13話
時間を遡り、李一家の最期です。
――とある賊の回想――
李単が死亡する遥か以前、孫堅軍の奇襲に遭った直後まで時間は遡る。
李一家の参謀を担うには、あまりにも線が細く、その性格も甘く優し過ぎた男が居た。
燈と呼ばれた優男である。
彼には武力も無ければ、卓越した智謀も無かったのだ。
あったのは他人よりも広く多い知識量だけであった。
元々は私塾の開いていた家の出なのだが、県令の横暴によって一家は離散し、途方に暮れていた折に李単と塁に出会ったのである。
裏表のあまり無い性格が認められて李単に重宝されるようになり、また、無類のイエスマンでもあった為に反感を買うコトも無いまま参謀まで出世したのだった。
燈は李鳳の学問における師であり、読み書きや大陸の歴史、知り得る限りの兵法や生き残る為の処世術などを教えた人物である。
近年はむしろ前世の知識を有した李鳳に教えられるコトの方が多かったのだが、楽観的とも言える程物事を前向きに考える明るい性格で友人の塁と共に李単を支える側近の最古参としてそれなりの活躍ぶりを魅せていたのだった。
その性格は災いし今や李鳳の心配を軽視し、塁の息子である侭を妄信した結果、目の前に惨状が広がっているのである。
百をはるかに超える兵と、夜空を赤々と照らす程の無数の火矢が襲い掛かって来ているのだ。
【燈】
あの軍旗は……孫堅!?
ま……まさか、待ち伏せされていた?
どうして……!? 侭の報告じゃ……そうか、偽報の計か……!
くっ、マズいぞ……。
接艇して略奪を開始しようとした瞬間、海岸の奥に生い茂った林の中から静かに放たれた無数の火矢に襲われたのである。
その直後、唸るような雄叫びと共に官軍と思われる一団が飛び出してきたのだった。
「チッ……さっさと火を消さねーか。とにかく船を出せ、一刻も早く此処から離れるんだ!」
李単の声が響く。
しかし、次々に射られる矢で火の回りが速く、対処し切れずに船は炎上し始めた。
「だ……ダメだぁ」
「に、にげろぉ」
仲間達が消火活動を放棄して、船から飛び降りて逃げ惑っているのが視界に入った。
鉄の結束を誇っているかのように思えた李一家が、脆くも崩壊する姿を見て燈は落胆するのだった。
しかし、すぐさま気持ちを切り換えて李単の方へと駆け寄る。
船はもう……ダメだろうな。
かと言って……真正面から戦っても、勝てるはずがない。
それで勝てるだけの強さを持っているなら、今までも力任せに襲っていただろうしね。
どうする……お頭も黙ったままだけど、何か手を打たないと……。
険しい表情の李単が、重い口を開く。
「……打つ手なしか、チッ」
李単の絞り出された言葉と舌打ちを聴いた燈は、自分の中での李単に対する幻想が音を立てて崩れるのが分かった。
燈の目の前に居るのは、いつもの自信と威厳に満ちた頭領の姿では無かったのである。
しかし、落胆する気持ちは無かったのだ。
辺りはどんどん包囲され始めており、悠長に考えている時間も無かった為、燈は即決である判断を下したのである。
「……お頭は、逃げて下さい。ここは……僕が時間を稼ぎます」
「なッ!? 何を言って……?」
突然逃げろと言い出した燈に、李単は驚愕で目を見開いたのだった。
そんな李単に燈はさらに激しく大声をぶつけたのである。
「いいから早く行け! あんたに死なれちゃ……僕達は、終わりなんだよ!!」
燈が李単に口答えしたのは、出会ってから初めてのコトだった。
燈は知っていたのである。
李単が反抗する者を処断していた事実を知っていたからこそ、何も言わず、反抗せずに大人しく従っていたのだった。
燈は怖かったのだ。
だから従順にしてきたのである。
しかし、李単は従順な者にはとても優しかったのだ。
李鳳に厳しい態度で接してはいたが、心配する一面も確かにあったのである。
仲間の失敗を許す度量にも憧れ、尊敬するようになれば、さらに李単は良くしてくれるようになったのだ。
燈はそれがとても心地良かったのである。
この関係が永遠に続いて欲しいと願う燈にとって、その柱となるべき李単の存在を奪わせるワケにはいかなかったのだ。
李単さえ生きていればまた李一家が再起出来ると、燈は信じて疑わなかったのだった。
「ここから真っ直ぐ泳いで、あっちの海岸に上がって逃げて下さい。船と炎を死角にすれば発見を遅れさせることが出来るでしょう……さぁ、早く!」
そう言って、燈は李単を船から突き落とした。
李単は何かを叫んでいたが、そんなものは燈の耳に入らなかった。
燈の頭は李単を逃すコトで一杯だったのである。
炎だ……!
もっともっと船を燃え上がらせて、こっちに敵の目を向けさせないと……。
商船を燃やす為に持ってきてた油樽が役に立ちそうだけど……問題は、一人で運べるかどうかだね……。
風を裂く矢の音、木材の焼ける音、絶叫する者の声などの雑音で溢れているはずのこの空間に居て、燈は淡々と作業をこなしていた。
それは自分の為ではなく、李一家の柱である頭領の為に、ただひたすら時間を稼ぐという行為を続けているのだ。
燈が重い樽に悪戦苦闘して運んでいると、そっと手を伸ばし樽を持ち上げる男が現れた。
「オイラも手伝うよ」
様々な雑音をも遮断して作業に集中していた燈でも、聞き馴染んだ親友の声はハッキリと耳に入ってきたのである。
笑みが零れそうになる燈だったが、塁の姿を見て絶句してしまった。
腕や肩、それに太腿にも弓矢が刺さっていたのだ。
燈は表情を改めて塁に話しかけた。
「……塁、多分死んじゃうよ?」
「でも、お頭は生き残れるんだろぉ? じゃぁ……オイラやるよ」
燈は逃げ出して行った仲間に落胆していた。
頭領でも諦めた現状に絶望していた。
それでも自分に出来る唯一のコトに命を賭けたのである。
死を覚悟し全てを諦めたハズなのに、親友の言葉は希望を感じさせるモノだった。
倒れそうになる自分、折れそうになる自分を塁の言葉はとても力強く支えてくれたのである。
嬉しさで涙が溢れそうになるのを必死に堪え、塁に考えた策を説明するのだった。
「……頼むよ。まずはこっち側に物を集めて油を撒いて炎の壁を作るんだ。敵の視界から隠れる為にね、船に近づいて来る敵には警戒してね」
たったそれだけの説明で、即行動を開始した2人。
いつの間にか燈も矢傷を受けていたが、そんなことは気にならなかったのだ。
アドレナリンの分泌で痛みを感じてないだけかもしれないが、本人達は何も気にならなかった。時間を稼ぐことで頭が一杯だったし、2人なら何も怖くなかったのである。
「こっちはもういいよ、そろそろ離れないと俺達も焼け死んじゃうよ」
「分かったぞぉ」
燈の呼びかけに応えて、すでに煤けて黒くなった顔を向けてくる塁。
船はさらに激しく燃え上がり、炎はより強くより大きくなっていたのだ。
海岸とは反対側に飛び降りたその時――。
「親父ッ!?」
突然かけられた声に思わず身構えた2人だったが、その人物を確認して安堵の息をもらしたのだった。
「侭!? 良かったぁ、無事だったんだな。心配したぞぉ」
そこには今回の潜入を担当していた侭がいたのである。
息子との再会で塁の表情も緩むのだった。
「済まん……親父。嬰も微意も殺されちまった……俺……俺」
慕ってくれた子分を救えず、自責の念にかられる侭であった。
普段の燈ならば同情し慰めの言葉をかけていただろうが、今は事情が事情なだけに冷静に落ち着いた口調で語りかけたのである。
「無事なのは良かったけど、僕達にはやることがあってね。お頭を逃がす為に時間を稼がなきゃいけないんだ」
「えっ……お頭を!? …………それ、俺にも手伝わせて下さい!」
「……死ぬよ?」
「ここで何もしなかったら……あいつらに顔向け出来ないんだ!」
燈は非情な現実を告げるが、侭の意志は固いようだった。
塁を横目に見ると、本人の好きにさせて欲しいと目で語ってきた為に燈も了承したのである。
「分かった。それで、これからなんだけど……」
今後の行動指針を話そうとした矢先、侭が叫び声を上げたのだ。
「アイツだ! アイツがいる!!」
侭が憎しみを込めた目で一方向を睨んでいた。
その先には、戦場には相応しくない衣装で身に纏った桃髪の少女が立っていたのだ。
「誰だい?」
「あの軍の大将首で孫策っていうらしいんだ。嬰も微意もあいつに捕まって……くそ、一人で向かってくるなんて、完全に舐めきってやがる!!」
殺気を放つ侭から視線を孫策に移した燈は思案に耽る。
なるほどね……人質に取られたせいで、偽報を送らされたってことかな。
詳しく聞いてる暇はない……それより、大将がノコノコ出てきてくれたのはありがたい。
おそらく孫堅の娘だろうね、随分若いな……。
噂の聞いたコトが無いし、これが初陣かな?
……もしそうなら、やる価値はあるよね。
燈はある決意を固めて口を開いた。
「それじゃ、アイツに一矢報いようじゃないか。僕達の有終の美を飾ろうよ」
「ああ、やってやる! 嬰と微意の敵討ちだ。刺し違えても殺してやる!」
「オイラもだよぉ」
3人共、闘志は十分であった。
燈が大雑把な策を説明し始めたのである。
「僕と塁が正面からアイツの気を引いて動きを封じてみせる。侭はその隙に背後から仕掛けるんだ、いいね?」
「はい。お……おい、親父、大丈夫かよ!?」
「んぁ? オイラなら大丈夫だぞぉ、お前はオイラ達に何があっても大将首だけに集中するんだぞぉ」
矢傷から出血しボンヤリしていた塁に、侭が心配して声をかけるが、強気な態度で逆に励ましてみせたのだった。
「……ああ、分かった。任せてくれよ、親父!」
3人共負傷しており、今更海を泳いで沖に逃げたとしても出血多量で遅かれ早かれ死ぬのは明白であった。
まさしく背水の陣で孫策に挑む覚悟だったのである。
周囲を見渡すと、陸路を逃げようする仲間達は残らず切り伏せられていた。
孫堅軍の兵達も燃え盛る船にはあまり近付こうとはせず、逃げ回る賊だけを狙って討伐していたのだった。
そんな中、孫策は桃色の長髪をなびかせて悠然と賊の首を刎ねながら、こちらに向かって来るのだ。
それも、たった一人で、である。
大将であるにも関わらず孫策は護衛も付けずに、たった一人で戦場を闊歩しつつ賊を狩っているのだった。
それはまるで無人の野を歩くかのように、平然と進んでいたのである。
その姿に恐怖して逃げ惑う仲間の賊達は、周囲を取り囲んでいる兵によって斬殺あるいは射殺されていく。
燈達にとっては、まさに地獄絵図であった。
そんな孫策には愚痴をこぼす程の余裕があったのである。
「呆気なくて、つまんないわねェ。もっと楽しませくれないかしら……?」
恐怖をなして逃げる賊共を追うのは面倒だと感じた孫策は、とんでもない命令を部下に下したのだった。
それは更に孫策から兵を引き離し、後方で待機させ、自身を孤立させたのである。
まるで狙ってくれと言わんばかりの措置を取ったのだ。
そのまま更に近寄って来る孫策を見て、燈も作戦の決行を指示したのだった。
侭が息を潜め、船の残骸や仲間の死体に身を隠しつつ、ゆっくりと迂回して孫策の側面に回り込んだのである。
孫策の意図など知る由も無かった燈だが、この孫策の単独行動には感謝していた。
ありがたい……大将の自覚があるとは思えないが、たった一人で来てくれるのは朗報だよ。
孫堅の娘だからとかは関係なく、君が強いのは見て分かったよ……勝てる気がしない。
でもね、僕が勝つ必要はないんだ……君の動きさえ止められればね。
例えそれが……自分の命と引き換えでも、ねッ!
燈と塁は自らを鼓舞する雄叫びと共に飛び出し、孫策目掛けて一直線に突っ込んだのである。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
「うおぉぉぉぉぉ!!」
次の獲物を探して辺りを窺っていた孫策の目の前に、船影から狐と猪のような2人組が飛び出してきたのを見て、彼女は獰猛な肉食獣を彷彿とさせる笑みを浮かべたのだった。
「あら、今度は楽しませてくれるのかしら……ふふふ」
敵を心から歓迎し、あろう事か片手を挙げて『手を出すな』と部下に合図を送ったのである。
そして向かって来る2人の方へ、孫策も駆け出したのだった。
燈と塁は右手に持った剣を突き出し、左手は首と心臓を守るような位置に固定して突進したのだ。
先手必勝、後手に回っても勝機など無いコトは百も承知だったのである。
待っているのは犬死だけなのだ。
大声を上げたのは自身を鼓舞する為のモノだけでなく、孫策の注意を燈達に向けさせる為でもあった。
その隙を突いて、侭が背後から強襲するのである。
燈達と孫策の距離がゼロとなり互いの剣戟が交差した。
その瞬間、ブシャァァァと舞い上がる鮮血。
燈の左腕が斬り飛ばされて宙を舞っている。
孫策は返しの一撃をすでに塁の腹部に叩き込んでいた。
構わない……!
むしろ……予定通りさ!!
「「うぉぉぉぉぉ!!」」
燈と塁は再び雄叫びを上げ、再び孫策に襲いかかったのだ。
塁は自分の剣を投げ捨てて、腹部に突き刺さる孫策の剣を掴んだのである。
燈は残った右腕に渾身の力を込めて、剣を振り下ろしたのだった。
「ふふふ、残念」
しかし、燈の一撃も孫策は左手であっさりと受け止めたのである。
いいさ……ここまでは、作戦通りだよ。
僕達は肉の壁なんだ……命なら、お前にくれてやる。
その代わり――。
「お前の首を頂く! やれぇぇぇぇ、侭ッ!!!」
燈は孫策の背後から迫り来る侭の姿を視界に捉え、両の腕が塞がって動けない孫策に叫びつけたのだった。
「うぉぉぉぉぉ! 死にやがれぇぇ!!!」
侭の雄叫びが燈の耳に心地良く響いたのである。
飛び上がり全体重を乗せた侭の渾身の一撃が、今まさに孫策に振り下ろされようとしている。
『策は成った』という確信が、燈に笑みをもたらしたのだった。
お頭……誉めて下さい。
僕達が……やりましたよ……!
心の中で李単にそう語りかける燈。
次の瞬間、侭の一撃が、燈に炸裂したのだった。
左肩から胸部を切り裂かれた燈は、鮮血を撒き散らし、走馬灯のように過去の出来事を思い出していたのである。
そこには一仕事終えたばかりの李鳳の姿があった。
『お疲れ様、伯雷。今回の仕事はどうだった?』
無事仕事を終え、商船から移ってきた李鳳に僕は声をかけている。
『別に……いつもと変わりませんよ。ただ、早急に水浴びがしたいですね』
確かに李鳳の衣服は糞尿などの臭いが酷かった。
『あはは、違った意味で大変だったみたいだね。でも、うまくいって良かったよ』
『まだ気を抜くのは早いですよ。船を焼き払って、アジトに帰還し、その後の県尉の対応をみて、反省点や改善点の確認を行って……ようやく、任務完了じゃないですか』
『伯雷は相変わらずだね。大丈夫だって、計画通り全てうまくいってるよ。心配し過ぎだと僕は思うけどな……』
『燈、いいですか? 計画通りいってる時程警戒していなくては、参謀は務まりませんよ。計画通りいってなければ他の人でも警戒出来るんです。貴方は一家の頭脳なんですから……頼みますよ?』
『は……ははは、うちの頭脳は……お頭だよ?』
『チッ……尻尾を出さない狸め』
『ん?』
『いえ……何も。確かに養父上は一家の柱であり、顔ですね。李一家を存続させるなら最優先させるのは頭領でしょう。頭さえ残っていれば、いくらでも再起出来ますからね。だからと言って、参謀である貴方が何も考えなくて良いワケではないですよ。相手の息の根を止めるまでは……決して油断しないコトです』
そう言う李鳳の姿が徐々に薄くなっていった。
…………伯雷…………お頭、ごめんよ。
燈の目は光を失い、その場に崩れ落ちて絶命したのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【侭】
一際大きな体躯をした一人の若い河賊がいた。
彼はその体や実父にも似合わない程繊細な神経の持ち主であり、大きなコンプレックスを抱いていたのである。
いつだってそうだ。
俺はあいつに及ばないんだ……イヤだ、そんなの認めない。
俺にだって出来るんだ。それを証明してやる。
くそ……まただ、また負けた。俺の方が大きいのに力でも勝てないのか……?
ちきしょー、俺だって……俺だって……!
侭は義理の弟である李鳳に対して、強い劣等感を抱いていたのだ。
何をやっても自分より優れており、体の大きさで勝っているのに闘っても勝てない現実を受け入れられないでいたのである。
だからこそ、今回の潜入任務を買って出たのだった。
全ては李鳳を見返す為なのだ。
しかし現実は、残酷だった。
孫策率いる軍に包囲され子分を人質に取られて、李一家を陥れる策にまんまと使われてしまったのである。
長い黒髪で眼鏡をかけた女性――周喩からは、策に協力すれば命は助けると約束されていたが、侭はそれを信じるコトが出来なかったのではなく、家族を裏切ってしまったコトに我慢ならなかったのだった。
その後、何とか脱走を図ったものの、子分の嬰と微意は殺されてしまったのだ。
『兄』と慕ってくれる可愛い弟分だった2人を実際に殺したのは孫策軍の兵だが、侭は自分が殺してしまったと嘆いたのである。
燈や父と再会出来た侭は、憎き怨敵である孫策を見つけて敵討ちを誓ったのだった。
侭には李単の為の時間稼ぎという気持ちなどサラサラ無かったのである。
あったのは復讐心だけなのだ。
李鳳を見返したいというツマラナイ個人的な理由で2人の弟分を犠牲にしてしまった侭は、逃げ延びて生き恥を晒すつもりなど無かったのである。
作戦が成功し、無事に孫策を討ち取った後は、そのまま孫策軍に突撃し一人でも多く道連れにするつもりでいたのだ。
もつれそうになる足に力を込め、必死に大地蹴ったのである。
己の負傷を物ともせず孫策の動きを封じる2人に、報いる為にも必ず仕留めてみせるという想いで背後に駆け寄り、そして、あらゆる情念を込めた雄叫びと共に、孫策に向かって跳躍し、まさに体ごと当てる勢いで剣を振り下ろしたのだった。
侭は確かな手応えを感じたのである。
やった……やったぞ!
お頭、親父、燈さん、嬰、微意、俺は……やったぞ!!
俺だって、やれば出来……ッ!?
達成感で高揚していた侭は、目の前にある現実を直視して絶望感に包まれたのだった。
「そ、そんな……!?」
侭が斬ったのは燈であり、左肩からバッサリと切り裂いたのである。
一言も発さずに燈がその場に崩れ落ちるのがスローモーションのように見えたのだった。
ワケの分からない侭は次に父である塁に視線をやるが、すでに事切れて倒れていた。
ガクリと膝を落とす。
さっきまで目の前に居たはずの孫策は消え、目に映るのは2人の死体だけだった。
しかも、片方は自分が殺してしまったのである。
「うぇぇぇぇ……」
たまらず嘔吐してしまう侭。
「残念だったわね」
「ど……どうして?」
声をかけられ、振り向いた先には憎き孫策が立っていたのだ。
そして、塁の死体に近寄ると刺さった剣を引き抜く。
「作戦は良かったわよ。貴方が大声出さなきゃ、掠り傷くらいはつけられたかもね」
「あっ……あっ……あっ」
声にならない嗚咽を繰り返す侭。
「割と楽しめたわ……じゃ、さよなら」
孫策が楽しそうに語りかけ、剣を構えたのである。
侭の脳裏には李鳳との思い出がフラッシュバックされていた。
『いたたたたっ、ち、血が出てきた。えーん』
『兄貴、やられちゃったよぉぉ』
嬰と微意が蹲って泣いているのが見えた。
『くそっ、なんでだよ? 3人がかりなのに……なんで勝てないんだよ!? 卑怯だぞ、伯雷!』
1対1じゃ歯が立たないので、これも兵法だと自分に言い聞かせて3対1で李鳳を攻撃したのに、結果は返り討ちにされて2人は泣かされてしまった。
……俺も、泣きそうだ。
『ふぅ……馬鹿ですか? 数の利を生かすんであれば、どうして最初から私を囲んで背後を取らないのですか? それに奇襲する時に声を発するのは愚かの極みですよ。やると決めた時は迷わず黙って遂行するべきです。相手の意を引く為に発声するならまだしも、無策で突っ込むのなんて……お読みになった兵法書に書いてありましたか? くっくっく……知ってますか? 戦場では卑怯は誉め言葉なんですよ。真正面から男らしく戦って死ぬのも結構ですが、私は正々堂々と背後から闇討ちすることを薦めますよ?』
『うるせー、誰がお前の言う事なんか聞くもんか! 今度は絶対泣かしてやるからな!!』
『それはフラグ……いえ、何でもありません。くっくっく……まぁ、頑張って下さい』
孫策が剣を振り下ろすが、侭はひたすらに懺悔の言葉を述べていた。
「すまない……すまない、皆。全部俺のせいだ……すまなかった、伯雷」
首を刎ねられるまで侭は謝罪の言葉を吐き続けた。
しかし、自分の失態で一家を壊滅に追いやった彼の気持ち察する者は、もうこの世には居なかったのである。
少し肌寒い夜空の下、燃え上がる船をかがり火に、3人は互いを暖めるかのように重なって眠ったのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
孫策が愛剣の南海覇王についた血を拭いていると、黄蓋がやってきた。
「いつ矢を射ろうかと、ヒヤヒヤしましたぞ」
黄蓋は後方にて、いつでも対応出来るようにと弓を構えていたのだ。
「ふふふ……つい、楽しくなっちゃってね」
「立場はわきまえて頂かんと、冥琳の奴がうるさいですぞ?」
孫策にとっては侭が声を出そうが出すまいが、背後からの攻撃には気付いたのだった。
彼女のやったことは単純で、回避不可能に思えるタイミングまで待って、その後、掴んでいた両手を離して避けただけなのだ。侭や燈には突然消えたように見えたかもしれない。それだけの、覆しようのない差が存在していたのだ。
「指揮を丸投げしたこと怒ってるだろうな。それにちょっと……昂っちゃった」
そっと呟く孫策。
「ん? 何か言われましたかな?」
「なんでも無いわ。あとお願いね」
本陣への報告に向かうのだと思った黄蓋は了承の返事をするのだった。
「あい、分かった」
まさか、そのまま孫策が林の中に消えていくとは思ってもいなかったのである。
読んで下さり、ありがとうございます。
感想やご指摘などありましたら、よろしくお願いします。