25話
新たな旅立ちです。
――曹操軍の本陣――
警備隊の屯所にある一室に曹操軍の幹部が顔を揃えている。
と言っても、3人だけしかいない。
曹操にとって、この日は朝から頭の痛くなる出来事が続いていた。
北郷一刀の奇行、黄巾党の予想以上の猛攻、夏候惇の暴走である。
1つだけでも面倒であるのに、それが重なったのだ。
持病の偏頭痛も相まって曹操の機嫌は悪化するばかりだった。
そんな曹操を荀彧は心配そうに見ている。
【荀文若】
報告書を手に部屋に入ってみれば、華琳様は額に手を当てて俯いておられる。
御側には秋蘭しかおらず、表情も明るいものではなかったわ。
恐る恐る荀彧は曹操に話しかける。
「か、華琳さま……追撃隊の派遣と街の損害状況の確認、全て完了しました」
額に当てていた手をどけて、私の顔を見る華琳様はひどく不機嫌なように思われた。
「……ご苦労様、桂花」
報告書を受け取り、目を通す間もその表情に変化はない。
「ちょ、ちょっと秋蘭。華琳様に何かあったの? かなりお疲れの御様子なのだけど。それに、春蘭と季衣の姿も見えないわね……?」
荀彧は事情を知っているであろう夏候淵に小声で確認した。
すると、夏候淵は言い難そうに口を開く
「うむ、あったと言えばあったのだがな……詳しくは城に戻ってから華琳様がお話になるそうだ。姉者と季衣は……汚名返上の為の慈善活動中だ」
「はぁ? 何よ、それ……」
また何をやらかしたのよ、あの猪馬鹿は。
下衆男同様、華琳様に愛想尽かされて飛ばされればいいのよ……そしたら、華琳様は私だけを……ふふふ。
トリップ中の荀彧に夏候淵が逆に訊ねる。
「それより、桂花。北郷は一緒ではなかったのか?」
……せっかく華琳様が私だけ可愛がって下さっていたとこなのに……姉同様、空気が読めないのかしらね。
苛立ちを隠そうともせずに荀彧は返す。
「あんな無能な最低男と一緒に居るわけないでしょ! やめてよ、気持ち悪い」
そう思われてるだけで……悪寒が走るわ。
「ふむ、では、やはり陳留で留守番を?」
「……違うわ。華琳様の命令で運搬部隊の補佐をやっているはずよ、死んでなければね」
「なるほど、そっちでも何かあったみたいだが・・・聞くのは戻ってからにした方が良さそうだな」
華琳様は報告書を読みつつも、他に何かを考えていらっしゃるように思えた。
「――にも――再教育が――ね」
え? 華琳様が何かを呟かれたけど、上手く聞こえなかったわ。
再教育、と言ったのかしら?
……もしかして、華琳様自ら色々と手解きしてくださるのかしら?
……ああ……そんな事されたら、私は……私は…………うふふふふ。
「――い、おい、桂花。どうしたのだ、聞いておるのか?」
ちっ、あの姉にして、この妹ありね。
貴女達は華琳様と私の2人で立てた策通りに戦ってればいいのよ。
喜怒の変化が激しい荀彧はその日はずっと機嫌が悪かったという。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
――馬舎――
知人の老夫婦とささやかな茶会を開き、癒しの一時を過ごした李鳳。
軟膏と漢方薬を置き土産に別れを済ませ、曹操との約定の品を受け取りに来ていた。
その李鳳は現在とある青年と対峙している。
【李鳳】
「…………」
「…………」
いやいや……何か喋れよ!
路銀と馬の用意が出来たって聞いたから来たってのに、この兄ちゃんがフリーズしたままで再起動待ちだよ。
辛抱し切れずに李鳳が口を開く。
「あの、約束の品を受け取りに来たのですが……?」
「……あ、ああ、ごめん。この街の救世主って聞いてたから、てっきり女性なんだと」
「残念ながら、私は生まれた時から男ですよ」
うーん……曹操って、結構失敬な奴らを飼ってんだな。
恩人って感じてんなら性別くらい知っとけよな。
青年は慌てて否定する。
「わ、悪い。そんな意味で言ったんじゃないんだけど……」
口は災いの元ってね……俺のように確信犯なら話は別だけど、ククク……。
心とは裏腹な言葉を述べる李鳳。
「構いませんよ、それより物を頂けますか?」
「そ、そうだった。はい、これと……こっちの馬がそうだよ」
李鳳の受け取った巾着袋はかなり重かった。
財政潤ってんのかな……?
諸々の口止め料も入ってんのかもなぁ、クックック……。
馬も相当上物なんだろうけど……生憎、俺には違いが分からんから感動も文句も無い。
中身を確認した李鳳は再び青年に話しかけた。
「確かに受け取りました。予想してたよりはるかに多額だったので驚きましたが……」
「今回の戦いで君の武器が壊れちゃったんだろ? その補填費用も加えておいたんだってさ」
ああ、なるほど。
そう言えば、俺のジャマダハルは破損したんだった……この兄ちゃんは勘違いしてるみたいだけど、壊したのはお宅の将軍閣下だぞ、クヒヒヒヒヒ。
合点のいった李鳳は心にも無い礼を述べる。
「曹操様のお気遣いに感謝します、とお伝え下さい」
「ああ、分かったよ。……あと、1つ聞いてもいいかな?」
「はい、何でしょうか?」
えらく軽い兄ちゃんだな……末端の兵士だと、こんなものなのかな?
フランクな青年に疑念を感じる李鳳ではあったが、大人しく聞く。
「君が着てる、その服のことなんだけど……?」
「済みません。服の事はちょっと」
もう飽き飽きするくらい服はイジられ倒してるから、そこコスってもハネないよ?
若干苛立ちを感じさせる拒絶を示した李鳳。
焦った青年がすぐさま謝罪する。
「あ……ご、ごめん」
「いえ、風変わりなのは自覚してますから……」
「あ、いや、そういう事じゃなかったんだけどな……。でも、街の皆を守ってくれてありがとう。君が居てくれたおかげで被害が大きくならずに済んだって聞いたよ。本当にありがとう」
……なんだ、こいつ?
事情を何も知らずただただ本心を述べているのか、事情を全て知った上でただただ皮肉ってんのか……?
前者ならおめでたい能天気お兄さん、後者ならありがたい大好物お兄さん……どちらでも美味しく頂けそうですね、クヒャヒャヒャヒャ。
まぁ、今回は時間もあんまり無いし、右から左だな。
軽く受け流す李鳳。
「民に被害が最小限に済んで何よりです。では、私はそろそろ……」
「あっ、時間取らせちゃってごめん。……じゃぁ、気をつけて」
「ええ、兵士さんも頑張って下さい」
貰うもん貰ったし、さっさとズラかりますか。
長居しても面白い物見れそうにないし、捕縛や暗殺が無いとは限らないもんな。
礼をしてその場を去る李鳳。
「はは、頑張るよ…………兵士じゃないけど。さて、部隊長に報告しなきゃな」
青年の呟きは李鳳には届かなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
――とある街道――
李鳳が街を出てしばらく進んだ折、ある悩みに苛まれていた。
……やっぱ、ケツ痛い。
拷問具の雛形だもんな……ってか、鐙(あぶみ)ってないのかな?
あれだけ装飾品や衣服の技術が優れているのに……軍事関係は注力してないのか!?
謎過ぎるな……どうなってんだ、この世界は……?
李鳳が馬上で考え事をしていると、前方から凄い剣幕で女性が迫って来たのである。
「は~く~ら~い~! やぁ~っと、見つけたでェ!!」
ん?
ほほぅ、これはこれは……。
李鳳は声の主に視線を向ける。
「マンセーじゃないですか、どうしたんですか?」
「どないしたもこないしたもあるかい! 探し回ったんやで!!」
そこに居たのは街で共闘した李典であった。
おやおや……乳牛魔王さん、えらくご立腹じゃないですか。
何があったかは知らないけど、女性のヒステリックは苦手ですねェ……ククク。
ワケが判らない為に、とりあえず推論で李鳳が訊ねる。
「いやぁ、お別れの挨拶ですか? 私、湿っぽいの苦手なんですよ」
「……ちゃうわ! ウチにはヤっとかなアカンことがあんねん!」
「おや、何でしょう?」
命を助けたお礼かな?
言葉だけよりも、現物がいいんだけどなぁ……。
首を傾げる李鳳に李典から衝撃の言葉が飛び出した。
「ウチはアンタを殴らなアカンねや!」
「……は?」
「せやから、ウチはアンタを殴らなあかんねん!!」
「ふぅ……お若く見えますが、もうキテらっしゃるのですね。お可哀相に……」
若年性のアレでしょうかねぇ……それとも更年期かな?
残念ながら処方箋はありませんよ、クヒヒヒ。
可哀相にと哀れむ李鳳に益々怒る李典。
「フフフ……それや、その態度や。アンタのせいでウチがどないな思いしたか知っとるんか!?」
「……すいません。仰ってることの1割も分からないのですが?」
もしや、マンセーも巨乳の弊害が……!?
大変だ……必要な栄養素が胸に集中してしまい、脳に重大な疾患を抱える事になったんでしょうね。
お可哀相に……クックック。
勝手な推測でほくそ笑む李鳳に、李典は説明を開始する。
「エエやろ。ほな、教えたるで。アンタが帰った後に何があったんか! あの後、夏候淵様に聞かれたんや。ウチは伯雷の真名を知っとったんちゃうかって。せやから、直前に交換してたコト言うたんや」
李鳳の目が徐々に残念な子を見る目付きへと変化する。
「ほな、夏候惇様はなんで言わへんねんって怒るし、凪も沙和も『ないわぁ』って感じの冷たい目で見てくるし、季衣かて哀しい目して無言の圧力やで……なんでウチがこんな目に遭わなあかんねん、めっちゃ可哀相や思えへん!?」
長々とした説明を一気に喋った李典。
納得した表情ながらも本当に可哀相なモノを見る目で李鳳が口を開く。
「ええ、可哀相ですよ」
「やろ? せやから一発殴らしィや」
同意を得られて機嫌が少し良くなった李典は拳をボキボキ鳴らす。
しかし、次の李鳳の言葉で顔色が急変した。
「上官の窮地には見て見ぬ振りしておきながら、一難去った後にしれっと『自分は知ってました』なんて応えるマンセーの馬鹿っぷりが可哀相で可哀相で……」
「……な、な、なんやてッ!?」
顔を怒りで真っ赤にした李典が怒鳴る。
李鳳はあくまでも冷静に落ち着いた口調で語る続けた。
「少し考えれば分かることなのに、後先考えず馬鹿正直に話したマンセーの絡繰に毒された脳が不憫ですね。一度ご自分の螺旋槍をご自身の頭に突き刺してみては? 衝撃療法で少しはマシになるかもしれませんよ、クックック……」
多少強引ではあるが自身の迂闊さを諭されてしまい言い返せなくなる李典。
やはり、胸の弊害は出てしまっているようだ。
そう言った意味では、曹操はしっかり頭に栄養がいってそうだな、クヒヒヒヒ。
笑う李鳳を見て李典は呆れたように呟く。
「……アンタ、ホンマにエエ性格しとるな」
「ククク、ありがとうございます」
「誉めてへんわ!!」
大声を上げる李典ではあったが、先程までの怒った様子はもう消えていた。
いやぁ、相変わらず見事なツッコミで感動しますよ。
ですが、あんまり長居もしてられないんですよ……曹操さんが怖いんですね。
小心者の李鳳は別れを告げようとする。
「まぁまぁ、これから挽回の機会もありますよ。腐らずに頑張って下さい」
「――れへん」
「……何と?」
上手く聞き取れずに問い返す李鳳。
すると、李典の大音量が響いた。
「そんな機会はあれへん言うたんや!」
それを聞いて思案に耽る李鳳。
やれやれ……もう子供じゃないんだから、ナイナイ言ってても始まらないですよ。
もしかして……体は大人で、頭は子供なのか、ククク……。
少し頬を赤らめた李典が叫ぶように李鳳に懇願した。
「せ、責任取ってェや!」
「……へ?」
予想外の言葉を飛び出し李鳳の思考が中断される。
「せ、せやから、ウチもアンタと一緒に行く」
「……何を言って……義勇軍は、曹操殿の傘下に入ったのでは?」
「辞めてきた。あないな環境でウチよう働けんっちゅーねん!」
李典のカミングアウトに絶句する李鳳。
……なんとまぁ。
後先考えろと言ったばかりで、いや、遅かったのか……。
思い切った事したもんだな、曹操軍は勝ち組なのに……クックック、嫌いじゃないな。
ニヤける李鳳に更に顔を赤らめて声を上げる李典。
「せやから、ちゃ、ちゃんと、責任取ってもらうで!」
「クックック……分かりました。大切な“初めての相手”ですしね」
「くッ!? ま……また、誤解招くような言い方しよってからに!!」
先程の怒りとは違う感情で再び李典は頬を赤く染めた。
貴女から先に言い出したんですよ……マンセー。
関西弁の同行者ですか、旅の連れとしては申し分ないな。
ツッコミも搭載してるし……案外楽しいかもしれませんね、クヒャヒャヒャヒャ……。
大爆笑する李鳳と真っ赤になった李典の凸凹コンビが誕生した瞬間であった。
最後まで読んでくれてありがとうございます。




