96話
袁紹軍が公孫賛の治める遼西郡に進軍してきてから早三日。
そのたった三日間で優勢は大きく傾いていたのだ。
圧倒的に数で劣る公孫軍は野戦で勝ち目無しと判断し、籠城を決め込んだのだが、袁紹軍は洛陽攻めで覚えた昼夜連続交替制の布陣を敷き、立て籠もる公孫賛を攻め続けた。
公孫賛も部隊を分けて対応して、なんとか持ちこたえているように見える。
しかし、内情は別であった。
側近の近衛は不安を隠しきれずに声を上げる。
「もう限界ですよ。これ以上は耐え切れません、公孫賛様だけでもお逃げ下さい!」
「まだ大丈夫だ、今は我慢の時だ!」
公孫賛は渋い表情で歯を食いしばる。
李鳳を失って以降、公孫賛の赤毛は少しずつ白髪が増えている。
近衛は公孫賛の身を案じていたが、公孫賛は聞く耳を持たなかった。
「もう少し……もう少し待てば、きっと桃香達が……!」
それは劉備達が来てくれると信じていたからである。
玉座の間には公孫賛と側近が2名、他には複数の文官が詰め寄せていた。
武官は全て城壁で応戦しており、城の警護は最低限の人数で行われている。
文官達は戦が始まった時は激しく騒いでいたが、今は大人しくしており時折ヒソヒソと話す程度であった。
「せめて星か李典が残っていてくれれば……な」
洛陽で経験しているとは言え、攻められる側になるとこれ程厄介な戦法はない。
公孫賛も神経をすり減らすのを余儀なくされていた。
趙雲がいれば董卓軍が呂布と張遼で行った乾坤一擲の策を実行出来たかもしれない。
李典がいれば防城兵器を開発してくれたかもしれない。
心の細ってきた公孫賛は自分でも気付かぬ内に、弱気な呟きをしていたのだ。
劉備達が来ると信じてはいても、精神の疲弊は否めなかった。
せめて民の不安を和らげる事は出来ないかと考えていた矢先、玉座の外が騒がしくなってきたのである。
「敵襲!? まさか突破されたと言うのか!?」
公孫賛が有り得ないと叫ぶ。
劣勢ではあったが、まだ耐えれる戦力が充分に残っているのだ。
「ぐぁああああ」
「ぎゃああああ」
返ってきたのは衛兵の断末魔であった。
文官達は顔色が変わり、側近は公孫賛を守るように前に出る。
すると、衛兵が血塗れで扉を開けて入ってきた。
「お、お逃げ下さい……む、謀反です……」
「む、謀反だと!?」
公孫賛は驚愕の声を上げた。
入って来た衛兵はそう告げた後、事切れてしまった。
それを踏みつけるようにして一個小隊が突入してきたのである。
「お……お前ら……」
公孫賛は目を見開いた。
入って来た一個小隊は公孫軍自慢の騎兵隊だったのだ。
彼らの持つ剣には血糊がベットリと付着しており、体中返り血だらけであった。
「逆賊・公孫賛、覚悟しろ!」
騎兵の一人が叫び、一斉に斬りかかってきた。
「くッ」
側近と共に公孫賛も“普通の剣”を抜いて応戦する。
「なぜだ? どうしてだ!?」
「お前が悪いんだ……全部、お前が悪いんだ!!」
「私が……?」
吐き出すように怒鳴る騎兵。
考える暇もなく斬り合いに応じるしかない公孫賛は防戦一方であった。
激情をぶつけられて少し動揺してしまったのだ。
普段の実力であれば負けるハズのない相手に苦戦していた。
身に覚えがあったからである。
しかし、可能な限りの恩赦を与えたという自負があった。
公孫賛は自分の懐に入るハズの金銭を全て兵に分け与えたのである。
やれるだけの事はしたつもりだったのだ。
「くッ……すまぬな、私もまだ死ねないんだ」
黙って殺されるワケにはいかぬと反撃に力を込め始めた。
その時であった――背後に気配を感じたのである。
「ごふッ」
公孫賛が吐血した。
前方にいる騎兵は退けたにも関わらず、背中に鋭い痛みを感じるのであった。
首をまわして背後を確認すると、そこには3人の文官が居る。
皆短刀を手に握りしめ、公孫賛の背中に突き刺していた。
「お……お前ら……まで……ごふぉッ」
「ひぃぃ」
「や、やったぞ」
短刀を引き抜き、文官達は各々に反応する。
一人は直接手を汚した事に震え、一人は喜びを顕にしていた。
「ど、どうしてだ……桃香達さえ来れば……まだ」
「援軍は来ませんよ」
「な、なんだと?」
「冥土の土産に教えてやろう。伝令なら俺達の手で始末したよ」
「き、貴様ッ!」
怒鳴る公孫賛であったが、足の力が抜けて膝から崩れ落ちる。
背中から生暖かい液体が流れている事をハッキリと感じていた。
「ワッハッハ、これでお前の首を袁紹様に差し出せば……我らだけは助かるのだ」
文官の一人が高笑いする。
彼らはずっと民よりも自分達の利益や保身を考えていた。
我が身可愛さに袁紹に降る事しか考えていなかったのだ。
ただ降るだけよりも手土産を持参した方が後々に有利であると考えた彼らは溝鼠(ドブネズミ)のようであった。
翁大老という視野の広かった人物を失った文官は、視力を失った溝鼠である。
しかし、溝鼠は視力を失った代わりに嗅覚と聴覚に長けたのだった。
開戦当初こそ危険を察して慌てていた溝鼠は、自慢の嗅覚で不満の臭いを嗅ぎ付けたのだ。
そして憤りの声を聞き付けたのである――それが一部の騎兵隊であった。
彼らは反董卓連合の頃から公孫賛に疑心を抱くようになり、鬱憤を募らせていた。
活躍の場を他人に譲る甘いその性格に、不満が積もりに積もっていたのだ。
それは言うなれば導火線に火のついた爆弾のようであった。
その爆弾を溝鼠はあざとく見つけたのである。
チチチチチと燃える音をその聴覚で、燻る臭いをその嗅覚で探り当てたのだ。
そして溝鼠は持ちかけた――天誅という名の計画を。
袁紹の宣戦布告と重なったのも天啓であると信じ込ませたのである。
公孫賛こそ幽州を蔑ろにする逆賊であると文官は声高に叫んだのだった。
頼みの近衛も数の暴力には勝てずに斬り殺された。
公孫賛は歯噛みして騎兵を睨み付ける。
「覚悟しな、これは天命なんだ!」
騎兵が剣を振りかざす。
受け入れる気のない公孫賛は目を開いたままである。
「クックック……貴方が死ぬという、天命ですか?」
そんな声が響くと、剣を振りかざしていた騎兵の首が飛んだのだった。
それを見た公孫賛は今まで以上に目を見開いて驚愕したのである。
「り……ほ……ど、どうして……おま……死んだ……?」
言葉にならない言葉を紡ぐ公孫賛。
「幽霊ではありませんよ、悪しからず……ククク!」
迷彩服に身を包み、ジャマダハル『那覇』を手にした李鳳が目の前にいるのだ。
死んだと思っていた人物が現れて、自分を助けたという事実を飲み込めない公孫賛は混乱していた。
「糞野郎が! 自分だけ先に行ってんじゃねーよ!」
暴言と共に円月輪『月光』が騎兵を襲った。
弧を描いて戻って来た円月輪を受け取ると、丁奉はニヤリと笑う。
「残りはオレが相手してやるよ!」
そう言うなり丁奉は投斧との二刀流で斬りかかり、あっという間に騎兵を撃退してみせたのである。
呂布との戦闘でまた一つ丁奉は腕を上げていたのだ。
李鳳は笑みを浮かべたまま文官に話し掛ける。
「ご無沙汰してますネェ、皆さん。お元気でしたか?」
文官達は青褪めていた。
笑顔で首を刎ねる李鳳と丁奉の異常さに触れたせいである。
「ひぃぃ……」
「た、助けてくれ」
腰を抜かしたまま命乞いをする文官に興味をなくした李鳳。
「……イイですよ。首の代わりに“これ”を持っていくとイイでしょう」
李鳳は公孫賛の剣を文官に手渡し、さっさと出て行けと迫った。
足がもつれながらも文官達は慌てて逃げ出したのである。
「おい、良かったのかよ!?」
「構いませんよ。それより……伯珪殿は拙い状況ですネェ」
改めて公孫賛に向き直ると真っ青な顔色をしている。
李鳳は手に氣を込めて公孫賛に施術を行った。
「とりあえず痛みは抑えましたが……」
「…………」
公孫賛は本当に幽霊でも見ているような心境であった。
「クックック……私が生きているのが不思議ですか? 運が良いのか悪いのか……何とか生き延びてますよ」
「……そうか、良かった……生きててくれて……良かったよ」
痛覚が麻痺された事によって公孫賛は少し落ち着いていた。
無理矢理作った笑顔を見せる公孫賛に自然と笑う李鳳。
「運が悪い事に……貴女はもうすぐ死ぬでしょうね」
「……そうか」
「助かる方法が一つだけありますよ。私は死ぬかもしれませんがね、クヒヒヒヒ」
「イカレてんな」
呆れ顔で呟く丁奉。
公孫賛は首を横に振った。
「このままでいい……このまま逝かせてくれ」
「ふむ、もっと悩んでくれないとツマラナイですが……」
「フッ……お前らしくて実感が湧くよ、本当に生きてたんだって」
「あっ、そうそう、一つ教えてあげましょう。趙雲殿の横領の件ですが……あれ実は、私が仕組んだ事なんですよ。吃驚しました? クヒャッヒャッヒャ!」
「完璧腐ってんな」
再び呆れ顔で呟く丁奉。
しかし、公孫賛は笑みを浮かべる。
「……そうか」
「あれ? 怒らないんですか?」
「ふふふ、星が私の信じた通りで良かった……そして、李鳳……お前もそれでいい」
「おやおや……意外ですネェ」
「とんだお人好しが居たモンだぜ」
三度呆れ顔で呟く丁奉であった。
李鳳は少し考え事をし始めていた。
すると、そこに関西弁が響く。
「やーっと着いたわ……アンタら速過ぎるで! うげっ、何じゃこの惨状は!?」
見事に首が刎ねられた複数の死体が転がる状況を見て驚く李典。
「おっせーよ、姐御」
「……李典?」
「アンタらみたいに屋根の上なんぞ走れんわ! ……って、伯珪はん……どないしたんや!?」
血溜まりに蹲る公孫賛を見て、李典は驚愕する。
「ふふ、文官達の謀反にあってな……このザマだ……」
自嘲する公孫賛を見て、李典が李鳳に尋ねる。
「……もう助からんのか?」
「無理でしょうね。臓器の被害が甚大ですし、何よりこの出血ですからね」
「…………」
「お前達は……どうして、ここに……戻って来たんだ?」
「いやァ、マンセーがどうし「わーわーわー」ても……」
「わ、忘れモンを取りに来ただけやで」
急に大声を出して李鳳の話を中断された李典は顔を赤くしていた。
公孫賛はフッと笑う。
「……ありがとな、最期の時を……お前達と居られて良かった……後を頼むと、桃香に伝えてくれないか?」
「分かったから、もう喋らん方がエエよ」
公孫賛は血を流し過ぎて白くなっていた。
李典は心配で気が気でない。
李鳳は少し考えていた事に決断し、口を開く。
「ではマンセー、忘れ物を回収しましょうか」
「へっ?」
急に話題を振られた李典は戸惑う。
言葉のあやで言っただけなのだ。
しかし、李鳳は真面目な顔をしていた。
「私の真名は鬼雨です」
「……ああ、なるほどな。せやせや、忘れモンは回収せんとな。ウチの真名は真桜や」
「……お前達…………ありがとう。私の真名は、白蓮だ」
「クックック、確かに回収しましたよ」
李鳳は笑い、公孫賛と李典は涙を流している。
丁奉は気を遣って少し離れていた。
そんな李典が公孫賛の手を握るが、すでに冷たくなり始めている。
「白蓮はん……」
「息災でな、真桜、鬼雨……もう視界がボヤけてきて顔も見えぬ」
「そのまま視界が真っ黒、もしくは真っ白になって死ぬでしょうね」
「……そうか……私は……白が……いいな…………」
そう言うと李典の手から公孫賛の手がスルリと落ちた。
「白蓮はん!? 白蓮はん!!」
「…………」
「……白蓮はん、サイナラや。遺言は責任持って届けたる!」
涙がキラリと光る白馬長史の最期であった。




