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 土神は泣いた。

 途方もない声で、喘ぎ、自分自身を嗤いながら、泣いた。

 膝をつき、銀狐を見つめ、自分の手のひらを見つめ、ひたすらに泣いた。

 悲しみとも後悔とも言えない、底知れない悲しさが心の中に占めていた。

 だがそれも。

 どす黒く、人の叫び声にも似た怨租に染められ、冒されていった。








 療と香彩と竜紅人が『謳われるもの』の軌跡を追ってその場所に辿り着いた時、彼は奇妙に嗤いながら泣いていた。

 近くには妖狐の亡骸があった。香彩が念のために生死を確かめようと近づいたが、本来あるはずの場所にあるべきものが無く、思わず目を背けた。

 妖狐は枯れ枝を握りしめていた。よほど大事なものか必要なものだったのだろう。

「土神……」

 療が語りかけるが、土神からは嗚咽が聞こえるのみ。

 香彩がはっと目を見張る。

 土神の足下に、黒い煙のようなものがあったからだ。

 邪念や執念、無念、といった念の集合体が、土神に集まってきていた。そして少しずつ、土神が吸収しているのが分かった。

「土神……オイラだ。療だ。分かるか! 土神」

 療という言葉に土神が反応する。

 視線が合った。

 まだ土神としての理性が残っていたのだろう。土神は大きく頭を横に振った。

「オソレオオイ、オソレオオイ、ワタクシメノタメニ、オンミミズカラ、マイラレタノカ」

「助けられるのもなら、助けたい。そう思って来た。飲まれるな、土神!飲まれてはだめだ!」

「オロカナコトヲシタ。カレトワタクシハ、ドウルイデアッタノニ。トモニナリウル、ソンザイデアッタカモシレヌノニ」

「土神!」

「イットキのカンジョウニテ、カレヲ……」

「あの妖狐のことを思うのならなおさらだ! 念に飲まれて全てを忘れるなんて、オイラが赦さない。お前は『謳われるもの』として罰せられるべきだ。だから!」

 飲まれるな。

 療が叫ぶ。

 だが、手遅れであることはその様子から見ても分かった。

 序々に人の形であったものが変化していく。とても大きく姿を変えたそれは初めは竜の形をしていたが、どろりと形を崩し、無数の目と口を持つ、土気色のただの脈打つ肉の塊へと変貌した。

「土神!」

 それでも療は叫ぶが、肉塊は声に反応して、ぬめり気のある触手のような物の先端を尖らせて療に向かって攻撃してきた。 それを、療の前に出た竜紅人が、自分の神気を片手に集中させて、防ぐ。防ぐことができただけだ。相手の属性は土、竜紅人は水の属性なので相性が悪い。

「竜……」

「手遅れだ、療」

 肉塊がひるんだ隙を狙って、香彩が打つのは拍手かしわで

 空気ががらりと変わる。

 まるで水面に落ちる水滴が起こす波紋のように、柏手の波動が空間に広がる。

 もう一度、柏手を打つ。

 二度目の柏手に、療と竜紅人がはっとして香彩に視線をやる。

 柏手は力を借りる者への挨拶だ。一度は地に住まう地霊や精霊。

 そして二度目は『謳われるもの』……真竜の加護を願う時。

 香彩はどこからともなく、札を取り出す。

 紅筆で描かれた不思議な紋様の札が、ほのかにだが、光を帯びる。

「伏して願い奉る。真竜御名しんりゅうごめい皇族黄竜こうぞくこうりゅう蒼竜そうりゅう、その御名において、我の呼応に力を貸したまえ」

 香彩の声に反応して札が光を集めるかのように皓々と輝き出す。

「縛!」

 札が真っ直ぐに肉塊に向かい、張り付いたかと思うと、術力の鎖が肉塊を拘束する。

 ぎしぎしと音を立てて鎖を解こうと暴れる肉塊。

 それを見つめるそれぞれの瞳は様々で。

「……しばらくは持つと思うよ」

 そういう香彩の頭を、竜紅人は軽く小突く。

「当たり前だ、お前。俺とあいつの神気を使ったんだろうが」

「あ、ばれた? だって目の前に二人もいるんだから、使わない手はないでしょう?」

 にこりと笑う香彩に、竜紅人は大きくため息をついた。

 自分の中の無意識の中にある『力』を吸い取られて、使われている感じだ。『力』はやがて還ってくるが、どうもこの感覚は慣れない。  

 それはきっと療も同じだろう。だが療の無意識の『力』はそれこそ昔より先人によって謳われている、『謳われるもの』のそれだ。その強大で優美ともいえる『力』の螺旋は、一介の術者の加護の誓願などあってないようなものなのだろう。

 療は呆然と肉塊を見つめていた。

 邪念や雑念を取り込み、堕ちた『謳われるもの』の末路。

 なんとか助けたいと思った。だが嫉妬と後悔に苛まれたその心を、救い上げるには手遅れだった。

 きっと接ぎ木の桜の枝を全て折り、一枝だけを盗んだ時点で土神の心は堕ちていたのだ。

(……一枝)

 盗んだそれは確か土神が持っていたのではなかったのか。

 療は香彩を見る。

「桜の一枝だ、香彩。それを介して土神が吸い上げた邪念を浄火できないか?」

「療?」

「そうすれば、土神は還ることができる」

 療の『中』に。

『中』に還ることができれば、土神の魂は新しい生を迎えることができる。

 それが真竜皇族の『力』だ。

 香彩は無言でうなずくと、手を胸の前に合わせ、再び肉塊と向き合う。

 ひたむきなその瞳には何か力があるのだろうか。鎖を解こうとしていた肉塊の抵抗が唐突に止んだ。

 柏手の張り詰めた音がふたつ、響く。

「伏して願い奉る。真竜御名、皇族黄竜、蒼竜、その御名において、我の呼応に力を貸したまえ」

 香彩は守護守法数珠を手に持ち替え、肉塊の前に翳した。竜の第二の魂とされる深い翠の竜珠を百八つ集め、首を一巡するように作られたそれは、身につけていれば 加護の力を、手に持てば破魔の力を増幅させる力を持っていた。

「伏して願い奉る! 真竜御名、神桜しんおうに宿りし火神ひのかみ紅竜こうりゅうよ。皇族黄竜の御名において、紅蓮たるその焔を我……!」

 先の尖った触手が香彩の腕を掠める。

 腕から手に伝わり滴り落ちる鮮血。

「香彩!」

 次から次に襲い来る触手に竜紅人が神気で結界を作り、かばう。だがやはり土剋水、防御するので精一杯だ。

「香彩! 大丈夫!?」

 痛みに耐えた顔をして、香彩が療に笑ってみせる。

 療が香彩に近づくのを、香彩自身が止める。

「だめだよ、療。血に酔ったら、土神を還すことできなくなるよ」

 『謳われるもの』は総じて血の穢れに弱い。位が上になればなるほど、神秘かつ強大な力を振るうことが出来るが、その反面、血の穢れや怨恨の気に敏感になる性質を持っていた。

 一度血に酔ってしまえば、しばらくは寝込むことになってしまう。そうなれば土神の魂は療の『中』には入れない。穢れを抱え込んだままでは『力』を振るえない。そのまま『中』に入れてしまえば、土神の魂は穢れを取り込んでしまい、『謳われるもの』としての生を受けることが出来なくなり、最悪、再び地竜として堕ちるかもしれない。

 療の『中』に入れることができなくなってしまった場合は、救いもなくただもう祓うしかないのだ。

 香彩は懐から止血の札を取り出すと、傷口に張り付け、手際よく髪を結い上げていた綾紐で縛り上げる。こうすることによって血が止まり、血が起こす様々な穢れを封じることが出来る。血に酔うのは療だけではないのだ。

 香彩は結界を作っている竜紅人の様子を伺う。

 香彩の視線を感じた竜紅人は、視線を肉塊に向けたまま「問題ない」と言った。







「もう一度やってみるよ、療」

 土神にとって 桜の木は想い人であった。

 堕ちた自分をそんな人の力を借りて浄火するのは抵抗があるのだろう。香彩はそう思った。自分だって嫌だ。そんな姿を見せるくらいなら、魔妖に堕ちて死んでしまった方がどれだけまだ救われるだろう。だが療は言ったのだ。『謳われるもの』としての罪を償えと。だから土神は還らないといけないのだ。それがどんなに辛く、情けないことであっても、それだけのことを土神はしたのだから。罪のない妖狐を、怨恨で殺めたのだから。

 香彩は今一度、柏手を打つ。

「伏して願い奉る! 真竜御名、神桜に宿りし火神紅竜よ。皇族黄竜の御名において、紅蓮たるその焔を我の手に与えよ」

 触手が結界を襲う。

 その衝撃に思わず身構えそうになる。

 香彩の手に、熱さのない焔が宿る。

「神桜の一枝に宿りし、火神紅竜よ!」

 その焔は香彩の腕にまで広がり、紅竜の神気と術力とが混ざって光を伴い、燃えさかる。

 そして焔は竜の形となり、土神とそして妖狐を包み込んだ。










 女性のすすりなく声が聞こえる。

 それは療が夢でみたものとよく似ている声だった。

「泣かないで」

 暗闇の中で泣くその声に向かって、療は言う。

「泣かないで、紅竜。みんな、還すから」

 だから、泣かないで。









 炎の中でゆらりとゆらぐ影が見えた。

 その御身はとても大きかったが、どこか身体の線が柔らかく優美に思える。

 紅竜が顕現していた。

 紅竜は 何も言わず、ただ悲しみを湛えた瞳をしていた。そして手の中にあるほのかなふたつの光を、療とそして香彩に差し出した。

 それは土神と妖狐の魂だった。

  香彩は妖狐の魂を受け取ると静かに真言を呟いた。

「……ナウマクサンマンダ・バザラ・ダン・カン……」

 妖狐の魂が、焔に包まれる。

「……ナウマクサンマンダ・バザラ・ダン・カン……」

 やがてそれは煌めく煙となり、天へと昇っていく。

「……ナウマクサンマンダ・バザラ・ダン・カン……」

 香彩が柏手を打つと、全てはなかったかのように、綺麗に空へと消えたのだ。

 そして、療は。

 無言で土神の……いや、壌竜じょうりゅうの魂を受け取ると、紅竜を見上げた。

 そしてはっと気づく。

「お前も……か」

 高らかに、紅竜が 咆哮する。

 身体が持たなかったのだ、と気付く。たとえ本体が無事であっても、分身である接ぎ木の桜の枝を全て折られては。

 竜紅人を、そして療を見やって、その身体を光に変えた。










 女性のすすりなく声が聞こえる。

 療はふたつの魂を、その胸の中に治める。

「安らかに、還れ。壌竜、紅竜」

 療の『中』に還った彼らは、再び新しい清らかな魂を持って、壌竜、紅竜として還ってくるだろう。

 その様子を見守る竜紅人の表情は、何かを言いたくても言い出せないような、そんな顔をしていた。

 そして香彩もまた、妖狐や土神や紅竜のことを思い、痛い表情を見せた。






 神社に祀られていた桜の木が、真っ二つに割れ、轟音を立てて倒れた。

 舞い散る桜の花びらが、意志を持ったかのように、空へと舞い上がる。






 ……還るのだ。新たなる場所へ。

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