第6話 封印
何も見えない…暗闇よりも漆黒……無。
視力では自分の身体さえ認識出来ない程の、闇。
”闇の石”に添えてる筈の、己の手さえ見えない。
伸ばした腕も何もかもが無いかのように、存在ごと否定するような闇の中にウィルはいた。
視力はあてにならない。
ウィルは目を閉じた。
確かに感じられる”闇の石”の存在と波動。
精霊の力と存在そのものを受け継いだ”勇者”であるウィルには、はっきりと感じる事が出来た。
その存在に向かって、ウィルは魂の言葉を口にする。
”封印の呪文”は厳かに続けられた。
突然強風が吹き荒れ、無数の真空の刃がウィルを襲った。
激痛が走る。次々と皮膚を切り裂いていく。
ウィルは”勇者”として沢山の魔物を殲滅して来たが、最前線で戦う戦士とは違い、常に守られ”精霊の曲”による広範囲浄化をして来ただけだ。
日常生活では有り得ぬ戦いの痛みを、ウィルは知らない。
今、ここで初めて知るその痛み。
”闇の石”はまるで甚振るように、殺さない程度に皮膚を切り裂き、激痛を与えていった。
失血を伴い、気が遠くなる。
同時に一撃で精神を崩壊させるような闇の波動がウィルを襲った。
心を粉々に砕かれていくような、感覚。
そして急激に命を抉り取られていく。
ウィルは必死に耐え、”封印の呪文”を唱え続けた。
だが声が出ない。
息が出来ない。
意識が遠のいていく…。
…ああ……。
………封印は無理だ…。
抉り取られ失った命と、封印に必要な命を感じて、どんなに頑張っても不可能である事を悟った。
力不足に嘆き、僅かに残された命を使ってウィルは”浄化”を施す。
今、出来る限りの…強力な”浄化”を。
”浄化”はただの時間稼ぎに過ぎない。
それでも、”闇の石”が再び世界を危機に陥れる程脅威になるまで、少しでも…。
ウィルは願いを込めて”浄化”を果たす。
何も見えなかった漆黒の闇が、光に変わった。
”闇の石”、そして添えた自分の手と腕が見え、次の瞬間総てが光に包まれた。
命の力を使い果たし、ウィルは崩れ落ちた。
ウィルを閉じ込めた漆黒の球体は、内側からの光によって掻き消された。
ほんの僅かな時間に思えたその刹那、漆黒の球体の中で何があったのか誰にも知る事は出来なかった。
ただ、そこには倒れたウィルと、薄く妖しく光る”闇の石”があった。
「封印…出来ていないだと!?」
誰ともなく呟いた。
まるで激闘があったかのように、血に染まり倒れているウィルを見て、リクオーネは衝撃を受けた。
傷を負ったウィルなど見た事がない。
「ウィル!」
慌てて駆け付け抱き起すと、何か鋭利なもので斬られた無数の傷が、深手を負わせていた。
ぐったりと総ての力を失い、意識がない。
すぐにサクリノが駆け付けて回復魔法を施した。
瞬時に治る筈の回復魔法が、効きが遅い…。
それでも傷は果てしなく緩徐にだが、塞がっていった。
「ウィル、しっかりしろ!」
傷を治し終えても意識の戻らないウィルに、リクオーネは切迫した声を出す。
繰り返し何度か声を掛け続けると、ようやく気付いて、ウィルはゆっくりと瞼を開けた。
「…リクオーネ…?どこにいるの?」
「何言ってるんだ、お前の目の前にいるじゃないか!」
「そうなの?見えないよ…。まだ闇の中にいるのかな?」
ウィルは空を掴むように手を差し出す。
目の前のリクオーネの鎧に手が当たった。
「本当だ、すぐ近くに居るんだね。」
違和感を感じて、サクリノはウィルの瞳を覗き込んだ。
目は開いているのにその瞳に光はなく、何も見えてはいなかった。
「視力を失っている…一時的だとは思うが…。」
「そんな事はどうでも良い!”闇の石”はまだここにある!早く封印をしろ!」
ウィルの言葉が足りなかったせいで仲間を殺してしまった猛者の一人が叫んだ。
「ごめんなさい…封印は出来なかった…。重ねて浄化はしておいたけど…。
僕では役不足だった。本当にごめんなさい…。」
「お前では役不足なのは最初から判っている!もう一度封印を施せ!いいや、出来るまでやれ!それがお前の役目だろう!?」
しかし既にウィルはリクオーネの腕の中から起き上がる力すら残っていない。
「命の殆どを持ってかれた…もう、何も出来ないよ…。」
「お前の命など、どうでも良い!どうせお前は甦る。
あの魔王を見ただろう?あれとお前は同じだ。闇か光かの違いであって、何も変わらない。既に人ではない媒体のお前に出来る事は、役目を果たす事だけだ!」
「やめろ!」
猛者の暴言を止めたのは、サクリノだった。
サクリノは、猛者に冷ややかな視線を向けて言う。
「この者は良くやった。封印は出来ずとも、魔物の大群も魔王も倒したのは、総てこの”勇者”だ。
加護がなければ俺達はここまで来る事も出来なかった。
リクオーネも言っただろう。既に世界は救われた。光も取り戻した。」
ウィルに視線を移して、サクリノは続けた。
「この者は、じきに死ぬ。もはや回復魔法も効かぬ程、命を使い果たした。」
サクリノの言葉を聞いて、リクオーネは愕然とした。
全身の力を失い横たわるだけのウィルは、生気のない虚ろな顔をしていた。
涙が込み上げ、リクオーネはウィルを力いっぱい抱き締めた。
「止めれば良かった…あの時、殴り倒してでも止めれば良かった…!」
「リクオーネに殴られたら、死んじゃうよ…。」
リクオーネの腕の中でウィルはちからなく笑った。
「”闇の石”は触ってはいけないよ…。また魔王が生まれてしまう。」
もはや他に何も出来ずに、”闇の石”をその場に放置し、去るしかなかった。
歩く事も出来ないウィルをサクリノが背負う。
人の重さではない、何か違うもののように軽過ぎた。
日が昇る。
初めて見る日の光。
「見ろ、ウィル。日の光とは何て美しいんだ!」
つい口から出てしまった言葉。リクオーネは言ってから気付いた。
今のウィルは視力を失っている。見える筈はなかった。
「すまない…。」
リクオーネの沈んだ声に、ウィルは微かに笑顔を見せた。
「僕は精霊の祠で光を見ているから…あんな感じかな?」
「ううん…少し違うか…。」
考えて、ウィルは今の言葉を否定した。
「身体の片方だけ温かいんだ。これはお日様のせい?」
日が昇り、温かい日差しを照らしていた。
ウィルの顔に生気が戻ったように見えた。
「ああ…そうだ。ウィル、お前が取り戻した光だぜ…。」
リクオーネは歩く位置をずらして、ウィルに日の光が当たるようにした。