思いがけない事象
あー、疲れたー。
俺もー。
俺、布団が恋人でいいわ。
それは流石に不味い。
無機物か、笑う。
結構女子が憧れるとか言われるバスケ部。現実はそんなことない。むさ苦しい強化合宿の最中。
俺はそんなバカな会話をしながら、溜まった疲労に自然と寝落ちした。なんてことない日常のサイクルである。
パチリ。目が覚める。いつも通りの時間、一等早く起きる。いい感じだ、と一人呟いてコリをほぐす。どこか肩に違和感がするが、昨日しごかれた証だろう、何らおかしいことはない。
「お前らー、起きろー」
朝寝坊でコーチのお怒りを受けたくはないため、他のやつらを起こしていく。お優しいやり方はしない、肩辺りを蹴っていく。それでも起きないやつらは仕方ないので、そいつの股間に足を降り下ろす。俺も痛みは知っているが、起きないのが悪い。
「いってぇえええ!」
南無。
「はよーっす、陸。相変わらずエグいなー」
「はよ」
大人しく肩を蹴られて起きた友人、海が俺の腹に腕を回す。項辺りに額が乗った。このまま二度寝をするつもりだろうか。それならば肘を打ち込むまでだ。
「待った! 寝ないから、寝ないから許してー」
ならばいい。肘を伸ばす。
「陸ぅ、股間は駄目じゃね。お前実はこの痛みがわからん女じゃろ」
寝汚く股間に一撃を受けた友人、空が前から胸に飛び込んでくる。
失礼な、ならなにか? 部室で堂々と着替えている俺は貧乳ってか絶壁で、尚且つ羞恥心を持たない痴女ってことか。
そんな怒りの言葉を口に出すが迷っていた時、空の手が俺の胸を鷲掴み、そのまま揉まれる。
野郎の胸を揉んで何が楽しい? とりあえずぶっ叩いてやろう。そう考えて、俺の動きが止まった。
なんで、揉まれるほどの肉が、俺の胸に、ある。
「俺、冗談で言った筈なんだけど」
「知ってる。これどういうことか聞いていいか」
「本人がわからんなら俺にもわからんと思いますね」
空のひきつった声。自分ではわからないが多分俺もそうであろう。よく考えればパンツの中にも何処か違和感がある。マジか。
ただ一人、この中で事情を分かっていない海が怪訝そうな顔でこちらを見る。
「俺を仲間外れにしないでほしいんだけど」
「してないしてない」
「私、陸子ちゃんになったみたいなの」
裏声を出す。ふざけて出す時があるが、いつもより出しやすい。これは本当にそうだと考えていいだろう。
最初は呆れた顔をしていた海だが、俺達の表情に段々と目を見開いていく。
パンツの中に手を突っ込まれる。これ、俺はこいつ殴っていいと思う。だが今回は非常事態だ。許そう。
「うわぁ、女子だ」
「お前、いつの間に性転換したの」
「俺自身が知りたいんだよ、そんなこと」
言いたいことは一つ。
「……どうしよ」
助けて、なんとかえもん。
「これ、俺ら以外の部員にバレたらやばくね?こんな男所帯の部活だ。逮捕されるようなことやらかすやつ絶対一人や二人、いる」
オレホモジャナイ。
「先生に言ってみるのが最善じゃん」
「いやいや!もしかしたらセンセーこそ危ない」
「お前は創作物に毒され過ぎ」
二人の会話を黙って聞く。
先生に言うのは得策だとは思うが、俺にはそれを出来ない理由がある。この合宿は、次の大会のレギュラーを選抜するものでもある。
先生がこの俺の状況を知れば即座に帰らせるだろう。それはダメだ。俺は、前回逃したその座をなんとしてでも今回勝ち取りたい。
だって彼女が、付き合ってくれるって言ったのだ。俺にとってはとても大切なことなのだ。
その事を二人に伝えるのだが、直ぐ様軽く拳骨を落とされる。
「あのな、このままお前がずっと女だったら、その子とも付き合えないだろうが。」
心配して言ってくれているのだろうが、その言葉は、俺の心にぐさりと刺さった。
『陸君、今まで告白ずっとしてくれてありがとう。私、都合いい事言ってるかもしれない。けど君に惹かれてるみたいで、なのにまだ踏ん切りがつかなくて、その。……陸君が、次の大会のレギュラーになれたら付き合いませんか?』
答えは勿論、喜んで。そんなコンディションもモチベーションも最高な時の事だったのだ。
「若葉ちゃん……」
俺の表情がそんなに悲観そうだったのか、二人は罰の悪そうな顔を浮かべる。
「今、お前下着もつけてないわけよ?俺らに襲われても文句言えない状態なのよ」
「諦めろ陸。今回ばっかは、無理」
かつてないほどに友人に優しくされている。それに驚きはするが、気分の落ち込みは晴れない。そのまましばらく頭を撫でられていた。
そこに支度を終えた他のやつらが入ってきた。
「お前ら、相変わらず仲いいなー。くっつきむしかよ」
「最近寒いじゃん、おしくらまんじゅー」
「そういうのは女としたいもんだろ」
「彼女いない歴イコール年齢のお前らに言われたくねえ」
「ひどくね?」
俺が女になってるんでこいつら女とそういうのしてることになります。なんて言える筈もない。バレないように益々密着度が上がる。流石に暑い。
俺達以外の奴等が部屋から去った後、海が先生を呼びに行ってくれた。勿論先生は俺を帰らせる判断をした。
あぁ、さらばチャンス。あれだけ勇気を振り絞って言ってくれたのだから、次はないだろう。
その後すぐに母が迎えに来て、病院で診察を受ける。原因は不明。初の症例だからと色々病院持ちで検査を受けさせられた。
下着屋とかは本当に苦痛だった。結論、俺は貧乳ではなかった。
女に変わってからしばらく経ったが、まだ俺の体は元に戻らない。あっという間に学校の登校日になってしまっていた。
制服は不格好ではあるが、このままがいいと押し切った。女の子でもスラックスを履いている人はたまにいるから、問題はない。カッターシャツは買わされてしまったが、ここは妥協点だろう。
性転換後登校初日。目の前にいるのは俺の最愛の女性、若葉ちゃん。何故か俺には彼女が目を輝かせているように見えた。
「若葉ちゃ」
「陸君?陸君なの?」
何故かはわからないが、俺だとすぐにわかったらしい。彼女がそこまで強く俺を認識していたという事実に嬉しさが込み上げたが、同時にレギュラーを取れなかったことがとても申し訳無く思えた。
「うん。あの、レギュラー」
「また都合のいいこと言うねごめんね、私と付き合って!」
「……え?」
ここは教室内である。俺のこの姿にただでさえざわついていたのが、当事者もビックリな告白で爆発的な騒ぎに変わる。
俺のことについての緊急HRのため、担任が丁度入ってきていたのだが、この教室の有り様に目を点にさせていた。
「先生、俺と若葉ちゃん。じゃなかった、萌木さん、早退します!」
「あっ、おい」
俺は彼女の手を引いて慌てて教室を飛び出し、学校近くの喫茶店に入った。
息を切らす。出された水を一気に飲んだ。
「で、あの、あれ、どういうこと」
文句一つ言わずに俺についてきてくれた若葉ちゃんに目を向ける。今俺の目は血走っているだろう。そんな怖いだろう視線を彼女は真っ直ぐと見返し、しばらくして目線を下げた。
「多分、陸君怒るだろうから、先に謝っておくね。ごめんなさい」
「それじゃわかんないよ」
一拍。
「私ね、女の子が恋愛対象なの」
それを聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
グルグルと混乱をきたしている頭が、悪い方へと考えを巡らせる。
じゃあ俺は、若葉ちゃんの目にはさぞかし道化に映ったことだろう。だって絶対に叶うことのない恋をして、日々告白を続けていたのだから。
怒ってはいない。ただ、自分のばかさ加減に嫌気がさしただけだ。笑えない。しかし無理矢理笑顔を作る。
「それは、悪いことし」
「でも!」
彼女の聞いたこと無いほどの力強い声。さっきから俺は発言を遮られてばかりだ。
「合宿前に言ったことは嘘じゃないの!私は、貴方に惹かれてて。私男の子好きになったの初めてで。だから、戸惑いが大きくて踏ん切りつかなくて。そんなときに、陸君が女の子になっちゃって、こんなこと思っちゃいけないのに嬉しくて」
「え、マジで。あ、いや何でもない」
初めて、俺は女になってよかったと思った。我ながらチョロいとも思う。女ならずっと一緒にいられるのだろうか。でも男心としては、女じゃなくても今みたいでいてほしい。だから俺は、男に戻っても好きなままでいてもらえるように頑張る。
「若葉ちゃん、俺怒ってないよ。だってレギュラーになれなかったけど付き合ってくれるんでしょ?俺得してるじゃん。でも次こそは取るよ。で、いつか分からないけど男に戻っても……付き合ったままでいてください。」
「陸君……好きだし、可愛いし、もう!愛してる!」
強く抱き締められ胸に埋まる顔。慌てるが緩められない力に、諦めてご褒美だと甘受することにした。女、万歳。じゃない、男の方がいいんだ。惑わされるな俺。
「ちょっと待った、俺、女の陸がモロ好みなんすわ」
「俺も」
すくっとこちらからは死角になっていたボックス席からなにかが立ち上がって、変なことを告げる。
不穏になってきた、ていうか展開が早いし目まぐるしい。海、空、お前らどこから出てきた。俺が若葉ちゃんは渡さない! とか言う感じなら分かる。若葉ちゃん超可愛いし。なのに違う。頭が回らないし、痛くなってきた。
若葉ちゃんがにっこりと笑う。可愛い。
「何言ってるの?元々陸君は私が好きで、私が想いを返した。私達がくっつく以外の選択肢はないでしょ?ポッと出っていうか親友ポジの貴方達が立ち入る隙はないわよね。」
「これだから美人は」
「腹黒かよ、最悪」
「た、だ、の、正、論、よ。」
腹黒?どんとこい。可愛い。俺可愛いしか言ってない。本当に好いてくれていることが実感できて、少し泣きそうだ。
なんか海と空が悪役令嬢の取り巻きABみたいになってるんだが、気のせいか?
二人が苦い顔になっている間。若葉ちゃんが俺を呼ぶ。
「ね、陸君。私陸君が男に戻っても、今度はすぐに絶対好きだって、付き合ってって言えるよ。私、今まで臆病でごめんね」
「ううん、俺は勿論、ずっと好き」
女になったときは絶望したが、結果オーライという言葉がこんなにも似合う結末はあるだろうか。
「おいおい、俺らも陸口説いたんだけど」
「悪いな親友達、丁重にお断りする。俺男。」
俺はきっと、いい笑顔だろう。若葉ちゃんの頬に手を添え、顔を近づけた。