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花盗人1

 遠くから見ているだけでよかった。

 触れずとも、そばにいて話が出来るだけで至福であった。  

 愛しき人よ。  

 君が、ただひとりの為に笑顔を向けたりしなければ……。





1.

 


「……っ!」  


 息のつまるような奇妙な感覚を覚え、少年は飛び起きた。  

 じとりとした嫌な汗が額を、背中を伝う。  

 今、意識のあるこの空間が、現実なのかそれとも夢であるのか、分からずにいた。恐る恐る視線を動かすと、水差しが目に入る。それは喉が渇いて目が覚めた時にいつでも飲めるようにと、寝る前に少年自身が用意しているものだった。


 日常を見つけて安心したのか、少年は詰めていた息を吐く。

 無意識のうちに、それは震えていた。


 妙な夢を見た。


 何もない暗闇の中で、ひとり放って置かれ、どこからともなく女のすすり泣く声が聞こえる。女はしばらく泣いていたかと思うと、断末魔のような悲鳴を上げる。そんな夢だった。


 なんとか深く息をついて、整える。

 ひどく喉が渇いた。

 少年は水差しに手を伸ばすと、乱暴にそれを取り、直接口をつけて一気に飲み干した。

 水は冷えていた。

 胃の中に広がる冷たさを感じることができて、少年はようやく落ち着くことができた。

 外はどうやらまだ暗いようだった。

 朝鳥の鳴く声はまだ聞こえてこない。代わりに耳心地の良い秋虫の声が聞こえてくる。夜明けまで時間はあるようだ。

 少年は静かに引き戸を開けて、自室から出る。

 目の前の楼台の桟枠に手をかけて、空を見上げた。

 月が出ていた。

 薄く雲がかかり、その光はぼやけて見える。

 今宵は薄月夜だ。

 身体の芯まで入り込むような冷えた風が、少年の初夏の森のような緑青の髪を揺らす。昼間であればまだ日の暖かさを感じることができたが、夜も明け方前にもなると冷え込みが激しい。身体は確かに冷えていたが、不思議と寒さを感じずにいた。


 風の中に感じる甘い芳香のせいかもしれない。


 少年は楼台から少し身を乗り出し、中庭を見る。

 ここからだと少し位置が悪いのか全てを見ることはできないが、ぼやけた月の明かりの下、それに呼応するかのように、ほのかに光を放つ一本の大樹があった。


 神桜しんおうと呼ばれている。


 その昔、人のために堕天した慈悲深き神、阿修羅神の心を慰めるために、天上の『謳われるもの』達が彼に送ったとされる桜の樹だ。この樹を通じて火神のひとりが宿るとも言われている。この樹自体は接ぎ木で繁殖されたものであり、神桜の本体は南の国との境目にある神社に祀られていた。


 神桜は春の出会いと別れの季節と、秋の衰退と次の世代の為の季節に、咲き誇る。


 甘い芳香は、神桜が月映えに彩られて咲く時に香るもの。

故にこの桜を『神彩の香桜かおう』と呼ぶ者もいる。


その花の色は他の桜の樹に比べると、少し青みがかかっていて、藤色に近い。

少年はこの桜を見ていると、同じ髪の色を持つ友人を思い出す。確か、友人の名はここから貰ったのだ。 そして友人は夢を読み解くことに関しては、専門だった。




(どうして、泣いていたんだろう)

(どうして、あんな悲鳴を上げたのだろう)


ただの夢であればいい。

 だが何かが引っかかる。


「……何もなければ、いいけど」


 明日、仕事が終わったら視てもらうことにしよう。

 ぽそりと呟いて、少年は自室へと戻っていった。










 君を見ているだけでよかった。

 遠くからでも分かるその美しさ。

 月明かりの下で咲き誇る、君のその笑顔を。

 どうして。

 どうして魔妖なんぞに向けたのか。





 土神つちかみは遠くから見ていることしかできなかった。

 彼が想う想い人はその昔、天上から贈られてきた火神ひのかみの宿る神桜しんおう。彼女は時折、人の形を取り、桜の樹の下に舞い降りる。

 ふわりとした花片と同じ藤色の髪が、甘い芳香を放って風に靡かれる。大きくていつも濡れているかのような新緑の瞳は、目的の人を見つけると、新しい玩具を貰った子供のように、きらきらと輝いていた。

 彼女の目に映るのは、まだ成獣に達していない、妖狐だった。

 背丈もまだ低い。

 肩で揃われている灰銀色の髪。そして同じ毛並みの耳と尾がひょっこりと出ている。人型もろくに取れない未熟な銀狐だ。

 銀狐と彼女は楽しそうに話をしている。銀狐の会話に笑顔で応え、銀狐もまた笑顔であった。

 土神はそんな様子を遠くから眺めていることしか出来なかった。  

 間に割って話をしに行くなど、土神にとってそれこそあり得ない話だった。それではまるで、銀狐のことを気にしていると言っているようなものではないか。相手は、たかが魔妖なのだ。土神とあろう者が、気になどかけてはいけない小者なのだ。

 それでも嫌でも聞こえてくる話の内容を、どうしても聞いてしまう。

 一族の長候補であり、いずれは大きな群れを率いる存在になること、集落にはたくさんの綺麗なものがあることなど、銀狐はそれらをとても明快に楽しそうに話をするのだ。


「綺麗なもの?」

「うん、たくさんあるんだ。中でも一番の自慢が、星の欠片さ」

「星? 星ってあの空にある?」

「うん、そう。昔たくさん落ちてきたんだって。透明な碧色をしていて、とてもとても綺麗なんだ」

「あなたがそう言うなら、とっても綺麗なものなんでしょうね」

「今度来る時、持ってきてあげるよ。特別に見せてあげる」


 銀狐のその言葉に、彼女はとても喜んでいた。

 彼女の喜んだ様子を見て、銀狐は下げていた布袋の中から一輪の花を取り出した。その辺りの山に生えていそうな、何気ない白い花だった。

 銀狐は両手でそれを彼女に差し出す。

 彼女は嬉しそうにそれを受け取るのだ。


「それじゃあ、今度来る時には、星の欠片を持ってくるね」


 銀狐はそう言うと、帰って行った。

 きっとたくさんの群れの仲間が、彼の帰りを待っているのだ。

 何せ、銀狐は長候補なのだから。

 銀狐が確実に帰ったことを確認して、土神は彼女のそばに顕現する。

 途端に、彼女の表情が曇ったことに、土神は気付かない振りをした。彼女は面と向かって土神に対して嫌悪感を示すことは無い。だが銀狐と話していた時の、春の日差しのような笑顔を、土神は今まで自分に向けられたことがなかった。


「神桜の火神よ。付き合う相手は選ばれた方が良いのではないのか?  あのような魔妖と話をするなど、我ら一族が気安いと小者達になめられてしまう」


 土神は銀狐の去った方向を見やって言う。


「魔妖と仲が良いなどと、我らを祀る人が見ればどう思うだろう。最近祭祀が少なく、我々の供物も少ないのは、あやつが原因ではないのか?」

「……ごめんなさい、土神。でも、決して、決して悪い人ではないの」

「そういうことを言っているのではない」

「……ごめんなさい」


 ふさぎ込んだ表情をして、彼女は俯く。

 土神は小さくため息をついた。

 それを呆れの吐息だと感じ取ったのか、彼女は今一度ごめんなさいと呟き、神桜の大樹の中へと姿を消した。


(……一体自分は何をしているのだろう)


 土神は今度は大きくため息をついた。

 どうしてこうも自分は、彼女の笑顔を見ることができないのだろう。

 どうして魔妖ごときに出来て、自分はできないのか。


(違う。何故我が魔妖の狐なんぞに気をかけねばならんのだ)


 実に気に食わない。

 妖狐が。

 いや何よりも。

 そんなことに気を取られている、自分自身が一番気に食わないのだ。


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