第8話 追放
ウィルは石で出来た、光の入らぬ地下牢に閉じ込められた。
目が見えぬ状態では、光が入ろうと入らずとも関係がない。
近くを手で探ると、リクオーネから受け取った”精霊の竪琴”が、ウィルと一緒に放り込まれていた。
身体に力は入らなかったが、壁に寄り掛かり、何とか半身を起こす。
酷く眩暈がした。
意識が遠のいていくような感覚に、必死で耐えた。
暫くすると少し楽になり、ウィルは顔を上げて一度深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
まだ”命”はある。
僅かでもこの時を…。
ウィルは”精霊の竪琴”に指を這わせる。
弾く”力”は必要ない。
ただ心のままに、弦を指でなぞれば良い。
ウィルの魂と共鳴して、”精霊の竪琴”は奇跡の音色を奏でた。
どこからともなく聞こえてくる美しい琴の音。
王都は光に包まれる。
大気が輝き、愛で満たすように旋律は隅々まで広がっていった。
毎日…朝も昼も夜もなく、響き続けた。
不思議と嫌に思う者は皆無で、むしろ心地が良い。
ふと演奏が止まり、気付くとまたいつの間にか再開されている。
誰がどうやって弾いているのか民衆には判らなかったが、その調べは王都のみならず、城下町や果ては近隣の村や街にまで響き渡った。
幾日過ぎた頃だろう。
ウィルは地下牢を出された。
「判決を言い渡す。もはや人ではない人外の者よ、日が沈むまでに、この国を出て行け!」
何がどうなっているのか、ウィルには何も判らない。
床にへたり込んで動かないウィルを、衛兵が無理矢理王宮から追い出した。
”精霊の竪琴”だけを大事に抱え、抓み出されたその場でウィルはやはり動けなくなっていた。
「悪い、待たせた。」
リクオーネの声が聞こえた。
リクオーネとその仲間達、そして同行した王宮騎士団、善意ある猛者達でずっと王を説得して来た。
毎日毎日…。
しかし王の下した決断は、ウィルの国外追放。
王にとってウィルは、大事な役目も果たせぬ役立たずな、穢らわしき人ならざる者でしかなくなっていた。
「お前の家族が待っている。家へ帰ろう…。」
リクオーネはウィルを背負って歩き出した。
ふと、気付く。
幾日も牢獄に囚われいたのに、臭い所かウィルからは芳しい花のような香りがした。
背負っているのに重さを感じない。
「……。」
『既に人ではない。』
誰かが言った言葉がリクオーネの脳裏を過った。
玄関まで来ると、リクオーネはそっとウィルを下ろした。
軽くよろける。
「…大丈夫。」
少し辛そうだったが、ウィルは笑顔を見せた。
顔色はあまり良くない。
それでも、自力で立つ事が出来る分だけ、魔の山の帰り道よりはマシに見えた。
玄関を開けようとリクオーネが手を伸ばすと、それよりも前にウィルの年の離れた弟がふたり、飛び出して来た。
「兄ちゃん、お帰り!遅かったね!」
「兄ちゃんドジだから迷子になってたんでしょう?」
弟達は何も知らないのか、楽しい笑い声が聞こえて来た。
ウィルは穏やかに微笑みを返す。
「ほら、早く入って!ご馳走だよ!」
「ごめんね、手を引いてくれる?何も見えないんだ。」
ウィルの言葉で、弟達は気付く。
旅立った時と変わらぬ優しい笑顔のウィルは、目を開けているのに視線が定まらず、空に向かって話していた。
弟達は、おずおずとウィルの手を引いて家に入る。
「まぁまぁ、この子ったら…!本当に…。」
家では御馳走と共に母が待っており、弟二人に手を引かれて入って来たウィルを迎えた。
ウィルは母に気付いて顔を向けるが、視線は合っていない。
母はウィルに抱き付いて、涙で濡らした。
「だから言ったんだよ…お前では無理だと…。馬鹿な子だよ…。」
リクオーネから全て聞いていたのだろう。
母はただそう言って、抱き締めた。
その後、サクリノも来て、ささやかなパーティーが開かれた。
「兄ちゃんが大好きな物ばっかりだよ!」
「取ってあげる!ほら、ここにあるよ!」
弟達は、目が見えぬウィルを気遣い手を差し伸べる。
しかしウィルは何一つ口にしない。
「ウィル、謡ってくれよ。あの下手くそな訳判んない歌が聞きたくて仕方がなくなった。」
リクオーネが冗談混じりに言った。
「ごめんね…もう、無理なんだ…。」
何が「もう」なのか、何故「無理」なのか。
判らなかったが、ウィルは謡う事はなかった。
あれだけ好きだったのに…。
「じゃあ兄ちゃん、竪琴弾いてよ!」
ウィルは笑顔で答えた。
「それなら、出来る。」
ウィルは”精霊の竪琴”を奏でる。
美しい音色が響き渡る。優しく、愛おしく、心に沁み込んでいく…。
弟達にも、毎日聞こえていたあの美しい調べが、ウィルが弾いていたものだと今ようやく気が付いた。
曲が終わった後、余韻に浸り、弟がウィルに抱き着くようにして聞いた。
「目が見えないのに、弾けるの?」
「指で弾いてはいるけど、違うんだ。”精霊の竪琴”と僕の魂が共鳴し合って響かせるんだよ。音のようで、音ではないんだ。」
魔の山へ向かう旅の途中で答えたのとは、少し違う答え方が返って来た。
同行したリクオーネとサクリノは気付いたが、弟達にはウィルの説明では理解出来なかった。
旅立つ前と同じ、穏やかで幸せな時間。
あの頃に戻ったような錯覚さえ起こす…。
しかし何もかもが刻々と迫る。
突然衛兵がノックもなく入って来て言った。
「時間だ。」