23話
曹操との対面その2です。
前半は前話の別視点となっています。
【夏候淵】
これまで流れを静観してきた夏候淵は後悔の念を感じていた。
くっ……私が事前に姉者を制しておれば、こんなコトには……。
李鳳に姉者が咬み付くのは予想していたハズなのに……最悪の展開だ。
妹である夏候淵は姉の夏候惇が、荀彧ほど酷くはないが男を嫌っており、衣服に強い拘りがあるコトを理解していたのだ。
この2点だけでも、夏候惇が李鳳に良い感情を抱かないだろうと推測出来たのである。
しかし曹操の手前もある為、自分から食って掛かるコトはしないだろうと安易に考えてしまったのだ。
確かに、相手が李鳳でなければ問題なかっただろう。
きちんと受け答えをし、曹操に仕えるコトを快諾していれば、さすがの夏候惇も北郷一刀にとった態度と似たような対応をしたハズである。
その予想は間違っていないのだ。
間違っていたのは、姉の行動予測ではなく、李鳳の言動予測であった。
夏候淵と接していた時は礼儀正しく真面目な受け答えをしていた李鳳が、夏候惇に対してはどことなく挑発的に思える言動を取ったのである。
夏候惇の激昂に新参である義勇軍の三羽烏は絶句していた。
許緒も慣れてはいるものの心配そうな様子で見詰めている。
兵卒や街の住人は少し怯えていた。
真名の件におよんだ時は、さすがの夏候淵も李鳳が何を言っているのか理解し切れなかったのだ。
夏候惇は李鳳の真名など呼んではおらず、言い掛かりだと信じていたのである。
しかし次の瞬間、閃光のような速度で夏候惇に襲い掛かった李鳳に驚愕したのだった。
突然のコトではあったが、殺気もなく、無音のまま接近し、拳を突き出した李鳳の一連の動きは、自分が襲われた場合ならば夏候惇同様ギリギリ反応して回避出来ただろうが、曹操が襲われていたら果たして反応出来たかを考えて、夏候淵は青褪めたのである。
そして夏候惇の首筋についた不可解な傷跡、それはまさしく切り傷だったのだ。
拳を突き出しただけで首が斬られた現象に混乱しつつ、まずは曹操を守るように動いた夏候淵であった。
夏候惇の言葉で李鳳の手元を確認し、武器を持っていたコトに気付いたのだった。
袖口などに仕舞っていたであろう暗器を見て、夏候淵は益々警戒を強めたのである。
李鳳が暗殺者ではないか、とさえ疑い始めたのだ。
注意深く観察すると、奇怪な武器もそうだが、着ている外套も防寒や護身だけが目的ではなく、武器や手元を隠して不意を突く為の役割を担っているのではないかと思えてきたのである。
しかし夏候淵は、断定出来ないでいた。
暗殺者だとして、なぜ曹操を狙わなかったのか。
なぜ街の為に尽力してくれたのか。
わざわざ真名の件を口にしたコトも引っ掛かっていたのである。
夏候惇が怒りの声を上げると、李鳳は口元に笑みを浮かべたまま口を開いた。
「ククク……いきなりも何も、真名を勝手に呼んだ貴女が悪いんじゃないですか……!」
「あっちゃァ……ウ、ウチは知らんでェ……」
李鳳の発言の直後、李典が何を言っているのが夏候淵の耳に入ったのである。
聞き直したかった夏候淵だが、曹操や夏候惇を優先し黙っていた。
曹操が割って入り一旦距離を置いた2人であったが、夏候淵は警戒し続ける。
夏候惇はまだ興奮していた。
斬り殺されそうになったのだから、当然と言えば当然である。
李鳳が武器を下げたのを確認し、曹操が少し前に出た。
夏候淵はいつでも盾になれるよう側に控え、周囲の様子も伺っている。
夏候惇は口は閉じたものの、相変わらず李鳳を睨み付けていた。
許緒は親衛隊として曹操の側に控えつつも、夏候惇の様子を心配そうに見ている。
楽進と于禁は展開に付いて来れておらず、戸惑いの表情を浮かべていた。
李典だけは複雑な表情で冷や汗をかいている。
夏候淵はその様子を見逃さなかった。
しかし、その場で訊ねるコトはしなかったのである。
もっと気になるのは、やはり李鳳だからだ。
違う……雰囲気がすっかり変わってしまったようだ……。
この状況を楽しんでいるのか……?
まさかな……しかし、これまでの印象が一変する思いだ……。
真名は神聖なモノか……確か、少し前に北郷ともこんなやりとりをしたな……。
むっ……北郷!?
そうか! 誰かに似た空気を感じると思ったが……北郷に似ておるのだ、しかしなぜだ……?
いや、今はこの状況に集中しなくては……華琳様の仰る通り、我々に李鳳の真名が呼べるはずがないのだ。
李鳳が何か思い違いをしているのでないだろうか、いくら姉者でも真名の大切さは承知しておるのだし……。
李鳳は夏候惇に対して明らかな挑発を繰り返すようになった。
言動がどんどん悪辣なモノに変わってきたのである。
夏候惇が暴走するのを何とか曹操と共に夏候淵が制止したのだ。
許緒がそんな夏候惇を心配し名前を呟く。
「春蘭さま……」
「アカン……こらアカン、めっちゃマズイ空気やん……」
一同が息を呑む緊迫した雰囲気の中で、李典の呟きはハッキリと夏候淵の耳に届くのであった。
訝しむ夏候淵だったが次の瞬間、空気が一転し、その場は殺気に包まれたのである。
「いえ、それは結構です……!」
李鳳の放ったたった一言によって、曹操だけでなく、夏候姉妹も殺気立ったのだ。
曹操が真名を預けるという名誉をあっさりと断った李鳳に対して、普段冷静な夏候淵でさえも頭に血が昇り殺意を抱いたのである。
射殺したいとまで思った夏候淵が我慢したのは、主君である曹操が自制しているのが分かったからだ。
「どういうことかしら……?」
曹操は静かに怒っていた。
華琳様のお怒りも当然であろう……。
姉者の手前……わざわざ話を聞こうとして下さっているのだ、さもなくば今すぐにでも捻り潰してやるものを……。
本来の身分差を考えれば、とてつもなく無礼な行いをしていると李鳳は理解しておるのだろうか……?
怒りを自制し威圧感の増す曹操。
殺気を内に閉じ込めて李鳳を睨む夏候淵。
殺気を外に解放して李鳳にぶつける夏候惇。
それを感じていながら平然と話す李鳳。
「曹操様の真名を預けて頂かなくとも……私の真名をお教えします、と言うことです。ただし……許すつもりは無いので、呼ばないで頂きたいですが……」
「……分かったわ」
少しの沈黙のあと、曹操は承諾した。
言いたかった事は分かったが……やはり州牧であられる華琳様が真名を許そうした行為を一民草が断るなど、恐れ多い事であるぞ……。
姉者の問題に関係無く、これは許し難い行いである……!
そもそも姉者も魏の将軍という立場なのだから、李鳳の発言は不敬罪に当たるというものだ!
この話が終わった後で正式に謝罪をせねば……例え華琳様がお許しになったとしても、この私が許すとは思わぬことだ……無事には帰さぬぞ、李鳳!!
李鳳の不敬に制裁を決意する夏候淵。
隠そうともしない愉悦を浮かべた李鳳が口を開く。
「私の真名は『鬼雨“きさま”』と申します」
李鳳の一言が雷のような轟音となって皆に鳴り響いたのである。
すぐさま反応したのは夏候惇であった。
「ふざけるな! 貴様ァ……華琳様を謀ろうとは、もう許せん!!」
縛り付けていた鎖を引き千切るかのように、怒声を上げ、抜刀して突っ込む夏候惇。
大剣を振り下ろすと、『ズゴーンッ!』という轟音が鳴り響いたのだった。
慌てた周囲の面々が叫ぶ。
「春蘭!」
「姉者!」
「春蘭さま!?」
「伯雷!?」
土煙が舞い上がったせいで、2人の状況が分からないのである。
すると、土煙の中から声がした。
「おのれ……!」
「くっ……馬鹿力め、大事な愛刀が一撃でオシャカかよ……!」
2人の声がして土煙が掃けると、そこには地面に片膝を付いた李鳳と大剣を地面に叩き付けた夏候惇が立っていたのだ。
地面は大きく陥没しており、その衝撃の大きさと強さを示している。
李鳳は左右両手にシャマダハルを握り、二刀を交差して構えていた。
夏候淵は目を見開いて驚いたのである。
バ……バカな、姉者の一撃を防いだというのか……!?
いや、防いだのではないな……あの短い刀剣で、いなしたのだ。
信じられんが……とんでもない技量がなければ、出来ん芸当ではないのか……?
驚愕と困惑が頭を支配し、焦りと不安を感じる夏候淵。
止めねばならない状況で、李鳳を不気味に感じて動けないのである。
曹操の側を離れるコトに不安を覚え、離れるに離れられないのだった。
この時、実は李鳳も焦っていたのだ。
二刀の内の一本が衝撃に耐え切れず、刀身がボロボロに欠けてしまったのである。
夏候惇が二の太刀を振りかざせば先程のようには防げない状態に陥っており、李鳳は今とても困っているのだ。
それを救ったのが曹操であった。
「そこまでよ、春蘭!」
「しかし……!?」
「黙りなさい! 私の言うことが聞けないのかしら?」
「い、いえ……分かりました」
曹操に叱られた夏候惇は渋々引き下がったのである。
夏候淵は黙ったまま、ある疑念を思い浮かべていた。
確かに姉者の行動は短絡的だったが……今回は明らかに、李鳳の妄言が招いた当然の末路だったのではなかろうか……?
にも関わらず、華琳様がお止めになるということは……まさか!?
あれが戯言ではないというのか……?
夏候淵の疑念は懸念へと変わっていった。
その懸念を整理する前に、曹操が李鳳に真相を問うたのである。
「李鳳。アナタの言った事は真実なのね?」
「ククク……天地神明に誓って、嘘偽りなど申しておりません。育ての親が最期に残してくれた大切な真名です。それをふざけていると……愚弄された気持ちが、お分かりになりますか?」
曹操が仲裁に入ってくれたおかげで命拾いした李鳳は再び笑みを浮かべて不敵に返す。
夏候淵は頭に昇っていた血が引いていき、寒気がするのを感じていた。
調子を取り戻した李鳳は饒舌に語り続ける。
「許してもいない真名で何度も呼ばれ、父から授かった大切な真名を穢されました。訂正や謝罪もなく、ふざけていると父まで侮辱されたのです。そこまで辱められた挙句に、最後は殺そうとしてきましたよね……?」
バカな……妄言や戯言でなく、李鳳はずっと本当の事を訴えて怒っていたのか……!?
だとすると……姉者はずっと……ッ!!
懸念したコトが現実となりそうで、夏候淵は言い表しようのない不安に駆られたのだ。
李鳳は責めるように言葉を続けた。
「偉い人は何をやっても許されるのですか? 弱い民草は抗うことも弁解することも許されずに、ただただされるがままに屈辱を受け入れろということですか? これが善政を敷き、民の事を良く考えているという……曹孟徳様の臣下の、本性なのですね……!」
「ち……違うぞ! 姉者は決してそのような――」
堪らず弁明の声を上げる夏候淵だったが、それも李鳳に遮られる。
「何が違うのです!? 今起こった事態のどこに違いがあるのか……是非、教えて頂きたい!」
夏候淵と共に曹操を守っていた許緒も漸く状況を理解し始め、顔が青褪めていた。
義勇軍の三羽烏の同じような表情で唖然としており、曹操に下がれと言われた夏候惇は俯いている。
「ま……まさか、本当にそのような真名とは思ってもみなかったのだ。姉者も決して悪気があったわけではないのだ……り、理解してもらえないだろうか?」
詫びる夏候淵を嘲笑うかのように李鳳は続ける
「クックック……悪気は無かった、ですか。夏候惇将軍は私が真名を教えた上で、その真名がふざけている、そう言って殺そうとしてきたのですよ? 私は愛刀を代償に辛うじて生き延びましたが……もし、死んでいたら? ああ、死んでいたらきっと私が妄言を吐いたと決め付けて済ませましたよね? では、重傷を負っていたら? 悪気は無かったと同じ事を言って済ませましたか? この街の住人を命懸けで守ろうとして必死に戦った私に対して、どうしてそのような暴挙に出たのかを、後ろに居るこの国の弱い民草である皆さんも含めて……納得できる答えを、聞かせてもらえますか? クヒヒヒヒ……」
「そ、それは……」
「私の態度が至らない所もあったでしょうが、少なからず街を救ったという自負もあり、誉められこそすれ……頭ごなしに侮辱されるような覚えは無かったものですから、つい言動が荒くなった事はお詫びします。これが助力を願われ応えた者に対する曹操軍の通常対応というのならば、無知な私がいけなかったのでしょうね。誇り高き武人が……まさか汚職まみれの役人や高官のような振る舞いを取るとは、正に傍若無人としか言いようがないですね。クックック……」
夏候惇の非は認めるが、どうしようもなかったのだと伝えたい夏候淵は、姉の為にひたすら詫びるのである。
「すまない……姉者の態度は、決して良いものではなかったことは認める。しかし、それは華琳様の事を思えば故なのだ」
「夏候淵将軍が頭を下げる事はありませんよ。しかし……そうですか、曹操様の軍では主君の為に民草の真名を穢してから殺そうとする趣向があるのですね、クヒヒヒ……」
愉快そうに笑う李鳳を見て、夏候淵は絶句した。
李鳳を見た時、後方に居るこの街の住人達が目に入ったからである。
皆、怯えるような目でこちらを見ていたのだ。
これまでのやりとりがどのように映っていたのかが想像できてしまい、頭を抱えたくなったのである。
悪夢だ……このような展開、想像すらしていなかった……。
楽進ら義勇軍を傘下に入れ、李鳳もその気が有れば推挙し、無ければ礼をして帰すつもりだったのに……どうしてこんな事に、誰も望んではいなかったはずなのに……?
肩を落とす夏候淵に曹操が声をかける。
「もういいわよ、秋蘭」
「……華琳さま!?」
夏候惇の暴発を止めてからは黙っていた曹操が、突如口を開いたのは夏候淵も止める為であった。
「今回の件……非は明らかに、春蘭にあるわ」
夏候淵も分かっていたのだ。
自分の言っているのは詭弁であり、李鳳はおろか民すら納得させる事が出来ない言い訳だというコトを理解して喋っていたのだった。
李鳳はそれを聞いて、とても愉快そうに口を開く。
「クックック……それでは曹操様。今回の事、どのような処分が妥当だと思われますか?」
夏候淵は己の無力さを感じていた。
自分の戯言に李鳳も気付いていたのだろうと、そして、お前では話にならないから主君が出て来るのを待っていたのではないだろうかと思ったのだ。
李鳳の突然の問い掛けに曹操は淡々と答える。
「真名に関しての明確な規律や法は存在しないわ」
「いえ、法などは抜きにして……ただ、曹操様が私の立場なら、どうされるのかと思いまして……?」
しかし夏候淵は希望を捨ててはいなかった。
曹操ならば、きっと何とかしてくれるハズだと信じているのである。
夏候惇は俯いているせいで表情を窺えないが、許緒をはじめ三羽烏も顔面蒼白となっていた。
夏候淵の表情も優れなかったが、曹操への信頼だけが支えとなっていたのだ。
その曹操が答えを出す。
「勿論、首を刎ねるわ」
夏候淵達を絶望が覆い尽くした瞬間であった。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
すみませんが、もう少しひっぱります。




