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3.

 昔と同じ罪を犯し始めていることを、自覚していた。

 だがもう自分を止めることができない。

 止めてしまえば、全てが壊れてしまう。

 一度壊してしまった自分だから、止まることが崩壊することだと分かっていた。

 だけど本当は止めて欲しかったのかもしれない。

 全てを知ったうえで、あなたは受け止めて包み込んで。

 抱きしめてくれると。

 甘い幻想を抱きたかったのかもしれない。






「まぁ、それではあなたは皇族様を見たことがおありですの?」

 身を乗り出すようにして聞いてくる彼女に、銀狐はくすりと笑う。

「あるよ、でもまだ何度かだけどね。ぼくたちは生まれつき真竜と契約する力を持ってるんだ。だから長になったら、もっとたくさん見ることができるかも」

「まぁ、なんて素晴らしいことなんでしょう?」

 ふわりと彼女が笑う。

 手を胸の前にそっと添えて、うっとりとした様子で銀狐を見つめている。

「どんな、どんなお姿をされていたのです?」

「それはそれは神々しくも優美なお姿をしておられました。その場におられるだけで、世界の全てが変わるようなそんな気配を持っていらっしゃいました。そして何より、全てを包み込み癒してくださる慈悲深いお方でいらっしゃいました」

 銀狐の語る皇族の姿を想像し、彼女は更に胸を躍らせた。そして何より、皇族に対する賛辞を分かりやすい言葉ですらすらと話す銀狐に、彼女は彼の言葉をもっと聞いていたいと思った。

 そんな彼女の喜んでいる様子に、銀狐はもっともっと彼女を喜ばせたいと思った。

 彼女と会うのは決まって日も暮れ始めた黄昏時から、夜更け前までが多い。妖狐族は元々夜行性であったし、神桜である彼女は月の明かりの下の方が、人の形を取りやすいのだと言っていたからだ。

 ふたりで彼女の本体である桜の大樹の下で、月や星を見ながらたわいもないことを話すのが、何よりも楽しみで仕方なかったのだ。

「ところで、この前話されていました、星の欠片は持ってきてくださいました?」

「あ、あれ……ね? あれは一族の宝だから、中々持ち出しにくいんだ」

「そう……ですの」

 明らかに気落ちしたかのような彼女の言葉に、銀狐は慌てた。

「で、でも! ちゃんとお話して長からお貸し願えるように頼んであるから、次は持ってこれると思うよ」

「楽しみにしています。でも許可なく持ち出すことは、やめて下さいね」

 彼女は、ふわりとした笑みを浮かべる。

「じゃあこうしましょう。星の欠片を見せていただいたら、私はあなたにこの一枝を差し上げます」

 それは神桜の一枝だった。一枝は親愛の証、あなたと共にいますという証でもあった。

 銀狐は嬉しそうな笑みを浮かべて、

「うん、分かった。そ、それじゃ、そろそろ帰るよ」  

 彼女に手を振り、あっけないほどあっさりと、帰路についた。






 彼女は気付いただろうか。

 銀狐の笑みの中の、昏さを。





 土神はその日、何故かとても切ないような悲しいような、胸をがしがしと引っ掻きたいような妙な気分で目が覚めた。どうしようもなくむしゃくしゃして、腹立だしかったのだが、その原因が一体どこにあるのか全く分からなかったため、対処のしようもなかった。

 そんな気分を抱いたまま、住み処を出た。

 住み処である神社は立派で大きいものであったが、清掃をしに来る者も、供え物を持ってくる者もいなかったため、大変な荒れ放題となっていた。それでも妖力の小さな魔妖 くらいならば、はじき返してしまうくらいの立派な結界が張られていたのだ。

 土神の足は自然と、神桜へと向いていた。

 この神社からは本体こそ見えないが、夜にもなれば月下に映える神桜の、ほのかな光を見ることができた。光はとても優しく、淡く、綺麗であり、それを見ているだけで胸が締め付けられるようだった。

 あの光の下で、ふたりは語り合っているのだ。

 土神はなるべく銀狐のことを考えないようにして過ごしていた。銀狐の事を考えると、どうしようもなく胸がざわつき、何も考えられなくなる自分がいた。  

 自分はこんな立派な結界を持つ神社の主なのだ、きっと銀狐などはじき飛ばしてしまうに違いない、銀狐など取るに足らない小物の魔妖ではないか。神桜も同族である自分より、妖狐なんぞを選ぶとは愚かではないか。そんな愚かな火神が自分と釣り合うわけがないのだ。そんなふたり同士、大いに仲良くなればよいではないか。

 土神はこんなことを毎日毎日自分に言い聞かせていた。そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだった。

 ふたりで大いに仲良くやればいい。

 そんな答えが心の内に出てしまい、そうだそうだと納得するものの、頭を掻きむしり、神社の柱を蹴り、水すらも喉を通さない。

 神ともあろうものが、こんなことに気を取られるとはと、土神は色々と深く考え込んだ。

 やがて足は神桜の近くまでやってきていた。

 土神は思った。

 優しい神桜のこと。しばらくの間顔を見せなかったものだから、神桜は同族である自分を心配をして待っていてくれているのではないのか、と。そう考えつくと、先程まで思っていた沈んだ気持ちが、一気に浮き上がるようだった。

 ところがそんな気分も、神桜の大樹の下に近づくにつれて、悲しみに包まれる。

 銀狐がいた。  

 日もすでに暮れ、夜更けも近いというのに、銀狐と神桜はとても楽しそうに話しをしているのだ。

 聞きたくないと思いながらも、聞こえてくるそのふたりの会話に土神は愕然とする。

 銀狐は妖狐の分際で、土神にとって神にも等しい皇族を見たことがあること。

 そして。









 神桜が自分の体の一部でもある一枝を、魔妖にあげると言ったこと。










 土神はいてもたってもいられず、踵を返し、走り出した。

 走りながら、胸を掻いて掻いて掻きむしりたいくらいに、悶えた。

 なんたること、なんたること、なんたること。

 小物だとばかり思っていた魔妖は、皇族を見たことがあるのだという。いずれ長になれば契約すら出来るのだという。それはまさに力のある証だ。

 土神は自分は神だ、相手はたかが妖狐だと言い聞かせてきた。だがそれも自分の心にはもう通用しない。

 気がつけば土神は自分の住み処である神社の近くまで戻ってきていた。

 だがどうしても神社に帰る気になれなかった。

 土神は、走って走って走り抜いた。この走りにも似た心の中の、荒れ狂う何かをどうにか止めてしまいたかった。







『じゃあこうしましょう。星の欠片を見せていただいたら、私はあなたにこの一枝を差し上げます』







 頭の中で神桜の声が響く。

 何度も、何度も、まるで神桜のその言葉に追いかけられるかのように。

 どうすればいい、どうすれば自分は妖狐を越えられる?神桜は自分を見てくれる?

(一枝は、彼女の親愛の証)

 土神は考えた。

 そして思いついたのだ。

 だが土神は気づいていなかった。それを思い立った時点で、自身の神々しいばかりの神気が、序々にどす黒い堕ちたものへと変わっていくことに。

 土神は神桜の木から一枝を奪い、妖狐よりも先に手に入れて見せようと思った。一枝は彼女の一部、その枝さえあれば神桜の火神はどこにでも姿を現すことができた。事実上、あなたとともにいますという証だったのだ。

(妖狐はどんな表情を見せてくれるだろうか?)

 苦しみ、悩み、妬む表情を見せてくれるだろうか。

 だが神社の桜の木は彼女の本体なので折るのは憚れる。

「ならば、本体でなければよいのだ」

 土神の体は、ふわりと宙を舞い駆けだした。










 土神がもう少し銀狐の話を聞いていたら、冷静に銀狐の様子を見ることが出来ていたのなら、その『笑顔』という表情の中に隠されたものを見つけることが出来ただろう。

 だが心に巣くった黒い染みは、徐々に広がりやがては周りを感染していく。








 かつては美しかった苔色の長い髪も。

 鳶色の眼も。

 謳われた端正な容姿も。

 神々しい神気も。









 今は見る影もなかった……。

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