97話
玉座の間から逃げ出した文官達は城に火を放っていた。
李鳳達諸共焼き殺そうという腹積もりである。
公孫賛の首は取れなかったが、愛剣を入手した事でそれを土産にし、袁紹軍に投降しようと考えたのであった。
袁紹軍の本陣には大将である袁紹以外に顔良と文醜、それに陳登が顔を揃えていた。
終始優勢な合戦に気分を良くしていた袁紹は高笑いする。
「おーっほっほっほ、所詮は田舎者の白馬長史さんですもの、わたくしの相手になるハズがありませんわ!」
「五倍以上の戦力で攻めてるんだから苦戦してちゃ恥だぜ、姫。楽勝、楽勝」
「余裕を持つのは良いけど……油断はダメだよ、文ちゃん」
「だってよぉ、もう城燃えてんだぜ。勝ったも同然じゃん」
指差す先の城からは、確かに火の粉が舞い上がり、黒煙が立ち上っていた。
それを見た顔良は口ごもる。
「そ、そうだけど……」
「フフフ、お困りの顔良様もお美しいですね」
困っている上官を助けようともせずに、その様をニヤけて見る陳登は変態であった。
そんな本陣に伝令が入ってきた。
「袁紹様、公孫軍の文官を名乗る者達が投降してきており、謁見を望んでおりますが……如何致しましょうか?」
「おーっほっほっほ……よくってよ。此処へ通しなさい」
「はっ」
衛兵は敬礼し、その場を去る。
しばらくして公孫軍の文官達が本陣へと通された。
緊張した表情の文官達は横一列に並ばされ平伏させられている。
袁紹はご満悦の表情で語りかけた。
「貴方達ですの? わたくしに降りたいと仰っている文官さんと言うのは?」
「は、はい。我らが主の公孫賛は愚かな独断がすぎ最早見限りました。何卒、偉大な袁紹様にお仕えしたい所存で御座います」
「そうで御座います。公孫賛はあろうことか、我らを亡き者にしようとした為……止むを得ず、討ち申しました。偉大な袁紹様の御手間を省く手助けになれば幸いで御座います」
文官達は頭を下げたまま次々に想いを述べる。
それに文醜が喰い付いた。
「ハァ? 討ったって……お前らが公孫賛を討ったのか?」
「はっ。首こそ刎ねれませんでしたが、致命傷は与えて御座います」
「へぇ……そんな強そうには見えねーけどな、意外とやるじゃんか。ははは、姫ェ、どうする?」
文官を強さで判断し笑って問う文醜。
文官達にヨイショされてご満悦の袁紹であったが、陳登が口を挿んだ。
「お待ち下さい、袁紹様。彼らに公孫賛を討ったという証拠はあるのでしょうか?」
「それもそうですわね……鵜呑みには出来ませんもの、白蓮さんを討ったというのは怪しいですわ」
「こ、こちらに……公孫賛の愛剣で御座います。これで信じて頂けますか」
そう言って文官の一人は持参した剣を差し出す。
彼女らはそれを凝視して黙る。
「…………」
「…………」
「…………」
「い……如何されました?」
急に黙り込んだ袁紹らに焦燥感を覚える文官一同。
袁紹は差し出された剣を見て呟く。
「随分みすぼらしい剣ですわね」
「なぁ、これって“普通の剣”じゃねーの?」
「……ええ、私と同じのですね」
文醜の一言に陳登が自ら腰に差していた剣を引き抜いた。
両方を見比べると、それらは全く同じ剣であった。
文醜は大声を上げる。
「ほら、やっぱり! お前ら、あたい達を騙す気だったのかよ!?」
「め、滅相も御座いません。こ、これは本当に公孫賛の愛剣で御座います……!」
焦りまくる文官達に陳登が冷たく言い放つ。
「そう言えば……公孫軍の一般兵も皆、この剣を帯刀してたと記憶していますが?」
「そ、それは……」
言葉に詰まる文官の態度が答えであった。
公孫軍の兵卒に標準採用されているのが、この『普通の剣』なのである。
一兵卒と同じ気持ちで頑張りたいと言う公孫賛の想いから、彼女はこの剣を愛用していたのだった。
陳登は更に言葉を続ける。
「敗色濃厚になったので保身に走り、少しでも良い待遇を望む為に一般兵から徴収した剣を公孫賛のモノと偽ったという流れでしょうか」
「ち、違いまする。我らは本当に公孫賛を刺して……!」
「証拠はありませんよ?」
「ですから……こ、この剣は本物で……我らは城にも火を放って……」
「いけませんねぇ、嘘は!」
「そ、そんな……」
陳登の追求に尻すぼみで声が小さくなっていく文官。
それを見て陳登は嘲りながら尋ねる。
「どうされますか、袁紹様?」
「面倒ですわ……顔良さん、貴女に全てお任せしますわ」
「ま~た斗詩に丸投げすんのかよ……さっすが姫! あはははは」
「おーっほっほっほ、当然ですわ!」
高笑いする袁紹と馬鹿笑いする文醜。
少し遠い目をする顔良。
「じゃあさ、ココは斗詩に任せてあたいらは一休みしようよ、姫!」
「そうですわね……それでは顔良さん、しっかり頼みましたわよ!」
「…………はぁ」
「あの……僭越ではありますが、ここは私にお任せ頂けませんか?」
面倒な事を考えるのを止めた2人に顔良は溜め息しか出ない。
そこに変態ではあるが空気は読める男の陳登が割って入った。
「陳登さんに? まぁ……いいですわよ、好きになさいな」
どうでもいい感じに袁紹は承諾した。
陳登は片膝をついて返礼する。
「ありがとうございます」
袁紹の大物っぷりに公孫軍の文官達も驚きを隠せないでいた。
顔良は最初残ると言っていたが、陳登が耳打ちすると袁紹達と天幕に戻って行ったのである。
3人が完全に去ったのを確認すると、陳登は文官達に振り返った。
「さて……皆さんの処遇を決めねばなりませんね、お聞きの通り全権を委ねられました」
どこか嬉しそうに話す陳登に不安だらけの文官一同。
「ど、どうか我らの投降をお認め下さい!」
「お願い致します!」
文官らは改めて平伏した。
しかし、陳登は予想外な独白を始める。
「私はね、公孫賛殿が嫌いじゃなかったんですよ」
「……は?」
「顔良殿に通じるモノもありましたし、素朴さや一生懸命さに好感が持てました」
「…………はぁ」
「捕虜に出来れば是非可愛がってあげたいと思っていた一人なんですよ」
「…………」
欲望のままを語り続ける陳登。
「貴方達のおかげでそれもご破算となりました……まったく、やってくれましたねぇ。それに文官が増えて顔良殿が私に構ってくれなくなるのも困りものですよねぇ……貴様ら如きに!」
「ひ、ひぃ」
氷のように冷たい視線をぶつける陳登に文官は恐怖を感じていた。
陳登はサッと片手を上げる。
すると、衛兵らが近付いて来て文官一人一人の背後に立つ。
「結論から申し上げましょう。公孫賛殿を討ったにせよ……売ったにせよ、袁紹様を悩ませる報告をした貴方達の投降は認められません」
「なっ!?」
「そんな!? 我らは――」
申し開きを述べようとする文官を無視し、陳登は上げていた手をサッと下したのである。
その瞬間、背後に立っていた衛兵が剣を振り下ろし文官らの首を刎ねたのだった。
陳登は転がった首を興味無さげに見詰める。
「ご苦労様でした。後片付けをお願いしますね」
「はっ」
「それと袁紹様からの伝令です。『好きにしなさい』とのことですので、街や城は破壊し尽くし……幽州の民は徹底的に嬲(なぶ)ってあげましょう。ふふふ、存分に楽しんで下さいね」
「はっ!」
衛兵が去った後、陳登の顔には不気味な笑みを浮かんでいた。
「まったく……可能なら私も参戦したいくらいですよ、ふふふ……“ご主人様”がお喜びになればいいですが」
陳登は空に囁く。
「さて、河北を全て飲み込んだ袁紹様の勢いはなかなかのモノでしょうね。他の昇り竜達はどんな反応を見せるか……楽しみですねぇ、ふふふふふ」
囁きは灰色の空へと消えていった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
炎の上がる城の中で李典は目を腫らして泣いていた。
「……白蓮はん」
一時は物別れに近い状態になっていた2人であるが、仲違いしたワケではなかったのである。
公孫賛の遺体を前にして李典は両膝をつき、最期の別れを惜しんでいたのだ。
丁奉は玉座の外の様子を窺っている。
「姐御、そろそろ……」
「…………」
「マンセー、届けるという約束……破るつもりですか?」
「……ンなワケあれへん。せやけど、白蓮はんをこのまま遺しては……」
「貴女が伯珪殿に託されたのは、この物言わぬ骸なんですか?」
「…………」
「貴女が託されたのは死体でも言葉でもありませんよ。本当に託されたのは伯珪殿の“意志”です!」
珍しく声を荒げる李鳳であったが、直後は諭すように語る。
「ただ伝えるだけか……それとも、貴女なりに受け継ぐのかはマンセー次第ですネェ」
「……受け……継ぐ?」
「李遊軍の大将は貴女なんですよ、マンセー」
「…………」
「クックック……そんな情けない顔をしていては、伯珪殿もさぞあの世でガッカリしてるでしょうね」
「チィ……わーったわ! ウチはウチなりに継承したるで!」
李典は手でゴシゴシと涙を拭いて大声を上げた。
「どや! これでエエんやろ!!」
ひどい顔だが、それでもニカッと笑って見せる李典。
「それでこそ我らが大将です、ククククク……!」
「もうそこまで火が回り始めたぞ、姐御」
外の様子を窺っていた丁奉が戻って来て叫んだ。
先程と打って変わって李典は力強くそれに呼応する。
「ヨッシャ、城から脱出して徐州に向かうで! ウチに着いてきィ!!」
その様子に少し戸惑う丁奉が呟く。
「……急に元気になってんじゃねーか」
「クックック……イイじゃないですか」
「なるほどな、またテメーの口車に乗せられたってワケか……」
李典の後を追いながら丁奉は横目で李鳳を見る。
「いえいえ、覚悟あるいは決意が出来たんでしょう」
「決意? 何のだよ?」
「クックック……イイじゃないですか、まずはココから逃げる事が先決です」
「チッ……ウゼー糞野郎だな、相変わらず」
「ありがとうございます。クヒヒヒヒ……!」
「…………チッ」
口では絶対に勝てないと知る丁奉は、いつかボコってやると決意するのであった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。




