83話
――連合軍・孫策陣営――
洛陽の出入り口の一つである裏門(正門と真逆)に位置する戦場では、赤を基調とする孫呉の陣営が駆け回っていた。
総数四千強の兵力ではあったが、同様に董卓陣営もそれほどの数ではなかったのである。
周瑜は眼鏡をクイッと上げ、桃色の長髪をなびかせて戦う少女を見詰めていた。
「戦線復帰は吹っ切れた証……じゃ、ないようね?」
「ええ、明らかに空元気だもの。フフフ……思春は苦労しそうね」
「あら、そう思うなら貴女から言ってあげれば? その気はないでしょうけど」
「ウフフ……もっちろん、あの子の成長は邪魔したくないのよ。世の中割り切った方が楽に生きていけるでしょうけど……あの子は、とことん不器用ときてる。悩んでいても時間は待ってくれないし、答えの出ないまま戦わざるを得ない状況だって……今後いくらでも出て来るわ」
孫策も妹である孫権の奮闘を眺めながら話す。
李鳳によって傷付けられた心の傷が癒えたワケでもなく、この戦いの意義や大義を確信したワケでもなく、疑念を抱いたままにも関わらず孫権は再び戦場に立ったのであった。
孫策に孫権の後方待機をほのめかす周瑜であったが、彼女にもそんな気はサラサラなかったのだ。
「ふふふ……大義名分はとても大切なコトよ。でも……それだけに縛られて目の前の敵と戦えなくなるようじゃ、上に立つ者としては失格だものね」
「あの子は乱世よりも治世でこそ輝く器よ……でも、この世から争い事が無くなるなんて有り得ないわ。だからこそ、いつ何時どんな状況でも戦えるだけの心構えが必要なのよ」
「可愛い妹には何とやら……ね、李鳳の件はしばらくは黙ってなさいよ」
「分かってるわよ。今のあの子があそこで戦えている原動力だもの……それに、私もまだ確信が持てないコトでもあるし……」
「…………そう」
孫策は甘寧や黄蓋と共に戦場を駆ける孫権を見ている。
一方の周瑜はそんな孫策を憂いを帯びた目で見詰めていた。
そんな周瑜の視線に気付いた孫策が顔を向けて口を開く。
「ん……どうかした?」
「……いえ、また貴女の勘が当たったわね」
「呂布のことかしら?」
「いいえ……この配置について、よ」
周瑜は意味深に囁く。
囮役の呂布モドキは各門に配置されていたが、孫策はそれが偽物であると勘で見抜いていたのである。
だからこそ怯む事なく孫権らは董卓軍に突っ込んでいるのだ。
「ああ~、単独で動きたかったのもあるけど……一番は、あの小猿から離れたかったからよ。フフフ……決戦の時機は冥琳の読み通りじゃない」
「董卓軍には元々あまり選択肢が無かったわ。その中で最善且つ最効率な選択をしたのは流石ね。奇襲もそうだけど……恐らく、敵の狙いは単純よ」
「袁紹の首級……」
周瑜は誤魔化すように話題を変えた。
その話題に孫策も呟き声を上げる。
「ええ、敢えて守勢には回らず攻勢に打って出る……正気の沙汰とは思えないけど、互いに相手の懐に飛び込んでの打ち合いよ。呂布と張遼という最強の攻撃陣に全てを賭けたのね……文字通り、討つか討たれるかよ。単純だけど……効果は抜群ね」
「ウフフ……陣を動かすと言い出した時に、冥琳が何も言わなかったワケね。この展開も全て予想済みだったの?」
「ふふふ、さすがに全部じゃないわ。ここまで徹底的にやるなんて……ちょっとだけ予想を超えていたわ。恐ろしいまでの覚悟を感じるわね」
「まるで討ち取るまでは決して突進を止めない強力な『矛』って感じだものね。その分、私達は自由に動けるから好都合とも言えるけど……」
「裏門に配置されている董卓軍は最低限の兵数だけ……打ち破れば、洛陽への一番乗りも難しくないわ。ただし、城門を越えても嘉徳殿のある洛陽宮まではかなりの距離があるわよ」
「フフフ……その為にも、私も一暴れしてくるわね。せっかく呂布が小猿の軍勢を削ってくれてるんだから、負け戦にするのは勿体無いわ」
孫策はそう言いながら、笑って馬を駆るのであった。
残された周瑜も部下に指示を出し、部隊を指揮する。
袁術軍が損害を被るのは大歓迎であるが、そのまま袁家ひいては連合軍が討ち負けてしまうと本末転倒なのだ。
その前に何としてでも董卓を討つ必要があり、洛陽を解放しなければならないのである。
しかし、孫策ならばやってのけると周瑜は信じていた。
孫権も再び自分の足で立ち上がり剣を取って戦場に舞い戻った、憎き袁家は呂布に手を焼いており、自分達は最高の位置に陣取る事ができ、最大勲功がもう目の前に迫っていたのである。
時代の風は今、確実に孫呉の再興に吹いていると周瑜は確信していたのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
――連合軍・曹操陣営――
周瑜と同じく曹操と荀彧も董卓軍の狙いの大部分は予見していたのである。
仕掛けてくる時期が自陣の城攻め時と承知して尚、曹操は強気な姿勢を崩さなかった。
しかし、一刀はそんな曹操の身を心配していたのだ。
「なぁ、本当に季衣達を呼び戻さなくていいのか?」
「構わないと言ってるでしょ。秋蘭達には麗羽を守って貰わないと……あんなのでも、一応は総大将なのだから討たれると面倒なのよ」
「で、でもさ……そんな事言って、華琳がやられちゃったら元も子もないだろ? さっきだってギリギリだったじゃないか!」
「その方が面白いじゃない。フフフ……ますます気に入ったわ、神速の張遼!」
一刀が不安な声を上げる。
表情は険しいものの曹操はこの苦境を楽しんでいた。
大胆不敵な曹操をここまで一刀が心配するのもワケがあったのだ。
これまで戦場には一度も姿を見せなかった張遼が狼のように布陣の隙間を縫って曹操を狙って来たのである。
当初の予定通り、荀彧と夏候惇にその身の捕縛を命じたのだが、想定外の苦戦を強いられていた。
当初は荀彧の用兵で張遼と配下部隊を分断し、孤立させた所を夏候惇が取り押さえる予定であった。
しかし、張遼の神速を誇る用兵術は想像以上に優れており、その数も予想以上に多かったのだ。
曹操軍は公孫賛らに兵を貸し与えた事で兵数がかなり減っており、さらに城攻めで三個連隊が抜けている現状は非情に苦しいモノであった。
曹操陣営内でのローテーションの関係で、たまたま曹操の護衛に当たっていた北郷隊は楽進を部隊長にして荀彧の指揮下に入っている。
状況判断や戦況の見極めに関しては大きな差は無く、むしろ軍略や兵法に関しては荀彧の方が優れていた。
しかし後方から指示を飛ばす荀彧と、前線で移動しながら指示を出す張遼とでは伝達速度にタイムラグが生まれ、曹操軍はその差に苦しめられているのである。
荀彧の指揮と指示に落ち度はなかった。
ただ張遼が指揮官として予想以上に優れていたのだ。
小柄な荀彧は体に似合わない大声を上げていた。
「右翼の状況は?」
「はっ。被害自体は軽微ですが、先手先手を取られており付け入る事が出来ません」
「くっ……神速は伊達じゃないわね。ここから指示を出してたんじゃ間に合わないわ、進退の時機は現場判断に一任すると凪に伝えなさい!」
「はっ!」
「それと馬鹿の状況は?」
「はっ。夏候惇将軍は先行し過ぎており、敵に振り回され未だ尻尾に喰らい付けないようでして……」
「馬鹿のやりそうな事ね……だけど、今は悪くないわ。あとは何か楔となる一手が打てれば……」
報告を聞いて思案に耽る荀彧。
張遼の部隊は決戦が始まってからしばらくの時間息を潜めていた。
囮役の呂布モドキが駆け回る事で戦場は混乱し、その機に乗じて紆余曲折しながら曹操の首根っこに咬み付こうとしたのである。
その進軍は『神速』という呼び名に相応しい速度を誇り、曹操らがその存在に気付いたのは懐まで接近を許してからであった。
まさに間一髪、許緒らの代わりに曹操の護衛に当たっていた楽進隊が咄嗟に盾となり、辛うじて張遼隊の一撃を防いだのだ。
舌打ちする張遼は一当てしただけで進行方向を変え、無駄な犠牲を一兵として出す事なく、戦場に戻って行ったのである。
その後は部隊を自由自在に操り縦横無尽に駆け回りながら、再び咬み付く隙を虎視眈々と窺うのであった。
一方の曹操軍は当初予定していた半分の兵数しか揃っていなかった為、物量作戦で包囲する事は不可能なのだ。
加えて敵の兵数が予想より多く攻勢に出てきた為、防衛にも兵を割かなくてはいけなくなったのである。
このまま防衛に徹して自分達に敵兵を惹き付けておけば、どこか別の勢力が城門を打ち破る可能性は高い。
しかし覇道を極めんとする曹操には、そのような他力本願は許されないのだ。
曹操を覇王として仕える荀彧にとっても同じ事であり、智謀や策略、武力を持ってして自ら道を切り開かなければならないのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
――連合軍・袁紹陣営――
呂布モドキに翻弄され混乱する袁家陣営の中央、本物の呂布は張遼と違って本陣まで一直線に突っ込んだのであった。
呂布を先頭にして陳宮の指揮の下、並み居る兵士を蹴散らし最短ルートを駆け抜けて、袁紹の首まであと僅かの距離に接近していたのである。
その前に立ちはだかったのは袁紹軍が誇る2枚看板である文醜と顔良であった。
しかし、呂布のたった一振りに耐え切れず吹き飛ばされてしまったのだ。
そんな2人の将軍に呂布は一言――。
「…………邪魔」
「ひぃぃぃ……い、猪々子さん!? 斗詩さん!? な、何をやってますの……は、早く華麗にやっつけておしまいなさい!」
「イッテテテ……つ、強ぇぇ……大丈夫か、斗詩?」
「アイタタタ……う、うん……文ちゃんも大丈夫?」
金ピカに光っていた鎧は土で汚れ、額にも汗が浮かんでいる文醜と顔良は足に力を込めて立ち上がり、大剣と大槌をそれぞれ構え直すが先程の一合で歴然たる力量の違いを痛感してしまっていた。
さらに総大将である袁紹はと言うと、『袁家の宝刀』を手にするも恐怖で足が竦み、部下を盾にしてガタガタ震えていたのである。
陳宮は部隊を率いて周囲の兵を牽制していた。
「やべーよ、斗詩ィ……あいつ化け物だぜ」
「は、反則だよね……文ちゃん」
「な、何を弱気になっていますの!? い、今は文句なんて言ってる暇ありませんのよ!」
「はぁ……姫ェ、逃げる準備はしといてくれよ。あたいも……やれるだけ、やってみるけどさ」
「そうですね、麗羽さまは逃げて下さい。あとは…頼みましたよ、陳登……あれ? 陳登さんッ!?」
そんな袁紹陣営のやりとりを、天幕の陰に隠れて窺っている2人の女性と、更に少し離れて窺う1人の男性の姿があった。
「ど……どうして、呂布がココまで来ておるのじゃ? 妾の軍は何をしておるのかえ?」
「それはきっと袁紹さんの首を取る為ですよ~。袁家の兵達は皆、あっさり蹴散らされちゃったみたいですね~」
「ああ……顔良様ァ……」
その人物とは袁術、張勲、陳登の3名である。
彼女らは様子を窺いつつヒソヒソ話をしていた。
「な、ならば麗羽さえ殺されれば……妾は助かるのかや?」
「う~ん……微妙ですね~、お嬢様は立派な袁家の正当な当主ですから」
「イ、イヤなのじゃ! 妾はまだ死にたくないのじゃ!」
「シッ! 声が大きいですよ、お嬢様。見つかったら……首がチョンされちゃいますよ?」
「イヤじゃー、チョンはイヤな――モゴオゴ、アアオー」
涙を浮べて騒ぐ袁術の口を塞ぐ張勲。
騒ぐ2人に気付く陳登。
「ああ……顔良様……おや? これはこれは張勲様……相変わらずお美しいですねぇ」
「貴方は……確か、顔良ちゃんの下男さんではありませんか? 主人を助けなくて宜しいんですの?」
「お優しい顔良様が私に下がっていろと……命令に従うしかない自分が悔しいです」
「あら、そうでしたの? ……そんなやりとりがあったようには見えませんでしたけど」
「……悔しいです」
「アーアーオー、アーアウオアー……ウ、ウウイイ……」
一兵卒より弱い陳登は呂布の接近を覚るや否や、一目散に誰よりも早く隠れたのである。
自己防衛本能と処世術だけは人並み以上に優れており、女好きの助平ではあるが決して女の為に命を賭けるような真似はしないのだ。
袁術の口を塞いだままの張勲は、そんな陳登に声をかける。
「そこまで気になさるなら……命令を無視してでも助けに行っては如何です?」
「…………そうしようかとも考えましたが、顔良様がそれを望んでおりませんので……悔しいです」
「そうは見えませんがねぇ……?」
「そうだ! ここでお会いしたのも何かのご縁ですから、万一の際は袁術様と張勲様をお守りしつつ、一緒に逃げる覚悟で御座います!」
「ふ~ん……まぁ、私はいいですよ~。お嬢様は……あらッ!?」
陳登の提案に了承を返す張勲が手元に視線を移すと、袁術が酸欠になり白目をむいて気絶していたのだ。
慌てて解放し介抱する張勲と、初めての共同作業を喜ぶ陳登であった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。




