126話 李遊軍白螺隊⑤
下僕は所詮下僕である。
下僕と自由民の境界線が曖昧となったこの後漢の世でも、その事実は変わらない。貴族や豪族は言うまでもなく、自由民や時には同じ立場であるはずの下僕ですら、他の下僕をぞんざいに扱う。身分制度社会における常識であり、悪しき慣習に他ならない。そして、その慣習は人々の意識に根深く蔓延る。
傭兵団を名乗る李遊軍白螺隊に助けられた下僕は当初千人以上いた。その誰もが家族や友人との再会を喜んだが、白螺隊に感謝の言葉を口にした者はその五分の一にも満たない。それほどまでに彼らは他人を信用出来なくなっていた。だからこそ多くの下僕が移動の途中で逃げ出したのだ。しかし白螺隊はこれを追う事も咎める事もしなかった。それだけの余力が無かったとも言えるが、実際は違う。
人質という重い足枷が外れた影響は大きく、抑えて来た反骨心がいつ暴走してもおかしくない――李鳳はそう考えた。無理矢理抑えつけようものなら、白螺隊に牙をむく可能性も大いにある。だからこそ選択肢は与えたのだ。逃げ出すも良し、付いて来るも良し。ただし自分で決めろ、と。李典の与り知らぬ所で白狐の面を被った李鳳はそう言ってのけた。逃亡者が多かった原因の一端は間違いなく李鳳にもある。
船と徒歩による強行軍での移動で、下僕の体力と気力は激しく消耗した。糧食と休息は適時与えられていたが、冷たい食事と落ち着かない環境下では、十分な回復を望むべくもない。森の中は迷路のように入り込んでおり、正解の道筋を辿らせない為に何重もの罠が張り巡らされている。下僕の目には同じ所を何度も行ったり来たりしているように見えただろう。結局、最後まで残ったのは四百人余り――彼らが拠点に到着した時は夜も遅く、辺りは真っ暗で何も見えなかった。
疲労の限界を迎えている下僕も少なくなく、諸々の説明は明日へと回す。そのまま仮住まいとなる何棟かの宿舎に案内すると、疲れも相まって床に就くなり眠ってしまう。それでも家族や友人だけで身を寄せ合って眠り、他人とは一定の距離を保っていた。
翌朝になると下僕の腹の虫が一斉に大合唱を奏で始める。昨夜は疲労困憊で脳が優先して体を休めたが、一夜明けると今度は頭と体を動かす為のエネルギーを欲したのだ。あまりの音に目覚めた下僕が力なく起き上がると、どこからか刺激的な香りが漂ってきた。刺激的と言っても鼻にツンとくるものではなく、どちらかと言えば食欲をそそる香りであり、胃袋にガツンとくる。
匂いに釣られて宿舎を出ると、同じように釣られて出て来た下僕と目が合う。しかし目が合ったからとて会釈したり挨拶したりはしない。同じ下僕でも他人と馴れ合う気はないようだ。外は分厚い濃霧に覆われており、非常に見通しが悪かった。それでも視覚の代わりに嗅覚が働き、漂ってくる香りの元を辿る。
今回の遠征は行軍速度を重視した為に、李遊軍の台所とも言える炊事部隊は参加していない。だから帰還の報を受けた際は、腕によりをかけて夜食の調理を始めた。疲れた体と内臓を優しく癒すという想いを込めた、山の幸とたっぷりの芋を煮込んだスープである。下僕の分も併せて五百人分の材料を下ごしらえするのには半日を要した。手間暇かけて皮をむき、丁寧に灰汁を取り、コトコトと煮込み続けたのだ。
ところが蓋を開けてみると、四百人の下僕と大食いの張飛は睡魔に勝てず、白螺隊も軽く汁だけ啜って就寝してしまう。とんだ肩透かしであった。大量の具材がそのまま余ったが、炊事部隊に不満はない。また、このまま保存して翌朝温め直す事だけは、料理人としての矜持が許さなかった。
手慣れた所作で香辛料を加え、その度に味を確かめる。その行為を何度も何度も繰り返す壮年の男、名を宋と言う。とっくの昔に第一線を退いた軍人であり、軍属前は料理店で働いていた。奇妙な縁で李典や李鳳と知己になり、今はここで料理長を任されている。鋭い眼光と逞しい筋肉は未だ衰えておらず、頬の大きな傷や猛々しい雰囲気は現役と言っても過言ではない。
下僕達は匂いに釣られて炊き出し場近くまで来ており、少し離れた位置から調理の様子を見ていた。あまり近付くと邪魔になるかもしれない。怒られるかもしれない。そう思って近寄りたくても近寄れなかった。宋料理長の醸し出す強面な空気に、下僕は完全に委縮している。
そんな下僕にふと気付いた宋料理長は
「……臭ェな」
顔をしかめてそう言い放った。下僕はビクッと震え、慌てて数歩後退する。言われ慣れた侮蔑の言葉であり、今さら何を言われても気にしないが、言われた後は決まって殴られたり蹴られたりした。不快そうな表情を隠そうともしない宋料理長を見て、怖くなった下僕が逃げようとしたが
「待て!」
と制止する声が響く。逆らうともっと酷い目に遭うと思った彼らは、怯えながらも動きを止めた。そしてギュッと目を閉じて歯を食いしばる。殴られる痛みに耐える為であった。宋料理長の接近は目を閉じていても足音で判る。何人かの下僕の前を行き来していた。しかし、待てども待てども痛みが襲って来ない。不思議に思い目をそっと開けると、宋料理長の顔が目の前にあった。
「ふむ。このボロ衣は洗っても無駄だろうな。後でまとめて焼いちまおう」
耳を疑う発言に下僕の表情が凍り付く。焼く――確かに宋は言った。着の身着のままで逃げて来た下僕に予備の衣服などない。一張羅を焼かれてしまっては着る物がなくなる。裸で生活しろとでも言うのか。言葉でなじるに飽きたらず、辱しめも行うのか。そう憤慨したかったが、恐怖が勝って声が出ない。せっかく解放されたのに、結局は何一つ変わらないのだ。体が勝手に震え出す。悔しさ、情けなさ、惨めさ、無力さ、怖さ、様々な感情から涙が零れた。それを見た宋料理長は逆に慌て
「お、おいおい、どこか痛ェのか!? 怪我してんなら後で李師の兄ちゃんに診て貰え。俺から言っといてやるからよ。他にも何か困ったら俺に言え。糞と一緒で溜め込んでても、いい事なんかねーぞ――っと、カレー作ってる時に糞の話はマズイか……悪ィな、忘れてくれ」
などと言ってくる。宋料理長が何を言っているのか下僕には解らない。解らないが、とりあえずどこも痛くないとだけ答えた。すると安堵の表情を浮かべ
「ならいい。急に泣き出すから驚いたぜ。よし、お前ら俺についてこい。新しい服を用意してやるから、その間に外浴場で体洗っとけよ。髪の毛も忘れんな。それと、今身に付けてるのは捨てろ。不衛生過ぎてお前らが病気になっちまうからよ」
そんな事を言う。何を言っているのだろうか……理解出来ない。下僕は誰一人としてその場を動けなかった。そのまま呆然としていると
「――こ、こら! 付いて来いって言ったじゃねーか! 一人で行っちまったら、俺が馬鹿みたいだろ!?」
少し顔を赤らめた宋料理長が小走りで戻って来る。怒ると言うよりは恥ずかしいのだろう。他の炊事部隊の隊員は調理に集中しているように見せて、必死で笑いを噛み殺していた。
「いいか、よく聞けよ。この先に俺らが外浴場と呼ぶ水浴びをする為の施設がある。そこは水路と滑車を利用して湖の水を汲み上げてな、滝みたいに流してるんだわ。お前らはまずそこで全身を綺麗にしろ。俺の飯は逃げたりしねーから、頭から爪先までしっかり洗うんだぞ」
宋料理長は強面で誤解され易いが、実は世話好きで面倒見の良い男であった。李鳳をして憎めない親父と言わしめる程の豪傑なのだ。「臭ェ臭ェ」と連呼しつつも、動かない下僕の肩に太い腕を回して強引に引っ張って行く。
下僕達は戸惑いを隠せなかった。下僕は汚いモノとされ、自ら触れようとしてくる者はいない。唯一接触する機会を挙げるとすれば、暴力を振るわれる時だけだろう。あるいはこの逞しい親父も、実は自分達と同じ下僕なのだろうか。そんな疑問が頭をよぎった者もいたが、すぐに首を振って否定した。あんなに態度の大きい下僕など見た事がないのだ。
引っ張られて行く下僕の家族や友人が心配そうに後を追う。それに倣って他の下僕も恐る恐る付いて行くのであった。
日が高くなるにつれて霧は薄れていく。すると、これまで見えなかった物が見えてくる。広大な湖、切り拓かれた湖畔、開墾される林地、建ち並ぶ異彩を放つ家屋、その間を抜ける整理された水路と無数の水車。それはもう単なる集落とは呼べず、まるで一つの町のようであった。
初めて見る外浴場にも驚かされたが、これには大いに面食らう。下僕は一様に目を丸くして言葉を失った。巨大な森の中にある拠点と聞いて、山賊の隠れ処程度に考えていたが、生活水準がまるで違うのだ。東莱の町と比べても、こちらの方が遥かに豊かだと思える程に。
目新しい設備や建物は下僕の興味を惹いた。何に使うのだろうか、そう思っても聞くに聞けない。触れてみたいが、怖くて近寄れない。水浴びで体を清め、真新しい服に身を包んでも、所詮は汚らわしい下僕なのだ。その認識だけは解放されても消えていない。
状況を持て余していた下僕は白螺隊の誘導で湖畔に集められた。李遊軍の長たる李典から大事な話があるらしく、朝ご飯を食べながら聞いて欲しいと言う。炊き出し場から大きな寸胴鍋がいくつも運ばれて来る。あの刺激的な香りのする食べ物を口に出来るとあって、下僕も興奮した。一口だけでも味見してみたいとずっと思っていたのである。だから量は期待していない。
しかし、炊事部隊はカレーを椀に山と盛った。何かの間違いかと他の下僕の椀を見やるが、そちらも同量の山盛りである。そして何より驚くべきは白螺隊や李遊軍の幹部達までが、自分達下僕と同じ分量なのだ。
李典は朝食がカレーと分かるや否や「話は後や!」とモグモグ食べ始めた。慣れっこな白螺隊はそれに続くが、下僕は唖然としている。それでもカレーの放つ匂いには勝てず、レンゲ匙で掬い上げて口に運ぶ。次の瞬間、レンゲは止まらなくなった。余り物や残飯しか食べていなかった下僕にとっては、久方ぶりの温かい食事であり、しかもそれが美味とあってはがっつくなと言う方が無理である。
がっつき過ぎて咽る者や、椀まで舐める者が続出した。品性を欠く行為であったが、李遊軍にそれを咎める者はいない。咎められるはずがなかった。なぜならば一番偉いはずの李典が、皆の面前で隠そうともせず、満足とばかりにゲップして笑っているからである。
しばしの食休みを経て、李典の演説が始まった。開始早々昨夜見た夢の話をしようとして、丁奉に頭を叩かれるという一幕もあったが、下僕は真剣に李典の話を聞く。気分を良くした李典の自慢話は延々と続き、一刻を過ぎてもお昼が過ぎても終わらなかった。
白螺隊は李鳳の独断で通常任務に戻してある。普段から散々聞かされている自慢話に、今更付き合う必要はない。それよりも山積みの課題をこなす方が有益であった。
そして李鳳にも下僕の扱いについて考える時間が要る。妖光と郭離を伴って会議室へと戻り、思案に耽る事――半刻。ここで軽い興奮状態にある妖光が、意外な才能を発揮する。彼女はまず下僕の最低限の生活を李遊軍で保障し続けるという案を述べた。その上でしばらくは何もやらせないと言う。先の会合でタダ飯食らいはさせないと決定したばかりなのに、である。彼女の考えを聞いた李鳳はよく吟味した上でほくそ笑む。
(この時代でベーシックインカムの思想を聞く事になるとは……クックック、マンセーと丁奉は黙っていないでしょう。そこは私が直接話す必要がありますねェ。面倒くさい……が、実に面白い)
単なる所得保障で終わるようなら、李鳳も妖光の提案を問答無用で突っ返したであろう。しかし、妖光は敢えてその環境に下僕を置き、本質を見極めたいと言い出した。
一言で下僕を扱うと言っても、その活用方法は多岐にわたる。更に暗示や洗脳じみた行為なしでという条件下であれば、見極めが重要な因子になる事は否めない。
辛い環境であれば少なからず、抵抗や逃亡を試みる者はいるだろう。だが、真逆の温い環境に身を置く者はどうだろう。前者では抗おうとしても、後者では甘んじるのではないだろうか。無論、どんな環境でも気骨と向上心を持ち合わせ、自分に厳しく出来る者もいるだろう。
つまり環境に左右される者は相応しい環境だけを用意し、環境に左右されない者には相応しい対価を用意すれば良いのである。
(馬鹿と鋏は使いよう、とは良く言ったものです。まさかベーシックインカムをリトマス紙代わりにして、下僕の性質を区分しようとは…………流石は詠殿の懐刀と言った所でしょうか。人心掌握術もさることながら、農地開拓や拠点発展についても近代的な思想をする事が多い。面白味がないと思った事は訂正しましょう……本人には絶対言いませんが、ね)
李鳳と妖光のやりとりを聞いていた郭離は感心させられっ放しであった。
「……知って貰う……こちらも知る……知っているから使える……これが、識ると言う事? あっ、白螺隊の育成理念ッ!?」
何か気付いた郭離が声を上げる。
「どうしました? 郭離隊長。急に大きな声を出して……?」
「す、済みません。今の話を聞いて我ら白螺隊の育成理念を思い出したもので……」
つい、と頭を掻く。
「ほぅ。それはそれは……良い所に気付きましたねェ」
「我々も最初は互いの事を何も知りませんでした。何をやらされるのか解らずに不安な夜もありました。そんな時はよく伍で話をしました。故郷の話から好みの女の話まで……話す前と後では、同じ人でも印象が変わります。見えていなかったものが見えたような、知らなかった事を知れたような、そんな感覚です。初めは自分の伍だけで手一杯でしたが、それが隣の伍に広がって、またその隣にまで広がって、いつの間にか白螺隊全体の事が見えるようになっていました。自分には何が出来て何が出来ないのか、彼奴には何が出来て何が出来ないのか。それが伍ならどうだろうか。什ならどうだろう、隊ならどうだろうか。小さく狭いと思っていた自分の世界が仲間の分だけ広がったように感じました。そうしたらやりたい、やってみたいと思う事が増えていました。」
郭離は懐かしそうに、そしてどこか気恥ずかしそうに語る。
「貴方を隊長に選んだ私やマンセーの目は正しかったと言えますねェ、クックック……対話は人間関係を構築する上で基本となります。そして指揮官となる者はそんな彼らの動機ややりがいを見い出し、きちんと意見や成果を反映出来る仕組みや機会を作る事が肝心です。しかし、これがなかなかに難しい……今の郭離隊長になら、解りますよね?」
「……はっ! 日々痛感しております!」
「クククククッ、それは重畳です。指揮官が鈍感や無痛症では、下が苦労しますからねェ。それで、今回の遠征でも気付けた事があれば……是非、忌憚のない意見を聞かせて下さい」
白螺隊の欠点については丁奉から耳にタコが出来る位聞かされていた。しかし、李鳳はそれが問題だとは思っていない。
「はっ。我ら白螺隊は此度の一戦で己と強さと弱さを改めて知る事が出来ました。白螺隊は我らが思う程弱くはなく、敵は思ったよりも強くなかった。そして己の中で勝手に敵を大きくしてしまったようです。また多勢との戦闘も未熟だと思い知りました。あれほど指導を賜ったのに、申し訳御座いません」
「構いませんよ。白螺隊には同格か格上しか対戦できる相手がいませんでしたし、工兵隊あがりの貴方方にそこまで望むのは酷でしょう」
「しかし、我らは倒せたはずの敵を取り逃がしたのですぞ!? 丁奉殿も仰っていました。雑魚は圧倒するべきだと」
「クフフフフッ、数百の雑魚を倒し切れなくても何ら問題はありません。その代わり、白螺隊は千の雑魚を屠る一人の将を殺し切れば良いのです」
「一人の、将を……?」
「戦闘狂の丁奉は少し勘違いしていますが、白螺隊は寡兵で大軍を相手にする為の部隊ではありません。"集"の力で大いなる"個"を滅する為の特殊部隊なのです。遥か西方の国々に伝わる神話には、獅子の顔に山羊の胴体、それに毒蛇の尻尾を併せ持つ聖なる獣が出てきます」
「し、獅子に、毒蛇……そ、それは獣と言うより……化け物なのでは!?」
「クククッ、その通りです。“個”の戦力が大きくばらつくこの世界において、戦の勝敗を決めるのは量ではなく、質。だからこそ白螺隊は為る必要があります。”集”にして個”たる獣に……純然たる一匹の化け物に」
郭離は思わず生唾を飲む。これまで李鳳は理合いについて多くを語ってくれたが、理想像について具体的な話をしたのは初めてだった。握り締めた郭離の手がジワリと汗ばむ。昔の彼ならばそんな事は出来るはずがないと思っただろう。戦場では部隊が一体と化して動く事はよくある。直線的な動きは槍に、流動的な動きは蛇などと例えられる事が多い。しかし、李鳳の言う聖獣は例えではない。模すのではなく、そう成れと言う。
”個”を殺して”集”と為り、”集”と成って”個”を生かす。白螺隊が結成された時に李鳳が語った教えである。以来ずっと李鳳はこの理を繰り返してきた。郭離はここに来て漸く疑念が氷解する。”集”とは何たるか、”個”とは何であるか、を。同時に体の芯から熱くなるのを感じた。それは歓喜から来る高揚である。李鳳が最初からずっと自分達を信用してくれたのだと悟った郭離は、その期待に応えようと奮起したのだ。それが全くの勘違いであるとも知らずに――。
こうして白螺隊と下僕を含む李遊軍の新たな生活が幕を開けた。白螺隊は心機一転とばかりに演習に励む。妖光による下僕の仕分け作業も一ヵ月ほどで完了した。思った以上に真面目で気骨のある下僕が多く、環境に甘んじる者の方が少数であった事には李鳳も驚く。何かをしていないと落ち着かないと言う下僕を見て、李鳳は現代社会の仕事中毒者を思い出す。働く事でしか己の存在意義を見い出せず、結局は何かに囚われ続けるしかない――それが下僕だと思うと嗤えた。
それでも働く意志のある者には仕事を与えて、最低所得以外の成果給を支払う。功績に応じては昇給や昇格も考えると伝えてある。また犯罪を働く者や李遊軍に害なす者には容赦なく罰を与えるとも伝えた。幸いにも今のところ、そういった者は出ていない。
李鳳が郭離に聖獣の話をしたのも計画通りなのだ。丁奉が憂慮する点を補えば、確かに汎用性の高い部隊が完成する。しかし、それでは面白くない。極端な程ピーキーな特性を持っているからこそ、見ていて楽しいのだ。優秀なだけの部隊には魅力を感じない。
同様に暗示や催眠で傀儡と化した者も従順な反面、酷くつまらなかった。何の面白味もない。李鳳にとって重要なのは面白いか否かだけである。それ以外は不純物に過ぎない。どれだけ面倒であろうと、どんな窮地に陥ろうと、腹の底から笑えれば良かった。
その点、李典は神憑っている。あれだけ調子に乗れる者はなかなかいない。馬鹿と天才は紙一重と言うが、彼女はその境界線をねじり込み螺旋のように混在させている。馬鹿と天才の考える事は李鳳にも解らない。だからこそ面白かった。
李典が一切自重しないおかげで、李遊軍の規模も拠点も李鳳の思惑を遥かに超えて大きくなっていく。まるで国でも興さんばかりの勢いである。そうなったらなったでまた面白いと李鳳は思う。しかし、このままでは遅かれ早かれ厄介な事に巻き込まれるという確信があった。それでも李鳳は李典を止めない。大いなる力に大いなる責任が生まれるように、愉悦至上主義の李鳳も大いなる矛盾を抱えている。だから起こるべき厄災に対しても備えない。そんな事をすれば、面白くなくなるからだ。
そして、その日は来るべくしてやって来るのであった。