74話
――洛陽・董卓陣営――
董卓邸の一室に複数の男女が居合わせていた。
軍師の賈駆と武将の張遼、そして賈駆付きの侍女と黒髪の若い男の4人である。
男は初対面の賈駆に対して敬意を表し、自己紹介したのだった。
「匿名、希望……?」
「はい。父も変わった名を与えてくれたもので……少々持て余しております、ククク……」
「あのオッサン、料理の才能はあっても名付けの才能はあれへんかったみたいやな。ところで、オッサン元気になったんかいな?」
賈駆は怪訝な声を上げ、それに苦笑いで答える匿名。
張遼も励ましのつもりで声をかけ、料理長の様子を訊ねた。
「漸く熱が下がってきたところで、あと三日も安静にしていれば元気になるかと。もう少し遅れていれば……助けられなかったでしょうね、すべて張遼将軍のおかげです。本当にありがとうございます」
「エエっちゅうねん。ウチかて、たまたまオッサン倒れとるんを見つけただけや。処置は全部アンタがやったんやろ? アンタが父親を救たんや」
「ちょっと霞、トク氏に何かあったの!? ボクは聞いてないわよ?」
「あ~、報告しとらんかったっけ? スマンスマン」
「霞ッ!」
賈駆は怒声を上げる。
悪びれもせずに惚けて謝る張遼だったが、それは彼女なりの気遣いであった。
「父は董卓様の体調が優れないコトをとても心配していました。だから私が良かれと思って、何気なく話した薬膳料理を自ら振舞おうとしたようです。ですが、その調理過程で誤って毒を……」
「毒!? どうして、そんなモノを……?」
「あまりご存知ないかもしれませんが、“薬は毒”なんですよ。極端な話をすれば、どんなモノも分量を誤れば毒と成り得るのです。しかしまた……その逆も然り、用量を調整すれば毒は薬に転じるコトがあるのです。“毒をもって毒を制す”のです」
「毒をもって……毒を制す……。アナタ『医食同源、食は命なり』とも言ったそうね?」
張遼に怒りを発していた賈駆であったが、匿名の話を聞いて頭が冷えたようである。
「はい。食事というのは生きていく上で、最も重要な行為の一つですからね。全土を旅して多くの飢餓に苦しむ民と接してきましたが、美味しい料理一つで皆に笑顔や活力が戻るんですよ。差し出がましいとは思いますが……今の董卓様の軍にも言えるコトかと」
「そやから兵の為に、この咖喱作ってくれたらしいで。戦時中やからて、兵士らァが味気の無い飯ばっか食うてたら心が細ってまうんやとさ」
「一料理人の戯言と流して下さっても結構ですよ? クックック……」
賈駆や張遼を前にしても物怖じせず話す匿名に、御付の侍女は目を丸くしていた。
よくもまぁ堂々と会話できるものだ、と呆れてもいたのだ。
しかし、トク氏を筆頭にトク一族は変わり者を多く世に輩出してきたという事実が、目の前の男に対する警戒心や判断力を鈍らせていたのである。
トク氏の息子であれば、多少は変わっていて当然と思ってしまったのだった。
そして、侍女はとても大事なコトを脳にしっかりと記憶したのである。
『咖喱を食べると元気になる』と。
「いいえ、むしろ大歓迎よ。兵士達にはここ数日、とても無理させてしまっていてボクも気にしていたコトだから……。食事で報いてやれるなら、安いものよ。それと……トク氏に“もしも”のコトが無くて本当に良かったわね。トク氏の心遣い、董卓に代わりボクから礼を言うわ。ありがとう」
「ククク……父が聞いたら、泣いて喜ぶでしょうね。では私も父に代わり、董卓様の体調が回復する為の料理を作らさせて頂いても宜しいでしょうか?」
賈駆は会釈して礼を述べた。
董卓に対する心配りに本当に感謝していたからだ。
そして呼び出した目的でもある用件を匿名から切り出してくれたのは、尚ありがたかったのである。
「助かるわ。ただ……気を悪くしないで欲しいのだけど」
「分かっておりますよ。毒見や監視などは当然して下さい。ご要望なら私が眼前で食べてご覧に入れますので、どうかお気になさらず」
「ハッハッハ、エエ心がけや。ところで、その薬膳料理っちゅうんは旨いんか? 旨いんやったら……ウチも食べてみたいんやけどな」
「あんたね……」
匿名の提案を嬉しく思うも、董卓の安全を最優先に考える猜疑心の強い賈駆は張遼程は目の前の男を信用できないでいた。
そして食い意地丸出しの張遼の発言に、半ば呆れていたのだった。
そんな時――。
「…………恋も食べたい」
「うぉッ!」
「きゃッ!」
「…………」
聞き覚えのある声でも、突如背後から発せられると人間誰しも驚いてしまうものである。
賈駆らの背後には飛将軍・呂布がいつの間にか立っていたのだ。
「ちょ、ちょっと恋! 居たなら居たって言いなさいよ、吃驚するじゃない!」
「…………咖喱」
ご立腹の賈駆を無視してマイペースな呂布は机に置かれている空の皿に目が釘付け状態である。
張遼より遅く防城戦を終えた呂布は、たった今戻ってきた所でお腹が空いていた。
耳にタコが出来るほど聞かされてきた『食事の前に報告』という約束を守って、呂布は賈駆の所にやってきたのだった。
「一晩置いたらホンマに全然ちゃうで。味がよう沁ゅんどるんや、恋も食べてみィ」
「すぐにお持ち致します」
そう言って侍女が外の衛兵に料理を運ばせた。
椅子に腰かけて美味しそうにカレーを頬張る呂布。
彼女にとって、飼っている動物達と戯れている時間と食事の時間が至福なのであった。
「どや? 旨いやろ?」
「…………(コクッ)」
モキュモキュ咀嚼(そしゃく)する呂布に張遼が声をかけた。
呂布は食べながら頷く。
そして食べ終わると、物欲しげな表情で口を開いたのである。
「…………おかわり」
「ハハハ、相変わらずエエ食いっぷりやんか。惚れ惚れしてまうで、どんどん食べェ」
呂布の食事風景に癒しを感じる張遼が笑い声を上げた。
和やかな食卓といった雰囲気のある空間に男の声が響いた。
「ダメですよ」
匿名の発言は一瞬で空気を変えたのだった。
「…………?」
「な、なんでや?」
呂布は首を傾げ、張遼は思ってもいなかった匿名の拒否発言に驚く。
賈駆は黙ってやりとりを見ていた。
「私は頑張っておられる兵士達の為に咖喱を作りました。勿論、呂布将軍も兵士達に含まれますが、将軍だけが兵士ではありません。呂布将軍は昨夜も10人分以上食べています。現時点でこれ以上食されるのは、容認出来ませんねェ」
「アンタの言いたいコトは分かるで。せやけど、恋は一騎当千の将軍なんや。他の兵の千人分は働くんやで、ケチくさいコト言わんと食べさしたってェや」
匿名の言い分を一理あるとして、尚、張遼は呂布におかわりする権利があると主張した。
「クックック……野戦においては、確かにそうでしょう。しかし、今は防城戦に徹しているワケですよね? 敵を積極的に殺すよりも、城門や城壁の防備に重きを置いて敵の侵入を阻んでいる。敵を弓で牽制し、壊れたら壁を修繕し、土嚢を積んでひたすらに耐えるのが今の仕事なのではないですか? 矢の補給や作製で必死に奔走している兵も少なくないのでしょう?」
「それは……せやけど」
「失礼ながら、現状で呂布将軍が千人分の働きをしているとは、とても思えませんが?」
本当に失礼な物言いに、御付の侍女は大量の冷や汗をかいていた。
目の前の青年むしろ少年といった顔立ちと体躯の男が、いつか将軍達の逆鱗に触れて一触即発の事態になるのではないかと懸念しているのだ。
特に、そうなった時に止めに入るのは自分の役割ではないのか、その一点を非常に懸念しているのだ。
董卓軍で2番目に強い将軍と天下で一番強いとされている将軍、その2人を自分如きが止めれるハズがないと自覚している侍女は、心の中で匿名に向かって「もう止めてェ」と叫ぶのであった。
「まぁ、アンタの言う通りではあるんやけどな……」
「信賞必罰、頑張っている者には報いるべきです。その見極めを誤るようでは、良き大将とは言えませんねェ。クックック……」
挑発的に笑う匿名に、侍女はいっそ早く斬ってしまった方が良いのではという考えが脳裏を過ぎった。
その時である、匿名が何も言わずに一歩横へとズレたのである。
「ちんきゅーきぃぃぃぃぃっくッ!」
匿名の居たハズの場所を空中殺法・真空飛び蹴りの体勢ですり抜けていく陳宮の姿があった。
「チィ、運の良いヤツなのです」
必殺技を回避された陳宮は、反転して匿名を睨み付けた。
「ねね!?」
「呂布殿に対するお前の非礼な態度、ねねは許しておけないのですよ!」
「ククク……陳宮殿でしたか。そう言えば、貴女も昨夜コソコソと盗み食いされてましたよね?」
「ぬッ……失敬な! ちょっと味見をしてやっただけなのです! 呂布殿がお召しになる物が不味かったら大変なのですよ!」
プンスカ吼える陳宮。
それに対して匿名は嘲笑を浮かべていた。
「なるほど、呂布殿はとっくに食べ終わっていたにも関わらず……味見で2人分も食べられたのですねェ。『う、うまいのです。止まらないのです』という幻聴が、何度も私の耳には聞こえましたが……そうですか。そうですか……クヒヒヒヒ」
「ち、違うのです! ねねはそんなコト言った覚えはないのです。い、言いがかりなのですよ! た、大して美味しいとは思わなかったのです……」
一転し焦りだす陳宮に哀れな視線が注がれた。
そして皆が気付いたのだった。
「いやぁ……そらぁ説得力あれへんで」
「そうね……」
「…………ちんきゅーも、食べた」
「ふぇ?」
「口元……ついとるで?」
張遼に言われハッとし、慌てて口元を擦る陳宮の手には咖喱がついていた。
「うぅぅぅぅ」
涙目で唸りだす陳宮。
「クックック……別に食べるなとは申しません。おかわりしても構いませんが、せめて兵士達全員に配給し終わってから余った分を食べて下さい。いいですね?」
「な、何を――」
「…………わかった」
「恋殿ー!?」
再び文句を言おうとした陳宮は、素直に従った呂布に出鼻を挫かれた。
「ハハハハハ……やめとき、ねね。恋が納得しとるんやし、文句言うんはお門違いやで。せやけど……アンタ結構やるやんか。弁舌もそうやけど、ねねの飛び蹴り………あれ、事前に察知してかわしたやろ? 武芸もやっとるんとちゃうか?」
「一人旅は何かと物騒ですからね……狼や“賊”程度なら、遅れを取らずに戦えますよ。ククク……」
「ほぅ、そらぁ大したモンや。どや? いっぺんウチとヤってみぃひんか?」
張遼の問い掛けに笑って返す匿名。
賈駆の匿名を見る目付きは最初の頃と変わっていた。
彼女の中で別の思いが生まれた瞬間でもあった。
「勘弁して頂きたいですね。ところで……私も一つ、聞いていいですか?」
「なんや?」
「陳宮殿に御伺いしたいコトがあるのですが……」
「お前に答えてやる義理はないのです。一昨日きやがれなのですよ!」
匿名は陳宮に聞きたいコトがあると言い出した。
しかし、陳宮はスネてしまっていたのだ。
「こらこら、いつまでもヘソ曲げとったらあかんで」
「フ、フン!」
「…………ちんきゅー」
「……うぅー、分かったのですよ。仕方ないから答えてやるのです。さっさと聞きやがれなのです!」
張遼と呂布に言われては分が悪いと思った陳宮は折れた。
「先程……陳宮殿が私に飛び蹴りを放った際、『キック』と仰いませんでしたか?」
「言ったのですよ! それが何なのです!? 耳が耄碌して良く聞こえなかったのですか?」
「やっぱり……聞き間違いじゃ、なかったんですね。それで……キックとはどのような意味で使っておられるのですか?」
「はぁ? お前は何を言っているのですか! キックはキックなのです! 意味も糞もないのですよ!」
「……ん? いや、うーん、それはそうなんでしょうが……例えば、蹴るの方言であるとか、大陸の西方から伝わった表現であるとか……?」
「キックはキックなのですッ!」
ここに来て初めて匿名の表情に戸惑いが浮かんだのだった。
侍女には自信満々で言い切る小柄な陳宮に圧倒されているようにすら見えたのだ。
侍女自身もなぜ匿名がそんなコトを聞くのか理解出来なかった。
匿名は助けを求める形でチラッと張遼に視線を移した。
「いえ……そう言うコトではなくてですね、蹴打の言い回しではないかと……張遼殿?」
「キックはキックやで」
「えっ……あの、呂布殿?」
「…………きっくはきっく」
「……賈――」
「キックはキックよ」
皆から返される答えは変わらない。
侍女も思っていた、キックはキックだと。
だが匿名は、なぜか疲れた表情を浮かべていたのである。
「い、いや……そうですか…………そう……ですか……」
そう呟く匿名を見て、侍女は密かに決意した。
あとで匿名にも咖喱をよそってあげようと。
皆様、新年明けましておめでとうございます。
お正月も更新すると言っておきながら、まさかの入院で遅れてしまって申し訳ありませんでした。
自分がミーハーなのは自覚しておりますが、こんなブームにまで乗らなくても……と思いました。
心機一転、今年も頑張りますので宜しくお願い致します。




