38話
間諜フェイズです。
袁紹から各地の諸侯へ飛ばされた決起を促す檄文に対して、返答され始めてから数日。
李鳳の放った2人の間諜は、袁紹を探れと依頼されたにも関わらず陳留にいた。
陳留の主と言えば曹操。あまり知られていないが、いや、一部ではとても有名な話なのだが、曹操と袁紹は犬猿の仲である。金と家名だけで傲岸不遜な態度を取る袁紹が、才気溢れ大胆不敵な態度の曹操と同じ髪型で個性が被っていると事ある毎に噛み付いていたのだ。執拗に絡んでくる袁紹に曹操自身も何か感じるモノがあって互いに真名を呼び合う関係でありながら、嫌悪する間柄でもあるのだ。
――陳留の城下町にある料理屋――
「はぁぁ……、華佗さま……モグモグ……うっめぇ」
「はぁぁ……、顔良さん……今日もお美しい……ハムハム……美味ぃ」
諸経費の9割が食費という大食漢な2人。しかも、美食家でもある。
「ったくよぉ。結局入れ違いだったじゃねーかよ」
「はぁぁ……、文醜さん……あんなに頬張って……なんて可愛いんだ」
噛み合うのことの無い2人の会話。
なぜ2人がここに居るのか、それは袁紹軍の誇る2枚看板、双璧と呼ばれる文醜と顔良を尾行してきた結果である。袁紹を探りたければ、顔良を探れば良いという結論に達したからだ。
「しっかし、ぅんめーな。陳留ってのはどこの飯屋もこんなにうめーのか?」
「フフフ、許緒ちゃんは5年後が楽しみですね。きっと文醜さんみたいな美人になりますよぉ」
噛みあわない2人の会話……。
【丁奉】
……こいつの病気は末期だな。出会った当初は……普通だと思ってたのによ。
「おい、許緒って誰だよ?」
「はい? あの小柄で元気いっぱいの女の子ですよ。……ああ、安心して下さい。丁奉さんもあと3年で化けますって」
「心配してねーし、オレはもう大人だ! ……ってか、なんでアンタが名前知ってんだよ?」
「なぜって……彼女達が今も話してるじゃないですか」
……は? こっちは入ってすぐの席、あっちは最奥の席だぞ?
「確かに何か喋ってるみてーだけど、聞こえるわけねーだろ」
「フフフ、丁奉さん。私はね、美しい女性の声なら千里先でも聞き取れる自信があるのですよ」
……ダメだ。こいつ頭にも虫湧いてやがる……。
「嘘つくんじゃねーよ! 化け物じゃあるめーし」
「傷付きますねぇ、嘘じゃありませんよ。後から来た3人の美女はもっと驚きますよ」
「あん?」
「なんと……あの曹操さんと夏候姉妹ですって。ビックリする程お美しいですよね」
「なっ!? あれが……曹操なのか」
クソったれ、どう見ても本物くせー……。あの夏候姉妹も……強さが滲み出てやがるぜ。今のオレじゃ……勝てねーかもな。
「驚いたでしょ!? あの美しさの前では誰でも頭を垂れたくなると思いませんか? 惜しむらくは胸ですね……天も完璧なる者には嫉妬してしまうんでしょうね」
「陳登さんよぉ、ホントに会話が聞こえてんのか?」
「勿論。痺れるような美声ですよ、フフフ」
……頭の回転が速くて謀にも長けた優男だと思ってたけど、やっぱ化け物だったわけだな。キッショイ李鳳が気に入るわけだぜ。
「んで、あの変わった白服の男は誰なんだ?」
「…………」
……ん? 急に不機嫌になったな……。
「アイツは分かんねーのか?」
「……彼は天の御使いのようですね」
「へぇ、アイツがね……。軟弱そうで大した奴には見えねーけどな」
「ええ。ええ、その通りです。どうせ良いのは見てくれだけでオツムは残念な男に決まっています。きっと変態ですよ。私は嫌悪します! あの場に同席しているだけで忌々しい、あれだけの美女に囲まれるなら天に唾するも何ぼのものぞ! そう思いませんか、丁奉さん!?」
こえーよ……。あと、ウゼーよ。
「オレが知るかよ。それより華佗さまがどこ向かったか分かんねーのかよ?」
「……済みません。むさ苦しい男の声は隣の席からですら耳が拒絶しますので……」
はぁ……華佗さま以外の男は皆ダメダメってことだな。
「せっかく新しい必殺技考えたのによ……」
「ほほぅ、初耳ですね。ちなみに……どんな技なんです?」
「ちっ、仕方ねーな。特別に教えてやるよ、オレの月光一閃で敵の首を跳ね飛ばす……名付けて『一撃煮湯痕“いちげきにゅうこん”』だ。ビビったろ」
フフーン、華佗さまを真似て作った自信作だぞ。きっと華佗さまも誉めて下さるはずだ。
「……う、うん。まぁ、丁奉さんらしくて……いいんじゃないですか。ただ、私はやはりその円月輪は『月光』より李鳳殿が考えた名前の方が面白かったですよ」
「武器に面白さなんてイラネーんだよ。『絶倫』なんてダセー名前イヤに決まってんじゃねーか」
「円月輪……げつりん……ぜつりん。プププ、私は好きなんですがね。男なら憧れる名前ですよ」
「は?」
そもそも李鳳に名前付ける才能なんて致命的にねーだろ、自分の武器も『那覇“なは”』っつったか。何でも、じゃまだはる……だはる……だは……だは、だは、だはは……。それでなんで『那覇』になんだよ!?
「丁奉さんも、もう少し大人になれば判るようになりますよ」
「一生わかんなくても困んねーし、オレはもう大人だっつってんだろ」
「フフフ、そうでしたね。おやっ、もう出るみたいですよ。城で謁見を行うそうです」
城か……流石にあの曹操の懐に忍び込むのは羽が折れそうだぜ。
「んじゃ、まぁ」
「そうですね」
「「お姉さん、おかわりー」」
舌鼓を打ちまくる2人の席には高々と空の皿が積み上げられていった。
「んで、これからどーすんだ? だいたい陳留に来たのだってアンタの我が侭じゃねーか」
「そうでしたっけ? 私は常に任務最優先で行動しているまでですが……」
お昼時を過ぎ、満席だった店内の客も捌けて店長と店員の目は2人に集まり出していた。
「観察対象に初日から声かけたのはどこのどいつだよ?」
「……美しさとは……時に全てを凌駕することがある、という教訓を学べましたね。それに顔良さんとお近付きになったのは何も私情だけではありませんよ」
……ホントかよ。……女が絡むと急に信用度が落ちるんだよな。
「どうだか……。あの袁紹のことだって天使だの花の妖精だの言ってたくせによ」
「そう言う丁奉さんだって、華佗さんが陳留に居るって知った時は乗り気だったじゃないですか」
「うっ……、オ、オレはアンタの護衛だから“仕方なく”付き合ってやったんだよ」
更に客の数が減り、店長はもう2人の事しか見ていなかった。店長の内心は『お前ら金持ってんだろうな?』である。
「まぁ、済んだ事は置いておきましょう……収穫もありましたしね。それよりもこのままでは路銀が底を突いてしまうので、曹操軍か袁紹軍に混じって集合場所まで行きませんか?」
聞き耳を立てていた店長の耳がピクリと反応した。勿論、『路銀が底を……』というフレーズに対してだ。
「納得いかねーけど、納得しといてやるよ。んで、どっちに紛れ込むんだ?」
「袁紹軍にしましょう」
「……まさかとは思うが、顔良の側に居たいとかだったらぶん殴るぞ」
まだ聞き耳を立てていた店長の表情が曇る。『ぶん殴る』という言葉に対してだ。
「いえいえ、全く無いと言えば嘘になりますが……フフフ」
「おい、痛い目に遭いたいのか?」
まだまだ聞き耳を立てていた店長の顔が青褪めた。無論、『痛い目』に対してだ。
「落ち着いて下さいよ……。調べによると、曹操軍の兵は皆精強で統率も取れており紛れ込むのは非常に困難なんですよ。それに比べて、袁紹軍は兵の数が圧倒的に多く錬度も今一つなので紛れ込み易いんです。……万が一の時はすぐ逃げちゃえばいいですし」
「……まぁ、顔良と文醜以外はかなりお粗末だったからな。いざとなりゃ、オレがぶっ殺してやるから安心しな。ハッハッハー」
「それは頼もしい。フフフ、期待していますよ」
俄然聞き耳を立てていた店長の中で最後の2ピースが埋まった。『逃げる』『ぶっ殺す』である。
店長の迷推理によって弾き出された答えは、男が食い逃げを画策し、連れの女がそんな面倒なことせずに店員全員、いや、むしろ店長だけぶっ殺しちゃえばいいじゃん、であった。
すでに城主の曹操様もお帰りになってしまい、店内に残っているのは自分と戦えそうもない女子供だけであるという不安と重圧に押し潰されそうになって……店長は気絶した。
「なんだ……? やけに厨房の方が騒がしいな」
「フフフ、さぁ、何があったんでしょう……プフフフフ」
類は友を呼ぶものです。




