壱
今思えば、あれは幻だったんじゃないか。
それ程に彼女は曖昧で、不確かで、透き通っていた。
淡い水色のワンピースに、腰まである真っ直ぐな髪。
肩から零れるそれは絹糸のようで、細い二の腕をかすめる様に胸が息苦しくなった。
そんな彼女との出逢いは、気だるい夏に降ったあの雨の日――。
「こんな真夏に雨降るなんてなー」
「面倒だな」
放課後の昇降口にて、友人2人がぼやいている。
今年の夏も例年通り暑い。
そんな時期の学校は、普段の倍はかったるくなる。
午後から降る雨は一時的だと聞いたのに、止むことなく降り続けた。
降ることは予報されたが、傘を忘れた生徒は今朝の天気予報を見ていなかったらしい。
雨に濡れて帰る奴もいれば、色とりどりの傘をご機嫌に差して帰る奴もいる。
最近の雨具はお洒落になったらしい。
「お、定春の傘洒落てんなー。そんなん何処で売ってんだ?」
「駅の近くに傘の専門店ができたから、そこで買った。お前のは相変わらずダサいな」
「にゃんこのどこがダサいんだよ!可愛いだろうが!!」
それぞれのを傘立てから引っ張り出し、それを見て意見を述べる。
猫が可愛いのは認めるが、優一の傘には猫なのかもよく分からない生き物がプリントされているため、それが可愛いとはとても思えない。
「だいたい、それ本当に猫なのか?」
俺が横目で見ながら言うと、素早く反応する。
「どこからどう見てもにゃんこだろ!!」
「いや、むしろUMAだろそれ」
「未確認生命体じゃねえよ!なに夢描いちゃってんだよ俺!」
鋭い定春の突っ込みにも元気よく反論している。
優一は基本的に賑やかな奴だ。
それを冷静な定春が冷ややかに対応していく。
真逆だが、バランスの取れた友人達だ。
因みに優一の傘はどっかに旅行した際、雨具屋で描かせてもらったらしい。
今時の、骨が16本あるやつだ。
自慢気に話しているのを、俺と定春は生暖かい目で眺めていた。
「相変わらずなのは幸弥だろ!ずっと変わらず真っ黒な傘でよう!もうちょっと洒落っ気をだな…って、幸弥?」
「悪い、今日は早く帰らないといけねえんだ」
「食事当番の日か」
「そ。また明日な!」
言うな否や、俺は優一が文句をつけていた真っ黒な傘を広げ、雨の中へ飛び出した。
我が家は父親が単身赴任なお陰で、母と妹の3人で暮らしている。
“料理のできる男はモテる!”という名目で、週に4日は食事当番を請け負ってるわけだ。
その他の家事は、時間がある時に率先してやっている。
妹はまだ幼稚園児で、自然と食事はお子様向けメニューが多くなる。
母曰く、『園児食が作れるなんて、素敵なパパになるわね!』だそうだ。
父親になるなんて、どれだけ先の話なんだか。