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第4話 未知との遭遇 前編

作者: 小町

 1


 ランダムント地区東部にある『ハイエネルギー工場』はひっそりとした廃油の沼に囲まれていた。硫黄染みた悪臭を放ってくる沼を見て、トレバーは今来たばかりであるというのに早くも帰りたくなった。

 沼は踏み込んでくる浅慮な人間を容赦なく飲み込む為に大口を開けて待ち構えているように見えた。どこまでも濁り、あらゆるものが底に沈んでいる。この汚染された底なし沼の名をダーリンと言うらしく、工場を囲むダーリンを有刺鉄線が絡みついたフェンスが更に囲繞しており、傍から見ればここはこじんまりとした要塞だった。


 この堅牢たる『ハイエネルギー工場』に入る方法は見たところ、どうやら一つしかないらしく、頑丈なフェンスをでたらめに引き裂いたような隙間がそれだった。午後、唯一の入口であるそこは人の往来が激しく、汗に濡れた連中の体がひしめきあっている。トレバーは思わず入るのを躊躇った。


 慌ただしく行き来する不潔な人の群れは、皆廃材を担架代わりにして何かを工場内に運び入れているようだった。そしてそれが彼らの仕事だった。こっそりと担架に乗せられた何やら黒ずんだ物体を覗き見て、トレバーはひっと喉を引き攣らせた。彼らは工場へとそれを運び込んだり、ダーリンへ投げ入れたりと忙しない。

 こんな物騒ところ、是非お見せしたいものがあると『少佐』に招待されなければ一度も来ることはなかっただろう。トレバーは死体の乗せられた無数の担架を無いものとして扱うことに決め、『ハイエネルギー工場』の敷地内に踏み入った。

「ようこそ」

 だれかがそう言った気がした。



 あの円盤墜落事件から六日を経た今でも、まだこのラクシエンタは浮足立っている。ガスレインと血の飛沫と爆音とが降ったあの日、ランダムントは独立記念日もかくやという賑わいを見せ、それは未だひっそりと継続中である。

 人々はリトル・グリーン・メンの襲来だの、表からのミサイル攻撃だのと噂し、憶測だけが広がりを見せている。最早人々の脳内は収まりがつかなくなってきているようだ。それはきっと墜落現場が封鎖されている所為でも、誰も真実を知る者がいない所為でもない。理由は一つで、皆が飢えているからに他ならない。

 担架を運ぶそこの彼も、蹲って吐いているそこの彼女も、きっと窶れきった顔の裏側では未知なるシルバーの円盤と、それがもたらす何かに怯え、そしてこっそりと期待しているに違いなかった。


 ダーリンに架けられた粗末な橋を渡り、廃工場の玄関口に足を進めれば、正面のコンクリートの殆どが崩れた素晴らしく開放的なエントランスに辿り着いた。

 トレバーはそれを見上げ、ネクタイをきゅっと締めなおした。擦り切れて薄汚れた麻のシャツを着ているトレバーだが、首元を飾るネクタイと銀色のクリップだけが新品のように陽を浴びて光り輝いていた。

 入口自動ドアの残骸であるガラス片を踏み砕きながら工場内部に入れば、様々なものがトレバーの目についた。血痕や蛍光灯の破片やプレス機や駆動を止めたライン。聞いた話によればこの『ハイエネルギー工場』は元は放棄された精肉加工場だったらしく、そこを我らが『少佐』が建て直したのだという。


 そのこと自体は大したものだが、この廃工場に死体を運び込んで一体何をしているのかトレバーには見当もつかなかったし、電気も通っていないこんなコンクリートの塊の中では大した事は出来ないだろうと思われた。

 エントランスを入ってすぐに『少佐』は発見できた。

 停止して動かないエレベーターの前で、彼らは話し合っていた。一人は『少佐』で、もう一人は見たことのない顔だった。トレバーは近付いた。


「それが、まだ何も分からないのです」男が顔を曇らせている。

「全く?」 

「ええ。あの機体には搭乗する為の機構がないばかりか、隙間一つ見当たりません。唯一銃弾によって穴は空いておりますが、調べようにも……」

「切ったり、引っぺがしたりしてみては?」

 そう『少佐』が言うと、男は目を剥いて反論した。

「引っぺがすだって。とんでもない。前々から言っておりますように、もっと慎重になるべきなのです。もしや貴方はあれをペンチとハンマーで分解しようと? 時計を壊して中を調べるのとは訳が違う。あれほど進歩的なテクノロジーに傷をつけるということは、即ち」

 怒気を露わにする男に『少佐』は途中から耳を塞ぎ、首を振ってこたえた。


 話が一段落着いたところを見計らって(実際にはまったく一段落着いていないが)「やあ」とトレバーは声をかけた。『少佐』はトレバーの姿を見るなり、断続的に飛来する男の唾と叱咤から逃げるようにして此方へ駆け寄り、手を広げて「ようこそ!」と歓迎した。

 脇に立つ男もトレバーの姿を捉えると、陰気そうに歪めていた表情を仕方なく緩めて挨拶した。彼はまだ『少佐』に対して言い足りなかったのだ。


「初めましてミスター・トレバー。ここの責任者のクラースです。本日は私が責任をもって案内させていただきます」

 ゼルジェル・クラースと名乗ったニグロは、慇懃に腰を折ってそう述べた。その所作だけでトレバーは、どうしてか彼とは仲良く出来そうにもないなと直感した。

 このような掃き溜めに堕とされてなお、まるで表の人間かのように上品に振る舞っていることが気に食わなかったのかもしれないが、トレバー自身何をもって彼を好きになれないのかは判然としなかった。


「話は後にしましょう『少佐』。それでは、ついて来て頂けますかなミスター・トレバー」

 頷きを返すと、クラース主導の完璧なる工場案内の元トレバーは目的地まで誘われた。彼の案内のその途中途中で、トレバーは奇怪なる光景を工場内で幾つか発見し、その有様に全身が総毛立つのを感じた。

 例えばそれは、毛髪の絡みついた何かの肉や臓物を鉄板でプレスする心の塞ぎ込んだような集団だったり、赤黒いペースト状の物体に糞のようなものを練り込んでいる作業的な集団だったりした。

 そしてそのどれもが、見ていて寒気のする光景だった。それはもう。ただ見ているだけでとても気に障るクラースの矍鑠とした歩法や泰然とした態度を忘れてしまう程に、それは不気味だった。


「あれは?」

 トレバーはその集団の内の一つを指差して尋ねた。

「ああ、あれですか」とクラースは鷹揚に頷いて見せた。「あれは磨り潰した死肉にハシシを練り込んでいるのですよ」トレバーは耳を疑った。脳内で花火が上がったかと思った。ひゅううう。

 何でもない風に言ってのけるクラースは、トレバーの複雑な表情を見て、心からの理解を得ようとこの『ハイエネルギー工場』の何たるかについて滔々と話り始めた。


「そもそもここは『ハイエネルギー工場』という名前ではありません。従業員が勝手に呼び始めた名称であり、本来の名は別にあります。『ハイエネルギー工場』の名の由来は我々が開発しているスーパーフードにあるのでしょう。この工場の目的は幾多ありますが、それら全てはスラムで最も問題視されている食料不足を解決することに集約されます。つまるところ我々は、三百グラム摂取するだけで一週間活動できるような、超高エネルギーなスーパーフードを開発しているのです」

 スラムで日夜生産される死体をここへ運び込み、そして工場で消費するというこの行いにクラースは強い誇りを感じているようだった。きっと彼は、常人にはとても理解できないような使命感を帯び、並々ならぬ責任を感じているのだろう。


 トレバーは空へと思考を放り投げて、クラースの高説に無心で拍手した。そうでもしなければやっていけそうにもなかった。トレバーの顔色を窺ってから、クラースは満足げに笑みを深めて更に舌を回した。トレバーはそれを聴きながら、無言で後ろを歩く『少佐』に気付かれぬよう脇に唾を吐いた。


「ここです」

 クラースの話を聞き流しているうちに目的地に着いたらしく、『少佐』があるドアの前で立ち止まって言った。トレバーは足を止め、ドアに刻まれた立ち入り禁止の文字に目を凝らした。近辺に従業員がいないかを確かめた後、クラースは黒い垢の溜まった指先でドアノブを捻り、無造作に押し開けた。

 中は白く広大だった。ライトさえ灯っていた。幾つものスポットライトが部屋のあちこちから、中央に鎮座する巨大な物体を照らしている。トレバーは工場内にこのような間があることにまず驚き、そして中央に置かれた物体が何であるのかを理解し更に驚いた。


「これは……」

 トレバーは声を失った。無意識にそれへ向かって歩んでいた。

「ええそうです。あの空を飛んだ円盤です」

 両手を後ろ手に組んで『少佐』は告げた。部屋の中央に存在するそれは、あの日の円盤だった。奇妙な曲線といい、ペンキをぶちまけたような下部の血痕の広がりといい、間違えようもなくこれはあの日のままだった。円盤はどうやらクラースの手によって完璧な状態に保たれているようだった。トレバーは鈍い銀色を見て、自分がただならぬ歴史の上に立ったような気さえした。


「どうして、これが此処に?」

「あの墜落事件の後、私がウィスパー・ドドニクへと事の次第を注進しましたところ、ウィスパーはこの件に関して介入を決めました。ウィスパーはこの円盤を欲したのですが、それには猟民が邪魔だったのです。愚かなる彼らは突然降って湧いたこれを神として崇めようとしたのです。そこで我々と彼の私兵とで円盤の奪取の為ホテル制圧を行いました。猟民は壊滅的な被害を受け、ホテルを放棄し逃亡。晴れて円盤は我々のものとなったのです」


 そう『少佐』が締めくくると、クラースは素晴らしいと叫んで喝采を送った。トレバーは継ぎ目一つない円盤に魅せられたように黙して動かなかった。円盤に残る弾痕からは半透明の液体が漏れだし、床に水溜りを作っている。

 トレバーのそんな様子を見て『少佐』は招待した甲斐があったなと喜んだ。

「ですが、こんな物が空に擬態しその上浮遊していたとは未だ信じられませんな」

 クラースが腕を組み、無い髭を擦るような仕草をすると『少佐』も同感といった風に頷いて言った。

「こんなものが飛べるのなら、明日にはセダンや自販機だって飛びますよ」



 2


 その日は晴天だった。歴史あるフレイン階段を上りきったところで、オズバーン・ドースは左腕を敬礼の如く眼前に翳し時刻を確認した。反射するブレゲが目に沁みた。「遅かったか」彼は短針と長針の位置関係を何度も確認しなおした。だが彼に時は戻せない為にそれは無意味な行為に終わった。


 オズバーンの目の前には、鉄で出来た重々しいドンウォン橋が姿を見せている。その鉄橋の異様さは、通過者達の覚悟を選別する最後の関所のように思えた。そして、勿論の事ながら彼にはその覚悟があった。少なくとも彼はそう自負していたのだ。

 オズバーンは鉄橋の欄干に凭れ掛かり、空を見上げている若者に気付き、今までの人生を鑑みるが如くゆったりとした歩みで近付いた。


「やあ、こんにちは」若者はオズバーンに目を向けるだけで、口は利かなかった。

 その此方をぶしつけに観察するような瞳に、オズバーンは微笑みを湛えることで返答した。自分の理知的かつ適度に老いた風貌は、こういう時にこそ役に立つことをオズバーンは今までの経験からよく承知していた。


 若者はオズバーンを眺めるのを止めた。顔に刻まれた皺から何かしらを読み取ったのかしらないが、彼なりに納得したようだった。彼は頷いて見せた。つまりは要件を話せという事らしかった。そしてそいういった機微を読み取る事にもオズバーンは長けていた。「もう配給は行ってしまったのかな?」

 若者は首肯した。「そうか。残念だ」オズバーンはそう言って同じように欄干へと背を預けてみせた。「君はこの街に詳しかったりするかな?」彼は頷いて、多少はと付け加えた。「そうか、それは良い」


「実はガイドを探していてね。昨日から。中々見つからないんだ」

 彼は少し笑って「ここでガイド探しを?」とオズバーンをからかう素振りを見せたが、そのすぐ後にその表情を強張らせた。「あの向こう側の案内を頼めるガイドを探しているんだが、誰も受けてくれない」

 オズバーンはドンウォン橋のはるか先を指差す。若者は笑いそうになった。無知とは恐ろしいものだ。あのラクシエンタを親切に案内してくれるガイドが存在すると本気で彼は信じているのだろうか。きっとこの男は鶏が卵から産まれることも知らないんだろうと若者は思った。

 目の前の男の啓蒙こそが自分の使命であると自覚したように、若者は天に向かって唾を吐いた。それはまるで、その唾でもって人工衛星を撃ち落とそうとしているように見えた。


 止めた方がいいな。そんなバカな事は絶対にやめるべきだ。彼は続けて言った。「名前は?」オズバーンは少し考えてから「私かい?」とはぐらかした。彼は「そう、他に誰が」と答えた。「ロステイルだ。ロステイル・ドース」オズバーンは眼をぼんやりと上にやりながら答えた。


「ミスター・ロステイル。忠告しよう。どんな理由があろうとあそこへ行くべきじゃない。観光気分は捨てるべきだ」

「観光ではない。あそこには知人が居てね、会いたいんだ」オズバーンの頭には、偉大なる男の黒々とした顔が浮かんでいた。自分はあのリビア人のウィスパー・ドドニクという形而上的な虚像を追い求め続けてきたのだ。そして、本来であるならば彼はこのような薄汚いスラムに居てよい人間でない事は誰の目にも明らかだった。


「人を? だが貴方では第一地区がやっとだ。きっとそれ以上貴方は行けないだろう」若者の言葉にオズバーンは首を傾げた。すると彼は「まさか!」と声を大きくした。「貴方はそんな事も知らずにあそこへ?」いやあ、とオズバーンは頬を掻いた。その爪には土が詰まっていた。

 嘆息し、若者はそれ以上話すのをぱたりとやめた。若者はロステイルがきっと自らの過ちの犠牲になるのだと思った。ラクシンエタ旧市街の恐ろしさは踏み込んでみないと理解できないのだ。あそこはただのスラム街ではない。そうである筈がないのだ。


 第一地区の有様を見た限りでは、印象としてただのありふれたスラムだとしか受け取れないだろう。卑しさと貧しさの体現者達が第一地区には横溢している。だが第二地区ランダムントに進み、人間の究極的な末路や間歇的に人が死んでいく様を目撃し、あられもない暴力に晒されることで、人は漸く過ちに気付くことが出来る。ここは踏み入ってはならぬ場所であると漸くわかるのだ。

 そしてラクシエンタ最奥である第三地区に入った時、誰もが自分の犯した致命的な失敗を後悔するだろう。あそこはもう我々の国とは呼べない。第三地区は貧民街の王が支配する王国と化しているのだ。あの地では最も強大な通貨である筈のドルも死に、王の絶対的不可謬を強いられる。

 あれはアメリカの内側に在りながら、全くの埒外にあると言ってよかった。あのラクシエンタ旧市街は愚かな宗教戦争と同じくして、炳として不滅の存在となっているのだ。






宇宙人を出すからにはぶっとんだ話を書いてやろうと意気込んだものの思い付かず断念。

次にコズミック・ホラーを目指すも断念。SFって難しいですね。

中編か後編に多分続きます。続かないかもしれません。

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