54話
孫呉との対面その3
――汜水関付近の林――
黄蓋に対する数々の誹謗中傷に耐え兼ねた孫権が李鳳に吼えた。
しかし、返ってきたのは李鳳の言葉という拳であった。
「今の孫呉で一番いい加減なのは、“お前”だと言っているんだよ!」
「私の何がいい加減だと言うのよ!?」
孫権も打ち合いに応じる。
「此度の連合にはどうして参加なされたのですか? 姉君に命じられたのですか?」
「違うわ、私から望んだのよ! 悪臣・董卓の横暴を許してはおけないもの!」
当然だ、と言い切りジャブを放つ孫権。
「おやおや、孫家の再興と呉の繁栄はどうされたのですか?」
「孫呉の悲願は必ず叶えるわ! だけど、董卓も放っておけるわけないじゃない。呉に被害が及ぶ前に悪の根を断ち切るのよ!」
李鳳の指摘に対しても毅然と返す孫権。
しかし、李鳳は嘲笑を浮かべていた。
「それで……この汜水関攻略では、どんな活躍をなさったのですか?」
「そ、それは……」
死角から不意に放たれたパンチに、言いよどむ孫権。
「軍を率いて自ら戦われたのですか? 孫策殿や黄蓋殿のお姿は見かけましたが……、それとも何か献策されたのでしょうか?」
「……戦いたかったけれど、姉様と公謹に待機していろと言われたのよ」
連打をまともに喰らい、悔しそうな表情を浮かべ耐える孫権。
「……つまり、何もしていない?」
「いいえ、本陣を守護していたわ!」
「それはまた斬新ですね……。敵は籠城し、こちらは積極的に攻砦戦を仕掛けなければならない状況で大したものです」
大振りとなったストレートをかわされてカウンターを1発。
李鳳は変わらず侮蔑を浮かべた表情のままである。
「馬鹿にしているの!?」
「いえ、孫呉の将兵に同情しています」
「なに……?」
哀れみを込めた目で孫権を見詰め返す李鳳。
距離を置いて相手のダメージを計るかのようである。
そして、強烈な右フック一閃。
「勝手にノコノコついてきた足手まとい、それが“お前”だよ……孫権仲謀」
「蓮華様への侮辱は許さんぞ、伯雷!」
顎を打ち抜かれて膝が揺れる孫権であった。
しかし、ゴングと同時にセコンドの甘寧が飛び込み、フラつく孫権を助けた。
「すみませんね、根が正直者なので……ついつい本当の事を」
「黙らんか!」
「黙るのは貴女ですよ、興覇。私が今話している相手は孫権仲謀であって、貴女ではない!」
「クッ」
無情にもセコンドアウトを告げるゴングが鳴らされ、第二ラウンドが始まったのである。
李鳳は第一ラウンドとは戦法を変えて、ボディ狙いに転じた。
一方の孫権はダウンを避けるべく、顎の、頭部のガードを固めるのであった。
「結果だけ見れば緒戦は大勝しましたが、献策段階であの展開と結果を予想していましたか?」
「…………」
「兵数は敵軍の方が圧倒的に上、さらに籠城されれば疲弊するのは我ら連合の方でした。だからこそ、敵を誘い出し一気に攻め落とす必要があったんですよ。ただでさえ先鋒の戦力が限られている状況下で……余力を残す余裕なんて本来あったと思いますか?」
「…………」
李鳳のリバーブローが孫権のスタミナを奪う。
「それなのに、孫策軍は一部の兵力を本陣に残さざるを得なかった……誰かさんのせいでね。砦の一番乗りを狙うなら兵力は多い方がいい、興覇という豪将を温存させるなんて論外でしょう」
「…………」
「その誰かさんは、姉君に護られ、軍師に護られ、興覇に護られ、黄蓋殿に護られ、孫呉の全ての将兵に護られていながら、当の本人はいったい何を成したのでしょうか? 安い正義感で、安い挑発に乗り、耳に痛い事実を突付かれて跳ねっ返り、喚き散らし、安くない代償を支払うことになる……足手まとい以外に何と表現すれば良いのでしょうか?」
ボディが効いているのか孫権の足も止まってしまい、李鳳に打たせ放題となっていた。
「献策内容を記した書簡がどうとかほざく前に、ご自分の非力さをもっと良く認識されるべきでしょう。非力な正義感は“無力”などではなく、もはや“害”です! 領地に残って民政に精を出すことが“お前”に為せる唯一の役目であったのに、それを放棄し、わざわざ足を引っ張りにしゃしゃり出てくるとはご立派な正義感もあったもんだ!」
「…………うるさい」
孫権が弱弱しく打ち返すパンチには、もはや何の威力も無かった。
逆に李鳳は腰を回し拳に体重の乗せ始めた。
「しかも、まだ董卓も討ってないのに呼び出しで喧嘩吹っ掛けてくるなんて……頭は大丈夫か? わざわざ連合内部に火種作るなんて、董卓軍がよこした放火魔じゃないよな? クックック」
「……うるさい……黙りなさい」
「だいたい“お前”が来たからって董卓を早く討てるのか? 笑わせてくれる、むしろ犠牲が増えただけだろ。“お前”さえ領地に残っていれば、後顧の憂い無く孫策殿も戦力を全軍投入でき、もっと早く犠牲も最小限で緒戦を勝てただろうに……。さらに言えば、孫呉再興の内部工作を進める絶好の機会も“お前”が不意にしたんだよ!」
「……だまれ、……だまれ」
もはや何の照準もないまま、ただただ拳を振り回すのみとなった孫権。
李鳳はこのラウンドで仕留めにかかった。
「それはそうと、董卓が悪政を敷いてなかったらどうするつもりだ? 袁紹の広めた流言と知った上で“お前”は連合への参加を決めたのか!?」
「……そんなはずないわ、董卓は悪よ。……そうよね、思春?」
「は、はい。……その通りです」
打たれ過ぎて目がかなり虚ろな孫権が甘寧に同意を求める。
甘寧は突如振られた問いにどもりつつ答えた。
「クハハハハハハハハ、傑作だ。過保護にも程があるぞ、興覇!」
「五月蝿い! お前に何が分かる!」
「……思春?」
「知らなかったのか? だったら教えてやろう、クックック。董卓が都で暴政ってのは嘘っぱちだ! 董卓への権力集中を妬んだ袁紹の流した根も葉もない話で、真実じゃない」
「……え?」
自身の認識との違いに戸惑いを見せる孫権。
すでにフラフラの状態で審判がいればテクニカルノックアウトをコールしていただろう。
しかし、ここに審判はいない。
居るのは愉快犯だけだった。
「クヒヒヒヒヒ、“お前”以外の孫呉の将は……皆知ってるんじゃないか? どうして“お前”には黙っていたと思う? “お前”の安いだけの正義感が邪魔だったからだよ! 知れば本気で戦えまい、迷いは隙を生むんだよ。そしたら迷惑するのは周りの連中だ、すでに充分迷惑してると思うがな、クヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ」
「……うそよ」
「興覇の反応を見てみろよ。いつも一緒なら分かるだろ、“お前”は御飾りなんだよ。真実から遠く離れた所で安っぽい正義感を振りかざしてれば、それでいい存在ってことだ」
甘寧は孫権から目を背けていた。
李鳳の言っている事は極論に過ぎないし、甘寧自身もそんな風に孫権を見たことなど無い。
しかし、少なからず事実も含まれていたのだ。
「……うそ、……うそよ」
「董卓が冤罪(えんざい)なら、奴らは官軍なんだぞ。つまり……“お前”は立派な反逆者になるんだよ、漢の逆臣・孫権仲謀!」
「……うそよ……うそよ……うそよ……うそよ」
とうとう膝をつき、虚ろな目でブツブツ呟く孫権。
最後のフィニッシュブローは拳ではなく、言葉の刃で斬り付けたのである。
「“お前”が如何に覚悟の足りない“いい加減”な存在か……ご理解頂けたら幸いですね、クックック」
結果は李鳳の反則勝ちだった。
【李鳳】
クッヒッヒッヒッヒ、頭で考え過ぎなんだよ……適度に息抜きしないとノイローゼや鬱になっちまうぞ。
馬鹿みたいにまともに受け止めずに流しゃぁいいのに……。
この世界の人は言葉も聞いたことないだろうな……俺みたいなのを『当たり屋』って言うんだよ、ククク。
ほとんど言いがかりで暴論もいいとこなのに、真面目で賢いから妄想膨らませて考えてんだろうな……。
劉備同様、現時点じゃ未熟だな……将来性はあるんだろうが、曹操や孫策と比べると見劣りするな。
視野が狭く、沸点も低いし、精神もまだまだ脆い。
その点、馬鹿なら耐久強度は半端ないからな。
袁家の大将らを壊すなんて至難の業だろ、クハハハハハ。
ピンクの妹だったからな、存分に八つ当たりさせてもらったよ。
怨むならエスパーな姉を怨むんだな……。
残るは……興覇だけか。
そう思った李鳳は甘寧を見る。
甘寧は孫権の両肩を掴んで揺すっていた。
「蓮華様、蓮華様! しっかりして下さい、蓮華様!」
「クックック、大変そうですねぇ。何か私に手伝えることはありますか?」
李鳳のこの物言いに、甘寧がキレた。
「もう我慢ならん! 公覆殿、伯雷は私が斬りま……公覆殿!?」
先程からずっと黙ったままの黄蓋に甘寧が目をやった。
主君の孫権が李鳳にずっと言われっ放しなのを黄蓋が黙っているのは変だ、と今更ながらに気付いたのである。
すると、黄蓋は片膝をつき右腕を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。
顔面は蒼白、額から大量に発汗し、押さえている右腕は出血して赤く腫れ上がっている。
見るからに至急手当てが必要な状態であった。
「ああ、そう言えば……さっき投擲した刃には毒を塗ってたんでした。すっかり忘れてましたよ、ククク」
「きっさまーッ!!」
甘寧が激しく『鈴音』で斬りつける。
その瞬発力と剣速は黄蓋戦での李鳳を凌駕していた。
ガンッ! キンッ、ギンッ! ギンッ!!
しかし、李鳳も辛うじて『那覇』で弾く。
残念ながら、今の李鳳に笑う余裕は無かった。
氣の応用と長時間の肉体強化の併用は、想像以上に李鳳の身体を酷使していたのである。
「はぁ、はぁ、貴女にも、真名は許してないですよ……興覇」
「死ねッ!」
舌戦での不利を理解している甘寧は、李鳳の言葉に耳を貸さなかった。
そのまま『鈴音』を突き出す。
「くッ!?」
こういう問答無用タイプは李鳳の苦手とするところであった。
さらに、繰り出される斬撃は全て正中線を狙ってきているのだ。
その連撃を徐々に捌き切れなくなり、李鳳の迷彩服は切り刻まれていく。
甘寧にとって李鳳は古い知人でもあったが、今は主君を侮辱した仇敵であった。
腕の1本や2本で済ませる気はなく、死をもって償わせようとしていたのだ。
一方的に押されていた李鳳であったが、彼は怒りの感情を氣へと変えて練り上げていた。
お気に入りの一張羅を……興覇と言えど許せん!
……相応の代償を支払わせてやる。
軽氣功じゃ反撃のタイミングが取り辛いか……なら――。
素早い動きで回避していた李鳳の動きが止まった。
その隙を逃さず、甘寧は最も回避しにくい体の中心に斬りかかったのだった。
ガギン!
「なにッ!?」
腹部を引き裂くと思った斬撃は、まるで岩や鉄にぶつかったかのように甘寧の手にビリビリと衝撃を与えたのである。
次の瞬間、李鳳の『那覇』が甘寧の目を突いた。
「クックック、残念」
咄嗟に首を捻ったおかげで目は助かったが、耳を負傷した甘寧。
再び距離を取る李鳳の表情に笑みが戻った。
硬氣功の一種で腹|(丹田)を鋼鉄と化し、曲刀を受け止めたのであった。
しかし、不敵に笑う李鳳だったが、彼に余裕は無かった。
氣の応用術と痛覚遮断の同時使用は今の李鳳にはまだ出来ないのである。
つまり――。
いってぇぇ……超痛い!
笑って腹筋よじれるより全然痛い!!
不味いな……このままだと俺の方が不利かもしんない……。
思い切って孫権と黄蓋にクナイ投げつけてみるか……吃驚して隙が出来るかもな、クックック。
思わぬ反撃を喰らって慎重に構え直す甘寧。
対して、脂汗を浮かべた李鳳は悪巧みを考え状況の打開を図ろうとしていた。
吃驚しなかったら俺の負けかな、と内心で苦笑しつつ投擲しようとした、その時――。
「そこまでよ! 2人とも矛を収めなさい!」
「明命、祭の容態はどう?」
「熱があり意識も朦朧とされております。右腕の出血と炎症から診て……おそらく毒を受けたと思われます」
周喩、孫策、周泰の3人が姿を見せたのだった。
周喩と孫策は孫権に、周泰は黄蓋にそれぞれ近寄り様子を確認している。
周喩の言葉に従い甘寧は剣を収めたが、李鳳は警戒を解いていない。
もう! 何人来んだよ!?
ゾロゾロ、ゾロゾロ……次から次へと来やがって!
……あれ? もしかして……俺、詰んだ?
批評やご指摘、感想などありましたら
宜しくお願いします。




