99話
劉備達が徐州に移ってから一ヶ月。
週2度のペースで開催されている朝議はいつもと違って騒然としていた。
それは一人の兵が朝議の場に入ってきたせいであった。
「も、申し上げます!」
「ど、どうしたの~?」
「たった今公孫賛様からの使者の方がご面会に来られておりまして……」
「白蓮ちゃんからの使者?」
「はて、桃香様の州牧就任の祝いであろうか?」
趙雲は腕を組んで呟いた。
「い、いえ……それが、多数の負傷した兵を引き連れた李典将軍が保護を求めていらっしゃるのです!」
「なッ!?」
「「はわわ(あわわ)……きょ、教祖様が!?」」
「ほ、保護!?」
「大変なのだー!」
李典を知る者達は一斉に慌て出す。
しかし、李典を直接は知らない3人は困惑しつつ傍観していた。
「李典……聞いた事のある名ね」
「ねね様が仰っていた連合軍屈指の工兵だったと記憶しております」
「ああ、そうだったわね。一体何があったのかしら……?」
「ねねちゃん……今頃どうしてるのかな?」
「大丈夫よ、月。恋も一緒なんだから無事に決まってるわ」
「……うん、そうだね」
冴えない表情で頷く月。
根が真面目で優しい月は自分自身の事より他人の事が気になって仕方ないのである。
張遼が曹操に降ったのは劉備達から聞いて知っていた。
しかし、呂布と陳宮が逃亡してからの行方は未だ不明なのだ。
自分達の正体を明かせない以上、大掛かりな捜索など出来ず、噂だけが彼女らの頼りであった。
街に出る機会がある度に3人は仲間だった者の行方を聞いて回っていた。
仲間の安否も心配であるが、自分達が無事である事をどうにか伝えたいのである。
だが、居場所が不明では伝えようが無かった。
彼女らは只信じる事しか出来なかったのだ。
一方、他の劉備陣営の面々は戸惑いの表情を浮べていた。
その中で比較的冷静な趙雲が劉備に声をかける。
「桃香様、まずは真桜を呼んで話を聞くべきかと」
「う、うん。そうだね……李典さんをココに通して貰えるかな」
「はっ!」
兵卒は一礼をして李典を呼びに向かった。
劉備は心配そうに呟く。
「白蓮ちゃん……大丈夫なのかな?」
「白のお姉ちゃんはそんなに弱くないのだ!」
「うむ、しかし……幽州の地で何かあったのは確かだろうな」
「将軍である教祖様が来られるとは……余程の事かと……」
「教祖しゃま……あぅ」
大丈夫と信じながらも、面々は不安を拭えないまま只待つしかなかった。
「とにかく待ちましょう。我らが慌てても仕方あるまい」
趙雲が落ち着いた発言をした事で、皆も冷静さを取り戻り始める。
「そ、そうだね……李典さんから話を聞けば、全部分かるんだもんね」
そう言って劉備は息を深く吐くのであった。
しばらくして、兵の案内を受けた李典がやって来た。
その李典を見て、内心一番驚いたのは趙雲である。
「……驚いたな」
趙雲は知らず知らずの内に呟いていた。
李典の纏う覇気とも呼べるオーラが以前とは段違いだったからである。
それは決意を秘めた者だけが纏える“モノ”であり、覚悟を決めた者だけが発する“モノ”であった。
諸葛亮と鳳統はひとまず李典が無事な様子を見て息をもらした。
張飛は小首を傾げて見ており、趙雲同様、李典に何かを感じているのだった。
その李典が片手を上げて口を開く。
「急に押しかけてスマンかったなぁ。火急に知らせなアカン用件があるよって」
「そんなの全然いいよ。それより……用件って何かな? 白蓮ちゃんと関係あるんでしょ!?」
劉備は不安そうに尋ねた。
李典は真剣な表情で語る。
「……白蓮はんが……逝きよった」
「「「「えっ!?」」」」
「な……ッ!?」
突然の訃報に皆が絶句した。
「う、嘘だよね……? じょ、冗談だよね!?」
劉備は戸惑いながら李典に問い掛けた。
「ンな性質(タチ)の悪い冗談言うかいな! 伯雷やあるまいし……袁紹が攻めてきよったんや。ほんで遼東の城はあっちゅー間にほとんど落とされてもた」
「そんな……」
「宣戦布告の使者が来るんと同時に、国境の城や砦は次々に落とされたらしいわ」
「はぅぅ」
「あぅぅ」
「へぅぅ」
チビッコ軍師とチビッコ侍女は話を聞いて表情を暗くする。
「え、袁紹さんが……!?」
「……ちょっといいか、真桜」
「なんや?」
「らしいとはどう言う事だ? お主も戦線にいたのではないのか?」
趙雲は李典の言葉尻が気になって話に割って入った。
「ウチは反董卓連合が解散された直後に白蓮はんの下を離れたんや」
「ええっ!? どうしてですか!?」
諸葛亮が驚きの声を上げた。
趙雲は少し眉を顰めた。
李典はそんな趙雲をチラリと見る。
「姐さんの想像通りやけど……ココで言おか?」
「……朱里、その件はまた後程」
「あっ……はい」
趙雲の一言で諸葛亮は引き下がった。
李典は相変わらず神妙な面持ちで話を続ける。
「ウチが駆けつけた時には……もう瀕死の状態やってな、手の施しようがなかってん」
「そんな……そんな……」
劉備の顔色は見る間に青褪めていった。
「死に目に会えたんはホンマ偶然やで」
「……嘘だよ……だって……約束したし……恩も返せて……」
足の踏ん張りが効かなくなったかのように、その場に座り込む劉備の目からは涙が溢れていた。
趙雲がすぐに駆け寄るが俯いたままである。
「桃香様、気をしっかり持って下され」
「白のお姉ちゃん……死んじゃったのか?」
張飛も目に涙を浮べて李典に尋ねる。
「……せやで、死んでもたんや。それも……戦って死んだんやない、謀反に遭うて殺されたんや」
「「えっ!?」」
「なんとッ!?」
チビッコ軍師と趙雲は耳を疑った。
しかし趙雲はあの洛陽での一夜を思い出して顔を顰めた。
「どういうことかしら?」
それまで黙って静観していた詠が李典に尋ねた。
「文官共と一部の騎兵隊が徒党を組んで寝返ったんや。白蓮はんの首級を土産に袁紹に降ろう思とったみたいやけどな、ウチらがギリギリ間に合うて……いんや、間に合えへんかったっちゅう方が正しいわな」
「ボクは噂でしか知らないけど、公孫賛の内政に関して悪い噂は聞いた事がないわよ。それに……反董卓連合の時はそれなりの活躍を魅せたと聞いたけど……」
詠は眼鏡を押し上げて意見を述べる。
李典は詠に向き直って答えた。
「表面上はそうやろな……せやけど、孝行が報われるとは限らんやろ?」
「確かに……そうね」
「人間っちゅうんは欲深い生き物なんや。その環境に慣れてもたら、もっとエエ環境に移りたい。もっと、もっとって思うんやと」
「……耳が痛いわね」
「偉そうに言うとるけど……ウチかてそうやで、人間やもん」
詠が表情を顰めるが、李典は不敵に答えた。
劉備は相変わらず下を向いたままであった。
張飛と趙雲、それに諸葛亮と鳳統は劉備を取り囲むように立っている。
詠と月と妖光は少し離れた位置で李典とのやりとりをしていた。
詠は劉備達の様子を見て、ここは冷静な自分が話を進めるべきだと考えたのである。
「それで、公孫賛は配下だった者に裏切られて討たれたという事ね?」
「そう言う事や。背後から刺されたらしゅうてな……ウチが行った時には、連中が逃げた後やって仇は討てんかった……」
「じゃあ袁紹に降ったと考えるべきかしら」
「十中八九そうやと思うで。保身しか考えとらん連中やったしな……せやけど、謀反がのうても負け戦やったやろな」
袁紹のやり口は気に入らないが、結局は負けていた李典は語った。
「袁紹軍はそれほどの勢いだったの?」
「数が話にならんかったわ。5~10倍の兵力で来られたら余程の策があっても厳しいで」
「それだけの兵力差を引っ繰り返すのは至難の業ね」
「将軍不在、軍師不在での戦や……袁紹に攻め込まれた時点で九分九厘終わっとった」
淡々と話す李典であったが、袁紹の取った行動に関して、内心では腸(はらわた)が煮えくり返っていた。
卑怯と責めるつもりは無いが、許すつもりも無かったのである。
話を聞き、趙雲は公孫賛を想う。
「さぞ無念であったろう……」
張飛が泣きっ面で問う。
「お姉ちゃんは悔しがって死んだのか?」
諸葛亮と鳳統ももらい泣きしていた。
「劉備はんに……『後を託す』て言うとったで」
「桃香お姉ちゃんに?」
「そう劉備はんに伝えてくれっちゅうて頼まれたさかい、今日こうして参ったんや」
「桃香様に……伯珪殿が……?」
「後は頼むっちゅう遺言や。確かに伝えたで……と言いたいとこなんやけどな」
李典は言葉を切り、劉備に向き直った。
「うむ、今日のところは……桃香様、寝室で休まれた方が……」
趙雲が肩を貸して劉備を抱き起こす。
劉備の両目は真っ赤に腫れており、その涙は止まる事が無かった。
「ウチに付いて来た兵も休ましたってくれるやろか?」
「分かった。食事の手配もしておこう」
「そら助かるわ」
「なに、伯珪殿には恩義がある。いつまででも滞在すると良い」
「おおきに」
李典は礼を言って椅子に腰掛けた。
劉備を寝室まで運び、戻って来たのは趙雲と諸葛亮、それに鳳統と詠だけであった。
他の者は劉備の側に居残ったのである。
李典は隣に寄って来たチビッコ軍師の頭を撫でてやる。
「大丈夫か、雛里、朱里?」
「悲しいですけど……大丈夫です!」
「わ、私も……大丈夫でしゅ!」
「エエ子や。2人とも強なったな、ウチは嬉しいで」
さっきより強くナデナデする李典。
「はわわ」
「あわわ」
「ニシシシシ……!」
「あ、あのぅ……河北を袁紹が制したとなると、これからは諸侯同士の争いが激化するでしょうね」
諸葛亮が考えていた意見を述べた。
「せやろな、背後を脅かすモンがおらんくなったんや……当然動いて来るやろな」
「ふむ、西進するにせよ南下するにせよ……地盤は整ったというワケだ」
趙雲は李典の対面に座った。
再び諸葛亮が口を開く。
「袁紹さんは董卓さんとの戦いでは望んでいた大きな手柄を上げれませんでしたし、曹操さんが天子様を奉戴してしまいましたから……焦っていたのだと思います」
「そうでしゅね。無いモノを自分で掴み取ろうとした結果でしょうか」
チビッコ軍師2人は自身の推察を語る。
しかも的を射た内容である。
詠は趙雲の隣に座り口を挿む。
「公孫賛の土地を狙ったのは、後顧の憂いを断ち切りたかった為でしょうね」
「はい。袁紹さんの南には精強な曹操さん、西には剽悍で名高い涼州です。それならばまず北を攻めるのは突飛な考えでもありませんね」
「伯珪殿にも甘さがあったと言う事であろう」
趙雲は腕を組んだまま苦言を呈した。
しかし李典はそれをフォローして回る。
「甘さもあったかもしれんけど、運が無かったで。ウチだけやのうて伯雷もおらん、さらに翁大老も逝ってもて上層部はスカスカ状態やったさかいな」
「なんと翁殿まで!? 確かにそこまで混沌としておれば対応の使用が無かったやもしれぬな」
「一度に将軍と軍師と参謀を一気に失くしたんや。そこを突かれたら勝てるモンも勝てへんで」
「ふぅむ……周囲に目を向けるよりも内部が大変だったのだな」
公孫賛の境遇がそこまで悪かったとは思っていなかった趙雲は少し考えを改めていた。
詠が思っていた疑問を投げる。
「それで公孫賛の遺言では『後を頼む』って事だけど、幽州を取り返す手伝いでもしろって事なの?」
「ウチは違うと思とるで。白蓮はんが劉備はんに継いで貰いたいんは、そんなんちゃうと思とるけど……判断するんは劉備はんやからな」
「ところで、真桜。気になっていたのだが、伯珪殿の真名はいつ?」
「死に目に会うた最期にな……忘れモンを回収しただけやで」
「今後袁紹さんはどう動くでしょうか?」
諸葛亮が皆に問い掛ける。
「南下して曹操と当たるんじゃないかしら……不仲説は有名な話なんだし」
詠は自信有り気に答えた。
「私も袁紹さん的に、西は無いと思います。詠さんの仰る通り南下して曹操さんに仕掛けるのではないでしょうか」
鳳統は控え目ながらも力強く自分の意見を進言した。
まるで隣に座る李典から教祖パワーを貰っているかのように元気に満ちていた。
それを聞いた諸葛亮も頷く。
「私も詠さんと雛里ちゃんの意見を支持します。河北を呑み込んだ袁紹さんはその勢いを以(も)って曹操さんにぶつかるでしょう」
「問題はその後ね。どちらが勝つにせよ……次に狙われるのはココの可能性が高いわ」
「ウチからもう1個助言や。袁術には注意しぃや」
「袁術?」
「どうしてですか?」
「ウチの諜報が袁術が妖しい動きをしとるという情報を掴んだんや」
李典の言動で4人の表情が一変した。
「こちらに仕掛けてくると……?」
「その可能性があるっちゅう事や」
「着任したばかりの桃香様を狙って徐州を丸々手に入れようという算段か」
「はわわ……た、大変です」
「あわわ……さ、策を練らないと」
チビッコ軍師はあたふたと騒ぎ出した。
李典は苦笑して宥める。
「ちぃーと落ち着きぃや。まだ攻めて来たワケやないで」
「「は、はひぃ」」
「この件は明日桃香様にも報告して決めねばならんな」
「そうね。ボク達だけで判断出来ない案件だものね」
「真桜、この後……一献どうだ? 複雑な思いがあるだろうが……今夜だけは伯珪殿を偲びたいのだ」
「……分かった。ウチは構へんで」
その夜は各々が公孫賛を想ったという。
劉備はショックが大きく塞ぎ込んでしまい、張飛は側に付いて眠った。
諸葛亮と鳳統もいつも以上に寄り添っていた。
趙雲は一筋の涙と共に杯を傾けていた。
皆がそれぞれの悲しみに浸った夜が明ける。
朝議の場に集まった面々は自分なりに公孫賛の死を受け入れていた。
しかし、只一人だけ受け入れられないでいる人物がいたのだ。
その人物とは、この陣営のトップである劉備だった。
「――というワケで、李典さんの情報を信じて策を講じるのと、裏を取る必要があると思うのですが……?」
諸葛亮が昨日の内容をまとめて劉備に意見を求めた。
「…………それでいいよ……」
「桃香様?」
「……朱里ちゃんに……任せるよ」
昨日からほとんど何も食べていない劉備から覇気は全く感じられない。
全ての案件に対して「いいよ」「任せる」とだけ答えていたのだ。
「桃香様……」
「……任せるよ……」
皆が心配そうに見詰める中、一人だけ苛立ちを感じている者がいた。
食客扱いになっている李典である。
そして、とうとう我慢の限界に達して劉備に向けて檄を飛ばした。
「なんやなんや、その腑抜けた面は……!」
しかし、劉備に反応は無い。
李典は少し声を荒げた。
「辛気臭い顔しよってからに、白蓮はんはアンタに意志を継いで欲しい言うてたんやで!」
「…………私に?」
「せや、他の誰でもない……アンタにや!」
「……でも……私……どうしていいか……」
「桃香様……」
再び涙が溢れ出した劉備を諸葛亮らは心配そうに見ている。
「悲しむなとは言わん。泣くなとも言わへん。せやけどアンタは一国の主や。進むべき方向はアンタが指し示さなアカンねや!」
「…………」
「白蓮はんに比べたらアンタを支えてくれる人は多いんや……せやけどな、周りに頼るんと甘えるんは全然ちゃうんやで!」
李典の怒声にチビッコ軍師はビクリと肩を揺らす。
「考える前からどうしてエエのか分からんなんぞぬかすな! まず考えぇ! 思考停止しとる暇なんぞあれへんねんで!」
「……だって……私そんなに頭が良くないし」
「考えて分からんかったら聞けばエエだけや。アンタには策士が2人も仕えとるんやで、なっ?」
そう言って李典はチビッコ軍師を見た。
「そ、そうですよ。桃香様!」
「そうでしゅ、私達に聞いて下さい!」
「でも……甘えるなって……」
「考えもせんと聞くんは甘えやけど、考えた上で聞くんはエエんや! 自分で考えて決めるっちゅう行為によって生まれるんが何か分かるか?」
「…………」
劉備はしばらく考えてから、ゆっくりと首を振った。
「それは責任や」
「……責任?」
「そうや。自分で考えたモンには責任が生まれるねん。一国の主であるアンタの責任は重いハズや」
「…………」
「更に白蓮はんの遺志っちゅうモンが圧し掛かるんは相当重いやろ……せやけど、アンタやったら背負っていける……白蓮はんはそない信じて逝ったんやで」
「…………」
無言ではあるが劉備の涙は止まっており、表情も凛々しいモノに変わっていた。
「確かに……伝えたで」
「はい。白蓮ちゃんの遺志、劉玄徳が確かに受け取りました」
そこには少しだけ成長した一国の主が立っていたのだった。
張飛や諸葛亮達は立ち上がった劉備に声援を送っている。
その中で詠と妖光だけは李典を見詰めていた。
「どこかで聞いたような語り口調だったわね」
「あっ、詠様もそう思いましたか……実は私もなんです」
心当たりの人物を思い出せず首を傾ける2人であった。
「ふぅ、ウチも他人の事偉そうに言えんハズやのに……伯雷に影響されたんやろか?」
李典は誰にも聞こえないように呟いた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
ご意見、ご感想などありましたら宜しくお願いします。




