一冊目 バイオレンスな彼女 1
ぬるい風が吹き、うだるような暑い深夜、まだ春だというのに嫌な気温だ。
バイト帰りの俺は連勤最後の今日、ご褒美に買った高い弁当をぶら下げ、気まぐれでいつもと違う道を、のんべんだらりと歩いていた。
バイトで疲れていたのか、路地裏から誰かが来たことに気が付かなかった。
まあ早く気づいていようが気づいていまいが同じ運命をたどっていたことだろう。
ともかく、気づいた時にはそいつは俺の目の前にいた、瞬間そいつの顔は真っ赤に染まった。
それが血だと、それも俺の血だと理解するのにどれくらいかかっただろうか。
実際は一瞬の事だったのだろう。だが、俺にはまるで時間が止まったかのようにすぐに理解できなかった。
俺の腹は切られ、ナイフが刺さり、尋常ではない量の血が噴き出ていた。
新鮮な魚が腕のいい料理人にさばかれたらこんな感じなのだろうか、声を上げることはおろか痛みすら感じることなくその場に無様に倒れた。
「さて、どうしたものか」
さすがに道の真ん中に倒れたままの女の子をほっとく事ははばかられた俺は彼女を家まで運んできた。
とりあえず布団に寝かせてみたけど、どこか傷があるわけでもないし呼吸なんかも変な感じではないし、むしろ穏やかに眠っているみたいだ。倒れた理由はよくわからないがまあ少なくとも眠っている間は無害だろう。
服は服と呼んでいいのか、ただ布を巻いているだけという感じでボロボロで、身体中泥まみれだが、ボロボロな見た目に対比するかのようにまるで絹糸のような、白く綺麗な髪をしている。とは言ってもその綺麗な髪もどろどろなわけだが。
「寝てる姿は普通にかわいいんだけどな」
…いや別段そういう趣味があるわけではない。
あと運んで思ったがすごく軽い。歳相応だと言われればそうなのかもしれないが…
背も低いし筋肉がそんなについてるようでもないし、見た目だけで言うと小、いやさすがに中学生くらいだろうか。
体格差、年齢差を考えるとよくその身体で俺を切って刺して殺したなと思う。まあ、技術とかそういうのがあったら関係ないのかもしれないけど。
んー、今まで何回かこういう事あったけどなんか違うんだよな。今までのはもっと計画されたって感じだったんだが、今回のはなんか、計画されてた感じがないというか、近くにいたから刺した、目に映ったから殺した、みたいな適当な感じだ…
実際気がついた時には彼女が倒れてただけで、別の場所に連れていかれたりだとか、他の奴がいたりだとかしなかったわけだしな。
と考えていたところでピーっとキッチンでヤカンが鳴った。
腹が減っては何とやら、今日の晩御飯は大好きな牛焼き肉弁当!!これと熱いお茶、なんて豪勢な晩御飯なんだ。
重い腰を上げてキッチンにある湯呑に沸きたてのお茶を入れる。ふっと独特の香ばしい匂いが漂う。
珍しいかもしれないが、どうも普通のお茶が苦手で、俺は大抵そば茶を使っている。妹なんかは普通のお茶がいいなんて言っていたが俺はこの香ばしさが好きだ。
キッチンから戻りながらお茶を一口。やっぱり美味い。
机の上に湯呑を置いた時に彼女の寝顔がちらりと見えた。
すごく幸せそうに寝ている。
刺されたことに関してはそう簡単に許せるものではないけど、まあこの弁当を前にはどうでもよくなる。うんまあ許してやろうかと思う。
これまでにも何回かこういう事はあったわけだし。
とりあえず俺はこうして生きて美味しいご飯を食べられるわけだしな。
まあ、彼女について考えるのは後だ。
一悶着あったせいでせっかく店で温めて帰ってきたのに少し冷めている。が、まあこれくらいは許容範囲だ。
ふたを開けると部屋いっぱいに広がる肉の香り、肉だけでなく身体にも優しい野菜炒め、そして、まるで絨毯のような白く美しいピカピカのご飯。それに絡む焼肉のタレ。弁当箱の端っこに申し訳程度にある漬物はご愛嬌。
そこに別でついているこの温泉卵を肉の上に投下!うはぁぁぁ匂いと見た目だけでご飯3杯はいけるぞこれ。
さてさて
「いただきm「ナゼいきている」
突然のセリフに驚いてしまったが、死んでいたわけではないから話しかけられても何の不思議もないのだが、この晩餐のまえに彼女の動きなんかかすんでしまっていたようだ。
どれだけこの弁当に意識を集中させてたんだよ俺。
明らかに俺と距離を取って戦闘態勢をとっている彼女。まあ狭いボロアパートだからたいした距離もないんだが。
「危ないから持ってたナイフはこっちで回収したから、構えなくてくていいよ、こっちも危害を加えるつもりもないし」
「別にナイフ、必要ない」
彼女のセリフを聞き終えた時には俺の右手が宙を舞っていた。
これが手刀ってやつなのだろうか、実際そこには何も存在していないのに、まるで実際に刃物で切られたようなそんな感じだった。
声を大にして叫びたかったがなんせボロアパートそんな声出したらいろんな意味でヤバイ。腕がすっとんで血まみれなのも、小中学生くらいにしか見えない女の子がほぼ何も着ていない状態で部屋で暴れているという現状もヤバイ。
大家さんにばれたら洒落にならない。いろんな意味でやばい。
何とか叫びたくなる声をおさえたところで彼女がまた話し出した。
「ナゼいきていた、話さないと順番に残りの手、足、落としてい…」
さすがに驚きを隠せないか、それはそうだろう、そもそも殺したと思った相手が生きていて、今切ったはずの腕や、流れていた血が綺麗さっぱり何事もなかったかの様に戻っているんだから。
「ちょーっと特殊な体質でね、悪いがそう簡単には死なないよ、いや死ぬと言えば一度死んでいるようなものだし、切られるし、痛いし。けど説明するにはちょっと難しいな、と言うよりめんどくさい」
いきなり腕を切られるとは思ってなかったが、今回はある程度対応できるようにはしていたから、さっきみたいに無様に倒れはしないさ。流石にいきなり腹を切られていたらヤバかったと思うが。
っとどうしたものかな、これ以上切られるのも刺されるのもかんべんなんだが…
あんまり騒ぐと大家さんにばれそうだし。
グギュルルルルル
と盛大な腹の虫がなった。俺のじゃない、彼女のだ。
恥ずかしかったのか顔を真っ赤にしながらにらんでくる。どうせ怖い顔されるのならこっちの方が可愛げがあっていいな。
…いやそういう趣味はない。
「とりあえず腹ごらえしないか?俺ももう腹減ったし。」
両手を上に上げながらキッチンに移動する。確か流しの下に非常用のカップ麺があったはず…っと、あったあった。
「おーい、みそとしょうゆどっちがいい?」
あれ、返事がない。
「おーい。っと」
しょうゆ味のカップ麺を片手にリビングに戻ると、少女は布団の上で寝息をたてていた。
なんだ、また寝たのか。
まあ寝たのならそれでいい、説明はまた明日でいい。
それより今は腹ごしらえ腹ごしらえ…
少しこの部屋について説明しておこうかと思う。
さっきも言った通りこの部屋は狭い。とは言っても一人暮らしにはそこまで困ることもないんだが。
とりあえず数字の6をそれもデジタルの方をイメージしてもらいたい。
縦の部分から玄関、途中にキッチン、そしてトイレ、六畳間のリビングが6の四角いところだ。真ん中に机、押し入れには布団とその他もろもろ、あとはテレビがあったり。風呂はないから近くの銭湯へ。
何故こんな話をするかと言うと、リビングからキッチンつまり流しの下のカップ麺を探す数秒だ、その数秒のうちに俺の、俺の牛焼肉弁当(大盛り)980円を食いやがった。しかも漬物だけ残して。
やろう口のまわりに温泉卵の黄身がついてやがる。
その後、俺は涙でしょっぱいカップ麺を漬物をお供に食べすぐに寝た。