78話
董卓との対面その2
董卓の寝室では今、一触即発の様相を呈していた。
李鳳の作った薬膳料理を食した瞬間、呂布の表情が苦悶に歪んだのである。
それを見た賈駆と張遼の対応は迅速だった。
賈駆は護衛に董卓を守るように指示し、侍女に呂布の様子を確認させ、自身は李鳳から少し距離を取り睨み付けたのだ。
張遼は身のこなしも『神速』と呼べる程素早く、一瞬で李鳳の背後を押さえて動きを封じたのである。
元々膝を付いた状態だった李鳳は、反応が遅れたというより呆然としていたのだった。
「匿名ィ、やってくれたのォ」
「はいぃ?」
そう言って李鳳の首筋に槍を押し付ける張遼。
急転する展開に目を回しそうな董卓と、その董卓を庇うようにして李鳳から守ろうとする2人の護衛。
苦悶の表情を浮かべる呂布を心配しつつも、李鳳を激しく睨み付ける賈駆。
侍女は呂布に水を飲むよう勧めていた。
そして董卓同様、目を回しそうな李鳳がいたのである。
えっ……何だ、これ?
どういう状況……!?
「あんた、やっぱり毒盛ってたのね!」
「へぅ~、恋さん……」
賈駆が怒声を上げた。
董卓は呂布の身を案じている。
幸い死ぬようなコトは無さそうで、侍女から受け取った水をグビグビ飲んでいた。
……毒!?
いやいやいや、今回は盛ってないし、持ってもねーよ!
あれ? もしかして……この物々しい警備って、俺のせい……?
漸く核心をつくに至った李鳳であったが、時すでに遅しの状況である。
「あのぅ……何か誤解されている、と思いますが?」
「はん! あんた、今更言い逃れ出来ると思ってるの?」
「さ~て、誰に頼まれたんや? ああ、言いたないんやったら言わんでエエよ。そんかし、サクッとヤらして貰うで」
弁明しようとする李鳳だったが、賈駆にピシャリと断たれてしまった。
張遼も口調こそ冗談のように聞こえるが、殺気が漏れ出していた。
やっべェ……困ったぞ、毒なんてホントに入れてないのに……冤罪だっつーの。
チッ、この眼鏡が放ってるのは本気の怒気と殺気だ……ってコトは、冗談でも何でもないってコトだろ。厄介な……誰かに、ハメられたかッ!?
糞ッタレ! 生き返ったコトで少々気を抜き過ぎてたか……孔明の罠すら破った俺としたコトが、無様なモンだ。
いや……そうでもないか、伯珪の罠にはあっさりハマってしまったんだっけな。
しかし狡猾な奴も居たもんだなぁ、俺が試食した段階では確かに毒は入って無かったぞ。
ってコトは……皿を運んだ侍女が一番怪しいが、董卓の前に呂布に盛ったんじゃ台無しだろ……?
それとも狙いの本命は呂布で、あの水でトドメ刺すつもりなのかねェ?
そうだったとして……弁明しようにも、この状況ではな……。
あの侍女が下手人だって俺が騒いだところで、ここまで狡猾な奴が証拠なんて残してるハズないよなぁ……そもそも、信じて貰えるかも怪しいモンだ。
大した奴だよ、名も知らぬ策士・侍女!
感心しつつ侍女に視線を送る李鳳。
彼女は今、呂布に水を飲ませていた。
侍女は李鳳と同じくらいの背丈で、呂布よりは薄い赤と言うよりは橙色の髪をしており、それが肩の辺りで丁寧に切り揃えられていたのだ。
スラリとしたモデル体型で、張遼に比べればやや小振りな胸だが賈駆より豊かであり、その大きさを誇っていたのである。
賈駆お墨付きの有能な侍女で、知力も高く、参謀の補佐的な役割も担っていたのだった。
それを知ってか知らずか、李鳳は侍女に疑いを持ったのである。
どうすっかなぁ……困ったぞ、本当に困った……ん?
そうか! 困った時には――。
「クックック……クハハハハハハ」
突如大声で笑い始めた李鳳。
目を細める賈駆と張遼。
吃驚して目を丸くする董卓や侍女達。
「なんや、諦めて素直に白状するんか? それやったら……もうちょい生き延びられるかもしれへんで」
「ククク……私を、暗殺者か何かとお疑いなのですか? 豪族として名高いトク家の人間が、そんな下劣な真似をするとでも?」
「トク家の人間だから裏切らないって道理はないわ。現にあんたは、こうして毒を盛ったじゃない」
「そやな。いくらオッサンの息子でも、やってエエ事と悪い事があるで。ほんで……これは後者や」
笑いながら無実を主張する李鳳に対して、賈駆と張遼は逃げ道を塞いでいく。
しかし李鳳は笑い続ける。
笑いながら道を模索しているのである、生き延びる為の道を。
「クックック……なるほど。だとしたら、私は暗殺者としてはマヌケと言うコトなのでしょうか?」
「はぁ? 決まっとるやん、こないして失敗しとるんやから」
「しかし、厳重な警備体制の網を掻い潜り、こうして董卓様の寝室まで侵入するのには成功していますよ。私が此処で火薬を使って自爆したら……どうなるでしょうね? 董卓様は無傷でいられますかねェ……クヒヒヒ」
「ッ!?」
「なっ!? 持っとるんか?」
驚きの声を上げる張遼と、董卓を庇うような体勢を取る護衛。
さらに侍女も賈駆の前に出て身代わりになろうと身を挺す。
それを見て李鳳はしれっと言い放った。
「いえ、持ってませんよ。衣服や体は検(あらた)めたじゃないですか、クヒャヒャヒャヒャ……」
「アンタ……何が言いたいねん?」
槍に力を込める張遼。
李鳳の首筋から少量の血が滴り落ちる。
イッテェェ……短気は損気だぞ、遼来来!
侍女を見習え、この痴女め!
しかし侍女の反応を見る限り、ターゲットは呂布一人だけみたいだな。
何か怨みでもあるのかねェ……こうなったらダメ元で、やれるだけやってみるか。
「ご忠告申し上げているのですよ。検査の水準が手ぬるい、と。人間その気になれば、体中に武器を埋め込むコトが可能です。投擲の名手であれば手に持てる固い物なら全て凶器と成り得ます。氣はご存知ですよね? 氣の使い手であれば、自分の歯でもソレに氣を込めて吹き飛ばすだけで充分な殺傷能力を有します、ククク……」
「…………」
血が流れているにも関わらず平然と話を続ける李鳳。
起死回生の道を模索しようとして思いつきで話し始めたコトだったが、コレがある人物に対して思わぬダメージを与えるコトになっていたのだ。
その人物とは、賈駆である。
実は賈駆という女性もまた、李鳳と同様に幸の薄い人間であった。
優れた政治的手腕と計略・策略・軍略に長けた智謀を有しているにも関わらず、それを上回る不運に悩まされ続けてきたのだった。
ミスらしいミスのない判断や作戦でも、想定外のアクシデントに苛まれたり、九分九厘成功する計略も、必ずと言って良いほど失敗してきたのである。
それでも仲間の協力を得て、何とか乗り切って来たのだった。
今回も李鳳の目論見が露見し、暗殺は失敗に終わったと思っていた賈駆にとって、李鳳の語る内容はハンマーで殴られたかのような衝撃を与えた。
槍を突きつけられても表情を変えず、むしろ嬉々として語る李鳳に、賈駆は薄ら寒い不気味さを感じ始めたのだ。
自分はとんでもない間違いを犯したのではないだろうか、と。
一方、賈駆ほどは深く受け取っていない張遼は李鳳の意図が読めず、先を促すのであった。
「……せやから、それが何やっちゅうねん?」
「私が投擲の名手であれば? 氣の達人であれば? 私が本当に暗殺者であるなら、検査は何の役にも立たなかったと言えますねェ。クックック……ココに到達した時点で、私は優秀と言えるのではないでしょうか? まぁ全てを見越しての軍師殿が下した英断だったのかもしれませんが、クフフフ」
李鳳は挑発的な物言いで煽りにかかるが、賈駆は私憤を抑えて平常を装ったのである。
確かに李鳳の一言一言は目に見えない刃となって、賈駆の心を斬り付けていたのだが、彼女はそれを董卓だけには覚られたくなかったのだ。
呂布と張遼さえ居れば大丈夫、という彼女らに対する信頼が、逆に自分の判断を鈍らせ、その甘えが命取りになりかけた、それを見透かされたような気分に陥ったのである。
自分が敬愛して止まない董卓を、自分自身が危険に晒してしまったという後悔の念が襲ってきたのだ。
李鳳が言っているのは、自分のコトなのではないか。
お前は優秀な軍師などではなく、本当は只のマヌケだと言われている気がしたのである。
青褪めていた顔も恥辱から赤く染まり、それでも自責の念と董卓への想いから理性を保ち、何とか怒鳴り声を上げずに堪えていたのだった。
「忠告はありがたく聞いといたるわ。ほんでも、アンタはココで死ぬんや」
「クックック……まだ、私が暗殺を企てたとお思いなのですか?」
「はぁ? まだも何もアンタ以外におるワケないやん」
先程から一言も発さない賈駆の異変に気付いた張遼は、これ以上李鳳に喋らすのは不味いと判断した。
しかし、李鳳はいかにも意味深な発言で会話を引き延ばす。
「証拠はあるのですか? 確かに私がやったと言う証拠を示して頂きたい」
「んなモン、この料理が証拠やんか」
「私も食べましたよ?」
「そ、それはやな……そや、アンタだけ事前に解毒剤飲んどったんや。そやから効かんかった、ちゃうか?」
これ以上喋らしたくないと思っていた張遼であったが、律儀にも李鳳の問いには答えていたのである。
「本当に私が暗殺者なら、毒見をすると判っている料理に毒を盛り、さらに私だけ解毒剤を服用しておくと思いますか? 怪しんでくれと言っているようなモノじゃありませんか?」
「むぅ、そない言うたらそうやけど……う~ん……」
「ククク……正真正銘マヌケな暗殺者なら、やりかねないですがね。クヒャヒャヒャヒャ!」
何がそんなに可笑しいのかと思いつつも、李鳳の話を聞いている内に、頭がクールダウンしてきた張遼はこの毒殺未遂に疑問を感じ始めたのだった。
同時に賈駆もその矛盾に気付き、その解釈を頭の中で考えていた。
張遼をして「只者じゃない」と言わしめる程の人物が、バレバレの毒殺など企てるだろうか。
それを囮にして他の暗殺手法を実行するコトもせず、自ら別の手段までペラペラと披露してみせたのは何の主張だったのだろうか。
おそらく自分は潔白だ、というコトを示したかったのであろう。
李鳳は彼女らに、疑心という種を植え付け、芽吹かそうとしていたのである。
そこから状況を引っ繰り返そうと頑張っているのだった。
すると、黙っていた賈駆がとうとう口を開いたのである。
「あんたがマヌケな暗殺者じゃないって証拠も、どこにも無いわね。違う?」
「クックック……なるほど、仰るとおり。下手人だと証明するもの難しければ……その逆もまた然り、ですか」
「そやなぁ。アンタの言い分を全部鵜呑みにする程、ウチらもおぼこくないで」
「ええ。嫌疑がある以上……しばらく牢屋で大人しくしていてもらいましょうか」
せっかく期待していた薬膳料理に裏切られ、さらに李鳳にも痛い所を突かれて機嫌の悪い賈駆は、どっちにしろ投獄してやろうと決意したのだった。
真相は無論調査して判明させるが、それまで李鳳を自由にさせる気など無いのである。
李鳳は賈駆の纏う氣の変化によって、それを感じ取ったのだった。
ちぃーとマズイな……眼鏡の奴、腹括りやがったみたいだ。
散々挑発したってのにな、この手のタイプはキレやすいと思ってたが……董卓軍の筆頭軍師は伊達じゃないってか。
ココで白黒ハッキリさせる気が無いとなると、実に困ったコトになるねェ……俺が!
科捜研も鑑識も無いこの時代、証拠なんて幾らでも捏造し放題だし、隠蔽し放題だからなぁ……。
この展開まで全て折込済みの計画だったとしたら……大したモンだ、恐ろしいまでの智謀の持ち主ってコトだろうな。
それだけじゃない、纏う氣すら何の兆候も見せなかった稀代のペテン師だ。
全くもって見事だ……天晴れだよ、侍女のねーちゃん!
ぐぅの音も出ないとは、このトコだな。まさに八方塞りってワケだ……。
もしかして、結構有名な奴なのかもしれないな……?
この俺を嵌めた策士だ、せめて名前だけは聞いておくか……。
「最後に一つ聞いてもいいでしょうか?」
「何かしら?」
「そちらにいらっしゃる侍女の方の、お名前を教えて頂けませんか?」
「はぁ?」
「へぅ?」
「ほほぅ」
「……私、ですか?」
李鳳の発言に再び寝室が騒然となった。
突然の指名に驚く侍女。
「クックック……是非、お願いします。ずっと気になってまして……どうしても知りたいんですよ、貴女のコト」
「……あの……?」
どうして良いか判らず主人である賈駆に目をやる侍女。
賈駆はため息交じりに返答した。
「ふぅ、“嫌”なら拒否していいわよ。そうでなければ……“好き”になさい」
「は、はい。それでは……私は、李儒(りじゅ)と申します」
緊張の面持ちで自己紹介をする侍女であった。
わぉ……同姓じゃんか、奇遇だねェ。
へぇ、李儒ねェ……李儒かァ……ん? 李儒!?
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