」
言いかけて、僕はボード上からある文字列が欠落していることに気がついた。
「このボード……『Good bye』がないッ……!」
証明写真が、再びKを指し示す。もう僕も安藤も指を乗せていない、動かしているのは加納ちゃん――否、彼女に取り憑いた“何か”だ。
「『Kill you』……こいつ、言い直した……!?」
『阿呆共が! 手を放すなッ!』
首を傾けたままの加納ちゃんが、幽鬼の如くゆらりと立ち上がる。立ち上がった加納ちゃんの身体は、禍々しいオーラのようなものに包まれていた。目の錯覚かとも思ったが、僕の目にはハッキリと見えている。恐らく本当に、加納ちゃんの身体には何かが取り憑いている!
「ひっ……あ、あぁっ……!」
「安藤、お前は逃げろ!」
「で、でも加納さんが……っ!」
どう見ても今の加納ちゃんには意識がない。何か得体の知れない何かが、加納ちゃんの身体を完全に支配してしまっている。
「……それは……それは、僕が何とかする」
思わず、僕はそんなことを口走っていた。
自分でも、何の考えがあってそう言ったのかはわからない。でもだからって今の加納ちゃんを放っておくわけにはいかない。そんなことは、僕には出来ない。
加納優妃はめちゃくちゃだ。自分で僕に邪神を降ろしたかと思えば、今度は必死になって元に戻す方法を探してる。
――――……め、なさい……ごめんなさい……蛇神さん……。
やっぱり加納ちゃんはずるい。僕は出来れば殴りたいくらいだったのに、あんなの聞いちゃったらとても出来ない。
自然と、力が入ったのは左手だった。
今何か出来るとしたら……僕だけだ。否――僕の左手の、邪神デル・ゲルドラだけだ。
「おい、邪神」
『なんじゃい』
「力、貸してくれよ」
加納ちゃんの纏うオーラが膨れ上がる。それに呼応するかのように電球がちかちかと点滅を繰り返し、風もないのに窓がガタガタと揺れ始める。
安藤は逃げ出すかどうか迷っているようにも見えたが、床に這いつくばったままそれ以上腰を上げない。もしかすると、恐怖と驚愕で腰が抜けてしまったのかも知れなかった。
『そうじゃのぅ』
邪神の言葉に応えるかのように、窓ガラスが音を立てて砕け散る。そして僕の左手は、僕の意志とは関係なく加納ちゃんへ向けられた。
『ええぞ、“友達”にならな』
「……お前……」
今邪神が“友達”と言ったのを、僕は確かに聞き逃さなかった。
そうだ、それが良い。その方が良い。どうせ僕とコイツはしばらく一心同体なんだ。だったら、敵同士よりも友達同士の方がずっと良い。もしかしたらコイツも、同じように考えてくれたのかも知れない。
「ありがとな、デル」
『……おう。』
少し照れくさそうな声が、左手から聞こえてくる。しかしあまり感じ入っている時間はない。邪神――デルの力を貸してもらえるとしても、かつて加納ちゃんにやられた通り僕自身を狙われるとひとたまりもない。それに、僕としてはなるべく加納ちゃんを傷つけずに助け出す方法を考えなければならないのだ。デルがいるからって、決して容易い話ではないだろう。
ふらふらと、加納ちゃんは僕に近づいてくるとその両手を僕の首へと伸ばしてくる。僕が身をかわすと、今度は必死になって僕を捕らえようと暴れ始めた。
「デル! そもそもアレなんなんだよ!」
『負の霊魂の集合体みたいなモンじゃ。お前らの使ったウィジャボードにはそういう思念が微かに残っておった』
「それを目覚めさせちまったってのかよ!」
『うむ、我の瘴気でな』
「……ん?」
掴みかかってきた加納ちゃんを振り払い、一度突き飛ばすと僕は数歩下がって左手を振り上げる。
「なんだって?」
『いや、じゃからその……我の、瘴気で……な? 蘇ったっぽい』
「お前のせいじゃねえかッ!」
左の手の甲を思いっきり壁に叩きつけてやった。
『おわああああ何すんじゃお前ェェェェ!』
「何してくれてんだお前ェェェェェェェ!」
『不可抗力じゃろ不可抗力! というかあんなセミの死骸みたいなモン使って目覚めるとは思わんかったんじゃよ!』
「さてはお前『ほう……』とか抜かしてた時に気づいてたんだろ! そういうのは予め言うんだよ! ほうれんそう知ってる!?」
『ポパイがマッチョになるやつじゃろうが!』
「ちゃんと僕の知識読み取ればーかばーか! 報告連絡相談でほうれんそうだよこの腐れ邪神!」
『はーーー腐っとらんし! 我腐っとらんしー!』
こンのアホ邪神が……!
しかしいつまでもそんなやり取りをしている場合ではない。再び立ち上がった加納ちゃんが、もう一度僕に掴みかかってきている。なるべく加納ちゃんの腕を傷つけないようにその両腕を掴み、互いに組み合う形になった。
「とにかく、加納ちゃんからその霊魂を引っ張り出す方法はなんかないのか!?」
『ボディを狙え!』
弱点僕らと一緒じゃん。
『何でもええから一発ぶち込め! 霊魂が驚いて飛び出した所を我が引っ張り出してやるわい!』
「出来るわけないだろ! 加納ちゃんとは言え、相手は女の子なんだぜ!」
それになるべく僕は加納ちゃんを傷つけずに助けたい。女の子だろうがそうでなかろうが、傷つけなくてすむ方法があればそれ以上のことはない。
『腹パンくらいええじゃろがい! 大体そいつ、お前の腹にバカスカぶち込んだサイコパスじゃぞ! もうええじゃろ一発くらい!』
「…………」
僕は……なるべく、加納ちゃんを傷つけずに……。
『な?』
……僕は……出来れば……傷つけずに……。
『昨日、痛かったじゃろ。我ならわかる、お前も痛かったじゃろ』
痛かった……。
『一発くらいええんじゃないか? 緊急事態じゃろ? な? 他に方法も今ンとこないわけじゃし』
他に方法がないなら……まあ……。
『……な?』
「……確かに」
まず言い訳しておきたいんだけど、今は緊急時である。加えて、僕はもう既に加納ちゃんに何発もぶち込まれている。確かに加納ちゃんは華奢で可憐な女の子だし、男の僕が手を上げるのは正直よろしくない。だけどよく考えて欲しい、今は緊急時だ。
後やっぱ、殴れるなら一発殴っときたかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!」
加納ちゃんの腕を一度弾いてから、すかさず僕は懇親の右ストレートを加納ちゃんの腹部に叩き込む。僕の拳が加納優妃の細くて柔らかいお腹に、食い込んだ。
「おぅえッ」
加納ちゃんが呻き声を上げると同時に、加納ちゃんの口から赤いモヤのようなものが飛び出す。それに僕が反応するよりも早く、デルの左手がそのモヤを――霊魂を掴んで引きずり出した。
ずるりと加納ちゃんの口から引きずり出されたのは、幾重にも重なった人の顔だ。そのどれもが苦しみ、悶え、嘆き、そして怒り狂っている。その長さは大体一メートルくらいだろうか。
デルは引きずり出した霊魂をそのまま床へ縦に叩きつけ、一気に押さえ込む。すると、霊魂はその場で音もなく消滅してしまった。
『ま、こんなモンじゃろ』
満足げにそう呟いてから、デルは左手でサムズアップして見せる。加納ちゃんから霊魂を引きずり出してから一連の流れがあまりにも早くて思わず呆気に取られてしまったが、どうやらこれで終わりらしい。
『加納の奴はもうちょっとすれば目を覚ますじゃろ。後そこでのびとる安藤とかいうのも』
デルにそう言われて安藤の方を振り返ると、どのタイミングでそうなったのかわからないが完全に気絶してしまっていた。出来れば加納ちゃんを僕が殴ろうとする手前くらいで気絶しててくれると助かるんだけど。
「……ふぅ」
まあ、とりあえずこれで一件落着、か。
――――……め、なさい……ごめんなさい……蛇神さん……。
あんなの聞いちゃったけど、意外と出来たな、腹パン。
デルが霊魂を消滅させてから大体十分くらいで、加納ちゃんも安藤も目が覚めた。
安藤は起き抜けに軽くパニックになったが、とりあえず邪神の力でどうにか出来た、と説明したら再度パニックになっていたので諦めた。
加納ちゃんの方は記憶がおぼろげで、何があったのかハッキリ覚えてはいないようだったが、とにかく痛そうにお腹をさすっていた。ちなみに加納ちゃんも安藤も僕が加納ちゃんのお腹に一発ぶち込んだことには気づいていない。僕の社会的地位は無事守られたってわけだ。知らんけど。
「というわけでウィジャボードは金輪際禁止だ」
机の上に広げられたままのウィジャボードを箱に収め、僕は自分の足元に置く。
「これは後日然るべき場所で処分するよ。お寺で供養とかで大丈夫かな」
『そこまでせんでもええぞ。とは言え曰く付きの品に変わりはないからのぅ……万が一を考えるならきちんと処分するべきじゃろうが』
デルのアフターサービスアドバイス、加納ちゃんの在庫がないアフターサービスより余程頼りになる。
「ま、まあ私としては心霊現象の一度や二度くらい? 大したことではないのだけれど、まあ蛇神君や加納さんに危険が及ぶなら? やめた方が良いというか? まあ良くないかなーと思わなくもないわね!」
「素直に怖かったって言って良いんだぞ、僕も怖かったし」
一応パニックから復帰し、安藤にはいつもの空元気が戻って来ているようだ。
「……ええ! 怖かったわ! 金輪際ウィジャボードはやめましょう! アディオス!」
アディオス持ちネタみたいになってるな……。
「どうやら私としたことが、良くないものに乗っ取られていたようですね。ご迷惑をおかけしました」
「その台詞は昨日聞きたかったけどな。まあ無事で良かったよ」
「しかしなんなんでしょう、このお腹の痛みは……。なんだか同年代の男性から懇親の右ストレートを受けたかのような感覚があります」
「あ、うん、お大事に」
加納ちゃんから目を背けて適当に答えたが、意外にも加納ちゃんはそれ以上言及しようとはしなかった。
その後もうしばらく今回の事件について話した後、午後八時を過ぎたくらいで、三人一緒に加納ハウスへと帰宅する。
「ああそういや寝る時だけど、僕リビングのソファ借りるから、和室は二人で使いなよ」
帰り道を歩きながら、僕はそう提案する。いくらなんでも、付き合ってもいない年頃の男女が同じ部屋で寝る、というのはどうかと思う。そもそもひとつ屋根の下も結構アレだと思うけど。
「私は別に蛇神君が同じ部屋でも気にしないわ!」
いや気にしてほしいかな……。これはこれで悲しい話である。
「気にしてくれ。僕らは男女だ」
「そんなことないわ! 女子会をしましょう!」
「あたし、蛇神呑子、男子としての尊厳を奪われちゃったの」
「その調子よ!」
うーるせえ。
「……いえ、私は地下の自分の部屋で寝るので、構いませんよ」
僕と安藤がアホなやり取りをしていると、加納ちゃんは少し遠慮がちな表情でそんなことを言い始める。
「いや、今日はちゃんと寝室で寝てくれ」
一瞬、加納ちゃんはポカンとした顔を見せたが、やがて困ったようにはにかんで見せた。
「バレてましたか」
「もうちょっとうまくやってくれないとな」
どっちにしたって僕は泊めてもらっている身だ。家主を差し置いてぬくぬくとお布団で寝るわけにはいかない。邪神にはちょっと我慢してもらうことになるけど。
「さあ、それはそれとして待ちに待ったお泊まり会よ! 人生ゲームやるわよ!」
「お前ウィジャボードの後よくボードゲームする気になるな。僕はちょっと怖い」
っつってもまあただボードゲームってだけだしそこまで忌避するものでもないかも知れない。そう思って訂正しようとしたが、安藤は若干引きつった顔になっていた。
「……ウノにするわよ!」
「お前の素直さと切り替えの早さ、僕はすごく好きだ」
加納ハウスに到着すると、家主である加納ちゃんを差し置いて安藤が真っ先に玄関へと向かう。
「安藤、加納ちゃんいないと鍵開かないぞ」
そのまま安藤の後を歩こうとしていると、不意に後ろで加納ちゃんが立ち止まる。振り返ると、加納ちゃんが何かを言いたそうに口ごもっていた。
大抵のことは好きなように好きなだけ言う加納ちゃんにしては、珍しい姿だ。
「……どうした?」
「……蛇神さん、ですよね」
「何がだよ」
「殴ったの」
バレてた。
「あ、うん、どうかな、そういう……可能性も? なきにしもあらずんば虎子を得ずというか?」
『何言っとんじゃお前……』
わけのわからない言い訳をする僕だったが、加納ちゃんはいじるわけでも糾弾するわけでもなく、ただ穏やかに笑みを浮かべている。それが何を意味するのかわからず、恐怖していると、小さな唇がほんの少しだけ震えて、呟くような声がする。
「ありがとう、ございました」
少し恥ずかしそうに、伏し目がちにそれだけ言って、加納ちゃんはスッと僕の横を通り過ぎていった。
「加納さん! 差し支えなければ早く開けてもらえると嬉しいわ!」
「はいはい、今行きますよ」
僕はしばらくその場で硬直した後、振り返って加納ちゃんの背中を見つめる。鍵を開け終わると、加納ちゃんはドアを開いて僕へ手招きする。
「ほら、早く入りましょう蛇神さん」
「……ああ」
短くそう答えてから、僕は小声でそっと呟いた。
「ありがとな、デル」
『…………うむ』
さて、楽しいお泊まり会といきますか。