6話 虎の子は虎
孫呉陣営での一幕です。
孫堅文台――中華の歴史に名を刻んだ英傑の一人で、この世界では勿論女性である。旗揚げして十年、今や江東一帯で彼女を知らぬ者はいない。県尉として数多の海賊を討伐した彼女は、その野性味溢れる風貌と眼光の鋭さから『江東の虎』と呼ばれた。
虎は圧倒的な力と覇の象徴であると同時に、獰猛で凶暴な存在でもある。江東に住まう民は孫堅を慕い、江東近郊を根城にする賊は彼女を畏れた。トレードマークの赤ずきんを見るだけで、賊徒は震え上がり我先にと逃げ出す。
功績を重ねて司馬となった孫堅は許昌の乱を鎮圧した後、いくつかの県で次官を歴任した。どこに行っても彼女は民衆からの評判が良く、仕官を請う者が後を絶たない。孫堅は一切自重せず、精力的に自軍の強化を図った。
各地で手に入れた人材の中には、目覚ましい活躍で出世した者もいる。その一人が黄蓋である。無論女性であり、字を公覆と言う。史実では孫家三代に渡って仕えた孫呉の忠臣であり、この外史でも孫堅の挙兵に呼応し忠誠を誓っていた。彼女は弓の名手にして“氣”の扱いにも長けた勇将である。他に程普、韓当、祖茂の三将を加え、彼女らは孫堅四天王と呼ばれた。
居城では今日も孫堅軍の訓練が行われている。四天王の練武は苛烈さを極めた。しかし、勇将の下に弱卒なし。厳しい鍛錬に耐え抜く事で、兵士達は日に日に精強になっていく。孫堅軍は今や、呉郡で最強の軍隊と呼び声高い。
主君に呼び出された黄蓋は、訓練を部下に任せて玉座に向かう。長く伸びた銀髪は結っていても足元まで届き、その大きな胸は衣服を突き破らんばかりである。美しさを強さを兼ね備えた彼女を、男の兵卒は憧憬の目で見送った。
「お呼びですかな、堅殿」
「ええ。ちょ~っち貴女に頼まれて欲しい事があるのよ、祭」
祭とは黄蓋の真名である。孫堅は笑顔で黄蓋を迎えた。彼女は三人もの娘を産んだ身であるが、引き締まった肉体は衰えを感じさせない。それどころか放たれる覇気は以前より強くなっていた。
黄蓋は誘われるまま孫堅の隣に腰を下ろす。
「して、儂に頼みとは……また、賊退治ですかな?」
「そんなとこよ。ただね、今回は雪蓮に指揮を取らせたいの」
「策殿に?」
雪蓮とは孫堅の長女・孫策の真名である。母親に似て鋭い直感と高い武力を持ち、精強な孫堅軍の中でもすでに頭角を現していた。親の七光りではなく、その実力を疑う者はいない。
「あの子もそろそろ軍を率いる実戦を踏ませても良い頃だと思うのよね。作戦参謀には冥琳を付けるわ」
「ふむ、公瑾をか……能力的には何の問題もなかろう。すると……儂は、お守りかのぅ?」
「そっ、頼めるかしら?」
孫堅は無邪気に尋ねた。彼女の振る舞いはかなり幼く、反対に黄蓋は年寄染みている。実際の年齢は孫堅の方が少し上にも関わらず、傍目からは黄蓋の方が上に見られた。黄蓋はその事実を密かに気にしている。彼女もやはり女性であった。
冥琳とは周瑜の真名であり、公瑾は字である。名家の出であったが、ある事情で住まいを移し、孫堅挙兵時に孫策と出会った。同い年ということもあり、二人は親交を深める。その絆の堅さは金属をも断つとして『断金の交わり』とまで呼ばれた。
武に長けた孫策を支えるように、周瑜は知に長けている。知略・武略面における優れた才能は、天才と呼ぶに相応しい程輝いていた。孫堅や黄蓋も彼女の軍師としての実力を認めており、これまでも幾度となく献策させている。
そんな二人が組めば、並の賊では歯が立たない。それが判っていて黄蓋は表情を改めた。孫堅は言動こそ幼く見えるが、彼女は娘だからと甘やかすタイプの人物ではない。黄蓋は裏に何かあると感じた。
「無論、堅殿の頼みを儂が断るはずなかろう。しかし、儂だけでなく公瑾まで付けて攻め入るとは、どこの大物を狙うのじゃ? ま、まさか……錦帆賊ではあるまいのぅ?」
錦帆賊は江東で一番名の知れた河賊である。その規模も大きく、いくつもの県で略奪を繰り返し、いくつもの官軍を返り討ちにしてきた。特に首領の甘寧は恐ろしく強いと噂され、個人でも名を馳せている。初陣の対戦相手としては、高過ぎるハードルであった。
黄蓋の表情は険しくなる。孫堅は少し驚いた表情をし、その後クスリと笑った。
「ふふふ、違うわ。今回駆除して貰いたいのは――“蜂”よ」
「……蜂?」
「煩わしいのがいるのよ、一匹ね。ブンブンブンブン飛び回って、蜜を集めては姿をくらます――河賊・“李一家”、聞いた事ないかしら?」
孫堅の様子が明らかに不機嫌になる。
「……噂程度なら。錦帆賊とは別の意味で厄介な相手じゃのぅ。昔は小物狙いの賊であったが、ここ数年は少し派手になってきたと聞いておる。しかし、一味の詳細は何も判っておらん。優れた諜報力と統率力を有しておるのは間違いないじゃろぅ」
「活動が派手になったのは優秀な駒を手に入れたからよ。それも若いわね……多分、雪蓮達よりもずっと」
「ど、どうして判るのじゃ?」
「モチロン、勘よ!」
胸を張る孫堅に黄蓋は苦笑した。
「か、勘!? はぁ……堅殿の勘はよく当たるからのぅ。しかし、そのような子供まで利用しておったとは……李の頭目、噂通りの外道じゃのぅ」
「そうなのよ。首魁の李単って奴は絵に描いたような小心者で、尻尾はおろか痕跡すら掴ませなかったわ……これまでは、ね」
「むっ、どういう事じゃ?」
「実はね、最近になってボロが出始めたのよ。おかげで一味の規模と活動範囲を絞り込む事が出来たわ」
「なるほどのぅ。いずれにせよ、民を苦しめる輩は残らず討伐して見せますぞ」
黄蓋は義侠心の強い猛将である。悪事を見聞きして放っておけるはずがない。俄然やる気を見せる黄蓋に、今度は孫堅が苦笑する。
「ちょっとちょっと、今回はあくまでもお守りなのよ。補佐に徹して貰わないと困るわ。余程の事がない限り、貴女からは動かないで欲しいの」
「むぅ、そうであった」
「敵の数は多くても百前後よ。隠密行動が好きみたいだから、数自体はいつも大した事ないわ。問題は仕込みね、あの子達がどう餌に喰い付かせるか……お手並み拝見だわ」
「ふふっ、堅殿も人が悪い」
孫堅と黄蓋は不敵に笑った。その笑顔は妖しくも美しく、妙齢の女性ならではの妖艶さを醸し出している。
「手は出さないでって言ったけど……命だけは守ってあげて。あの子、私に似て一人でも突っ走る時あるから」
「あい、分かった。生きて帰す事を約束致す。然らば、戦勝のあかつきには旨い酒が飲みとうございますなぁ」
「うふふ、とびきり上等なのを用意しておくわ」
「わっはっはっは、そいつは重畳じゃわぃ。この黄蓋、しかと承った」
笑っていたかと思えば、途端に真面目な顔になり、黄蓋は孫堅に抱拳礼を返すのだった。
◆◆◆◆◆
それから数日が経ち、一人の女性が部屋で書き物をしている。長い黒髪、利発そうな眼鏡、さらにスリットの大きく開いたチャイナドレスを着こなす姿に子供らしさは感じられない。さらに存在感を主張する大きな乳はたわわに実っているが、彼女はまだ十代半ばを過ぎたばかりであった。
彼女の名は周瑜、件の賊討伐計画を練っている最中である。計画はほぼ固まっているものの、肝心な一点が詰め切れておらず、彼女の頭を悩ませていた。
「は~い、冥琳。できたぁ?」
緊張感の欠片もない声が周瑜の耳に届く。もう聞き慣れた声だが、つい溜息が漏れてしまう。
「伯符、今回は貴女の初陣なのよ。もう少し真面目に取り組みなさい」
「え~、違うわよ。“私”のじゃなくて、“私達”の、でしょ?」
「……ふふっ、そうね。だからと言って、手伝わなくてもいい理由にはならないわよ」
少し表情を崩す周瑜であったが、すぐに眼鏡をクイっと上げて的確な指摘を返した。ぐうの音も出ず苦笑する孫策。
「あ、あははは……ごみ~ん。今からちゃんとやるわ。私まだ本気出してないだけだし」
「……ふぅ、初陣で出し惜しみしてどうするのよ?」
「ワクワクしちゃうわね! 母様は好きにやれって言ってたし、首刎ね放題よ!」
「聞いてないわね……ふぅ、いい? 判ってると思うけど、単独行動は厳禁よ。隊の規律を乱す真似は絶対にしないでね」
「判ってるわよ。私がそんな事するはず――」
周瑜の目が急速に冷めていく。絶対零度の視線を浴びて孫策の背筋は凍り付いた。
「キツネ狩り、会稽への遠征、蛮族の討伐、集団演習のサボり常習犯……まだあるわよ。聞きたいかしら?」
「…………いいえ」
「貴女の事は心から信頼しているわ。これは本当よ」
「あ、ありがと~、冥琳。愛してるわ。やっぱり持つべきものは親友「でも、一切信用していないわ」えぇっ!?」
孫策の冷や汗は止まらない。周瑜は普段温厚で怒る事は少ない。その為、一度怒らせると恐ろしい目に遭うのだ。
「判ったかしら? 肝に銘じておいてね」
「大丈夫よ~、冥琳ったら心配性なんだから。私はもう子供じゃないのよ、シャオじゃあるまいし……」
「尚香様の方が聞き分けは良いわよ」
「…………ウフッ」
「可愛らしくないわよ、むしろ憎たらしいくらいね……ふぅ、それと今回は黄蓋殿が同行される。くれぐれも過度な酒盛りは控えるように」
茶目っ気を出す孫策を周瑜は一喝した。
「えーっ!? ちょっとくらいいいじゃない! 横暴よ! 越権行為よ! 私を殺す気なの!?」
「お酒を飲めない位で死ぬワケないでしょ! それにちょっとなら咎めないわ! いつもいつも限度を超えるから注意しているのよ!」
「ぶーぶー……ハァ、いいわよ。判ったわよ。初陣だし軍師様の意見に従うわ。その代わり……全部終わったら冥琳も付き合いなさいよ?」
「ふぅ……ふふふ、勿論よ」
漸く周瑜の表情から険が取れ笑顔が見える。孫策はホッと胸をなで下ろし本題を切り出す。
「それで、軍備はどう? 何人出せるの?」
「騎馬五十、歩兵二百五十、合わせて三百よ。敵の数はおよそ百、拠点は不明だから誘い出すしかないわね。上手く誘き出せたとしても、油断は禁物よ。どんな手練れを抱えているか分からないもの」
「李一家なんてコソ泥みたいな真似しか出来ない腰抜け集団でしょ? 血沸き肉躍る戦いは期待薄ねぇ」
「期待しないで、そんな事。李一家の頭目と言えば狡猾で有名よ。最近の失態は彼らしくないけど、今が好機なのは確かね」
「どうせ見栄張りたいガキが背伸びしてボロ出してんじゃないの~」
そんな気がすると言う孫策。周瑜は眉をひそめた。
「孫堅様も同じような事を仰っていたわ……問題は、次の襲撃地点ね。ある程度までは絞り込めたのだけれど、まだ範囲が広過ぎて詰め切れていないわ」
「どの程度絞り込めているの?」
「ここから、この辺りまでの河川州域よ」
卓上に広げた地図で説明する周瑜。すると、孫策がある地点を指し示す。
「……ココが気になるわ」
「銭唐!? 目撃報告があったのは全て浙江沿岸よ。離れ過ぎているわ。それにそこは孫堅様が最初に賊狩りを行った場所……何か根拠はあるのかしら?」
「いいえ、勘よ!」
「……ふぅ、だと思ったわ。やっぱり親子なのね……分かったわ、その近郊で網を張りましょう」
「ワォ、さっすが冥琳! やっぱり愛してるわ~!」
「……分かったから、少し離れて」
周瑜は暑苦しく抱き付いてくる孫策を払いのけた。地図に目を落とし、盤石の策を練る。二人の名を天下に轟かせる第一歩として、絶対に失敗は出来ない。あれやこれやと思考錯誤を繰り返す内に、日は暮れていった。
◆◆◆◆◆
一方、李一家でも次の略奪計画が着々と進められていた。奇しくも標的は孫策が言い当てた通り銭唐の豪商である。李鳳に任せれば失敗しないが、あまり顔が売れ過ぎても困る為、止む無く李鳳以外の子供も使っていた。しかし、そのせいで何度か失敗している。
今回の任務も侭が汚名返上をしたいと李単に直訴し、父親の塁と揃って頭を下げて懇願した。失敗が続いたせいで最近は李鳳の使用頻度が高く、李単も別の子供を検討していた所である。渡りに船と言う感じで許可を出した李単であったが、今ではその判断を早計と悔いていた。
(どうも嫌な予感がする……やはりガキに任せた方が良かったかもしれんな。侭の報告じゃ入港予定は明後日の夕刻か。護衛船含めて四隻、護衛の数は五十強……予想していたよりも規模がデカい)
規模が大きくなればその分実入りも大きくなるが、仕事の難易度も格段に増す。侭の一派は命令に忠実な反面、臨機応変な対応力に欠けていた。李単も不安も増していく。
(送り込んだ人数より船の数が多いのも問題だ。ガキなら上手くやっただろうが、侭は塁に似てバカだからな……問題ないと言っているが、とても信じられん。しかし、今回は物が物だけに部下任せとはいかん。やはり俺も行くしかないな……いざとなれば、侭は切り捨てるか。それと……ゲンは担いでおくか)
李単は大声で部下を呼ぶ。
「おい、誰かある! 燈と伯雷をこれへ!」
李単の顔色は優れない。それは拭えない不安と緊張を示している。この判断が吉と出るか凶と出るか、天のみぞ知る賭けに打って出た李単であった。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
2014.05.06
地の文を統一し加筆しました。
サブタイトルを追記しました。