37話
霊帝、崩御す。
後継者を定めていなかった為、起こるべくして起こった世継ぎ争い。
霊帝には2人の子がいた。何皇后との間に生まれた劉弁と王美人との間に生まれた劉協である。何皇后の兄であり大将軍でもある何進は当然劉弁を即位させようと画策したのだが、肉屋のせがれが実権を握る事を好しとしない宦官らは劉協を擁立しようとした。霊帝の死と直後に勃発した後継争いによって、西園八校尉も割れ役目を終えることとなった。当初懸念されていた蹇碩と曹操との関係だが、曹操が都に近づかなかった為に杞憂で終わったのであった。代わりに何進と結びついた袁紹が蹇碩と対立することになったのだ。
その蹇碩らによる何進謀殺が企てられたが、密告により失敗した。
その後、一歩早く兵を動かした何進が宮廷を制圧してしまい、劉弁を少帝として即位されることに成功したのだった。この時、蹇碩と通じていたはずの十常侍は何氏に寝返って蹇碩を殺害してしまった。
しかし、何進は十常侍をも排除しようと敵対姿勢を強めた。そこで十常侍のリーダー格でもある張譲はいくつか策を張り巡らせたのである。まずは偽の詔勅で何進を宮中におびき寄せ、今度こそ殺してのけたのだ。また、自分達を手駒として動かせる精強な軍隊も必要だった為、以前から声をかけていた辺境の諸侯である董卓を都へと召喚したのだった。
ところが何進大将軍殺害の報を聞いた袁紹らによって、直ちに宦官粛清の兵が挙がり宮中への突入を許してしまったのだ。その動きを察知した張譲ら十常侍は逃れようとし、幼き少帝らを洛陽から連れ出したのである。
何とか逃げ延びた張譲は大軍を率いて上洛した董卓と合流し、その圧倒的な兵力で都へと凱旋し、逆に袁紹らを洛陽から追い出したのだ。その後、少帝劉弁を廃し、新たに劉協を献帝に即けた。
思い通りに事の運んだ張譲はそのまま董卓を傀儡とし、陰から悪政を敷き、私腹を肥やしていった。その一方では、董卓およびその配下が民への被害が最小限となるよう尽力し、民の害となる悪い政事を行う者を粛正した。おかげで都は何とか平穏を保っていた。
そんな都の状況を快く思っていない人物が一人――――袁紹だ。
彼女はすっかり朝廷の実権を手にして我が物顔で都に居座っているだろう董卓に激しく嫉妬していたのである。見事と言う程に無様な醜態を晒し、都から逃げ帰ってから日々悔しさを募らせていた。ある日、冗談半分で言った部下の戯言を正式採用し、流言を用いて董卓政権の悪評を広めたのだった。
あっという間に噂は全国へと広がり、各地の刺史や太守の耳に入ることとなった。
勿論、その風評は幽州にまで響いてきている。公孫賛も天子様や民の事を想い胸を痛めていたが、どうすることも出来ないのが現状であった。
朝議でも毎日のように董卓や都の話が挙がっているが、各地の諸侯が何か動きを起すまでは様子見とし、領内統治に注力することで一応意見はまとまっていた。
予算の不正流用で大きくなり過ぎていた趙雲の部隊は、後任も見つからずに解体し再編成することになった。後釜候補にと考えられていた李典は、趙雲が去るより早く正式に仕官したことで別の一軍の将に任命されていた。また、李鳳を推薦して困らせようと画策していた李典だったが、水面下で何かしらの取引が成立したようで解体を決定した軍議では静観するに留まっていた。
経費削減の煽りを受けた文官と武官の溝は更に広がっていた。結局誰一人解雇されることは無く、減給処分で済まされたが、文官同士の結束にも亀裂が生じていた。これまでは危険を冒すことの愚を唱え穏健派な文官の筆頭として君主や武官と対立することの多かった翁大老だが、人が変わったかのように公孫賛の意見を肯定し擁護し、まるで丞相のような振るまいを見せている。この態度が更に亀裂を大きくしていった。
では、逆に武官の翁大老に対する評価が上がったかというと……それも否だ。白馬隊の強化に反して他の部隊は軍備を縮小され武具などに関する自己負担分の増加は全て翁大老の提案であると捉えているのだから仕方ない。文官らの不手際がそもそもの発端なのに、どうして自分達がという不満な気持ちが強いのだ。
しかし、翁大老のこの変化を喜ぶ者もいた。君主の公孫賛だ。
自分のやることを全て認めて褒めてくれるイエスマンを得たようなものであり、白馬長史としての活躍を大いに期待してくれることが純粋に嬉しかったのだ。
おかげで最近の公孫賛は思い切りの良い発言がかなり増えてきていた。無論それは常識の範疇であり、袁術や袁紹のようなことはない。
その袁紹から都で暴政を働く董卓を討つべし、と決起の檄文が届いたのだ。本日の朝議の議題はまさにそれである。
「私はこの申し出に応じるぞ」
開口一番に公孫賛から発せられた言葉は賛同の意であり、それは決定事項だと告げていた。
半年前の彼女なら、まずは文武両官の意見を聞いたはずだ。そして、それらを吟味した上で自分の考えを述べただろう。
こうなった原因は翁大老と李鳳だけのせいではない。
保守的な献策しかせず、いざとなると全てを丸投げする文官。内政を蔑ろにし、将軍と呼び尊敬の念を向けていたのは公孫賛ではなく趙雲だった武官。そんな環境で過ごす内に育まれていった公孫賛の心に潜む闇。
最終的には全て自分一人で考え、周囲を説き伏せて、政を実行してきた過去。自分の意見をいつ言うかの違いしかない。最後に皆の意見をまとめるだけで、何も考えていないと思われているかもしれないと感じていた。
領民にすら顔を覚えられていない程に影が薄いことを常々コンプレックスに感じてきた彼女のネガティヴな思考が内なる闇を濃くしていった。そして、評価されたい、認めてもらいたいと願望が徐々に心を支配していったのである。
そんな公孫賛は気付かない。領民達が敷かれている善政にとても感謝して暮らしていることに、官達が自分達の意向が汲まれて方針が決定することに対する自負で満足していた事実に気付くことはなかった。
幼少の頃より培った激しい劣等感が歪めてしまった感受性。
歪みが歪みを呼び、正そうして、また新たな歪みを生み出す。
「お、お待ち下さい。まだ何も話し合っておらぬ内から決めてしまわれるのは些か早計かと……」
一人の中年文官が公孫賛の決断に待ったをかけた。
「何より黄巾賊から受けた損害の復旧が済んでいない地域も少なくない現状では、必要分の糧食など……とても賄い切れませんぞ」
「加えて言うならば、軍も再構築されてから日が浅く……新設された部隊の多くはまだ実戦に耐えうる保証はしかねまする」
財務と軍備の担当らも不安感からか、声を大にして訴える。
その後も賛否入り乱れた意見が次々に飛び交う。
公孫賛軍の主力部隊である騎馬隊の増強を優先したことで発生した弊害、それが兵の錬度と資金の不足である。
軍馬を用いる騎兵1人にかかる費用は歩兵のそれとは比べ物にならない程高いのだ。また、一人前に馬を操れるように育成するにも長い時間を必要とした。現代のように『鐙』があれば、比較的簡単に、それでいて高い精度での乗馬が早期に可能となっただろう。しかし、今は三国の時代であり、鐙は存在していないのだ。一度李鳳が個人的な理由で開発計画を立ててはいたのだが、更に個人的な私怨で白紙に戻したというのは余談である。
とにかく、今の公孫賛軍に鐙は無い。また、騎馬を主軸に置いた為に弓兵の数も他の諸侯に比べて圧倒的に少ない現状である。
いつも賊や蛮族相手なら過激な進言をする武官でさえ、相手が相手だけに現状の戦力不足を痛感し控え目な態度を取っていた。
「フォッフォッフォ。何か勘違いをしておらんか、皆の衆?」
翁大老の一言で場が静まり返った。
【李鳳】
クックック、ずっと喋らないから爺さん死んでんのかと思ったぞ。
正直、ここの内政に飽き始めてきたからナイスなタイミングだったよ。袁紹、グッジョブ!
諸々の下ごしらえは一先ず完了したし刺激が欲しかったんだよ、クフフフフ。
「翁殿、我らが何を勘違いしていると言うのですか?」
翁大老の不可解な発言に一人の文官が聞き返す。
「公孫賛様は連合に参加すると仰られたのだ。ここで議論すべきは、その準備と留守中を如何に守るかじゃろうて」
「し、しかし、現在の財政では……」
「案ずるでない。糧食に関してはワシに考えがあるわい」
ワシに考え……ね。いいねぇ、渋いぞ、爺!
「では、糧食の準備は任せたぞ」
「うむ、承知ですじゃ」
「それと、留守中はお前に全て一任しておく。宜しく頼むぞ」
「フォッフォッフォ、任されよ」
まるで台本通りだと言わんばかりにトントン拍子で進んでいく2人のやりとり。周囲はただただ傍観するのみである。
「李典、最低限の守りは残すとして……どの程度動かせる?」
「せやなぁ、二万……って言いたいとこやけど、足手まといは要らんし……一万五千が目一杯や」
「一万五千か……、仕方あるまい。文にあった集合場所はここから遠い、すぐ準備に取り掛かってくれ。天子様と都に住む民達を何としても救い出すんだ!」
いい感じになってきたなぁ。細工は流々、あとは仕上げを御覧じろってね。
「あ~、州牧はん。ちょっとええか?」
珍しく遠慮がちに意見を切り出す李典。
「ん、どうしたんだ? ……もしかして、連合参加に反対なのか?」
「ちゃうちゃう。そやのうて、ウチにはその董卓っちゅうんがホンマに悪さしとるとは思えへんねん」
「……どうして、そう思うんだ?」
これまでの一方的な物言いではなく、顎に手をやり少し考え、李典に真意を問う公孫賛。
「たまたま都に寄って来たっちゅう商人におうてな、話聞いてみたんや。ほんなら、都の様子はいつもと変わらんかったって言うてたわ。それに、出回っとる悪評やけどな……、全部南皮の方から広まったらしいんやわ」
おやおや、マンセーさん。それは陳登からの内密な報告でしょ……クックック。
「……そうだとすると、本初が噂をでっち上げた可能性もあるってことか」
「せや、朝廷の中枢で権力を握ることになった董卓っちゅうんが面白のうて皆でやっつけよ言う腹積もりちゃうんか?」
意外とマンセーは頭良いんだよね……。少ないキーワードからも事実を正確に紐解くし、何気に読書家で物知りだったりもする。ぶっちゃけ、将軍職よりも内政向きなんだよなぁ。
でも、全部言っちゃったら駄目だぞ。その辺で、ステイ! ステイ!!
あとでキビ団子あげるから不必要な事まで喋らないよーにね。
顎に手を当てたまま、考え込む公孫賛。
涼しい顔をしたまま、無言で茶を啜る翁大老。
目で何かを訴えたまま、敢えて発言はしない李鳳。
正義感に駆られるまま、懸念点を語る李典。
どれほど時間が経っただろうか。1分、10分、もしかしたら10秒かもしれないが、武官や文官にはとても長く感じたのだ。
そして、答えを出した公孫賛が口を開いた。
「そうだったとしても、私は連合に参加する」
静まり返っていた周囲が再びざわつき始めた。
「噂が間違いやったら? 都が平穏やったらどないするん?」
「間違いだったら一安心だ。そうでなけば何としても助けなくてはならない」
「下手したら……、ウチらは反逆罪やで?」
「お前達はそうはならないさ」
「なんでや、何もないのに都に攻め込んだりしたら大罪に決まっとるで?」
他の武官も青褪めて頷いている様子が公孫賛の目には入っていた。もし万が一間違っていたら、待っているのは死刑だと確信していたからだ。
「いいか、これは私の独断だ。お前達は私の言う事に従ってればいい。……もしもの時は、私の首を反逆者として差し出せ」
再び沈黙が部屋全体を支配し、息を呑む音がやけに大きく聞こえた。
彼女の抱える心の闇は、彼女の想いを増幅させる。
『英雄』に憧れ、『英雄』でありたいと望むようになった。
そんな彼女は根っからの善人であり、漢王朝や皇帝、そして漢という国で暮らす民衆を護りたいという信念は決して変わることがなかった。
ただ、賞賛して欲しかったのだ。
『英雄』として賛美されたくなったのだ。
太守として、“普通”に善政を敷き、“普通”に賊を討伐し、“普通”に民が暮らせるように努力してきた。“普通”を維持することがいかに大変かを理解してくれる者が周囲に居なかった『不運』、大いなる功績の数々も『不当』な評価を受け、『不遇』な扱いをされ続けてきた。
彼女は決して菩薩ではなく、“普通”の人間なのだ。
彼女の覚悟を聞いた武官は奮起し、今後について話し合い積極的に行動を開始した。
クックック、なかなかの寸劇で面白かったなぁ。
やっぱりカメラとビデオが必要だろ……、マンセー何とかしてくれないかなぁ……。俺自身が原理理解してないし仕組みを説明できないせいで、さっぱり開発が進まないもんなぁ。流石のマンセーマジックもお手上げかぁ……。
「フォッフォッフォ、まだ残っておったのか?」
思い出し笑いを噛み殺している最中に声をかけられた。
「翁大老……。ええ、朝議の内容や気付いた点を忘れぬ内に記しておりました」
「相変わらずじゃのぅ。ところで、お主……ワシに何か隠しておらぬか?」
いつもは寝ているのかと思うほどの細目がギョロリと見開かれた。
「ハハハ、何を隠すというのですか。艶本などでしたら、生憎私は興味がないので持ち合わせておりませんよ」
「ふむ……。まぁ、ええわい。此度はお主も軍師として同行するらしいのぅ」
「はい。どこまでお役に立てるか分かりませんが、力を尽くしたいと思っています」
二度と留守番をしたくない李鳳は朝議の直後に同行を直談判していた。公孫賛も元よりそのつもりだったらしく、将軍付きの軍師として参戦することが決定したのである。
「そうか、しっかり励みなされ。……それとのぅ、薬なんじゃが」
「はっ。留守の間に服用して頂く薬は明日までに用意しておきますので、ご安心を。処方は変わりませんので、夕食後に飲んで下さい。最近の調子はいかがですか?」
「二十年は若返ったように体が軽いわい、ワシが従軍しても良いくらいじゃ。フォッフォッフォ」
「クックック、それは何よりです」
死期を迎えて変な勘が冴えたのかと焦ったけど、裏を読み合う文官特有のやりとりなんだろうな……。
薬は毎日忘れず服用することをオススメしますよ。もし忘れたら……いや、忘れなくても爺の運次第だな、クヒヒヒヒヒ。ご苦労さん、ここまで良くやってくれたよ。被検体としては耐久度も低いし、耄碌しちゃって適応もイマイチだったけど最低限の役目は果たしてれたから及第点かな。近いうちにゆっくり眠れるぞ、ククク。
いよいよ連合か……。
会いたくない奴もいるけど、楽しみのが勝ってるからな。聞いた話だけじゃ、つまんなそーなイメージの董卓だけど……百聞は一見にしかずって言うしな。実物は想定外のモノを見せて笑わせてくれるかもしれん、クックック。
それよりも陳登の悪癖が心配の種だな。袁紹探りに行ったまま全然帰ってこないとこ見ると……、今回も絶対何かあっただろ。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
原作キャラ以外の人物紹介一覧って必要ですかね?




